毛沢東の対日戦犯裁判 - 中国共産党の思惑と1526名の日本人 (中公新書 2406)
- 中央公論新社 (2016年11月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121024060
感想・レビュー・書評
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山西省太原では残留日本兵が国民党側で共産党と戦った。
その時日本軍は帰国が促されていたため、軍をやめて自主的に残るという形をとったため、帰国後の恩給の資格がないとされた。
日本赤十字社が戦犯帰国には大きく寄与していた。もともとは日中友好協会と日本平和連絡委員会の民間三団体での交渉を中国側は望んでいたが、中国側に近い二団体は外された。 -
撫順戦犯管理所や山西残留日本軍等、これまで自分が持っていた断片的な知識がつながった。戦犯処理は、管理所職員を含む「人民の義憤」にも拘わらず、毛沢東・周恩来という最高指導部レベルの指示で、かなり寛大に扱われていたようだ。歴史問題をめぐる摩擦が絶えない近年の日中関係と異なり、当時は、「二分論」も含め、中国側に戦犯の寛大な処理と帰国を対日関係改善に政治利用する動機があったということだろう。
一方、戦犯たちは「服法認罪」により「洗脳」されたのか。帰国後の戦犯たち全ての一人ひとりの頭の中を覗くことはできないが、少なくとも中帰連の中心スローガンは「反戦平和・日中友好」であった以上、本気で「思想転換」した者はいたようである。それを「洗脳」と呼ぶかはともかく。他方、自覚的に中帰連の政治思想と相容れなかった者や、経済的要求を重視する路線もあったとのことだ。
なお、映画「ラストエンペラー」では、戦犯管理所の所長が文革期に批判されている場面があるが、同様のことが現実にもあったとは初めて知った。 -
先の戦争における中国での日本軍について90年代ごろに左右の勢力による論争が続いた。結局のところイデオロギーが背景にあるだけにドロ沼となったのだが、日本においては未だにこの問題はときどき吹き出す。
要は「歴史」になっていないということなのだろう。「学問的には決着がついている」と言う論者もいれば「未来志向で」と言い淀む政治家も多いが、国民的な合意には程遠い。
本書はその中で冷静に事実を集約した歴史考察といえると思う。戦後この課題がどのような推移を辿ったのかがよくわかるが内容は硬い。いまだに日本にとっては重い歴史的課題であることを再認識させてくれる重苦しい読後感が残った。
2017年3月読了。 -
毛沢東が日本人戦犯をどのように扱ったかについて、詳細に書いてある。撫順組と太原組の戦犯である。朝日新聞の夕刊にもちょうどこの本が取り上げられている。
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筆者は中国帰還者連絡会の理事であった国友氏の「中国政府の我々戦犯に対する政策には道理がある。人を人として扱わず残酷な手段で殺傷し、手柄を立てたと思って高笑いするような思想を捨て、侵略戦争の罪を認め、被害者に謝罪して、再び人殺しの銃剣をとらないことを誓うことこそ、人間の尊厳を知った者の正しい行為ではないだろうか。」を引用している。日中友好を貫いた国友氏であったが、この思いは私としては納得できない。毛沢東は中国人民をどれだけ情け容赦なく殺したことか。毛沢東は人間の尊厳など思いもつかない極悪人であったと想う。
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329.67||Os
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書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。
http://www.rockfield.net/wordpress/?p=8619 -
1950年代、満洲国や日中戦争などに関与した日本人1526名が、建国直後の中国で戦争犯罪人とされた。戦犯管理所では5年間に3段階の思想改造が行われた結果、裁判での死刑はなく、東京裁判やBC級戦犯裁判と比べ、極めて寛大な判決が下される。その背後には何があったのか。新たに公開された史料から、戦犯らの犯罪行為、思想改造、日本人への怨嗟が渦巻く中、毛沢東や周恩来ら指導者が抱いた思想と戦略を明らかにする。