オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)

  • 272人登録
  • 3.28評価
    • (11)
    • (19)
    • (67)
    • (4)
    • (4)
  • 44レビュー
著者 : 諏訪哲二
  • 中央公論新社 (2005年3月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121501714

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
三島 由紀夫
遠藤 周作
ロバート キヨサ...
村上 春樹
有効な右矢印 無効な右矢印

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)の感想・レビュー・書評

  • 子どもは親(教師)の思い通りに行かないと思うのだが、それでも80年代90年代と子供たちは代わってしまったと感じることがある。
    「プロ教師の会」というのがあるらしい。論争を煽り、批判する集団なのか?
    2部構成になっており、第1部は子どもが悪い、といことの検証。第2部は教育論者の子ども観。
    ゆとり教育はうまくいかなかった。変わる子ども、変わらない教師。
    教育が贈与から商品交換となった。
    子供たちは、個性=自分独自=他人と異なる、という比較を嫌う。大人と対等な関係を望む。

  •  「時代が変わった」
     「今の子供は昔の子供と全く違う」
     そんな指摘は昨今のいじめ問題を巡る報道の中でも耳にタコができるほど聞かされます。
     が、昔と比べたとき、今の子供達は何が変わり、それがどういう形で現状の問題に影響しているのか、そう変化していった原因とメカニズムは何か。指摘の中身を具体的に知ろうとすると、たいていは復古主義的・懐古趣味的な道徳論だったり、どこかで聞いたような核家族化と個別化の話、そして自分の子供時代の思い出との比較という単なる印象論に終わることがほとんどです。

     そんな中、本書は戦後の社会の変化をつぶさに振り返りつつ、子供達の価値観が変容するメカニズムを説明します。
     本来的に教育というものは、無償の贈与だと本書では指摘されています。その教育の場に経済原理・市場原理が持ち込まれたことで、子供達は消費主体としての個を確立させ、「等価交換」をしようとします。
     例えば、テスト中にカンニングが見つかった子が「自分はカンニングをしていない」と堂々と主張することがあります。昔であれば、しらばっくれる態度の中に、自分の罪悪を自覚する部分があり、ばつの悪さのようなものを抱えていたが、真剣に自分は悪くないと言い張るそうです。これって、交通事故を起こした時に「とりあえず謝るな。謝ると責任を認めたことになり、後で賠償責任が発生する。事実が明らかになるまでは余計な事は一切言うな(もしくは否認しろ)」という態度によく似ています。
     また、授業中しゃべっていたことを注意されたときに逆ギレする子供の言い分を聞くと、自分が授業中に私語をしていたことで発生した害悪と、満座の前で注意されて恥をかかされた罰とが釣り合わない、という「罪刑の不均衡」に対する不満が表明されていた、という例もあるようです。自分のしたこと以上の不利益を被ることを「損(害)」と考える感性って、すごいと思いませんか?

     こういうメンタリティーの子供が増えてくると、教育はなかなか機能しにくくなります。というのは、教育を受けるということは、自分自身に変革をもたらす事に他ならず、「(消費主体の)個」として対等に教師と向き合う形では、その変革自体がなかなか起きないからです。
     実は、塾講師をしていたときにこういうことを感じたことがありまして、こういう子はわからなかった問題を「説明してくれ」と聞いては来るのですが、説明を聞くだけで、手を動かそうとしません。「板書を自分でノートに写しながらロジックを自分の手で追わないと身につかないよ」といっても頑なに手を動かそうとしません(二三度言ってもわからない時は、無理にでも従わせましたが)。こういう子のメンタリティって「聞いたらすらっとわかるように説明してくれ。私が理解できなかった場合はあなたの説明が下手なんだ」というものです。確かにこちらの説明がまずかったこともあるでしょうが、関数とグラフの文章題で3工程くらいかかる問題を一回説明を聞くだけで理解し、できるようになろうとするのは、さすがに虫が良すぎるというものです。本書の中で、生徒に学ぼうとする姿勢(変わろうとする姿勢)がないと教育というのはなかなか機能しないという指摘がありましたが、本当にその通りだと思いました。
     この辺のメカニズムについては、本書を読んだ内田樹さんが『下流志向』の中で詳しく論じていますので、本書と合わせて読まれることをオススメします。

     本書の指摘で面白かったのは、教育の目的についてでした。単なる学力の習得だけではなく、子供を「近代化させる」ことも掲げてあったのになるほどと思いました。ここでいう近代化とは、幼児的な全能感(この私)を相対化し、他者を尊重しつつその中に存在する自分(=個)の意識を獲得させる(=社会性の獲得)ことを言います。
     私は、い... 続きを読む

  • オレ様化とポストゆとり世代の持つ反社会性や鬱傾向は切っても切れない関係、というのが持論。解決策にはあまり言及されていないらしいが、とりあえず一読したい。

  • フロイト好き?
    10年ちょっと前の著作だが、SNSが普及した今の状況をどう見ているだろうか。
    現場の意見なので、ああそうなのかとも思うが、教師を唯一神の補完するものとしてとらえているのは納得しかねる。

  • 久々再読。農業社会、産業社会、消費社会という社会の移り変わりで子どもや教育のニーズ、世の中の価値観が変化して来たことは納得。子どもが消費者化してしまうような社会の在り方を実感する。じゃあ、子どもを信用せず、厳しくドライな教育を小学校でも行うべきという筆者の主張については、小学生と日々接した実感からとは思えないし、自分にも実感もない。問題が多々起こる高校現場での実感と解決法を小学生段階から行うというよりも、そういう高校生になる要因は何なのか、小学校・中学校時代にどのような経験を積むべきかを考えたい。

