日本語力崩壊―でもこうすればくい止められる (中公新書ラクレ)

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著者 : 樋口裕一
  • 中央公論新社 (2001年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121500229

日本語力崩壊―でもこうすればくい止められる (中公新書ラクレ)の感想・レビュー・書評

  • 小論文を長年教授している予備校?講師による国語力・言語操作力回復のための処方箋。まぁ、結論的には、大学受験の科目として小論文を課しましょう、というものである。個人的には、現行以上の数学・理科を高校生に教授すべきで、そのためには、小論文までは困難で、大学卒業試験に小論文を課すべきと考えている。が、高いレベルを求めない、論旨展開のルールに則っていることで合格点を付与するという前提ならば、面白い試みかも。ちなみに、著者はあまり触れないが、模範解答の写経も、最初の段階では、意外に効果的かと。

  • 「ゆとり教育」による日本語力低下と、すべてが横並びの誤った平等主義による個性の圧殺に歯止めをかけるために、教育に小論文を導入することを提唱している。

    著者は、かつての詰め込み教育を批判し、個性を尊重することの大切さを説く。「ゆとり教育」批判も、単純に子どもたちが学習しなくなったことを正すべきだというのではなく、今の「ゆとり教育」が個性を尊重するという理念からかけ離れてしまったことを批判するものだ。ただ、「ゆとり教育」と、少子化による大学の大幅な定員割れという現実は、こうした著者の懸念していた事態をも大きく超えるほどの深刻な事態を招いたように思う。そのせいで、本書の「ゆとり教育」批判はやや甘いのではないかと感じた。

    著者がおこなっている小学生に向けた作文教育の話はおもしろかった。こうした試みは、もっと広くおこなわれてもよいと思う。

  • 従来の教育観から新学力観に移行し、教育には「平等」と「個性」が求められるようになった。そこでの「平等」な教育では個性を抑圧し、他者と異なるものであろうとしての「競争」が否定された。一律的な競争しか無い世界では、一律的な競争に負けた時に、他の競争において勝つ事による自分の新しい個性を得る機会を失うこととなる。

    人間は楽しい事、自分の得になる事しか行わない。しかし、一律的な競争しかない世界では、向上心を持って、自主的に何かを学ぼうとは思わないのである。また、平等を抱き、序列をもたないことで、尊敬意識や倫理観を学ぶ機会を逸する。また、一律的な競争しか無い場合は「おりる=おちこぼれる」ことが許されない。

    個性的であるという事ははみだすことである。しかし、学歴競争の一律的な競争しか無い状況の中では、教師の器量がないばかりに、自主性のある生徒が育たない。生徒は参考書の写し読みをするだけで向上心を抱かない。既存の学力観は工業社会においては有益であったが、時代は変わり、新しい発想をするという為には不向きである。

    国語力というのは、言語操作能力だ。語彙・知識・読解にて行われる。本を読まない状況である現代社会に置いては国語教育が重要である。しかし、既存の国語の試験は答えがあやふやである。役に立たない国語=他人の考えを読み取り、文法を学ぶことを教えている。実際に文章を書く学習にシフトすれば書く立場として、論理的に思考し、曖昧さを除外し表明する事ができる。それに従って文章を読み取る事ができる。そのため、既存の現代文の学習を排除し、小論文の作成へシフトすることがこの本の本論である。

  • 小論文を中心に展開される。
    自分はさけてきたが、紹介されている問題を読み込むとなかなかおもしろい。
    一方、ゆとり教育についても語られており、子どもとどう接していくか、国語・現代文をもう少し意識したくなった。

  • 若干偏っている教育論が語られているが,教育問題の背景を知る上では良いと思う。後はその打開策としての小論文の話し。

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