- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121025265
作品紹介・あらすじ
流人の挙兵はなぜ成功し、鎌倉幕府はいかなる成立過程を辿ったのか。幾多の苦難を経て、武門における唯一の勝者となった波瀾の生涯。
感想・レビュー・書評
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頼朝。
頼朝の人生ってやりたくない。
大学時代、この人を少し勉強して、よくノイローゼにならなかったなぁって思う。
惜しむことは2代、3代に繋がらなかったこと。
後継者の育成は難しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は、話題となった『河内源氏−頼朝を生んだ武士本流』(中公新書、2011年)の続刊。『河内源氏』も読んだが、当時書いた感想には「よくわからなかった」と書いてあった。「よくわからなかった」本の続刊を読む起動力となったのは、もちろん2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の影響が大きいが、同様に(あるいはそれ以上に)先日読んだ野口実氏の『源氏の血脈−武家の棟梁への道』が大変面白かったことがある。野口氏の『源氏の血脈』では為義、義朝、頼朝、そして義経が取り上げられていたが、本書はもちろん頼朝にフォーカスされたもの。以下、その構成(章タイトルのみ)。
はじめに
Ⅰ 頼朝の登場−河内源氏の盛衰
Ⅱ 流刑地の日々―頼朝挙兵の前提
Ⅲ 挙兵の成功―流人の奇跡
Ⅳ 義仲との対立−源氏嫡流をめぐって
Ⅴ 頼朝軍の上洛−京・畿内の制圧
Ⅵ 平氏追討−義経と範頼
Ⅶ 義経挙兵と公武交渉−国地頭と廟堂改革
Ⅷ 義経の滅亡と奥州合戦−唯一の官軍
Ⅸ 頼朝上洛と後白河の死去−朝の大将軍
Ⅹ 頼朝の晩年−権力の継承と「失政」
むすび−頼朝死後の幕府
治承四年(1180)の挙兵から約20年、建久十年(1199)で満51歳の生涯を閉じるまで頼朝がいかにきわどい戦いに勝ち抜き、鎌倉幕府の基礎を築いたかが、大変興味深く論じられていた。また他の学説などに対するスタンスも明確であり、素人にもわかりやすかった。たとえば頼朝の父・義朝が藤原信頼と組んで挙兵(平治の乱)したことに対する議論を引きながら「武士と貴族とを対立する階級とする、古めかしい観念の呪縛の強さを痛感せざるをえない」(p.24)など。なお、この時の挙兵がいったん成功し、その時の除目によって初陣の頼朝は「右兵衛権佐」(佐殿 すけどの)になった。
20年に及ぶ伊豆での流人生活を経て挙兵に成功した頼朝は、富士川の合戦に勝利し、鎌倉に凱旋以後、所領は鎌倉殿・御家人双方の代替わりごとに安堵されることになり、初めて所領を媒介とした継続的な主従関係が成立した(p.80)。これはそれまでの河内源氏当主と家人との関係からの大きな変化であった(同)。
頼朝の朝廷工作についても高く評価されている。たとえば治承5年7月の後白河に送った和平提案(宗盛は清盛の遺言にしたがって拒否)などが寿永2年7月に「平氏都落ち」に追い込んだ義仲上洛の際の「勲功第一という評価を得る原因となった」(p.91)と指摘されている。その平氏都落ちに際して著者は歴史にifはないがと断りつつ、「もしも後白河が平氏に拉致されていたら、平氏は強い正当性を有したに違いない。これに対し、義仲は八条院・北陸宮を擁立し、独自の王権を構築したであろう。王権が分裂し、おそらく内乱は長期化したと考えられる。そして、権威の源泉である後白河を失った頼朝は、著しく立場を悪化させたはずである。後白河の脱出によって、日本は分裂の危機を回避し、頼朝も危機を免れたことになる」(p.101)と述べている。首肯できる主張である。
頼朝と義経の対立については第Ⅵ章・第Ⅶ章で詳しく論じられている。「対立の背景を突き詰めれば、後継者問題の不安定さなど、鎌倉幕府の組織が、まだ幼弱だったことに行き着く」(p.182)。「唯一の官軍」を目指した頼朝は院の勢力と結びつき独自の官軍となろうとした義経を絶対に容認できなかったのである。
第Ⅷ章、第Ⅸ章では奥州合戦の意義と鎌倉幕府が名実ともに成立するプロセス、頼朝が目指したものの完成と内乱の終結が叙述される。そして、「古めかしい王朝権威に依存した頼朝を非難するのはたやすい。しかし、所領の新恩給与は戦時下であったがゆえに可能となったのである。また、内乱以前の武士に対する恩給は官位であった。平時に移行した頼朝が、官位を中心とする王朝権威に依拠して主従関係を維持するのは当然のことだったのである」(p.251)と述べられている。
さて義経没落後、京都守護の役割を一時的に担った北条時政のイメージは大河ドラマとは随分と違うので注意が必要かと思う。時政についてはミネルヴァの評伝シリーズから野口実氏が新著を出したのでそちらも読んでみたい。頼朝が晩年に結局はなし得なかった幕府基盤の安定化は、幕府内の闘争を経て、北条氏により成し遂げられるのだから。 -
河内源氏嫡流、鎌倉幕府創始者である源頼朝という人物に焦点をあて、本当に臨んだものは東国の実力者と日本の最高実力者のどちらなのかや、京との関係をどのように考えていたかを明らかにする。
2022年3月・4月期展示本です。
最新の所在はOPACを確認してください。
TEA-OPACへのリンクはこちら↓
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00543731 -
大河ドラマの予習です。
源頼朝と言えば、大河ドラマで言えば『義経』の時の、中井貴一のような冷徹で合理的なイメージ。一方で『平清盛』の岡田将生のように、熱き情熱にあふれているイメージもあり。実際どうなんだろうとは思っていたところです。
本書を通じて見えるのが頼朝の慎重さ、細いロープの上を歩くような緊張感が感じられます。いつ転落してもおかしくなかった人生。清盛の助命も、石橋山の戦いも、義経の粛清も、すべて陣営をまとめる/瓦解させないように慎重に考え抜いて行ったのだろうということ。 -
源頼朝の生涯を描いた作品。
頼朝の視点・立場から頼朝の行動理由が書かれていました。
義経討伐の理由を頼朝の立場から追っていましたが後の範頼等の他の源氏一門の処置については資料が無いのもあり簡単にしか書かれておらず残念。 -
流刑に区切りがついた34歳から亡くなる53歳までの19年間で鎌倉幕府を築いた。
すぐに上洛するのではなく、関東地方にとどまり、東国を繁栄させたことが大きな決断だったと思う。
太く短く生きるとは、頼朝のことだと思う。 -
義経との関係についてのイメージが随分と変わった。
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言わずとしれた鎌倉幕府創設者の評伝。英雄視される義経と対置される事もあって、あまり良い印象を持っていなかったけれども、読み終わって評価を改めさせられた。朝廷政治との関わりなども含め、色々と興味深い内容でした。