食の人類史 - ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧 (中公新書 2367)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023674

作品紹介・あらすじ

人は食べなければ生きていくことはできない。人類の歴史は、糖質とタンパク質のセットをどうやって確保するかという闘いだった。現在、西洋では「麦とミルク」、東洋では「コメと魚」の組み合わせが一般的だ。だが、日本を例にとっても山菜を多食する採集文化が色濃く残っているように、食の営みは多様である。本書は、ユーラシア全土で繰り広げられてきた、さまざまな「生業」の変遷と集団間の駆け引きを巨細に解読する。

感想・レビュー・書評

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  • 「教養」とはこういうものかを実感できる書である。
    サル学や現代政治における民族問題もそれぞれ興味深いが、本書を読むとそれら一見別個の研究の繋がりが見えてくる様な考えを持つ。
    ヒトは何処から来て何処へ行くのかは、誰しもが一度は考えたことのあるテーマだが、本書を読むとその想いが一段と高揚するように思えた。

  • ざっくりした感想は、ホモサピエンス全史を食に絞って書いたような本だな、というもの。社会の授業中に資料集を眺めまくり、民博に喜び勇んで行くタイプなので個人的には好き。
    ユーラシア大陸の食事情がどのように発展していったのか、風土や周りとの関係がどのように影響を与えていったのかを紹介しつつ述べられていた。

    個人的に印象強かったのは
    ・インド人がベジタリアンなのは人口密度が昔から高めだったため、環境負荷のかかる肉食を避けようとしたためでは。宗教の戒律は後付けでうまれたのでは

    ・モンスーン気候の東アジアでは稲を育てつつ周辺の野生動物(主に魚)を食べていたため、自然崇拝や多神教、天然物をありがたがる心が育まれた
    一方、欧州など西アジアでは家畜化した動物からタンパク質を摂取しているため、神が人間に必要なもの全てを作ったという一神教が生まれた


    同じ内容が繰り返し出て来たため、少々冗長に感じてしまったのがちょっと残念。


  • この途方もない地球の歴史と、途方もない人間の欲求

    狩猟採集、農耕、牧畜(遊牧)の起こりや、各々のふしぎな相互関係に触れつつ、
    この地球のとても複雑な自然史と文化の要約を通して、人間の営みを省みる1冊です。

    「世界の食文化についての雑学」くらいカジュアルな内容でないと私の頭では理解できないんじゃないかと心配でしたが、興味を失うことなく完読できました。

    子供のころに保健の授業で習ったタンパク質や糖質の話と、社会科で習った地理学や風土、歴史で学んだ文化文明がごく自然につながることに感動し、今になって知る喜びを感じました。でも本来その繋がりは当たり前のことなんだよな〜と思い、若い頃もっと勉強に興味をいだければよかったなとも思うことも。「知ること」「知ったことがつながること」の喜びに子供のころに気づけるかどうかは大事ですよね。

    人間に欠かせない栄養素、糖質とタンパク質。この組み合わせは風土によって米であったり小麦であったり、魚であったり豆類であったりと異なります。日本は「米と魚」、西洋では「麦とミルク」などといったように。著者はこれについて「糖質とタンパク質のパッケージ」という概念を提唱しています。この組み合わせの違いがその地の文化や宗教、思想にフィードバックしているのが面白いです。

    食文化の素晴らしさにも触れています。たとえば日本食について、世界でも注目される和食。その原点ともいえる一汁一菜には、日本の紀行・風土が現れていると著者は説きます。汁ものには水が豊富であることと良質な軟水があること、豊富な魚介類から採れるさまざまなダシも必要です。湿潤な気候により発展した米作りと発酵技術も和食には欠かせません。以前は粗食であることの例えだった「一汁一菜」ですが、白ごはん、味噌汁、お漬物、ただこれだけでも、日本の豊かさが現れているのです。

    人間の社会と気候が互いに影響しあったり、海と森林が互いに作用しあったりと、複雑な相互関係が絶妙なバランスを保ちつつ、地球をおおいつくす毛細血管のようにからみあって、この自然というシステムを持続させてきたわけですが、途方もなく長い地球の歴史上のたった一瞬にも満たないこの数百年で、人間は豊かさや便利さを求めるあまりにいきすぎた環境破壊をおこなってきたわけです。

    たとえば現代に生きる私たちが手に取ったひとつのパンには、どれだけの人と技術が関わっているでしょうか。海外で小麦を栽培する農家、その栽培に使われる機械およびその燃料、小麦の製粉、包装にも人間や機械は当然関わりますよね。そして何トンもの小麦粉は船で運搬され、食品メーカーが買い入れ、工場の巨大なベルトコンベアやオーブンでパンが焼かれます。個別包装する機械、それをまとめて小売店に運ぶトラック、小売店による管理と販売があって、やっと私たちの手元に届くのです。ここまでにどれだけの燃料が使われ、どれだけの土地を使って巨大農場や工場が建てられているでしょうか。このたかが一つのパンは人間のとんでもない贅沢だということに読後気づかされます。

