蘇我氏 ― 古代豪族の興亡 (中公新書 2353)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023537

作品紹介・あらすじ

蝦夷・入鹿父子は六四五年の乙巳の変で討たれたが、蘇我氏は滅亡せず、以後も国家権力の中枢に位置した-。稲目を始祖とした馬子、蝦夷、入鹿の四代はいかに頭角を現し、大臣として国制改革を推し進めたのか。大化改新後、氏上となった倉麻呂系は壬申の乱へとつづく激変の時代をどう生き延びたのか。六世紀初頭の成立から天皇家を凌駕する権勢を誇った時代、さらに平安末期までを描き、旧来の蘇我氏イメージを一新する。

感想・レビュー・書評

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  • 蘇我氏と言えば歴史上では、蝦夷・入鹿親子が大化の改新(今は乙巳の変というようです)で権勢の極みから没落し、一族は歴史の表舞台から姿を消した印象が強かったのですが、本書ではそれが意外なほど長く存続していた史実を知りました。

    蘇我氏が渡来人の先進技術を取り入れたり、仏教の導入を後押ししたりと当時開明的であったのと同時に、豪族間の権力争いを一族に有利に進めていき、隆盛を得ると同時に、大王と姻戚関係を結んで権力の中枢での地歩を固めます。

    以降、馬子、蝦夷、入鹿と親子三代で権力を一層固めて行くのですが、乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足を中心とするグループによる権力奪取により、蘇我本宗家は滅亡します。

    分家も壬申の乱などの政変の渦中で、次々と滅びていくも、一つは石川家として、後に後継の宗岳家として平安期まで存続しています。

    大和王朝、また当時の東アジア情勢への対処や、後の律令国家建設の土台となる6-7世紀に、蘇我氏が国益に果たした役割がいかほどであったか、また乙巳の変が起こらず、英明と言われた蘇我入鹿が権力の中枢にとどまっていたら、日本の歴史はどうなったのか、興味が尽きぬところであります。

  • 漫画『日出処の天子』を読んで蘇我氏に対する理解を深めたく読んでみた。

    蘇我氏は葛城氏として起こり蘇我氏として独立し、その後馬子、蝦夷、入鹿の活躍を経て本宗家は途絶えるものの、蝦夷の兄弟である倉麻呂の家系が蘇我から石川へと氏を変え、生き延び、再び宗岳氏となり歴史の中に消えていく…。

    蘇我氏と聞くと、十数年前に学校の授業で教えられたことを思い出す。蘇我は悪い奴らで、大化の改新でやっつけられた─。本書はこのような従来の捉え方に疑問を呈する。私個人としても蘇我氏(主に蝦夷)に感情移入しているので彼らが悪党そのものであったとは思えない。著者はただの憶測ではなく、あらゆる文献や史料を参考として解説してくれる。古文を読み慣れてなかったり、時代に詳しくない人にはだいぶ難しいと思うが丁寧ではある。

    乙巳の変の部分は迫力がある。どうしても『日出処の天子』の作画で想像してしまうので悲しさと切なさが強い。。この結末を詳細に知ってから漫画を読むと切なさが倍増しそう。。
    蘇我氏本宗家が滅んでからは徐々に藤原氏が台頭してくるが、藤原氏も蘇我氏と同じように外戚の立場を強めていく。平安時代の摂関政治のはしりは蘇我氏だったのか。

    とても学びのある本だったが難しいので完全には理解できていない。これからも手元に置いて度々読み返したい。

  • 「蘇我氏を蒸し殺す(645年)大化の改新」と教わった我々は、あのクーデターで天皇家を乗っ取ろうとした不埒な蘇我氏は滅び、律令国家へ向けた歩みが始まったと考えている。しかし、その後の歴史には蘇我赤兄や蘇我果安といった人物が登場する。大和盆地と河内の要地を抑えた蘇我氏がそう簡単に滅びるはずもなく、プロパガンダ虚飾された歴史は解釈を加えながら読む必要がある。

