生物多様性 - 「私」から考える進化・遺伝・生態系 (中公新書)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023056

作品紹介・あらすじ

地球上には、わかっているだけで一九〇万種、実際は数千万種もの生物がいる。その大半は人間と直接の関わりを持たない。しかし私たちは多様なこの生物を守らなければならない。それはなぜなのか-。熾烈な「軍拡競争」が繰り広げられる熱帯雨林や、栄養のない海に繁栄するサンゴ礁。地球まるごとの生態系システムを平易に解説しながら、リンネ、ダーウィン、メンデルの足跡も辿り直す、異色の生命讃歌。

感想・レビュー・書評

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  • 「生物多様性は何故守られなければならないのか?」の問いに対して、巷では「人類にとって有益だから」と説明されることが多い。しかし、破壊するだけ破壊しておいて、やっぱり役立つし大事だと気付いたから守ります、というのは虫が良すぎる上に、どちらにしろ人間のエゴでしかないやんとかねがね思っていたので、納得のいく理由を探しに本書を手に取った。
    前半は、前提として生物多様性とはどういうものなのか、有益といわれる理由(生態系サービス)や、特に多様性に富んでいる熱帯雨林やサンゴ礁の状況、生物の進化の歴史などを交えて大変わかりやすく説明されている。
    後半は、なぜ守らなければならいのか、いかにして守っていくのかという話だが、だんだん哲学的・宗教的、また経済的なところにまで論が展開されており、やはり一方向からだけで理由付けできる簡単なものではないのだなあと感じた。
    「どんな生物にも長い歴史があり、それぞれにしか持ちえない価値がある。また、人間と同じように生物も生きる権利を持っているから、それを人間が勝手に奪うようなことをしてはならない。」と説明されるのが自分の中では一番納得できるかな。ヒトが築いてきた文明にはすでに価値が見出されていて、文化財等として保護されてきているのだから、今度は他の生物の生き様にも敬意を払い、守っていくべき時代に突入したのだろう。どんな生物にも礼儀を持って接したいものだ。

  • 序盤から中盤までは生物多様性の底力というのか、どのようにして多様になっていったのかを解説していて、特に熱帯地方の陸と珊瑚礁の海を具体的に述べていて、それはそれで興味深いものがありましたけど、僕が知りたかったのはそこではなくて、『なぜ多様性を守らなければならないのか?』という疑問に対して、生物学者である著者がどんな回答をするのかが気になって本書を読み始めたので、まぁ終盤ではそれがちゃんと書いてあったので良かったです。
    著者曰く、『今ある生物種は全部必要かと言われれば疑問が残る。しかし、生物多様性は現代科学ではまだまだ解明できていない部分も多いし、不要な種もあるかもだけれど、それらを排除したらどんな影響が出るのかの見通しが立たない』とのことで、とりあえずは多様性を守りましょう、ということでした。
    更に、『自分には関係ない生物を守ろうと言われてもピンと来ない。けど、人間も様々な形でたくさんの生物と関わり合って生きていることを実感し、生物を守ることは自分を守ることと同じであると気付けば、その大切さが分かるのではないか』と締め括っています。僕も基本的には著者の意見に賛成ですが、たくさんの生物を眺めてきた著者だからこそ言える境地というか、言葉の重みや説得力が全然違いますね。
    僕の評価はA-にします。

  • 生物学、生態学など全くの素人の立場で書評を書きますが、初学者にもとてもわかりやすく面白く読みました。序盤で面白かったのは生物多様性の世界と物理学の対立についてです。前者は個別性の世界なのに対して、物理学は普遍性の世界だから相性が悪い、というのは、ちょうど最近読んだ、ウォーラーステインの『入門世界システム分析』を思い出させました。ウォーラーステインによれば、近代になって学問が科学と人文学に別れてしまったこと(彼はこれを「2つの文化」と呼んでいます)、科学が普遍性を重視するのに対して、人文学は個別性を重視することで互いが対立をし、結果として近代社会は普遍性を重んじる科学が優勢になっているというようなことが書かれていました。

    本書は前半に生物多様性の実態(熱帯雨林や珊瑚礁の事例)、さらにそれが人間も含めた全生物にもたらす意味などをわかりやすく解説されていますが、後半になってくると哲学的な議論展開が進みます。私はアカデミクスの人間ではないので、単純に「面白い展開になってきたぞ」と思いむしろポジティブに楽しみましたが、著者も書かれているように、アカデミクスの人が読むと、著者のような科学者が価値観や「あるべき論」まで語るとは何事だ、と感じるのかもしれませんね。私は著者の勇気と広い見識を高く評価します。