    大量生産、大量消費が当たり前の現在から、作り手と食べる人の関係がよりローカルで、より小さな輪でつながるような在り方を目指すべきではないかと思います。農家直売のマーケットで買うことや、時には財布と相談しながら、他のものより高い値段のフェアトレード商品を買うこと。すこしずつでも、できる範囲で今の在り方から距離を取っていきたいと思っています。

    何千万年と続く膨大かつ複雑な世界の歴史・文化に大幅にページを割いていますが、最後のたった十数ページ「終章」「おわりに」にため息が漏れるほど胸を打たれました。最後の数行を以下に引用します。

    〝食とは、地球システムのなかでの人間の営みなのであって、いくら技術が進んだところでこの根本原則が変わることはない。これを都合よく制御しようという現代社会の試みは、いったん動きだせばあとは永遠に動きつづける「永久機関」を作ろうという試みと何ら変わることはなく、破綻は目に見えている。繰り返し書こう。食の営みは、土を離れては、あるいは人と人との関係を切り離したところでは持続しえないのである。〟

    人間が管理しようとすることイコール多様性をなくし、コントロールをしやすくすること。自然相手でも、人間相手でもそうだと思っています。スーパーに並ぶ野菜はどれも形、大きさ、色味が揃えられていますが、野生のものは姿形もバラバラです。本来はそうなのです。多様性を受け入れることは、すなわち管理をゆるめることにつながることではないかと思うのですが、実際の社会は管理・監視の目を強めているようにしか思えません。

    人類史の本を読むたびに、この人間が生み出した技術を賛美したくなるような文明の発展と、生態系の破壊に見られるような人間の罪深さのあいだで色々な感情がないまぜになります。取り返しのつかないことをした人間たちが、今やっと始めたせめてもの罪滅ぼしがSDGsということになるでしょうか。

  • ヒトはどうやって食べ物を獲得してきたのか。東洋の「コメと魚」、西洋の「パンとミルク」…。ユーラシア全土で繰り広げられてきた、さまざまな「生業」の変遷と集団間の駆け引きを巨細に解読する。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40238405

  • ■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1001081971

  • 1929年、ヴァヴィロフは「栽培植物発祥の地の研究」で、8つの発祥中心があると主張したが、大きな誤りはない。

    キビとアワは、BC3000~2000年の黄河中流域の人口を支え、黄河文明の源泉となった。

  • 森川海の連環、狩猟・農耕・牧畜3つの生業の関わり。食を巡って自然がどう手懐けられ、その自然と人の関わりが人の歴史をどう動かしてきたか、大きな視点で整理されている。

  •  農耕や植生の記述が多く、期待していた文化史は少なめだったので自分には少し読みにくかった。
     著者は人間の生業を狩猟・採集、農耕、遊牧の3つに大別する。地域としては、アジア夏穀類ゾーン(黄河流域の作物は元々夏雑穀、後にコムギ)と西ユーラシアの麦農耕ゾーン、それぞれでの3つの生業を見ていく。
     同時に著者は、3つの生業は相互補完的でありながら相互対立的だという。中国では農耕民と遊牧民の対立はあったが、遊牧民の出自の王朝もあった。麦農耕は元々遊牧と親和的。また、著者はコムギは遊牧民の手で西から東へ運ばれたとの仮説を述べる。更に、遊牧と農耕が融合して牧畜となる。

  • 2016-4-4

  • アジアやヨーロッパで展開してきた狩猟採集や農耕の歴史を、自然環境や植生などとからめて描く。地理学、考古学、人類学、etc.多岐にわたる内容で、ものすごく濃厚。農耕、狩猟、採集とはなんぞ、ということを勉強できる一冊。

    完全に農耕だけに頼る文化はいまだかつてこの世に存在していない、というのは普段あまり考えたことなかったから、目から鱗だった。

    あと、終章で和食がユネスコの無形文化遺産になったことに触れつつ「和食の再認識は、じつは日本の風土の再認識でなければならない」と指摘している。まさにその通りだと思う。

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著者プロフィール

1952年生まれ
京都大学大学院農学研究科修士課程修了
総合地球環境学研究所副所長・教授 農学博士
序章執筆
主 著 塩の文明誌(共著,NHKブックス,2009),イネの歴史(学術選書,2008),よみがえる緑のシルクロード(岩波ジュニア新書,2006),稲の日本史(角川選書,2002)など


「2010年 『麦の自然史 人と自然が育んだムギ農耕』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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