聖地巡礼 - 世界遺産からアニメの舞台まで (中公新書 2306)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023063

作品紹介・あらすじ

非日常的な空間である聖地-。観光地として名高い聖地には、信仰心とは無縁の人々が数多く足を運んでいる。さらに近年では、宗教と直接関係のない場も聖地と呼ばれ、関心を集めている。人は何を求めて、そこへ向かうのか?それは、どのような意味を持つのか?サンティアゴ巡礼や四国遍路、B級観光地、パワースポット、アニメの舞台など、多様な事例から21世紀の新たな宗教観や信仰のあり方が見えてくる。

感想・レビュー・書評

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  • 世俗化と私事化が進展した社会における宗教の位置づけを「聖地巡礼」を軸に紐解く一冊。

    サンティアゴ巡礼については寡聞にして知らなかったため、第2章は特に面白く読みました。
    信仰のない現代の巡礼者にとってはサンティアゴ大聖堂の聖遺物は旅の目標にはならないため、代わりに徒歩巡礼を選び、サンティアゴまでのプロセスに意味を与えているのだといいます。
    「インタビューや無数の巡礼記からは、他者との交流体験、つまり巡礼仲間との出会いや別れに高い価値が置かれている様子がうかがえる。」(第2章 3 ゴールより重要なプロセス オスピタレーロとゲスト同士の交流)
    そして、「信仰者の巡礼体験が本物で、信仰なき巡礼者の体験が偽物なのではない。」「巡礼から宗教性が失われているわけではない。」(第2章 4 予定調和の巡礼体験 パターン化される交流体験)と明言されています。

    私は転勤で京都に住んでいた頃に松尾大社の女神輿を担いだことがありますが、お酒造りの神様らしい、ぐらいの感覚で、松尾大社の御祭神の名前も知らないままでした。
    それでも、同じ肩の痛みに耐えた仲間たちとの一体感はかけがえのないものだと感じました。趣味嗜好が多様化する現代において貴重なこの「他者との交流体験」もひとつの宗教的体験だったのだと本書を読んで気づかされました。

  • 仕事でお客さんと話してる時に「サンティアゴ・デ・コンポステラへ行きたい」という話題になった事がきっかけで本書を手に取りました。

    「信仰心を持たない人々が何故、巡礼の旅に出たり、山岳信仰のある山に登ったりするのか?」という問いに答えてくれた1冊でした。

    以上の人々は「目的地を設定し、歩き、人と出会う事で自己を見つめ直す」事を目的としていると。

    わたし自身、旅行に出るのは単に「行きたいから」だけど、こう言葉にしてくれると何か納得。

  • 宗教学者 岡本亮輔氏による、現代における「聖地巡礼」のもつ意味を宗教学、観光学などから考察したもの。本書の基本的な立ち位置は宗教学。宗教的に重要な場所をゴールとするものが従来の「聖地巡礼」とすると、そこに辿り着くまでの過程を重要視するのが現代の「聖地巡礼」である。また、ゴールとされる場所を「パワースポット」や「世界遺産」という言葉に置き換えることにより心理的な障壁がなくなり、誰もが触れやすくなった。なお、本書で取り上げられるアニメの聖地は宗教学の立場からなので、寺社仏閣が絡んだものだけとなっています。

  • 宗教と観光の交差を読み解く。ジャンルとしては宗教学になるのだろうか。

    アカデミズムの世界で観光が研究対象とされてこなかったことと、宗教的信仰において私的な巡礼が無価値とされることは、権威的存在が既得権益を守るために自分以外を異端視する点で似ている。

    愚かな大衆がニュー・エイジ的な潮流に乗っかったとみる向きもあろうが、内面の原初的な宗教心が目覚めた世代が、宗教以前の原初の体験を切実に求めていると分析することもできよう。

