〈辞書屋〉列伝 - 言葉に憑かれた人びと (中公新書 2251)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022516

感想・レビュー・書評

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  • 20190518 右京図書館

  • 辞書にとりつかれた不思議なひとたちの評伝。中公新書なのに、くすくす笑って読めます。(2014年4月1日読了)

  • 自分の中で“辞書本”不動の第1位は高田宏『言葉の海へ』、第2位は『舟を編む』なんだけど、第3位に急浮上してきたのが本書。
    ちょっと時系列がわかりにくい文章もありますが、一人ひとりの“辞書屋”のエピソードが面白くて、あっという間に読んでしまいました。
    ただの字引としての辞書ではなく、国家や民族の証としての辞書を、使命感をもって作り上げていく“辞書屋”たちがなんと魅力的なことか。
    『ヘブライ語大辞典』と『スペイン語用法辞典』の話が特にお気に入り。これ、誰かがもっと長い小説に仕立て上げてくれたら面白いと思うんだけどなぁ。

  • どんなものにも歴史という物語があって、それを知ることはとても楽しい。久しく辞書を読むということをしていなかったけれど、頁をめくってみようかと思わせられた。

  • 私は辞書が好きです。とくに漢字関係の辞書。『大漢和辞典』を先頭に、各種漢和辞典、語源辞典など漢字関係の辞書だけで10種類以上持っています。白川静先生の『字通』の普及版も今度出版されるみたいですので、買えればなと思っています。
    さて、本書ですが、著者自身も『カタルーニャ語辞典』を書き上げた一人であり、辞書編集の酸いも甘いも知っている方による古今東西の辞書屋と辞書にまつわる話が書かれてあり、辞書好きにはたまらない一冊です。
    さて、まず「辞書屋」という言葉ですが、氏は英語の“lexicography”(辞書編纂(法)、辞書学)および“lexicographer”(辞書編纂者、辞書学者)という言葉に強い疑問があるとします。曰く「辞書は道具であり、それを作る作業を「学」、それを作る者を「学者」とは呼べない」(まえがきより)とします。では、「職人」はどうかというと、「学者」よりもこちらの方が近いが、辞書は「売れなければならない」から、偏屈な「職人」であると同時に如才ない「商人」でなければならない。だからこそ「辞書屋」の語をあてたとしています。
    本書で扱っている辞書と辞書屋は
    ・OED(『オックスフォード英語辞典』)とジェームズ・マレー
    ・『ヘブライ語大辞典』とベン・イェフェダー
    ・『カタルーニャ辞典』のプンペウ・ファブラ
    ・『カタルーニャ語・バレンシア語・バレアルス語辞典』とアントニ・マリア・アルクベー
    ・『言海』と大槻文彦
    ・『アメリカ英語辞典』とノア・ウェブスター
    ・『和英語林集成』とヘボン
    ・『西日辞典』と照井亮次郎・村井次郎
    ・『スペイン語用法辞典』とマリア・モリネール
    ・そしてカタルーニャに関する数冊の辞書と著者自身
    となっています。
    それにしても副題の「言葉に憑かれた人びと」とは言い得て妙、辞書という一部の人以外にとっては無味乾燥なもの(近年ではテレビ番組「ジャポニカロゴス」でたびたび取り上げられていた『新明解国語辞典』みたいに面白い用例をつけるのもありますが)を何年も、ものによっては十何年も一字一字カードを作って、並べて、取捨選択して、追加して・・・と、本当に「とりつかれ」でもしない限りできません。そんな変態(失敬)もとい辞書屋たちの辞書に懸ける粘着質(失敬)熱い思いが行間に伝わってきます。移民先で生死に関わる、開国して異文化圏の人と交流する、自分たちのアイデンティティを確立する等々、辞書というのは必要に迫られて編纂されるものであり、また完成したものはその言葉を母語とする人やその言語を学ぼうとする人のみならず、人類の宝です。現在世界には6000~7000の言語があり、その中で約2500の言葉が消滅の危機に瀕しているということです。しかし例えば『ヘブライ語大辞典』を編纂したベン・イェフェダーの業績ように、一度死語となったものが辞書を編集することで母語となったこともあります。辞書の持つ力、存在意義ははかりしれません。ただ、辞書の編集とは「言葉の標準化」といえるかもしれません。それぞれの言葉の持つ多様性が「辞書からこぼれ落ちる」ことで失う危険性もあります。しかし、その危険性を補ってあまりある恩恵がそこにはあります。「言葉に憑かれ」、言葉に一生をかけた人びとの熱いドラマをぜひ読んでみてください。久しぶりに時を忘れて読んでしまう本に出会いました。
