中国の論理 - 歴史から解き明かす (中公新書 2392)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023926

感想・レビュー・書評

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  • 単なる嫌中本とは一線を画す労作。中国近代化の過程で伝統的な中国の観念がどのように変容したか、あるいはしなかったか、という点が類書にはない点と思います。中国と付き合う上では必読。

  • 中国人の考え方を探るための入りが儒教。
    史記や正史などが出てくるけど、そういった歴史的書物の微妙な違いや位置付け、定義などを読み誤ると置いてけぼりになる...。
    中国人と円滑に接するために、そういう考えのアプローチの仕方もあると思っておくことにする。
    学者的なアプローチ。
    考えてから行動するタイプに向いている本。

  • 中華思想の源流が孔子の教えにあること、史書や科挙を通じてより強固かつ偏狭に固められたこと。非常に納得感のある解説。

  • 222-O
    閲覧新書

  • 漢字を使い、その他文化も一見日本に似ているように見える中国だが、実際は全く違う論理をもとに動く国である。その論理を歴史から解き明かそうというもの。
    まずは史学から始まる。儒教は諸子百家の一つだったが前漢時代に勢力を広げて一種の国教となった
    中庸を重んじるように常識的であるため、一定以上の合理主義が育たない。そして自分を中心に上下関係で外界を整理する思想となり、平等といった概念が希薄となった。また、思想の具体例となる史学から正統といった観念が生まれ、例えば偽満洲国といった呼び方をするなど、建前が史実を動かすパワーを持ちうる。
    前漢からの安定した400年間の間に貧富の差や身分が生まれ、貴族制となったが、宋代以降、君主独裁・官僚制が生まれ、士大夫が成立した。科挙に受かった彼らは庶民に対して優越感を抱き、士と庶に隔たりが生まれた。
    清朝時代の西洋との外交や条約は、実現できない攘夷にかわる撫夷だった。日本人は明治維新の辿ったコースが正当で当たり前と考えがちだが、中国は条件が違うので、それが当たり前ではない。中体西用や附会と称する歴史過程があった。その後日本での漢語での西洋の概念の訳語が、経書などから離れての思考を促した。

  • 【そんな百年,中国の思考・発言・行動は,目まぐるしい転変をくりかえした。けれどもその経過を貫いていたのは,中国の言動を根底で枠づける社会構造,論理枠組の本質が,いかに変わらなかったか,という事実ではなかろうか】(文中より引用)

    思考の枠から中国を紐解いてみようという中国入門書。史書や科挙といったキーワードを元にしながら,いかにして中国が思考し,現実と直面したかを概観していきます。著者は,京都府立大学で教授を務め,近代アジア史を専攻している岡本隆司。

    大枠で中国という存在を捉えるのにうってつけの作品かと。しかもそれが平易な言葉で記されているというところがまた高評価を与えたくなる点。中国の論理を提示しながらも,必ずしもその通りに現実は動いていないという点を指摘していることもまた重要に感じられました。

    帯が強烈ですが☆5つ

  • 中国史の概説を通して、現代中国の振りかざす論理を説明しよう、という内容の本。古代から話が始まるので、非常に持って長々とした展開になるが、原因が過去にある以上、そうならざるを得ない。最後まで読めば、納得のいく結論になっているはず。

  • 理解しがたい隣人の行動を、歴史や家族観、文化の
    基盤まで掘り返して「あちらの論理」を平易に解説してくれる
    好著。
    戦略的に日本を悪者にしているというのでは
    説明がつかない、広範な反日感情や、
    やり過ぎて逆に中国の国益を損なうようなことが
    なぜ起きるのか、理解できた。

  • 歴史的アプローチから、一筋縄ではいかない中国の「論理」、すなわち理屈のこね方を考察。
    本書の中で特に、中国が西洋化を受け入れる過程においてみられた「附会」という「論理」の指摘が、初めて知ったことで、非常に興味深かった。「附会」とはひらたくいえば「こじつけ」の意味であり、西洋が中国と「異なる」とすれば、それは(中国より)「劣る」ことと同義なので、西洋に倣うのは論外になってしまうため、西洋のすぐれた部分は、「異なる」のではなく、つとに中国の古代・古典に存在したものだと、附会する・こじつけることで、西洋かを正当化しようという論理であるという。
    なかなか掴みどころがなく、御しがたい、やっかいな隣国である中国を、歴史的・構造的に理解するための端緒となる良著である。

