シェイクスピア - 人生劇場の達人 (中公新書 2382)

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  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023827

作品紹介・あらすじ

ウィリアム・シェイクスピア(1564〜1616)は、世界でもっとも知られた文学者だろう。『マクベス』や『ハムレット』などの名作は読み継がれ、世界各国で上演され続けている。本書は、彼が生きた動乱の時代を踏まえ、その人生や作風、そして作品の奥底に流れる思想を読み解く。「万の心を持つ」と称された彼の作品は、喜怒哀楽を通して人間を映し出す。そこからは今に通じる人生哲学も汲み取れるはずだ。

感想・レビュー・書評

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  • 今まで観てきたシェイクスピアの、別の面が次々と現れてきて、興味深い…

  •  前半の3章はシェイクスピアの生い立ち、経歴。後半の4章はシェイクスピア劇の背景や特徴、思想について。
     シェイクスピアが生きた時代について、シェイクスピアの家族や生活について知ることができるが、シェイクスピア作品さながら、固有名詞も多いので頭に入りにくいが、何となくは分かった。当時のことを知らないと色々誤解してしまうものの中には、例えば「紳士」。「当時の『ジェントルマン』は現代で言う『紳士』とは意味が違い、貴族階級と市民階級のあいだ―正確には、騎士より下位、郷士より上位―の紳士階級に属する身分を指す」(p.7)という、世襲の身分のことを言うらしい。『ヴェローナの二紳士』というのは、2人のそういう身分のことを言うんだ、ということを知った。そしてシェイクスピアがカトリックという少数派だった、という話は、確か同じ著者の『シェイクスピアの正体』という4年半くらい前に読んだ本の内容で覚えていることだが、そこからまず「少数派の見方も否定しない」(p.49)、具体的には「『ヴェニスの商人』では、当時蔑視されていたユダヤ人の視点も入れ、キリスト教徒たちの偽善性が暴かれる」(同)という作品にも表れていることが分かった。それにしても、カトリック弾圧の拷問の生々しさという部分がこの本の中にもいくつか出てくるが、その部分は否が応でも記憶に刻まれてしまう内容だった(ここでは書かないけど、p.27の内容とか、本当に気持ち悪い。いくら争うような憎い相手だったとしても、こんなことをやる文化?時代性?が全く受け入れられない)。あとあまりシェイクスピアの話で語られることがないと思うけれど、「二人のウィリアム」(pp.70-3)の話はとても面白く、日本史と絡めた視点というのは、日本人こそ知っておくべき内容だと思った。具体的には、シェイクスピアと同い年(!)のウィリアム・アダムズの話だが、長女の名前(スザンナ)も同じ(p.70)という、ものすごい偶然。(ちなみに、p.71の「ヤン・ヨーステン記念碑」ってたぶん見たことないなあ。これだけ東京散歩しまくっているのに。「ヤン・ヨーステンの和名『耶楊州』の屋敷のあった場所が『八代州』と呼ばれ、のちに『八重洲』となった(p.71)」というのも知らなかった…)南蛮人(カトリック、スペイン・ポルトガル人、布教目的)と紅毛人(プロテスタント、オランダ・イギリス人、実利重視)、という構図もあんまり理解していなかった。あとはやっぱり何といっても、疫病、つまりペストの話かなあ。この本は2016年に書かれたから、当然今のコロナの状況を知らない段階だった訳だけれど、当時のペストの状況が良くなったり悪くなったりする様子が、とても生々しく感じる。例えば「一六〇三年四月からロンドンには疫病が蔓延して、五月二六日以降、市内の劇場はすべて閉鎖され、あらゆる劇団は地方巡業に出ざるを得なかった。」(p.73)というところから、「一六〇四年三月一五日、市内に戻っても安全なまで疫病がおさまったと判断され」(p.74)という状況の変化、なのに「一六〇六年七月一〇日までにロンドンで疫病の死者が週三〇名を突破し、国王一座は再び巡業を余儀なくされた」(p.86)とか、この感染者数の波のような感じ、週〇名みたいな数字が、今と同じだなあと思い、遠い過去のお話とも思えない現実味があった。
     ただ個人的には前半部よりも、後半部の作品の話の方が面白かった。実は今日も、新宿ピカデリーで期間限定で上映されているデンゼル・ワシントンとフランシス・マクドーマンドの『マクベス』を見てきたところだが、やっぱり面白い。「『マクベス』は、魔女に異様な関心を示していたジェイムズ一世のために書かれた作品」(p.85)で、ジェイムズ自身が嵐に逢ったのを魔女のせいにしたとか、クロノスとカイロス(「時計が刻む規則正しい客観的な時間(クロノス)とは別に、夢中で過ごし、いつまでも記憶にとどめておきたくなるような重要な時間(カイロス)があって、人の人生を意義深いものにするのはカイロスなのである。(略)シェイクスピアはそのことがわかっていて、あえてクロノスを超越するような主観的なカイロスの流れを設定する」(p,104))の例として、マクベスの王殺害や宴会の場面が出てくるのも納得した。時間の話と呼応して、空間も、まったく舞台装置のないところで、観客の想像力によって場所がコロコロ変わるというのは能舞台と同じ(p.108)という話だけど、なんかIQ5000という劇団の芝居みたいだなあとか思った。
     最後に分かりやすかったのは何が喜劇で、何が悲劇なのか、ということ。「喜劇の世界ではいろいろな人たちがいろいろなことを言い、そのいずれもが肯定され」(p.130)、「まじめなのかふまじめなのかわからないという曖昧さが、シェイクスピア喜劇の神髄」(同)であるのに対し、「他者に自らの価値観を押しつけようとすると、悲劇になる」(同)ということらしい。そして当時の「ルネサンスの時代思想としての人文主義」(p.131)の話が出てくるが、2015年に東大の自由英作文で出た有名な「鏡」の問題は、「エラスムスの著書『痴愚神礼賛』に掲げられた挿絵《愚者の鏡》」(p.134)であり、鏡のなかの人物は「道化」であり、「自分がまじめで賢いつもりでいる人に『己の愚かさを知れ』と言ってやる」(同)ということだそうだ。なのでそれを知ってしまうと、これの解答としてIt must be a magic mirror.とかやったら、それこそアホみたいな解答だなあと思ってしまう(もちろん、その解答で点はもらえると思うけど)。「褒めちぎるべきすばらしいもの」(p.159)に触れて、「『おめでたく』なれる人こそ幸せになれるのである。逆に、『正しさ』を絶対視して、自分の愚かさやまちがいが認められない人は幸せになれない」(同)ということを、喜劇は教えてくれるらしい。あとは嫉妬、は「緑色」というのはシェイクスピアの英語でも有名だけど、「『緑の目をした嫉妬』におそわれた人は緑色のメガネをかけてすべてを緑と思ってしまう」(p.198)というところで、Wickedという作品のエメラルド・シティはこのことを表しているのか?とか、今更に思ってしまった。最後に、『ロミオとジュリエット』はなぜ四大悲劇に数えられないのか、という話(p.178)も納得。
     ということで、河合先生は訳だけでなく、こういう解説本を読んでもやっぱり面白いなあということが分かった。(22/01/03)