    その立場でいうと、例えば、蘇我氏は実質的な大王家だったのではないか、と読む向きがあり、そのような本も多いのだが、本書はその立場はとらず、あくまで日本書紀と後続の公刊史書を読み解きながら、蘇我氏の歴史を追ってゆく。

    そもそも、本当に律令制が始まったのは8世紀の藤原不比等の時代であり、7世紀中葉の時点では皇族(百済王族)と蘇我氏内の権力争いに過ぎなかった。やがて白村江の戦を経て国の形が落ち着くと、不比等は壬申の乱で天武天皇を支えた古代豪族たちを天孫族、つまり神であると祭り上げながら、国家が直接土地を支配し、その国家を藤原氏が支配する戦略に出る。そんな時代にあって歴史家によっては大王家とも擬された蘇我氏はどんな歴史を刻んだのか、丹念に追ったところにこの本の価値があるのだと思う。

  • 蘇我氏的なるものは、いつでも、どこからでも復活するのである。藤原不比等の妻は蘇我氏の娼子

  • 蘇我氏というと、古代史の中で有力豪族として登場するものの、乙巳の変で蝦夷、入鹿が討たれ、すぐに歴史の表舞台から姿を消した氏族という印象が強い。平氏が源氏によるその後の長い武家政権の前夜に登場してすぐに姿を消すように、蘇我氏も藤原氏による長い外戚政治の前置きの物語の登場する氏族と捉えられがちである。

    しかし、本書を読むと、蘇我氏が、豪族の割拠から天皇を中心とする律令国家へ、そして外戚による摂関政治という形に独自の発展経路をたどった古代日本の形成に、非常に大きな影響を及ぼした氏族であるということが改めて理解できた。

    蘇我氏が古代日本の形成に与えた影響としては、欽明天皇から推古天皇の時代に、律令制度の確立や仏教の受容などを進め、遣隋使の派遣なども含めて当時の先端的な知識や制度を取り入れたことがまず思い起こされる。本書でも蘇我氏が最も活躍した時代としてこれらの時代が取り上げられている。

    これに加えて詳しく語られているのが、蘇我氏が天皇家との姻戚関係を結び、身内関係を築くことによって権力を握るというやり方を始めた、最初の氏族であったということである。これはのちに藤原氏に引き継がれ、その後数百年間にわたって日本の権力構造を規定する。

    このように見てくると、古代日本の形を作ったのは藤原氏ではなく蘇我氏であるという印象を強く受ける。

    蘇我氏が外戚としての地位を固め、律令制度の中枢も握ることによって最も権力を固めたのは、蝦夷と入鹿の時代である。本書を読むと、この時代に蘇我氏が強力な権力を握るに至った一つの背景に、東アジアの外交環境の急激な変化があったことが分かる。

    隋から唐へと中国の王朝が変わり、朝鮮においても高句麗を圧迫するという状況の中で、急を告げる外交環境に対応するためには、集権的な統治構造が必要と考えられたというのが、蘇我氏の「専横」の背景にはあったという。

    結果として、蝦夷、入鹿親子への権力集中は他の豪族や蘇我氏内部からも反発を招き、乙巳の変によって蘇我氏はその力を大きく失うことになる。しかし、その後に藤原氏が、蘇我氏が形成した制度や権力構造を忠実に承継するかのような形で力を握っていったことを見ると、このような社会変化はある程度必然的なものだったのではないかと感じる。

    蘇我氏は、乙巳の変で宗家が途絶えた後も、石川氏やその他の多くの分家が残り、奈良時代から平安時代の前期までは律令官人として生き残っている。本書ではその時代の蘇我氏についても丁寧に追いかけている。

    特に印象が深かったのが、藤原不比等やその子房前の代においては、藤原氏も蘇我氏と積極的に婚姻関係を進め、飛鳥時代からの貴種である蘇我氏の格を自らの権力形成に利用しようとしていたという点である。こういった面からも、日本古代史における蘇我氏の存在感の大きさが改めて感じられた。