    著者は「私」の定義が現代社会では非常に狭い(小さい)ことに警鐘を鳴らしています。そしてこれは科学の粒子主義から来ていて、もっと遡ればデカルトにまで行き着くわけです。そうではなく「私」と私ではないところの境界は空間的にも時間的にも非常に曖昧で(胃の中に入ったリンゴは私の一部なのか否か、あるいは自分の子供にも「私」が遺伝しているが、私の一部なのか否か)、我々生物はそういう曖昧な環境に生きているのが真実であること、さらにこのように「私」を拡大していけば自ずと生物多様性の世界が維持されていく、と論じています。著者は利己主義の己を拡大するという言い方をされています。これは仏教で言うところの小乗から大乗へ昇華せよ、というのとニュアンス的に近い気がします。また他人や他の生き物を手段として見るのではなくそれ自体目的があるものとして見ることの重要さも指摘していますが、これはカントの定言命法を思い起こさせます。カントは「汝及び他のあらゆる人格における人間性を、単に手段としてのみ扱うことなく、常に同時に目的としても扱うように、行為せよ」と述べていますが、これを拡張してあらゆる生物についても手段だけでなく目的としても見ることの大事さ、について語られているのかと感じました。

    生物多様性だけでなく価値観、人間のあり方など非常に考えさせられる本でした。オススメです。

  • 背ラベル:468-モ

  • 生物多様性とは何か?何故守らなければならないのか?を、生物という定義から丁寧に説明してある。【私】という概念を用いてあり、読んでいる最中「あれ?これって生物の本?倫理や哲学、経済の本じゃなくて?」と思ってしまうような異色の書だったのだが、このことが生物多様性を守るうえで重要な考え方だった。つまり、生物多様性を守ろう!では人類は動かない。利己主義的思考が次世代につなぐ役目を邪魔している。生物多様性を守ることは、【私】がずっと続くために、当然守るべきものであり、そのために開いた【私】であり続けること。生物多様性の保全は全て【私】の継続にかかっているのである。量重視の豊かさではなく、質の異なったものがあるという豊かさを求めるように発想転換する必要がある、というところに大いに共感した。

  • 遺伝子の塩基配列が私と同じ人が生まれる可能性はゼロにとても近い、ママと私の遺伝子はほとんど同じ。この考え方に衝撃を受けた。私がつながってきて、つながっていくと考えたなら、いろんな環境が絡み合って生きているのなら、個人の私が嫌なものから逃げて生きてはいけないと思った。

  •  かなり以前になりますが、本川達雄さんの代表作「ゾウの時間 ネズミの時間」を読んでいい刺激をもらいました。久しぶりに本川さんの著作です。
     本書は、「生物多様性」についての本川さんの講演内容をもとに編集されたものとのことです。
     「生物多様性」を重視する意義を説くにあたり理解しておくべき生態学・進化論・遺伝学等の基本を辿りつつ、本川さん流の考え方を開陳しています。

  • ナマコを専門とする生物学者が生物多様性がなぜ守られなければならないかを考えた本。

    本書の特徴は、生物学者とはいってもナマコの研究が専門なため、著者は生物多様性については門外漢であるというところ。
    生物多様性は、生物学のなかでも主に保全生物学や生態学、分類学が扱う領域であるらしい。
    そのため、生物多様性についての講演依頼を受けた著者は(基礎は違うとはいえ)我々と同じように本を読んで学んだとのこと。

    そうして著者が至ったのが、「なぜ生物多様性を守るべきか」というのは生物多様性というのは価値の問題であり、科学ではなく倫理や哲学の領域の問題であるとの認識。
    この認識について生物学者が明示したというところは大事なことだと思う。
    自分が論じる事柄がどういう性質のものかというのを自覚することは、議論を交わしたり整理する上で必須だと思う。
    著者は当然倫理や哲学については門外漢であり、またまた門外漢ながらそれらの本も読んで学んだというから頭が下がる。
    ただ、せっかくそんなに本を読んだのなら参考文献を列挙してくれれば次の読書体験に繋がったのにという不満はある。