    それは単に人々との交流うんぬんが巡礼の目的ということではなく、内面の神性を自覚するということである。

    アカデミズムも組織宗教もザルであり、その枠内において中核となるスピリットについては、それを漏らさず掬い取ることができていないように思われた。

  • 大学の先生に勧められて読んだ。元々神社が好きで神社に参拝する人の理由を社会学的に知りたかったので、本当に面白かった。
    外国のサンティアゴ巡礼と結びつけて考えるところは難しそうだと思ったが、読んだあとは行ってみたくなった。キリストの墓の話も非常に興味深かった。真正性がなくても人と共有することで新しい聖地が生まれることがわかった。
    内容的には
    ・宗教の世俗化と私事化が進み、観光と巡礼が再融合している
    ・日本は新しい聖地が生まれやすい
    ・聖地の特徴
    などだと思ったので、レポートを書くのも頑張りたい。

  • 何かのきっかけで購入して積読本になっていたが、旅行をきっかけに読了。
    「聖地」という単語は専らアニメ等のゆかりの地を指す単語として耳にすることが多いが、そうでない「聖地」も近時に再発見されたもの、新たな意味合いが与えられたものetcあることは興味深い。
    戸来村のキリストの墓をめぐる地元の人の想いや、サンディエゴ巡礼者のプロセス重視、世界文化遺産と無形の伝統の摩擦等のエピソードが面白かった。

  • 「イベ・プラ・ワークショBアニメ&マンガ文」 ,
    「広告・広報ワークショップアニメ&マンガ文」
    伊達雅彦先生 参考図書
    https://library.shobi-u.ac.jp/mylimedio/search/search.do?target=local&mode=comp&materialid=01070686

  • そもそも観光の対象とは、ほぼ宗教的な場所、動機が発生するところであり、民衆の憂さ晴らしにも支配者側の支配のツールでもあったこと
    宗教文化の観光用商品化、経済的な利用、
    宗教への意識や向き合い方の変化による巡礼の多様化、
    目的地ではなくそのプロセスを重視する信心によらない巡礼行、
    サンチャゴ巡礼(コンポステラ、、、私的なタイミングとしてちょうどこの本読んでるときアバンタバンの篠田くん本を模索舎で発見し、コンポステラという音楽グループ始めたとき篠田くんが、コンボステラ星の巡礼の道があるんだよ、いいよねって笑っていたのを思い出した)
    サンチャゴ巡礼をカトリック信仰のものとしない例としてのシャーリーマクレーンの本にも言及(篠田くん繋がりでじゃがたらのなべちゃんがシャーリーマクレーンに傾倒してアウトオンアリムを読まされた、けど、カミーノは知らなかった。二人ともその後死んじゃったこと)
    という交錯もなんやかんやとありながら、
    サンチャゴ巡礼はかなりのボリュームで面白いし、
    2000年代に聖人認定されるピオ神父とか、カトリックの数々の秘跡も興味深い。
    青森県のキリスト伝承も笑ってしまうけどこんな者でも真剣に利用しようとした権力者有力者もいたわけだし、経済効果とは関係なく地元の人の温かい眼差しも良い。
    富士山信仰(衆生救済のため最後は死ぬまで断食した富士講の食行身禄、、)
    パワースポットなるパワーワード登場以来、神社などでオリジナリティあふれる経済活動、アニメの聖地など。まあすべからく人のなすこと行き着く先は金勘定なんだけど時代による心のニーズとうまく合わさって面白く、
    かたや、チベット仏教徒の、徒歩によるサンチャゴ巡礼よりはるかに過酷なカイラス山やラサへの五体投地巡礼はどうなのかなと思いを馳せる。意外と盛りだくさんで豊かな知識を得た。行きたい聖地もたくさん!!

  • <閲覧スタッフより>

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    所在記号:161.3||オカ
    資料番号:10229436
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  • ☆フェイクの事例として青森県新郷村のキリストの墓がとりあげられている。

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著者プロフィール

北海道大学メディア・コミュニケーション研究院准教授。1979 年、東京生まれ。著書に『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社)、『聖地巡礼─世界遺産からアニメの舞台まで(中公新書)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書)など。

「2017年 『東アジア観光学 まなざし・場所・集団』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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