  • 「現代の中国を知るには、目前の現象だけでなく、歴史の事実からみなくてはならない」という著者の主張のもと、中国の内在的な論理を歴史的なアプローチから読み解く。

  • 世が「嫌中」一色となる中、中国研究者である著者は、自身も中国・中国人が好きか嫌いかと問われれば「嫌い」と答えると言う。
    その一方で、こんなにおもしろくて興味をかき立てられる国はないとも言う。
    そして、そのおもしろさの源泉を歴史からのアプローチで紐解いていく。

    中国的な史書のあり方は「紀伝体」、人物本位で書いた歴史。
    客観的事実ではなく、個人個人の事績でドグマを説明しようとする。
    その根底には儒教的な思想がある。

    そして、上下分離の社会構造。
    かつての貴族制は、唐宋以降、科挙を土台にした官僚制へと変わる。
    いずれにしても、「士」と「庶」の厳然たる峻別が社会構造を規定する。

    さらに、独特の空間認識。
    「天下」とは天子が治める範囲を指し、「華」と「夷」から成る。

    19世紀に西洋列強の進出によって試練の時を迎え、20世紀の「革命」の時代を経て、21世紀の今、政治大国・経済大国として存在感を高めている中国。
    だが、その根底を枠づける社会構造、論理枠組の本質は変わっていないという。
    たとえば、人民の間の経済格差がとてつもなく大きいことは、士・庶隔絶の上下乖離構造を引きずっている。
    また、理想やイデオロギーを考証・叙述の前提・目的としてしまう論理枠組みは、歴史認識の問題として顕在化する。
    そして、南シナ海・尖閣・チベット…中国が数多く抱える領土問題は「華・夷」秩序の反映である。

    こうして見ると、複雑怪奇で理解不能に思える彼の国も、その実、単純なのだなと思えてくる。

  • この作者の中国関連本を続けて読んでいる。とにかく、わかりやすくておもしろい。これも中国の二元化という一貫した視点での中国史で、見通しが明るくなった。

  • なぜ、中国は傍若無人な身勝手な振る舞いをするのだろうか?

    ほとんどの日本人が疑問に感じていることではないでしょうか?そして、本書の狙いは、その疑問に対して答えることです。焦点にあてるのは、現代の中国ではなく、中国の歴史、特に社会史・思想史です。

    目次を見ていただくと、第一章では、中国における史学・歴史とは何か?日本人の観念と何が違うのか、第二章では、中国はどのような社会構造の変遷を辿ったのか、第三章では、中国は社会や世界をどう見ていたのか?第四章では、西洋と遭遇し王朝が崩壊し、どのような思想革命が生じたのか、第五章は、そして現代の中国。

    そして、驚愕の事実があります。中国人のナショナリズムを作り、「中国」という「国家観」を植え付けたのは一体、誰なのか?その人物をどのようにしてそのような考えに至ったのか?です。
    http://naokis.doorblog.jp/archives/logics_of_China.html【書評】『中国の論理』 なぜ中国は身勝手な振る舞いをするのか? : なおきのブログ

    <目次>
    はじめに 歴史からのアプローチ
    ? 史学
     1 儒教とは何か
     2 史学の期限
     3 史学の枠組み
     4 史書のスタイル
    ? 社会と政治
     1 エリートの枠組
     2 貴族制
     3 科挙体制
    ? 世界観と世界秩序
     1 「天下」とい世界
     2 「東アジア世界」の形成
     3 「華夷一家」の名実
    ? 近代の到来
     1 「西洋の衝撃」と中国の反応
     2 変革の胎動
     3 梁啓超
    ? 「革命」の世紀
     1 あとをつぐもの
     2 毛沢東
     3 「改革開放」の歴史的位置
    むすび 元代の日中関係
    あとがき
    参考文献
    略年表
    事項索引
    人名索引