    備忘録
    ・「方言学に関心を持つようになっていたマレー(OEDの編集者)はアレグザンダー・メルビル・ベル教授の音声学夏季講座に参加した。教授はずばぬけて優秀なマレーに目をかけ、家に招待したりした。ある日、教授の一番下の息子、十歳ぐらいのグラハムがマレーに自分は電気に興味があるのだと言った。それを聞いたマレーは簡単な電池を作ってやった。(略)グラハムは、マレーの二回目の結婚式で介添人を務めるほど親しい友人となった。この男の子は後の電話の発明者グラハム・ベルである。」(14頁)
    ・『言海』の著者大槻文彦の言葉「一国の国語は、外に対しては、一民族であることを証明し、内に対しては、国民に一体感を持たせるものである。したがって国語の統一は、独立の基礎であり、独立国の標識である。」(110頁)
    ・(「ヘボン式ローマ字」を発明した)ヘボンは実は、「ヘップバーン」という苗字を、江戸・明治の日本人が耳で聞いたままを書き写したもの。(161頁)
    ・1862年の生麦事件で斬りつけられたイギリス人の治療をしたのはヘボン。(164頁)
    ・日本語を分析していたヘボンは、「~(で)しょう」という語尾が、未来形であるということを発見して大喜びした。(166頁)
    ・日本にはじめて石鹸を広めたのもヘボン(167頁)
    ・「訓令式」と「ヘボン式」のローマ字表記の違い
    「訓令式」sa si su se so, ta ti tu te to, ha hi fu he ho
    「ヘボン式」sa shi su se so ta chi tsu te to, ha hi fu he ho
    ・明治時代、メキシコに移民した日本人が、スペイン語で「牝牛」を意味する「バカ」(vaca)という語を聞いて、自分が馬鹿にされたと思い込んで、言ったメキシコ人を殴りつけて騒ぎになったこともあった。また、銃で撃ち殺されそうになって這う這うの体で逃げ帰った者の話を聞いてみると、遊女に声を掛けられたので誘いにのってその家に行ってみると、いきなり家族に銃を向けられたというのだ。真相は、その女性がその移民のシャツを引っ張って「ブランコ、ブランコ、一ペソ、一ペソ」と言ったのを誘いだと勘違いしたのだった。「ブランコ」とは「白い」、女性は一ペソでそのシャツを洗って白くしてやると言っていたのである。」(192頁)
    ・シエラ・ネバダ=「雪を頂いた山々」という意味

  • 面白かったです。

  • かつて編集部で「舟を編」んでいたあたしとしてはとても興味深かったです。もっと取り上げて叱るべき「辞書屋」はいるでしょうけど、既に評伝などが出ているものなどは省かれたのでしょう。それでも、著者の専門性からか、ややスペイン語に寄っているきらいがあります。バランスとしてどうなのか、という見方もできますが、あたしのようにスペイン語や欧米の言語の門外漢には、知らない世界を知ることができてとても面白く読めました。

著者プロフィール

1953年生まれ。現在、法政大学国際文化学部助教
授。カタルーニャ語・文化専攻。著書:『カタルー
ニャ50のQ&A』(新潮社)、『カタルーニャ語文
法入門』(大学書林)訳書:『バルセロナ・ストー
リーズ』(水声社)、『バルセロナ』(新潮社)

「1999年 『引き船道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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