日本語力と英語力 (中公新書ラクレ)

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  • 中央公論新社 (2004年4月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (196ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121501288

日本語力と英語力 (中公新書ラクレ)の感想・レビュー・書評

  • うーん、教育現場の大局的な動きに言及しているのだけれど、どこか偏見的で視野狭窄な感じ。英語というものに関しても、正論なんだけど新しいものは一切認めない!というような、なんだか頑固な一面が二人の話から見え隠れしてしまう。やはり、同じような意見を持った二人が対談するのは良くない。意見が擦り合わされないから、どんどん話は単極に。より柔らかくないと。いつまでもお耳はジャンボに。俺はそうありたい。

  • ああはいはい齋藤孝齋藤孝と思いながら読み始めていたけれど、自分がこうではないかと思っていたことが言語化されていて面白かった。やっぱり基礎ですよね!

  • 斎藤兆史の英語論を初めて読んだが、とくにエリート教育と大衆教育のけじめに関しては蒙を啓かれた。「自由とは使える技が多いこと」「質が高く、抵抗感があるものを用意せよ」というのも参考になる。

  • 好きな齋藤孝さんの本を図書館で探していたら、
    ちょうどTOEICの試験後だったのと、
    日頃日本語を話すのも不器用なのを自覚しているのもあり、
    この本のタイトルに惹かれ早速借りてみた。

    読み始めると、どうも英語と日本語の教育論がメインで、
    どちらかと言うと、自身の自己啓発というより、
    子どもをどう教育するかという点で参考になる本だった。

    型(文法や単語)の訓練や素読、暗誦、反復練習が良いそうです。
    そして、上達のプロセスにはパターンがあるらしく、
    我慢してこなしさえすれば、どこかで絶対に突き抜けて楽になれるらしい。
    そんなことが今までないので全く実感が沸かないが…。

    教材として、日本語なら夏目漱石の坊ちゃん、
    英語では、アガサ・クリスティがオススメのよう。
    表現が見事だそうです。

  • 今年の4月あたりに読んだ本.

    レビューを見ると評価が高いが,個人的には「齋藤孝」っていう人,苦手.言ってることの全てに異議をするわけじゃないし,正しいことも言っているとは思うが,どうも自分の持っている教育観とは違う.

    ことばは大事だと思うし,いい文章にふれて,いい言葉を生み出す努力をすることは大切だと思う.だけど,それを英語においても同じように捉えるのはやっぱり違うと思う.反復練習だけによって英語が身に付くとはとうてい思えない.

    どの教科にしても,反復練習では身に付かない能力や知識というのをきちんと子供に身につけさせる努力をすることも絶対必要だと思う.

  • [ 内容 ]
    コミュニケーション力が身に付く普遍的論理とは?
    曰く「国語教育を充実させよ」「英会話ごっこのような早期教育を止めよ」「『型』の訓練を中心に据えて、素読、暗誦、反復練習を」。

    [ 目次 ]
    序 「英語が使える日本人」幻想から醒めよ
    1章 英語力の基礎は日本語力
    2章 英語教育のここを改めよ
    3章 上達の法則
    4章 右手に素読、左手に文法
    5章 日本の教育を変える斎藤メソッド
    6章 教材選びのポイント
    7章 「本物」だけを見続けよ
    8章 21世紀の「英語達人」のすがた

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    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

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    [ 参考となる書評 ]

  • うん、やっぱり齋藤孝さんの考え方って、私は好きだな。同じ斎藤姓の東大の英語の先生でもある斎藤兆史氏との対談。
    小学校英語導入への反対の方の著作って、結構あるのだが、考えてみれば賛成派の人の本ってあまり目にしない。こちらが気づいていないだけなのだろうか? 人に勧めたい本のひとつであった。

  • 最後のほうに書いてあった「自分にとって英語の必要性がどのくらいか認識することも大事」ということには同意。また、授業実践の様子(先生増殖方式 pp.116-117、小ネタの披露、メモ取り)は活用してみたい。

  • 英語教育への抽象的な批判だけでなく、具体的な改善策とその根拠も示されていてわかりやすい。じっくりもう一度読むつもり。

  • 今の文部科学省の英語教育に対する方針や、一般大衆の英語習熟に対する考え方に疑問を呈し、「普遍的な上達の法則」を提言する。現代の言語教育の問題点に関して著されている本。
    「英語力は日本語力」「コミュニケーション重視の英語教育を疑う」「名分を素読・暗証せよ」などの主張がある。国語の齊藤孝と英語の斎藤兆史による対談形式の本。

  •  「日本語力と英語力」 

     とてもよかった。ぼくが言いたいことを的確に述べています。多くの人に読んでもらいたい。ぜひ。

     この本は 本書は、齋藤 孝氏と斎藤 兆史氏の対談本です。
     重要なところ,おもしろいところを抜粋したみたらかなりの量になりました。何回かに分けて紹介します。

