さすらいの仏教語 (中公新書)

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著者 : 玄侑宗久
  • 中央公論新社 (2014年1月24日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022523

さすらいの仏教語 (中公新書)の感想・レビュー・書評

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  • 例えば、言語道断。
    「道」は言うということ(ゆえに”同”ではない)
    だから言葉で言えないほど魅力的、という意味なのです。
    怒っている、という意味ではないのです。
    そして、自業自得。
    「業」はカルマ。自分の知識や経験で得た結果。
    だから大学合格も恋愛成就も、自業自得なのです。
    悪いことだけではないのです。

    こうした、面白い仏教語のお話が88話。

    以下、覚えておきたいもの列挙します。
    「魔羅」内側から生じる魔の象徴として、アレを。
    ちなみに「因果骨」も同意味。
    時々、骨のように固くなるからだそうです(ナイスだ)

    「退屈」志が退いて屈すること。だから暇という
    ことではなく、意気消沈が本来の意味。

    「ゴタゴタ」偏屈なゴッタン和尚がいて、難しい
    ことがあると「ゴッタンみたい」が繰り返されて
    ゴタゴタになったそうです。

    「無念」執着した心のない、柔軟な洗浄された心。
    だから無念です、と悔し涙を流すことは間違い!

    「どっこいしょ」は六根清浄のこと。

  • 新書文庫

  • 日常語の中から、88個の仏教由来の言葉について、元々の意味を踏まえながら書かれたエッセイ集。中央公論の8年にわたる連載として書かれたものなので、文章は肩肘をはらず、読みやすい。そしてユーモアに溢れている。

    本書は2つの大きな驚きを与えてくれる。一つは、「自由」、「実際」、「徹底」など、ごく普通に我々が使っているこんな言葉も仏教由来だったのかという驚き。「台無し」のように、なるほど言われてみればと思うものもあれば、擬態語の「ガタピシ」のような意外な言葉もある。もうひとつは、現在使われている意味と、もともとの仏教由来の意味とがこんなにも違ってしまったのかという驚き。普段使いの言葉が、タイトルの「さすらい」という形容詞の通り、時間と空間を旅する中で、ほとんど真逆ともいえる意味の変化をしている。

    本書は、われわれの生活の中に通奏低音のように流れる仏教的なものとの関わりと、それらを、ときには大胆に咀嚼してしまう人々の豊かな感性の点描となっている。読みやすいエッセイとして、時間のあるときに、あるいは電車の中で、気ままな気持ちで読むことが、この本の楽しみ方だ。感心したり、納得したり、意外な気持ちになったりと、日々の暮らしを豊かにしてくれるだろう。

  • 仏教語が元となった言葉は実に多いということがわかる。正直に言えば、半分は知っていた話ではあるけれど、改めてまとめて読むと仏教が近くなる。
    章ごとの冒頭は数字と川口澄子さんの絵だけ。ああ、言葉抜きで感じなさいという意味ね。

  • 6月新着

  • 勉強になりました。

  • 14/01/29。

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さすらいの仏教語 (中公新書)の作品紹介

私たちの周りでは仏教由来の言葉が数多く使われている。「阿弥陀クジ」「あまのじゃく」など納得の言葉から、「砂糖」「ゴタゴタ」「微妙」といった意外な言葉、そして「魔羅」「ふしだら」「女郎」なんて言葉まで!仏教語はどんな「さすらい」の旅を経て、今日の姿へと変貌したのか。はじめは驚き、やがて得心、最後には仏教の教えが心に響く-。禅宗の僧侶にして、芥川賞作家ならではの仏教エッセイ。

さすらいの仏教語 (中公新書)はこんな本です

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