    日本古代史の夜明けの時代を、大化の改新以後の天皇家や藤原氏以外の視点から眺めることが出来、歴史の視野を広げることが出来る内容だった。

  • 蘇我氏滅亡してないやん!っていう面白さ。あと家系図が独特で良かった。昔は親族で結婚することも多かったからというのもあるが、蘇我氏の血がどれぐらい入ってるか(1/2とか1/4)っていうアプローチが新鮮。

  • 蘇我氏渡来人由来説は誤り。現在の奈良県曽我が発祥の地と考えられる。始祖は葛城氏から独立した蘇我稲目。それ以前の家系図も存在するが実在は疑わしい。
    王位継承に血縁原理が導入されたのは5世紀のことであり、欽明天皇と稲目により確立した。戸籍登録も行った。蘇我氏を悪と決めつけ聖徳太子や中大兄皇子による天皇中心の中央集権国家の建設を善とする歴史観では蘇我氏の開明性は説明できない。
    馬子の時代、物部氏を滅ぼし政治抗争に勝利した。この時蘇我氏側についた王子に厩戸王子がいた。馬子は崇峻天皇を暗殺し、推古天皇が初の女帝として即位した。馬子、推古天皇、聖徳太子の三者共同政治体制が敷かれ、長く続いた。
    次代の蝦夷は舒明天皇を補佐し、皇極天皇(女)の頃には入鹿が力をつけた。日本書紀ではこの頃から蘇我氏の横暴が描かれているが、乙巳の変を正当化するための編者の意図が窺われる。
    入鹿は中大兄王子に惨殺され、蝦夷は自害させられたと考えられる。その実態は単なる権力闘争であり、どちらが善というわけでもない。
    天智天皇となった後も蘇我氏から大臣が選ばれるなどしており、大化の改新で蘇我氏が滅んだというのは誤り。蘇我氏の系譜は平安時代末期頃まで見られ、下級官吏を輩出していたが、その後は没落し歴史から消えた。

  • 乙巳の変で蝦夷・入鹿父子が討たれるまではもちろんのこと、大化改新から平安末期までの時期も扱われている。壬申の乱以降の律令制国家の下、中下級氏族になって生き残り続けた時代の様子は中々に新鮮だった。

  • 古代から中世前期の藤原氏の歴史を概覧。権力闘争の政治過程史が、簡潔に描かれる。それじたいは勉強になるのだけど、藤原氏や、天皇家、その他の貴族、武士が争っている「権力」が、いったい何なのか、よくわからない。

    いったい彼らは、何をめぐって争っているのだろうか。政権の最も高い地位につくことで、どんな利益もたらされるのだろうか。「トップ争い」、権力闘争の過程はわかるのだけど・・・。古代と中世では「トップにあるもの」は全然違うと思うのだけど、その違いがいまいち見えてこず。ひたすら「トップになること」について述べられている、という印象が拭えないまま、終わっていった。

    「権力」というぼんやりしたなにかをめぐって、とにかく人びとが争っている、という感じであった。

  • 蘇我氏の始まりと歴史の表舞台から姿を消したその後…。
    資料に基いた説得力のある推測と同族氏族の追跡調査。かなり詳しく調べられていて非常に興味深く読めました。
    わたしにとっては、蘇我氏に対する知識が物凄く深まりましたし、古代ロマンに没頭できる素晴らしい一冊でした。

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著者プロフィール

1958年、三重県津市生まれ。東京大学文学部国史学専修課程卒業、同大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程単位修得退学。博士(文学、東京大学)。国際日本文化研究センター教授。専門は日本古代政治史、古記録学。主著に『平安朝 皇位継承の闇』『皇子たちの悲劇』(角川選書)、『一条天皇』(吉川弘文館)、『蘇我氏』『藤原氏』『公家源氏』(中公新書)、『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(講談社学術文庫)、『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書)などがある。

「2023年 『小右記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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