日本ノンフィクション史 - ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで (中公新書)

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著者 : 武田徹
  • 中央公論新社 (2017年3月21日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024275

日本ノンフィクション史 - ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで (中公新書)の感想・レビュー・書評

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  • 本といえば小説が中心ですが、ノンフィクションも大好物。
    一時期、沢木耕太郎にハマって「深夜特急」は全作持っていますし、「テロルの決算」は今でもたまに読み返すくらい好き。
    鎌田慧の「自動車絶望工場 ある季節工の日記」、海外物ではカポーティの「冷血」、伝説のルポライター児玉隆也の評伝「無念は力」(坂上遼著)なんてのまで読みました。
    あと、近年ですと、何と言っても増田俊也の「木村雅彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」でしょう。
    これには腰を抜かしました。
    ただ、じゃあ、そもそもノンフィクションって何? どうやって発展してきたの?
    と訊かれると、答えられる方は少ないのではないでしょうか?
    それもそのはず、ノンフィクションについてまとめた書物は大変に少ないのです。
    少なくとも小説ほどには研究が進んでいません。
    それならばと書かれたのが本書。
    著者はメディアに精通した武田徹さんです。
    私は、先日の読売新聞の書評欄で、評者の宮部みゆきが絶賛していたのを読んで買いました。
    まず、ノンフィクションの定義ですが、これが意外と定まっていないのですね。
    フィクション(作り物)ではない、つまり事実に即して書かれたものがノンフィクションかというと、そんな単純なものではないようなのです。
    たとえば、ノンフィクションの一大ジャンルと呼べる「探検記」。
    探検記を書くことを前提に探検をする場合、著者はその物語にふさわしい現実を求めます。
    行為者となって行動することで、本来はなかったはずの事実が生じてしまう。
    そうなると、ノンフィクションとは言い条、たちまちフィクション性を帯びてしまいます。
    もっとも、だからと言って、そうした作品を「フィクション」と呼べるのかというと、それも違います。
    このあたりが大変にややこしいですね。
    実は、ノンフィクションの歴史は浅く、せいぜい1970年代までしか遡ることが出来ないそう。
    この間、書き手の間でも試行錯誤が繰り返されてきました。
    たとえば、所得倍増論をテーマにした「危機の宰相」では著者の一人称、冒頭でも触れた「テロルの決算」は当時、米国で勃興してきたニュージャーナリズムの手法に倣って三人称で書かれています。
    しかし、ニュージャーナリズムの手法を採って三人称で記述すると、そのシーンを描くための取材がどのように行われたのかが判然とせず、第三者による検証を不可能にしてしまいます。
    つまり、厳密に言うと、ノンフィクションの肝である事実が担保されないという事態に陥るわけですね。
    一筋縄ではいかないようです。
    いずれにしても、フィクション/ノンフィクションと明快に線を引いて区分するのは難しいということが分かりました。
    少なくとも作品として完成するまでの過程では、相互に乗り入れている部分がかなりありそうです。
    たとえば、実話に基づいた小説というのはよくありますが、作家は作品を書くために入念に取材します。
    そこにノンフィクション性が宿ることはしばしばあります。
    逆に先ほど例に引いたようにノンフィクションでもフィクション性を帯びてしまうこともままある。
    そもそも「作品」である以上、事実の羅列であるわけはないのです。
    マクベスの「きれいはきたない、きたないはきれい」ではありませんが、「フィクションはノンフィクション、ノンフィクションはフィクション」なんてことも言えるかもしれません。
    うん、大変に面白い本でした。

  • 何気なく手にした本ですが、フィクションかノンフィクションか?話者は?うまくまとめられています。参考文献も充実していて、色々考えるのに参考になる本です。

  • かなり型破りなノンフィクション史。さすが武田氏、切り口がおもしろかったです。ノンフィクション史なのに、最後は「なんとなく、クリスタル」やケータイ小説まで出てきて。ぶっ飛びましたが、よく読んでみると納得です。
    フィクションとノンフィクション、嘘のような真実と真実と思わせる嘘、主観的表現と客観的表現の長所・短所、その危うさ等々。。ノンフィクション好きな私としては、とても考えさせられる内容でした。
    評価4なのは、紹介されているノンフィクション本が少ないから。新書で遠慮しないで分厚い単行本でガツンと言わせてください。

