アデナウアー - 現代ドイツを創った政治家 (中公新書 2266)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022660

作品紹介・あらすじ

第2次世界大戦の敗北により、人心・国土とも荒廃したドイツ。その復興を担ったのが、73歳で首相に就任、14年間その座にあったアデナウアーである。戦前、ケルン市長として活躍した彼だが、ナチに迫害され引退。戦後、保守政党を率い、「復古」「反動」のレッテルを貼られながらも、常に自国のナショナリズムを懐疑し、米仏などとの「西側結合」に邁進、ユダヤ人との「和解」にも挑んだ。「国父」と呼ばれる保守政治家の生涯。

感想・レビュー・書評

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  • アデナウアーについて名前しか知らない程度で本書を手に取りました。購入のきっかけは第二次世界大戦後のドイツの政治経済を勉強したかったこと。そのためには、まさにこの時期に西ドイツを率いたアデナウアーの本が一番いいのではないかと思い購入しましたが、期待は裏切りませんでした。

    全般的に初心者にも読みやすく、アデナウアーの話だけでなく、敗戦後のドイツそのものの激動について興味深く読みました。
    しかし本書を読む限りにおいてはアデナウアーという人はかなり独善的に感じました。ドイツに自由民主主義を定着させるという目標のために、議会民主主義は全然顧みなかったという、ある意味矛盾を抱えていて、しかし言い換えれば原理主義者ではなく、あくまで現実を見ながら妥協や取引を通じて自分の考える方向性を実現する、ということで政治家としては極めて有能だったのだろうなという印象は受けました。1つ不思議だったのは、ヒトラーという独裁者を経験したにもかかわらず、ドイツ人はアデナウアーという別の意味で独裁的な人物をトップに選んだこと。ただし本書にも書かれているようにドイツ人は経済復興に最大の関心を持ち政治はお任せ、という状況だったのもあるでしょうし、何より復興にはある程度強権的なリーダーがいなければ立ち行かない、ということで、まさに戦後のドイツ復興になくてはならない人物だったという印象を持ちました。

  • ケルン大学をヨーロッパ諸国民の協調の礎として位置付けた。アデナウアーは収容所から逃亡劇を演じている。妻がゲシュタポに逮捕、尋問されて娘の安全と引き換えに夫の居場所を漏らしてしまい、再度逮捕された。ケルン均衡の刑務所に収監された。士官となっていた息子の奔走で釈放された。

    ボン共和国と呼ばれた西ドイツはヴァイマール共和国の歴史を繰り返さないことが国是となった。

    西ドイツとの和解によって、イスラエルは中東紛争を生き延びることができたといえる。アデナウアーっはイスラエルに招待され、物議を醸しだしたが、歓迎された。その後、ベン・グリオンの私邸を訪れるなどドイツとイスラエルの和解を演出した。

  • 日本ではほぼ知られていなそう(自分も世界史でちょっとかじったのを覚えいるくらい)ただドイツにとっては、国の再建を担った人物で、戦後のドイツを語る際、アデナウアーを欠かすことはできない。

    特に東西ドイツ統一よりも、西ヨーロッパ統合の道を優先した点が興味深い。普通なら国内の状況を優先しそうな気もするし、特に国の分断を放置することはかなりリスキーに思える、結果的には正しい道だっと評価できる。

  • ドイツでは最も有名だが、日本ではあまり知られていないアデナウアーの業績と生涯について。

    内容をおもに戦後の外交に的を絞ってあるので読みやすい。その人となりや思想はステレオタイプな記載しかないのでイマイチよくわからないが、新書サイズということを考えるとこれで十分か。

    戦後ドイツの思想一般については読み応えのあるものは多いが、もしかしたらそれらと対比させて読むものなのかもしれない。

  • p.41
    ケルン市長アデナウアーの手法の特徴:
    第一:懸案事項について、徹底的に調べ上げ、議論に備える。つねに彼は資料をたくさん携え、時には数人の専門家を従えて会議に臨んだ。
    第二:相手に最後まで話しをさせること。
    相手方が意見を出し尽くすまで自分は黙っている。そして最後に、会議をまとめるかのようにして、自分の意見を押し通す。
    政治で成功する秘訣:「最後まですわっていられること」
    アデナウアーの、迅速な行政処理能力、タフな思考力には驚く。
    p.26
    毎日16~18時間黙々と働き、革命家たちと対立しないように、かつ主導権を彼らに奪われないように、次々と決断を下していった。
    p.120
    ・[ペータースベルクでの会議の多くは夜までかかった。]時には、再び朝日を拝むこともあった。そういったとき、われわれ(占領者であるアメリカ高等弁務官府)は疲れて眠くなっているにもかかわらず、アデナウアーの頭はまだ冴えているのだ。

  • 第2次世界大戦の敗北により、人心・国土とも荒 廃したドイツ。その復興を担ったのが、73歳で首 相に就任、14年間その座にあったアデナウアーで ある。戦前、ケルン市長として活躍した彼だが、 ナチに迫害され引退。戦後、保守政党を率い、 「復古」「反動」のレッテルを貼られながらも、 常に自国のナショナリズムを懐疑し、米仏などと の「西側結合」に邁進、ユダヤ人との「和解」に も挑んだ。「国父」と呼ばれる保守政治家の生 涯。

  • 私の中では「西ドイツの戦後の首相の1人」であるという認識しかなかった。
    詳細は読むことをおすすめするが、彼の徹底した「反ソ主義」「間接民主主義」は眼を見張るものがある。「本当に」「何一つ」ソ連の言うことを信用しないのだ(若干民族主義の嫌いもある気はするが)。
    ドイツの「臣民」の感覚を利用し、彼は西ドイツに民主政を根付かせることに成功した。

    彼のドイツ再統一論は、逆説的ではあるが「東ドイツの存在を認めない」ことにある。彼の中には、ドイツ帝国の後継者たる西ドイツが「メーメル川までのドイツ」を回復することにが脳内にあったのだろう。しかし東ドイツが編入され、東ドイツを編入した西ドイツは、ポーランド政府とゲルリッツ条約(オーデルナイセ線)を追認する条約を結んだ。

    彼は徹底した力の政治で西ドイツの「西欧化・西側へのドイツ」をつくり上げることに成功したし、その意味で私は戦後日本の復興と対比させながら読んだ。彼はヒトラー政権での戦争責任を政府としては認めたが、国民に対しては認めなかった。

    「何事もタブーにしないこと」が重要なのであろうと思われた。

  • 20140830読了
    あちこちに「アデナウアー通り」があって、名前を通りの名称で残すくらいだから有名人なんだろうくらいの認識だったのが、レーンドルフをふらついてみて「えっこれは有名人どころか戦後ドイツ史の重要人物では」とようやく気づいた2年前。無知でごめんなさい…よいタイミングで新書が出て、やっと人となりや業績を俯瞰できた。

  • ケルン市長から西ドイツの初代首相となったアデナウアーの物語。
    第一次大戦からナチズム、第二次大戦を経て冷戦に至るまでのドイツの、そしてヨーロッパのあり方を知る上でキーパーソンになる。
    日本に照らして、全面講和、片面講和の論争、戦争責任論などについても考へさせられる。

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著者プロフィール

東京大学大学院法学政治学研究科教授。1978 年生まれ、北海道大学大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。国際政治史、ドイツ政治外交史。主要著作:『黒いヨーロッパ──ドイツにおけるキリスト教保守派の「西洋(アーベントラント)」主義、1925~1965 年』(吉田書店、2016 年)、『分断の克服1989–1990 ──統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦』(中公選書、2022 年)ほか。

「2024年 『民主主義は甦るのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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