闘う文豪とナチス・ドイツ - トーマス・マンの亡命日記 (中公新書)
- 中央公論新社 (2017年8月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121024480
感想・レビュー・書評
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2019年に亡くなって、もう5年近くたってしまった池内紀さんですが、残された本はどれも面白いですね。
トーマス・マンの作家の日記を読み返しながら、彼の戦いの軌跡をたどる本書も読みでがありました。ブログにもあれ書いています。覗いてみてください。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202306120000/詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「全体主義」への関心から、読んでみる。(最近、アーレントを読んでいるのは、もともと「全体主義」への関心が根っこにあったからで、逆ではなかった。今は、逆転しているかもしれないが。。。)
全10巻あるトーマス・マンの日記(約20年分)が、30年かけて翻訳されるのにあわせて、出版元の季刊誌に書かれたエッセイを集めたもの。(マンの日記が翻訳されているのはなんとなく知っていたけど、30年もコツコツと翻訳し、出版するという努力がなされていたことに驚く)
タイトルで言われるほど、「マン対ナチス」という本ではない。マンの日記を大まかな年代に分けつつも、時系列に沿って記述するのではなく、そこから浮かび上がるテーマをひろって書かれたエッセイからなる。
とはいって、マンの日記のスタートは、1933年ナチスが政権を取ってからなので、サブタイトルにあるように政治的な要素を含む「亡命日記」という感じ。
ナチスや世界の戦争の中でのマンの言動とその背景が伝わってくると同時に、亡命者として、他の亡命者やナチ側について知識人への批判などが、面白いかな?(いろいろあるけど、やっぱり本業は小説家ということか)
アーレントとの関係では、アーレントも1933年に亡命して、アメリカにたどり着き、同じ時代に同じ国にいるわけだが、一方は世界的な大文豪、一方は無名のユダヤ人。
戦後、マッカーシズムが吹き荒れるアメリカにおいて「反共」という名の下に、ナチズムと同じような状況が生じるなかで、マンは再び亡命して、スイスに移住するのに対して、アーレントはアメリカの可能性を信じて、アメリカに踏みとどまり、市民権をえる。1951年、「全体主義の起源」を発表することを通じて、プチ有名人となる。収容所の経験もある亡命ユダヤ人で、反ナチズム、反共産主義の騎手みたいな受けとめだったのかな?
あらためて考えると、「全体主義の起源」って、マッカーシズムの最中に出版されていたんだね。スターリンとヒトラーを合わせて「全体主義」として批判したので、当時の風潮からヒットしたということか?内容的には、相当に難解なので、ちゃんと読んだ人がいるとは思えない。マルクスや共産主義への強い批判はあるものの、歴史認識としては、マルクスに影響されているところも大きい。単純に反マルクスではない感じがする。この辺の微妙な影響関係が難解で当時は誰もわからなかったので、アーレントって、有名になれたんだと思う。
というわけで、この2人の世界は重なりそうで、重ならない。
大戦中のアメリカの亡命者社会みたいなものも面白いテーマかもしれない。
個人的にちょっと切実感を持ったのは、マンが亡命に追い込まれるのは、1933年で、58歳のとき。すでに有名作家とはいえ、そこから、さらに「ヨセフとその兄弟たち」「ファウストゥス博士」など大作を書き上げていく。そのかたわら、膨大な時事的な評論や反ナチの活動、そして講演活動、社交活動をやって、さらに全10巻の本になる日記を書いている。
私もそんな年齢で、このエネルギーにちょっと圧倒される。 -
●ナチスドイツにより、国外追放されたトーマス・マンの日記。ヒトラー打倒を訴え続けた記録。
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2022.5.22市立図書館
津野海太郎「最後の読書」の中の「彼が最後に書いた本」でふれられていて気になって借りてみた(この本が最後の著書というわけではない)。2017年の刊行。初出は紀伊國屋書店季刊PR誌「scripta」2009年冬号〜2015年夏号。大著「トーマス・マン日記」の20年がかりの翻訳刊行事業への応援企画として連載された。1933年に講演旅行先で国外追放にあい長年に渡った亡命生活の中でつづられた記録から浮かび上がる、第二次世界大戦勃発前から戦後処理が終わるくらいまでのドイツと世界、日記のちょっとした記述を見つけ、時間軸にそって、マンの見方をたどりながら人と出来事を取り上げている。
追われて外からながめるドイツのことはもちろん、第二次世界大戦にむかう世界の様々な動きをどう受け止めていたか、戦後のアメリカに吹き荒れたマッカーシズムの脅威など、ウクライナ侵攻のニュースにゆれる今と重ねて読んで思うこと多い。
しかし、こういう率直な意見や心情をあるていど書き残せたのも、誰にも見せない日記スタイルで死後20年は公開しないと決めていたおかげだろう。なんでもSNS発信してしまう今はこういう記録も残りにくそう。 -
ナチス政権台頭時、動乱の世界情勢に著名人が新たな権力に迎合する。音楽や作家への痛烈な批判。
凡ゆる事物への観察眼はジャーナリストよりも正確無比。
終戦後、晩年の限界を感じた哀切ある感情が印象的だった。
「私のいる所にこそドイツ文化がある」
マン自身の言葉である。
WWⅡ開戦後に国籍の剥奪、大学名誉職も除籍される。心中穏やかではなかった...
新聞の情報を信頼しない。思惑を込めた政府筋から流された報告、ガセネタ、記者の思い込みを避けるためだと云う。作家としてのポリシーが垣間見れる。
彼は終戦後、帰国先を祖国ドイツではなく、スイスを選んだ。愛国者というより、平和主義者ではなかったか。 -
トーマスマンを軸に、反ナチスの動き、人間模様を描いた。彼の日記が、歴史の記録として重要なのだと分かった。
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トーマス・マンの亡命と日記を軸に展開。
もう少し丁寧にマンを語れれぱ。 日記中心の印象が残念。 -
本屋さんで見つけて気になっていた1冊。
ナチス・ドイツ下で多くの作家や芸術家が亡命していたことは知っていたが、亡命生活のイメージが湧かず、気になっていたので手に取った。
亡命に至った経緯もナチス・ドイツらしい非道な方法であったことに驚いたが、それよりもドイツ国外からドイツの現実を冷静に見つめ、ラジオなどを通じて現状を訴える姿がとても印象的であった。
また情報伝達手段が発達していない時代でも、自分が思ってた以上に戦況などは国内外に伝わっていたことにも驚いた。
亡命生活の中でも作家として、講演や執筆を続け、冷静な目で祖国のために活動する姿はとても印象的であった。 -
著者:池内紀(1940-、姫路市、ドイツ文学者)
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ナチス台頭から終焉、終戦後までの激動を、亡命作家はどう見つめ、記録したか。遺された浩瀚な日記から浮かび上がる闘いの軌跡。