中国ナショナリズム - 民族と愛国の近現代史 (中公新書 2437)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024374

感想・レビュー・書評

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  • 中国の思想の根本に触れられる

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=9855

  • 世界の中心と自認していた中国が、近代化という名の西洋化を如何に受容し、その産物たる「国民国家」という形に自らを当てはめていったのか、その苦難の歴史こそが中国の屈辱の近代史であり、また、矛盾が解決されていないことが、現在に繋がる諸問題の根源と気づく。
    中国は多元的な社会であるという観点も重要であるが、一方で清末期や20世紀初頭で既に、民間レベルで反帝国主義の大きなうねりが生じていた事実も軽視すべきではない。中国の長い歴史で近代以降が確かに大きなインパクトを残したことは事実であると思う。中国社会の多様さと、一方でナショナリズムを刺激した際に大きなうねりが生じる現象が如何に整合取れるのか、本書を読んで中国という国、社会の複雑さに一層整理が難しいと思うようになった。
    (皇帝を中心に円錐状に、徳の及ぶ範囲で広がっていく)中華思想と強烈なナショナリズムは本来両立するものではないと思う。しかしながらこの矛盾した怒れる大国を作り出したのは、西洋であり、日本であったということは肝に銘じておくべき。
    そしてこの近代以降の命題を「共産主義」という旗で民衆を導き克服しようとした共産党は、追う立場であったからこそ、矛盾を覆い隠せる面があったと思われる。名実ともに大国となった中国は、その指導政党たる共産党は、今後いかなる大義をもって民衆を導くのか。江沢民時に、共産主義、社会主義の旗を実質的に下ろした共産党が指導政党である必要性、正当性は何なのか?ナショナリズムを煽るだけでは、その統治を正当化できないステージに達しつつあるのではないか。「中国の夢」を殊更強調し続ける習近平政権はその矛盾の現れなのかもしれない。
    本としては、1945年以降の部分は相当駆け足で極めて簡易に纏めてしまっており、中国を見る整理の視座を与えてくれると言うには物足りなさが残る。

  • 読んだ動機
    昨今の中国の強国化、権威主義、監視社会がなぜ中国で受け入れられているのか(強国であるのに、なぜ知識人層は反旗を翻さないのか、翻せないのか)
    そして、社会主義を謳うが実態はそうではないので、何者であるのかを知りたい。

    歴史過程と背景
    新時代の複雑な統治制度(地方あるいは民族によって統治方法を変えていた。また、国境の概念を持たず、他の民族を同じ国に入れるかどうかで、範図は広くも狭くもなり得た。そこには伝統的な朝貢・冊封体制が背景にある。)

    帝国主義時代、欧米より国民国家の概念を輸入、列強に対抗するためには(侵略させないためには)、列強の戦術、国家形成の必要に迫られた。
    その中で民族という概念が輸入された。
    おおよそ5つの民族に分けられた中で、漢民族が大多数を占める。
    清朝は満州族。

    以上を前提に、列強各国に凌辱されていく国土を意識する中で、怨嗟から強く民族意識が高まっていく。
    アヘン戦争、日清戦争、北京議定書、二十一ヵ条要求、日中戦争など…

    指導者たちは、民族意識の高まりという世論を利用する手法をとることで(義和団事件、日中戦争、プロレタリア革命など)、民族意識の高まりは政府公認であり、世の中の流れであり、根深く強いものとなる。

    戦後、それぞれの民族意識が高まる中で、それぞれの民族による独立の機運も高くなっていく。
    漢民族は、元は清という一つの国で多民族国家だったと主張する。ここには漢民族以外の者(満州族)に漢民族が支配されていた清の統治から漢民族が取って代わる、つまり満州族も他の民族も含めて漢民族が主導する統治体系を作るという希望の現れでもある。
    一方で当然に、清の統治機構は朝貢冊封体制の流れの中で、清に自分たちの国の統治を認めてもらうものであり、それぞれの民族は清ではない、との主張もある。
    ここに現代まで解決できない領土問題・少数民族排斥問題の根がある。

    また、やはり民族意識の高まりの世論から、それをより推進する共産党が政治闘争でも戦力的にも勝利を収めていく。世が安定しだすと監視社会が浮き彫りになる。権力集中は急進的な強国化には都合の良いシステムであるのか。

  • 岩波新書のシリース中国近現代史全5巻を5章にコンパクトに再構成して1冊にまとめたような感じで、多少ナショナリズムに軸足を置いて叙述はしているものの、そもそも肝心の「ナショナリズムとは何か」を定義するのが困難なので、そこを回避しているため、著者独自の視点で切り込んでいるわけでもなく、良くも悪くも教科書的で通史的内容になっている。岩波5冊を読むのが面倒だが、中国近現代史を概観したい人にはよい本だと思う。

  • 五四運動とナショナリズムの部分素晴らしい!

  • 中国ナショナリズムの高まりが世界各国との摩擦を生み出しているが、そもそも中国においてナショナリズムとは何なのかという問いに、清朝末期からの中国近現代史を読み解いて答える。
    伝統中国の世界観、1895-1911の中国ナショナリズムの起源、1912-1924の中華民国の模索、1925-1945の反帝国主義の時代、1945-1971の東西冷戦と社会主義の時代、1972-2016の現代の世界と中国、そして「大国」中国のゆくえという章立て。
    この本を通して、当然主題である中国ナショナリズムについての理解が深まったし、その歴史的な経緯から中国人が現代の国際社会をどう捉えているかということもわかった。中国人やその思考など、様々な面から中国を知ることができた。

