- Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121022325
作品紹介・あらすじ
ダヴィデ、システィーナ礼拝堂天井画、「最後の審判」などで知られるルネサンスの巨匠ミケランジェロ。彫刻や絵画のみならず、建築、素描、詩篇にいたる超人的な芸術活動の核心には何があるのか。八九年に及ぶ波瀾の生涯をたどりつつ、代表的な作品を精緻に読み解き、そこに秘められたメッセージを解明していく。レオナルドの対極に位置する「混沌」を生きる芸術家として再発見し、ミケランジェロ像を刷新する。
感想・レビュー・書評
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イタリア旅行以来、美術史に軽く興味を持ち続けてます。有名な芸術品がたくさん出てくるし、新書なので読みやすく、素人でも楽しめます。
型にはまらない表現を模索しつつも、伝統的な知識や技術を大切にしてきた、いや、そうしたものを大切にしてきたからこそ新しい境地を開けたのだ、という終章が印象的でした。現代に生きる私達も参考にすべき思想です。 -
近代批判を近代の言葉で表す愚かさ。あとがきの言葉が印象的だった。ミケランジェロから学ぶことは多い。素朴だが力強い芸術観に触れることができて幸せだ。画集よりミケランジェロの芸術の本質に触れた一書だった。「カオスケープ」
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みのる「神のごときミケランジェロさん」つながりで。/「最後の審判」に込められた、当時の正統的なキリスト教解釈とは大きく異なった意図。おそらくそれを読み取りつつも、直させもせず、システィーナ礼拝堂におさめさせた教皇。興味深い。/「ヴァチカンのピエタ」の神々しさ。ペルゴレージの「スターバト・マーテル」はこのピエタに捧げられたのではないか、と。/十代のときから女性像に男性的なたくましさを求めていたミケランジェロ/「ミケランジェロにとって、現実はいつも大理石の原石のように、どんな具体的な形をとるかは始めてみなければ判らない。「終末」は「始まり」のなかに隠れている。そんな思いを抱え込み、そんな思いをぜんぶ注ぎ込もうとして描いたのがシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」だった」p.147/天井画を描く自画像のある詩、にこめられた自虐的なユーモア/ミケランジェロの映画「華麗なる劇場」(1965年)、キャロル・リード監督、チャールトン・へストン主演、みてみたい/ダヴィンチを念頭に置いて、絵画と彫刻、どちらがすぐれいているなんて議論は意味がない、とつづった手紙/「未完成」は、いつも「生成する完成」として立ち現れている。「生成する完成」は「持続する未完成」であり、いいかえれば「始まり続ける完成」である。こうして、始まり(起源)」と「終り(終末)」は、ウロボロスの蛇のようにつながっている。p.238
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木下長宏『ミケランジェロ』中公新書、読了。岡倉天心、中井正一からゴッホまで--本書は、作品と徹底的に向かい合うことでその内実をえぐり出してきた美術美学史家の手によるミケランジェロ伝。89年の生涯を…まず、そんなに長生きだと知らなかったが…ありありと映し出す。
「『混沌』を生きる芸術家がここにいる」(帯)。ミケランジェロはレオナルドと同じく万学と天才かつ、常に「最高」を目指したこと。しかしレオナルドが「コスモスケープ」の人であるのに対して、ミケランジェロは「カオスケープ」の人だと著者はいう。
人間の生の実像は自然や歴史の破局に突如としておそわれ「受難を生きる」ところにある。「ミケランジェロは、決して一つのところにとどまっていない。つねにいままでの仕事を反省し、考え、未知の表現の可能性を求めて絵を描き彫像を彫っている」。格好の評伝。 -
国立西洋美術館、¥924.