    2016.09.18 新書巡回にて
    2016.10.19 読了

  • 東2法経図・6F指定 B1/5/Nakai

  • ・儒教は個人主義。儒教を軸にしていくと、紀伝体(天子の記録と個人の伝記を中心に編むもの)になるのは自然な流れのように思えるが、それが「歴史」として正しいかは疑問が残る。日本人が思う正しい史実と、中国にとっての「正史」は昔から違うものなのだ。
    中国を統一するものこそが天子、それこそが正統とする中国。ありのままの史実を第一とする日本。ここに差が生まれることになるほどと思った。
    ・貴族たちの支配から科挙制度に変わっても結局士と庶の溝は埋まることはなかった。
    ・その後の時代も「華」「夷」として社会的に分けられていた。
    ・18世紀後半、イギリスとの貿易でも、清国はイギリスを野蛮人(外夷)として扱った。イギリスも清朝の人々を野蛮人とみなしていた。

    後半の内容は結構難しい。この一冊だけで理解できる内容ではない。中国を学ぶ入り口という感じ。

  • 「士」「庶」が隔絶し、上下が乖離した社会構成。体制の正統性を正当化するための歴史学。「華」「夷」の上下関係・優劣意識。中国史を振り返った上で、これらの「中国の論理」は現代にも通じる、と指摘が本書の核心である。現代の中国・中国人の思考や行動様式を単純化しすぎではないかと思う一方で、長い歴史と確立した思想を背景に持つ中国のような国ならば、現代でもその「論理」の上に立っているのは自然であろう、とも思う。

  • まずまず。
    こういう考え方、捉え方もあるのかなと。

  • 時に横暴にも見える中国の言動。それに隠された根深い儒教の思想、華夷思想、附会の考え方とは

  • 予想外に面白かったな。
    中国という国のようで国でなはい文明を理解するのに、歴史を辿るのは正しい視点だろう。中国の歴史を勉強してきた人には当たり前のことかもしれないが、なるほど感がある。
    なぜ中華思想なんてものが生まれて、社会主義市場経済なんてものが成立するのか。

    日本て、本当に怖いところにあるよ。

  • 非常にわかりやすい。

    中国の立場から歴史をひもといてみれば、現在の中国の有りようがよくわかる。

    西洋的尺度で見ると、中国は巨大なガラパゴスであって、現在でもそれは色濃く残っている。

  • 隣国中国の「論理」を理解するためには、歴史に学ばなければならないが、日本人の中国に対する歴史認識には心許ない部分がある。本書は中国の「論理」を、謎の国・中国の「史学」(儒教と史書という大枠)、社会と政治(士と庶の分別)、世界観と世界秩序(天下と華夷)という視角から定位を試み、そして「近代の到来」、「「革命」の世紀」と直近の歴史を分析する。

    Ⅰ〜Ⅲ章が基礎編、Ⅳ章、Ⅴ章が応用編と言っても良いだろう。コンパクトかつ平易にまとまっていて学ぶところが多い。とくに近代に入って「西洋の衝撃」を受けてからの中国知識人の「附会(こじつけ)」の論理は、康有為 → 梁啓超 → 陳独秀へと明快に整理されており、わかりやすかった。

  • 日本が嫌いなのに、爆買いするといった中国人の思考の「矛盾」の理由を説明するということをうたっているのだが、自分はあまり理解できなかった。のっぺりと儒教を中心にした中国思想史を説明されて「というわけなんです」と言われてもと……。テーマが絞れていなくて、著者がいちばん得意で言いたいことに終始している気がする。

  • 中国人が何を考えているのか、本書は長い歴史から教えてくれる。いかに中国人(主に漢民族)が儒教に従って行動しているのかが分かる。これは王朝が代わっても、現在の中華人民共和国になっても行動の指針は変わっていない。ということは、中国人が持っている中華思想のもとに世界の中心であることを目指している。昨今の東シナ海の人工島や尖閣の問題で中国が一歩も退かないのは大昔から引き継がれている行動指針があるからだろう。これは国が明確な目標を持っているともいえる。一方、日本はどうだろうか。5年後の日本の姿を想像できる人はほとんどいないのではないだろうか。中国は100年先まで見据えた国家の計画を実行に移しているのではないだろうか。ここは中国の優れたところだと思う。隣国を知り、良いところは真似、悪いところは正せばいいのではないかと思う。