     まず,英会話と英文法について。



    (兆史)
    ごく簡単に要約すれば、国語教育を充実させよ,英会話ごっこにも似た低劣な早期英語教育を止めさせよ、型の訓練を中心とした骨太教育を実現させよ、ということになろうか。(p5)

    ( そういうことです。まったく同感。 )


    (兆史)
    たとえば、For here or to go?という表現を見てみよう。これは主にアメリカのハンバーガー屋の店員が、客が品物を店内で食するか持ち帰るかを確認するために用いるものである。逆に言えば、その状況以外で用いられることはなく、例文としてきわめて発展性に乏しい。第一、前置詞+名詞と to不定詞をorでつなぐ変則的な構文を初学者に理解させるのはほとんど不可能だから、勢いそのまま覚えなさいと指導することになるが、生徒は、「英語圏のハンバーガー屋では、品物を持ち帰るかどうかをFor here or to go?という表現で尋ねてくる」ということ以外、何を学んだことになるのだろうか。こんな表現は、海外旅行者用の会話本にでも載せておけばいいのである。

    店員の最後の台詞に現れる Here you are. についても同様のことが言える。これまた、たしかに四十年前の Here is a pen. に比べて実際の会話でよく耳にするが、対面状況で物を差し出す動作を補うだけの表現だから、これを知らなければ対応に困るような状況は皆無だと言っていい。少なくとも、中学1年次に学ぶべき英語ではない。このように系統的に説明のしづらい「実用的」な表現を教えたがるのが、いまの英語教育の悪いところだ。日本語話者の英語習得の順序を読み違えていると言わざるを得ない。( p8〜9 )



     ( うれしくてたまらない。ぼくがこれまで言ってきたことです。まったく同感。「発展性がない」というのがキーワードでしょう。会話中心ではそれをそのまま覚えるだけ。ほかの表現に発展することがない。文法をきちんと学ぶと,単語を換えることで無数の表現に発展できます )


    (兆史)
     まして英語シャワーといっても、せいぜいー日にー、二時間、多くて数時間程度でしょう。生まれたときから、英語で話し、英語で考えるという具合に、母語である英語に四六時中触れながら成長する英語話者の人たちとは、まるで状況が違います。ただ英語漬けになればいいというものではなく、日本語話者が英語を学ぶ場合には、日本語話者にふこわしいそれなりの戦略、枠組みがあるはずです。

    (孝)
    それが、たとえば徹底した型の訓練や、基礎の反復練習ですね。
    (p43)



    ( これもぼくがこれまで言ってきたこと。新聞投稿もしたことがあると思います。さがして掲載したいです。とにかく同感。 )



    (孝)
     それはたとえて言えば、長嶋茂雄が送球したあとに掌をヒラヒラさせるのを素人が見て、その”掌ヒラヒラ”を真似して野球をするみたいなものですね。長嶋はそれで野球がうまいわけじゃない。たまたま投げたあとにそうなるだけであって。

    (兆史)
     ところが、”掌ヒラヒラ”ごと教えるのがいまの英語教育なんですよ。

    (孝)
     基本の形というものは応用範囲が広い。ですから、特殊なケースではなくて、「この文型を覚えておくと、こういう場合にほとんど使えます」というやり方を優先すべきでしょう。(p45)



    ( 長... 続きを読む

  • 学校での英語教育は基礎を養う場であるという意見には賛成。型(=文法)が言語習得に重要だということにも賛成。しかし、だからコミュニケーションを目指すべきではない、という意見には反対。少なくとも学習指導要領のレベルでは、今の英語教育が文法を軽視しているわけじゃないはず。ただコミュニケーションと文法を両立させよう、あるいはコミュニケーションを通して文法を学ぼう、という主旨なだけでは。それが文法軽視に繋がっているとしたら(実際そうなのだけれども)、それは指導要領のコンセプトが現場にうまく伝わっていないのが原因であって、改善すべきはその伝達方法では?

    さらに著者らはコミュニケーションを非常に狭義で捉えている印象。ほとんど如何なる言語使用もコミュニケーションを目的としているはずで、シェイクスピアを読むことですらその例外ではないはず。なのでやはり「コミュニケーションを目指すべきではない」という考えは誤りなのではないかと思う。

    また、内容のある英語を話すためにはコミュニケーションを目指していてはダメで、英文解釈を通して頭をトレーニングするべき、という主旨の主張が見受けられるが、内容がないのはコミュニケーションを目指しているからではないだろう。内容に問題があるなら内容を育てるような教育を施すべきで、基本的には手段に過ぎない英語科にその役割まで求めるのは負担が重いのではないだろうか。
    (5/14読了)

  • 教員を目指していたら、読んでおくべきだな、と思いました。
    やっぱり日本人は日本語喋れてナンボです。

  • 学校では基礎を身につける。安易なコミュニケーション重視ではなく、応用のきく型を系統的に学ぶ。「上達の法則」を身につける。

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