  • 「中華民族」というわけのわからない概念がどう生まれてきたのか、どんな要因が絡み合って今の中国(共産党)の政策が出来上がってきたのか、よくわかった。

  • 序章 伝統中国の世界観
    第1章 中国ナショナリズムの起源―一八九五〜一九一一
    第2章 模索する中華民国―一九一二〜一九二四
    第3章 反帝国主義の時代―一九二五〜一九四五
    第4章 東西冷戦と社会主義の時代―一九四五〜一九七一
    第5章 現代の世界と中国―一九七二〜二〇一六
    終章 「大国」中国のゆくえ

    著者:小野寺史郎(1977-、岩手県、東洋史)

  • 【213冊目】予想よりも読み応えのある本だった。そもそも中国が自分たちとそれを取り巻く世界をどのように見てきたか(中華思想と冊封体制)の説明から入り、清末以降中国ナショナリズムがどのように変遷してきたのかを時系列に沿って説明するもの。
     時系列に沿って見てみると、中国が未だに抱えている被害者意識というか、日本や欧米列強に対抗するために強くならなければいけないんだという考えのルーツが、清末にあることがよく分かる。だって、日本が陸奥宗光の時代に不平等条約を改正したのに比べて、中国が不平等条約を解消したのは第二次世界大戦中の1943年だもんな。
     広大な版図には多種多様な民族がいるだけでなく、言葉から違う。だから、中国を西洋的な国家とするためには、様々な大手術が必要で、かなり活発な議論が交わされた。中華民国成立後はいわゆる「公定ナショナリズム」が推し進められた。でもこれは、「伝統」というよりも西洋式の「文明」の普及と並行するものだった。
     現代中国でも群体性事件が警戒されているように、例えばベルサイユ条約に反対する五四運動なんかは、中国大衆のナショナリズムの現れと言え、政府は、プラグマティックな外交路線とこうした大衆運動の間で板挟みになっていく。
     最も興味深かったのは、
    ◯ 人民←「中華人民共和国」
    ◯ 国民
    ◯ 民族
    ◯ 中華民族
    という言葉の関係。共産党の一党独裁体制の中では、中国籍の人間を「国民」と呼ぶそうだけど、この中に「人民」と「人民の敵」が混在している状態。で、誰が「人民」なのかを判断するのは時の共産党だということらしい。
     また、コミンテルンに代表されるように国際主義を掲げた共産主義だけど、毛沢東は、国のために戦争をする姿勢と共産主義は矛盾しないと説明した。この姿勢は、ブルジョワのものである民族主義とは異なり、「愛国主義」と名付けられ、愛国主義は共産主義を実現するための前提だと位置づけられたみたい。
     習近平総書記がよく使う「中華民族」という言葉に強い違和感があったんだけど、この本できちんと説明されていた。確かに中国には、漢人だけでなくモンゴル民族とか満州人とか多民族国家なわけだけど、満州事変のころの歴史学者・顧頡剛という人は、こうした民族の違いを「種族」の違いだとし、民族としてはただ中華民族のみが存すると主張したみたい。
     戦後、中華人民共和国成立後は、「中華民族」という言葉の使用が減少し、憲法にも中国は多民族国家であるという認識が書き込まれたけれど、冷戦終結の頃から再び「中華民族」が現れるようになる。その理由として2つ挙げられていて、1つは、ソ連やユーゴスラビアの分裂・崩壊を見た中国が危機感を強めたこと。もう1つは、改革開放路線をとるようになり、社会主義イデオロギーに代わる国家統合の論理が必要になったこと。

     この他にも興味深い資料がたくさん掲載されていて、近現代中国史にあまり明るくない人には特にオススメ。

  •  ナショナリズム解説というより近現代の通史だったが、清末以降、漢人と非漢人、政府と知識人と大衆、愛国主義と社会主義、と、ナショナリズムと一言に言ってもその中に異なる、時には対立し得る要素も含んでいる複雑さが見て取れた。その要素は、形を変えつつも、現在の中国ナショナリズムを見る上でも参考になるのかもしれない。
     清末の革命派は藩部や故地とは遠い華南出身者が中心だったため、非漢人への意識は希薄だったという。現在の「中華民族」にはもちろん少数民族も含むという整理だが、漢族中心の歴史や文化に基づくナショナリズムを煽っても、果たしてどこまで非漢族が共感を覚えるのだろうか。
     光緒新政期から民国期にかけ、政府・知識人主導の文明的な「上からのナショナリズム」はあれど、大衆には浸透しにくかったとのことである。共産党は後者を上手く動員できたということだろうか。そして現在、共産党政府は大衆の暴力的なナショナリズムを動員しつつも、統制の範囲を超えそうになるとやはり文明的な「上からのナショナリズム」を重視するという点では昔から変わっていないのかもしれない。
     また、本来国際的な社会主義と一国だけの愛国主義は相反するものなのに、共産党は成立初期から祖国防衛→全人民の救済→プロレタリアートと労働人民の解放、という論理で両者は矛盾していないとしていた。更に筆者は、90年代以降、「社会主義イデオロギーに替わる国家統合の論理」として、民族や愛国が一層強調されているとも指摘している。

  • 東2法経図・開架 B1/5/2437/K

  • 302.22||On

  • 二一世紀に入り、尖閣諸島や南沙諸島の領有問題などで中国の愛国的な行動が目につく。なぜ、いま中国人はナショナリズムを昂揚させるのか。共産党の愛国主義教育や中華思想による強国意識からなのか。西洋列強や日本に蚕食されてきた一九世紀半ばから、日本の侵攻、さらに戦後中国が強大化するなか中華民族にとってナショナリズムとは何であったのか。本書は、清末から現代までの一二〇年の歴史のなかで読み解く。

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著者プロフィール

埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授

「2020年 『近代中国の日本書翻訳出版史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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