戦艦武蔵 - 忘れられた巨艦の航跡 (中公新書 2387)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023872

感想・レビュー・書評

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  • 同型艦の大和に比べ、なぜ武蔵は目立たないのか。この疑問を軸に、武蔵とそれを取り巻く海軍、ひいては戦中から今日に至る日本人の戦争観の変遷までを俯瞰する。今日擬人化されたサブカルと、当時浮沈神話を纏った巨艦信仰を、同じく「ファンタジー」と大胆に括ったところは面白かった。また同艦乗組員の間でも士官と下士官では見えていた世界がまるで異なり、必然的に相克や怨みが生じたという、階級社会(≒身分差別)における断絶を描き得た点、日本軍の象徴であり縮図とも言える武蔵は、やはり格好の題材だったように思う。

  • 「なぜ大和は脚光を浴び、武蔵は忘れ去られたのか?」という惹句を見て手にした一冊。
    両艦について書かれた大量の文献を読み込んだことがよく分かる力作であるのはまちがいないのだが、どうにも違和感を禁じえない。その理由は二つある。
    ひとつは、本書の目的が上記の疑問に答えることを通じて、なぜ人々が戦争にリアリティを持てなくなっていったのかを論じることにあるからだ。つまり、本書のタイトル、および惹句は、著者が書きたいことのイントロにしか過ぎないのだ。
    もうひとつは、著者が凝った(妙な?)形容やフレーズを連発することだ。冒頭で大和が擬人化(アニメ・キャラクター化)されている事例を取り上げ、それ以降、本書の中では、戦争も大和も武蔵も「ファンタジー」だったという表現が多用される。また、両艦の乗組員が、戦後になって、戦争中の事実がゆがめられることへの反駁を覚えることを「事実への逃避」と表現する。いい形容やフレーズをひらめいたと思って自画自賛しているのだろう、という想像をしてしまうくらいの多用には、正直、辟易としてしまう。
    「なぜ武蔵は忘れ去られたのか?」という冒頭の疑問には明確な答えを出しているだけに、こうした違和感から本書の価値が大きく損なわれてしまっているのが残念でならない。たとえページ数が半分になっても、両艦の差異だけに絞って書いた方がよかっただろう。

著者プロフィール

一ノ瀬 俊也(いちのせ・としや) 1971年福岡県生まれ。九州大学大学院比較社会文化研究科博士課程中途退学。専門は、日本近現代史。博士(比較社会文化)。現在埼玉大学教養学部教授。著書に、『近代日本の徴兵制と社会』(吉川弘文館、2004)、『銃後の社会史』(吉川弘文館、2005)、『皇軍兵士の日常生活』(講談社現代新書、2009)、『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」』(文藝春秋、2012)、『日本軍と日本兵 米国報告書は語る』(講談社現代新書、2014)、『戦艦大和講義』(人文書院、2015)、『戦艦武蔵』(中公新書、2016)、『飛行機の戦争 1914-1945』(講談社現代新書、2017)など多数。

「2018年 『昭和戦争史講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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