  • ただの歴史書。

  • 最近読んだ中国関係の本で最も面白かった。

  • 中国の伝統的な歴史観国家観そして知識に対する捉え方を最初のイントロダクションで簡潔にまとめてくださり、その後これらの考え方が中国国民ネイションステートの創設にあたりどのような役割を果たしたのか、あるいは障害となったのかをわかりやすく解説してくださっている。
    特に日本の和製漢語による新しい中国語(白話運動)への影響と、イデオロギーを正当化するための歴史観についての説明が非常に興味深かった。個人的に岡本先生のファンの1人であるので今回の著作もイチオシ。

  • 著者の岡本隆司氏は、中国近代史を専門とする歴史学者。
    我々日本人にとって一見不可解な中国(人)の思考・発言・行動に通底している論理について、「いわゆる理屈のこね方・論理のパターンは、一朝一夕にはできあがらない。時間をかけて身に染みついた、いわば歴史的な所産である。目前にあらわれる言動から観察するより、論理の形成過程にそって考えるほうが、中国の謎の理解にたどりつく捷径になると信じる」と述べる著者が、歴史的なアプローチによって考察したものである。そうした意味では、社会・政治・国際関係の根底にある考え方を軸に見た、中国の古代から現代までの通史にもなっている。
    著者は、その根本を貫いているものを以下のような二元構造の論理であるとする。
    ◆時間観念(歴史認識)においては、“正しい”方法・筋道に従った政権授受の経過・系譜を示す「正統」と、そうではない「僭偽」の二元構造。政権授受の“正しい”方法・道筋とは、「天」から「天下」を治めるよう「命」を受ける、即ち「天命」を受けることであるが、事実上は、勝ち残った者が政権を握ることになって、「天命」得たことになる。その「正統」を記録し後世に伝えるものが「史書」・「史学」であり、実情からかけ離れたものであったとしても、それを用いてでしか、歴史事実を認識・考察・記述できないのが中国の歴史の論理なのである。
    ◆社会構成においては、エリートである「士(=官)」と非エリートである「庶(=民)」の二層構造であり、その二層を分けるのは儒教が最も重視する「礼」の有無である。科挙の制度はこの構造を強めるものではあったが、両者それぞれの内容、互いの距離・関係は時代によって必ずしも同じではなかった。
    ◆世界秩序(空間認識)においては、「華」(=中、中華、中国、華夏)と「夷」(=蛮、戎、狄、外夷、四夷、四裔、蛮夷、夷狄)の二重構造。もともとは単なる土俗的・習俗的な自他認識・差別意識に過ぎなかったものを、理論・倫理的に自他を納得させる動機から、「礼」の有無という儒教の教義を持ち込んで分別したと考えられる。
    そして、そうした「中国の論理」は、19世紀に西洋近代に直面したことにより、まず「世界秩序」の論理において相克と破綻をきたし、抗日戦争における総動員体制の中、「社会構成」も徐々に崩れ始めたとはいえ、長い歴史が培ってきた「中国の論理」は依然維持され、我々はかくて今も、中国の「歴史認識」や「空間認識」と向き合わざるを得ないと結んでいる。
    地理的に近く歴史的なつながりも強いにもかかわらず、理解し難い「中国(人)の論理」を解き明かした良書である。
    (2016年9月了)

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=8029

  • 同じ「漢字・儒教文化圏」に属すイメージが強いためか、私たちは中国や中国人を理解していると考えがちだ。だが「反日」なのに日本で「爆買い」、「一つの中国」「社会主義市場経済」など、中国では矛盾がそのまま現実となる。それはなぜか――。本書は、歴史をひもときつつ、目の前の現象を追うだけでは見えない中国人の思考回路をさぐり、切っても切れない隣人とつきあうためのヒントを示す。

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著者プロフィール

1965年、京都市に生まれる。現在、京都府立大学文学部教授。著書、『近代中国と海関』(名古屋大学出版会、1999年、大平正芳記念賞)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会、2004年、サントリー学芸賞)、『中国経済史』(編著、名古屋大学出版会、2013年)、『出使日記の時代』(共著、名古屋大学出版会、2014年)、『宗主権の世界史』(編著、名古屋大学出版会、2014年)、『中国の誕生』(名古屋大学出版会、2017年、アジア・太平洋賞特別賞、樫山純三賞)ほか

「2021年 『交隣と東アジア 近世から近代へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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