戦国大名の正体 - 家中粛清と権威志向 (中公新書 2350)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023506

作品紹介・あらすじ

応仁・文明の大乱を経て、群雄割拠の時代が幕を開ける。戦国大名たちは、家中粛清を断行して権力基盤を固め、分国法の制定や城下町の整備により自らの領国を発展させた。やがて北条・毛利・島津らのように、版図を拡大し、地域に覇を唱える大大名も現れる。生き残りをかけて戦い続けた彼らは、ただ力のみを信奉し、伝統的権威を否定する専制君主だったのか。大名たちの行動規範を探究し、戦国時代への新たな視座を提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 感想を書くのが難しい本(笑)
    というのも、面白かったのは間違いないんだけど、でもそれは“興味深い”の面白さであって、“読んでいて面白い”というのとは、ちょっと違うと。
    というか、ぶっちゃけ、読んでいて寝ちゃったことが、2度、3度…、あ、もっとか?みたいな、そういう面白さだったというわけ(笑)

    きっかけは、例の『応仁の乱(本)』w
    つづきが気になる!というのも変wだけど、その後を知りたい!と(こういうのを「応仁の乱による経済効果」というんだろうか?w)。
    「応仁の乱(本ではなく出来事の方)」の後、守護(や守護代)が直接治めるようになっていくのだが、守護は領民や家来に離反されないよう、いわゆる「領国経営」をするようになっていったというその流れ。
    「戦国時代」というと上も下も好き勝手していたみたいなイメージがあるが、「応仁の乱」の後というのはそうではなくて。むしろ、守護や武士は家来や領民の暮らしを守らざるを得なくなる。さらにはそれらから軽蔑、さらには離反されるような行いは慎まなければならなくなっていく。
    そのように時代が進んでいく流れ、つまり「武士」というものが一般的な「武士」のイメージである「江戸時代の侍」に近づいていく、その流れを知りたかったんだけど、そういう意味でこの本はうってつけだったと。

    意外だったのは、ずっと前に読んだ山岡荘八の『織田信長』の前半、信長が尾張で主導権を獲るまでの家中の状況って、かなり戦国大名の家中の実態に即していたんだなーということ。
    山岡荘八の『織田信長』はだんだん講談っぽい話になっちゃうこともあってイマイチだったと記憶しているのだが、その辺りは見直した。

    この本、目次に「戦国大名はバサラにあらず」という項目があって。
    それを見て、思わず「そう!そうだろうね」と思わず納得してしまったのがこの本を買った理由なのだが、ただ、読み終わってふと思った。
    確かに「バサラ」では戦国大名は務まらない。それは大いに納得した。
    でも、戦国時代も最後の最後、戦国大名が「バサラ」のように変にはっちゃけちゃった時期が一瞬あったんじゃないかとも思うのだ(笑)
    といっても、天皇に弓引くような「バサラ(無法者)」ということではなくて。あくまで、気分として「バサラ」になっちゃったようなところがあるんじゃないかと。
    つまり、それこそが本能寺の変と秀吉の天下統一で。
    逆に、はっちゃけなかったからこそ、最終的には家康に天下が託されたんじゃないだろうか。
    そんなことを思っちゃった一冊。

  • KT4a

  • 家中の粛清などで権力を握る主君や対抗する家臣たち、大名が分国をどのように捉えていたのか、幕府や朝廷といった権威はどの程度の影響を与えたか、文化の受容といった観点から戦国大名を見ている。

  • 史料に基づき、今日戦国大名と呼称される人達の有り様に肉薄した一冊。時代小説やドラマで描かれる虚像とは一線を画し、分国法による統治の正当性の主張、名誉や面目または権威の重視といった、彼らが備える特徴と当時の社会構造が著されている。主君殺しや家臣の粛清などの血生臭い事例も、(全てがそれに当てはまるとは限らないが)、秩序の安定というより大きな目的の為の手段で、戦国大名もそういった必要悪の末成り立っていた存在、という見方は成程と思った。また合戦の目的も境界での略奪行為が主で、だからこそ、天下統一という殊更に無意味な野望(!)は、戦国大名は持っていなかっただろうという一文も納得がいく。英雄譚からこの時代に興味を持った人にも読んで欲しい一冊。

  • 情報の羅列になってしまった感じ。文中からも筆者が本当に書きたかった本ではなかったことが素直に感じられるのは、著者のお人柄か。情報量は多いのですが、ストーリーがない感じ。

  • 2016年1月新着

  • 枝葉末節に終始し、結論に辿り着いていない印象

  • <目次>
    序章   ヨーロッパ人の観た戦国日本
    第1章  粛清と王殺し
    第2章  大名の条件
    第3章  天下と外聞
    第4章  亡国の遺産
    終章   十六世紀の考え方

    <内容>
    タイトルからくるイメージよりもオーソドックスな戦国本。高校教科書をもう少し詳しく知りたい人に最適。特に第2章は、教科書の用語(寄親・寄子や貫高制、喧嘩両成敗など)を実例をあげつつきちんと説明がしてあり、高校教師、より詳しく知りたい生徒などにいい読み物となる。また、全体を読み通すと、戦国時代のイメージが変わる。戦国時代は「下剋上」だが、秩序がない混沌の時代ではなく、戦国大名は秩序を求めて争っていたことがよくわかる。

  • 20151125

  • 応仁・文明の大乱を経て、群雄割拠の時代が幕を開ける。戦国大名たちは、家中粛清を断行して権力基盤を固め、分国法の制定や城下町の整備により自らの領国を発展させた。やがて北条・毛利・島津らのように、版図を拡大し、地域に覇を唱える大大名も現れる。生き残りをかけて戦い続けた彼らは、ただ力のみを信奉し、伝統的権威を否定する専制君主だったのか。大名たちの行動規範を探究し、戦国時代への新たな視座を提示する。

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著者プロフィール

鍛代 敏雄 (キタイ トシオ)1959年神奈川県平塚市に生まれる。1988年國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻博士課程後期修了。1994年國學院大學栃木短期大学日本史学科専任講師、1998年同助教授、2003年同教授。2002年東洋大学大学院兼任講師、2005年國學院大學大学院兼任講師。石清水八幡宮研究所員を兼務する。博士(歴史学)。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

「2008年 『戦国期の石清水と本願寺』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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