  • マザーグースからシェイクスピアに来た。死後400年経っているのに作品が今でも生きている。シェイクスピアは欧米人の一般常識らしい。紫式部や清少納言は日本人の一般常識…になるのか…?トトロは日本語で見るのに限るようにシェイクスピアも原文のまま読んだり、見たりするのがいいんだろうな…。(理解できればね…

  • 前半でシェイクスピアの人物像を、時代背景とともに、生立ちから亡くなるまでを概観。後半は作品を通して、その魅力や哲学、伝えたかったテーマなどを解説。

    プライベートに関する資料は、本人が多くを処分したという下りがある。そのため、残っている記録などに推測を補って前半が構成されている。ロンドンで時に猛威を振るう疫病の恐怖、カトリックの弾圧、イギリス王位の交代による派閥の盛衰などが大きな時代背景。抜群の記憶力を駆使して、すらすらと美しい文章を綴ったシェイクスピアの作品は、人の心を強く打つ力を持っている、と締められている。

    後半部分から
    「場所が自在に変わり、時間を飛び越える」のも観客の想像力次第、これが魅力。
    理屈を超えた面白さ、頭で理解するのではなく、感じるもの。
    道化的な矛盾、主筋と副筋、二重のアイデンティティを可能にする変装、 暗さに支えられた光の劇。
    悲劇の本質はヒューブリス(神々に対する思い上がり、傲慢)にある。
    心の目で見る、信じる力、人は常に明日を信じて生きる、「信じる」行為には新たな世界を拓く力がある。

    空き時間に少しずつ読んだので、前半と後半を並行して読んでいった。意外にも2〜3年前に出版された新しい本。

  • シェイクスピアの生涯を辿る前半はやや退屈だったが、筆者が「シェイクスピア・マジック」と呼ぶその手法を解説する後半からは俄然面白く読めた。

    ・観客に興奮させたい場面ではわざと時間を速く進める。客観的時間の「クロノス」と主観的時間の「カイロス」を巧みに使い分ける。
    ・言葉一つで瞬時に場所を移動できる。
    ・自由自在な場所設定。場所の設定は観客の想像力に任される。
    ・オクシモロンであるうちは喜劇、悲劇の本質はヒューブリス

    シェイクスピアの時代、舞台に幕はなく、狂言と同じ張り出し舞台だった。
    プロセニアム(額縁)舞台が主流となった西洋近代演劇では、『三統一の法則』(時の統一・筋の統一・場所の統一)を守る写実性が志向されたが、シェイクスピアの時代は違ったのだ。
    シェイクスピアは高校時代に読み漁った。もちろん面白いと思ったからこそ何冊も読んだわけだが、その全てを理解できたわけではないし、違和感を覚えることも少なくなかった。違和感を覚えるとはつまり、マジックにうまくはまれなかったということだが、それも仕方ない。シェイクスピアはお芝居なのだ。舞台で見てこそ真価を発揮する。しかも、三統一に慣れた感覚で読むことに間違いがあった。

    ところで、「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」
    あまりに有名な翻訳だけど、これは罪作りな訳ではないか。自分含め誤解してる人は多いと思う。直球で「やるべきかやらぬべきか、それが問題だ」の方がまだ原文の意図は伝わったのではあるまいか。詩的でないという問題が残るけど。

  • シェイクスピアの生い立ちや当時の演劇、政治と宗教事情が半分、喜劇と悲劇についての解説、そして、シェイクスピア作品の哲学。

    作品論について、もっと突っ込んだものが読みたい。

  • よくまとめてあって面白かったし、勉強になった。最終ちかくになるところでは、最近学んだこととかが繋がったしおもろしかった。
    時代を反映させることや、哲学的なとこ。

  • シェイクスピアの生い立ち、経歴が分かりやすく書かれている。

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=7956

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著者プロフィール

1960年生まれ。東京大学教授。訳書に『新訳 ふしぎの国のアリス』『新訳 ピーター・パン』『新訳 赤毛のアン 完全版』『新訳 星を知らないアイリーン おひめさまとゴブリンの物語』(すべて角川つばさ文庫)ほか。

「2017年 『新訳ドリトル先生シリーズ全14巻セット 番外編『ガブガブの本』と日本初公開の短編もふくむ完全版 豪華BOX入り』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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