  • 真面目な論文だった。日本のノンフィクションに科学性というか反証可能性がないわけがわかった。それがいいとか悪いとかじゃないけど。読み物としておもしろいのは確かだ。そこが難しいところなのかもしれない。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784121024275

  • 例えば、当方、「ノン・フィクション」と「ノンフィクション」を分けて考えていなかったので、色々啓発された。図書館本。92

  • 日本のノンフィクションの歴史を戦前の従軍報告から、解き明かす。
    言わずもがなであるが、大宅壮一の役割が大きい。

  • 著者の武田徹は、『流行人間クロニクル』(2000年サントリー学芸賞)などの著書のある評論家、ジャーナリスト。
    私は、“ノン・フィクション”(=フィクションではないもの)を好んで読むが、正直なところ、ノンフィクション、ルポルタージュ、ドキュメンタリーといった言葉、ジャンルに何らかの明示的な違いがあるのか、長く疑問に思ってきた。
    著者は、「ノンフィクションの成立」とは、「ジャーナリズムが単独で成立するひとつの作品としての骨格を備えたこと」、「出来事の発生から帰結までを示す物語の文体を持ったこと」といい、その経緯を“ノンフィクション”という言葉が今のように使われるようになった1970年代以前に遡り、記録文学、ルポルタージュ、ジャーナリズムという変遷をたどりつつ、ノンフィクションという概念がどのように成立したかを明らかにしている。
    また、私は、本書の「はじめに」で取り上げられている、2012年の第34回講談社ノンフィクション賞選考会で展開された「石井光太論争」(選考委員の野村進氏が、石井氏が「ノンフィクション」というジャンルに相応しい取材をしているのかという疑問を呈した)について大いに関心を持っていたし、同じく「はじめに」で取り上げられている、『空白の5マイル』で開高健ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した角幡唯介が『探検家、36歳の憂鬱』で語る、「ノンフィクションを成立させる場合の本当の難しさは、実は文章を書く時にノンフィクション性を成立させることにあるのではなく、むしろ行為をしている時にノンフィクション性を成立させることにあるのだ」という鋭い指摘に、かつて目から鱗が落ちたのであるが、本書では、ノンフィクションの成り立ちの過程の中で、そうした論点の捉え方についても触れていく。
    更に、知命を過ぎた、旅+ノンフィクション好きにとってのヒーローである沢木耕太郎についても、1979年の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作の『テロルの決算』を、「全く新しいノンフィクションの幕開けを実感させる内容」、「日本語で書かれたニュージャーナリズムの傑作」と評価し、沢木氏が開拓し、試みた手法、及び「ここにノンフィクションは自立し、ノンフィクション作家という物書きのジャンルが確立された」という、日本のノンフィクション史における位置付けを詳しく分析している。
    かなり詳しい通史となっており、関心の薄れる部分もなくはないが、ノンフィクション好きには一読の意味のある一冊と思う。
    (2017年4月了)

  • 2017/4/2

  • 講談社ノンフィクション賞の選評で野村進が石井光太の手法について非難する下りから始まっている。戦中から高度成長期そして現代。ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで。二つの軸を元にノンフィクションという文芸の正体について検討していく。角幡唯介がノンフィクションとやらせの問題について語っているところを引用し、話題としているが、確かにこのことは問題。ライターである私自身、書く前から、どうやったら受けるかということを考えながら行動している節があるのだ。

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「非」フィクションとして出発したノンフィクション。本書は戦中の記録文学から、戦後の社会派ルポルタージュ、週刊誌ジャーナリズム、『世界ノンフィクション全集』を経て、七〇年代に沢木耕太郎の登場で自立した日本のノンフィクション史を通観。八〇年代以降、全盛期の雑誌ジャーナリズムを支えた職業ライターに代わるアカデミシャンの活躍をも追って、「物語るジャーナリズム」のゆくえと可能性をさぐる。

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