    この本はそんな著者の謙虚で勤勉な態度のためか、かなり構成的にも内容的にもすっきりまとまっているので、「何を言っているのかよくわからなかった」ということはまずない。
    したがって、誰が読んでも無駄にはならないのは間違いない。
    ただし、本書の命題の「生物多様性はなぜ大事か(=守られなければならないか)」について同じ結論を得た私でも、その論理展開はあまり納得できなかった。

    著者の結論は、「自分にとって自分が大事なものなのは自明である」というところから始まる。
    まずこの点について「言うほど自明か?」と思うが、まぁ自分が存在しなければ自分以外の価値に触れることはできないのでそれは良いとする。
    著者はここから「では自分というのはただの1個体の範囲だけの存在なのか」と論を進め、「自分の血を分け合った家族や愛着のあるものも喪失すれば自分の一部を失ったかのように感じるのだから、自分というのは単なる1個体ではない」として、「拡張された自分」にも価値があるという。
    そして、そういう自分そのものではないが、拡張された自分にも価値を認めていけば、「自分の子どものような時間的な繋がりのある拡張された自分」、「自分の肉体そのものではないが、そこに物理的にアクセスされる周りの環境のような拡張された自分」といったものにも価値があることになる。
    拡張された自分という価値を認めるのであれば、その価値が続いていくのに役立つ生物多様性にも価値があるから大事にしよう、と説く。

    こうなってくると最早言ったもの勝ちではなかろうか。
    もちろん自分以外のものを自分の一部のように思う感覚については共感できる。
    しかし、それはあくまでも私の主観的な経験である。
    哲学の主観主義と客観主義みたいな話をするわけではないが、そういう感覚があるからそうなんだという説明は、共感はするが納得はできない。
    少なくとも私は読んでいて疑問の一部にでも応えられたという感覚はなく、すっきりしない。
    そもそもこの本で殊更語るまでもなく、そういう気持ちがあることは誰もが認めているのではないだろうか。
    共感できなくて生物多様性なんかどうでもいいと主張する人たちだって、生物多様性を守りたい人たちがそういう気持ちで保全活動の必要を説いていること自体は承知しているだろう。
    そういう人たちに「じゃあどこまでが拡張された自分として認められるんだ」と言われても、結局主張する人のさじ加減になってしまう。
    もちろん、白黒はっきりつけられるような性質のものではないことはわかるが、不完全でもメルクマールが示されることで説得力が生じるのではなかろうか。
    こういうメルクマールがないと、結局は「存在するものはみな大事なんだ」みたいなふわっとした博愛主義と大差なくなってしまい、特に「生物多様性に価値がある」というところにフォーカスした話にはならなくなってしまう。

    本書にミッションがあるとしたら、客観的論理的に反論の余地なく論破することは「価値の問題」だから無理だとしても、そこに説得力をもたせることだろう。
    この説得力という点において私は納得が得られなかった。
    だんだんと「最近は利己主義がすぎる」的な説教が本題みたいな調子になるのも読んでいて萎えてしまった。
    ドーキンスの利己的な遺伝子論や近代の原子論的な科学観から利己主題が蔓延しているなどというのも最早反科学主義のお題目のようですらある。

    むしろ、これらを語る前提として、本書の半分以上を構成している5〜6章あたりまでは、単純に生物学的な知見を語っているところであって勉強になる。
    特に「生物多様性がもたらしてくれるもの」としての生態系サービスやその実例を語るところ、生態系を陸上バイオームと水上バイオームという観点から説明するところは一読の価値があると思う。
    これがなかったら☆2という印象。
    ただ、この部分も生態系を固定されたもののように捉えていたり、私が他の書籍を読んで得た知識や理解と齟齬があったりした。
    特に、生物が進化するのには長い時間がかかるとか、生態系が破壊されたら回復するのに何千年とかかるというあたりはかなり怪しい。
    ただ、そういう疑問はそれはそれとして考え方の参考にはなるので、この部分は有益な読書体験だった。

    この本を読んだ人や興味がある人には「外来生物は悪者か」(草思社文庫)を勧めたい。
    どちらが正確かはただの読書好きの私が保障できるはずもないが、少なくとも私はこちらで語るところはだいたい納得できた

  • 星なし。
    支離滅裂、章だてのバランスなど構成も悪い。著者がはしがきに述べているとおり、ボケがはじまったのだろう。大学を去り、学会から足を洗えば何を書いてもいいということなのか。ひどいものである。
    このような原稿にGOを出した出版社の常識を疑う。

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著者プロフィール

生物学者、東京工業大学名誉教授。

「2019年 『生きものとは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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