  • まとめとして「グローバル化」が原因としているが,最終的な論の帰結としては些か弱いと感じた。
    子供を一人の個として扱うのは大事な事であり,人権を尊重しなければならないのは当たり前の話として,個の前の社会化に至る去勢はよくわかる話。その“個”が個のまま育つてきている事に警鐘を鳴らす。
    でもやっぱり国民国家教育が原因では無いかと思う,それは日本という国の教育に対する考え方,というところにおいて,だが。
    自分の子の子育てしか見ていない親と違い,教師は自分を通り過ぎる子供達を幾世代にもわたって見続けてきておりその変容について最も身近に感じている,というのにはふむふむなるほど尤もだと頷く。
    なんであれ子供達は大変だ。
    そして読み進めて行くうちにある事が確信へと変わったのが……最近ネトウヨと呼ばれるものたちがネットで騒がれているが,まさにコレ(オレ様化)した者達ではないか,と。

  • 納得するところがそれなりにあった気がする。

  • 「プロ教師の会」代表が「子どものオレ様化」を軸に、教育を論じているのが本書。

    「オレ様化」とは? ただ生徒がエラソーになったというだけのことではない。かつて「生徒」というものは、人格的にも知識的にも半人前で、教師から一方的に「贈与」を受け取る存在だった。しかし社会の近代化にともなって、子どもは変わった。大人と対等の存在、教師と対等の1人の「個」として現れてきた。教師-生徒関係が、「贈与」から「商品交換・等価交換」になってきたのが、教師の権力の失墜→学級崩壊→不登校・いじめ・援助交際・ひきこもり、へとつながっていくのだ……と本書は説く。

     いつの時代も子どもは変わらないとか、子ども1人1人に合った教育をしなければならないとか、子どもが自ら学ぶ姿勢を大事にとか……そういう考え方を著者は教壇に立ち続けた経験から「甘い」と切って捨てる。子どもたちにまず必要なのは「個性化」ではなく「社会化」であると。

    「子ども」と「学校」の関係だけでなく、「子ども」と「社会」との関係を織り込んで展開される論理は、教師としての実感に支えられているぶんだけ、他の教育論者に比べうわすべりしていない。第1章の論理に従って、第2章で宮台信司、和田秀樹、上野千鶴子、尾木直樹などの教育論が批判されるが、一理あるなぁと思う。
     しかし、本著に従えば、「子ども」の変化に対応するには、「学校」を変えるだけでは足りない。「社会」が子どもに注ぐ視線も変えなくてはいけない。それをどうするかまではさすがに荷が重いようで、明確に言及はされていない。それは読者1人1人の課題となるだろう。
     また、本著で展開されているのは、しょせんは「精神論」であり、学校のカリキュラムをどうするか、入試をどうするかという現実的な施策を超えたところに成立していることを忘れてはならない。難しいのは、「そっから先」なんである。

     先生や親が子どもと友だちのような関係を結びたがったり、小学生のうちから「個性を伸ばす」教育を施したり、学校に「市場原理」を持ち込もうとしたり……つーのは、この本をあてにすると、かなりヤヴァイことのように思える。「ゆとり教育」か「詰め込み&反復」か、「生きる力」か「学力」か。そういう二項対立の図式からすこし視点をずらして考えるために、悪くない本だと思う。

  • 2007年くらいに買って読んだんじゃないかなぁ…と思います。
    小林よりのり氏推せん!!
    ワシ様もオレ様が嫌いだ!!
    と帯にイラスト付で描いてあります。

    この本は、今パラパラ見ると、アクがない感じにすら、受けてしまう…。
    その理由は簡単。
    大筋が社会通念的にOK採用されているように感じるから。というより、次の段階へ行ったって感じ?

    ただ、買って読んだころは、そうではない世の中の空気が流れていたと思う部分アリ。

  • 子どもが変わってきているのではないか、と言う視点から、現在の教育問題を捉え直そうとした本。まだまだ素人に毛が生えた程度の私にはとにかく難しい。読むのに骨が折れます。学生時代に一度諦めたのですが、再度チャレンジ。

    結局のところ、筆者の主張は

    子どもの個性を伸ばす教育が求められているが、その個性はあくまで社会性の上に成り立つ個性でなければならず、学校教育では社会性と基礎的な知識を身につけることから始めなければならない、ということでした。

    社会性を身に着ける中で、自己を相対化したり、自己を生き延びさせる術を覚えていかなければならないが、幼稚で鍛えられない自己が生き延びてしまうことによって、オレ様化した生徒が生まれてしまう。

    また、変化した生徒は自立した「個」として、「教師=生徒」という学校での関係を否定したがる。それが、学校という場の現在の難しさとなっている。


    といったようなことが書かれていました。
    社会性を身に着ける中で失われる個性など、本当の個性ではない。

    どこかで聞いた話だと思ったら、

    演劇の練習の中で聞いた話でした。

    癖を直したら消えてしまう個性だったら、そんな個性は棄ててしまったほうがいい。

  • 水無月新月の候におすすめする一冊は、諏訪哲二著『オレ様化する
    子どもたち』です。著者は1941年生まれで、01年に定年で引退した
    元高校教師。教師として教育現場の荒廃と格闘し続けてきた方です。

    タイトルはちょっとキワモノっぽい本書ですが、中身は至って真剣。
    教師ならではの視点での極めて真面目な教育論が展開されていて、
    のっけからぐいぐいと引き込まれます。教育の考察を通じて、近代
    とは何か、個性とは何か、というところまでが問い直されているの
    で、子どもの教育に特に関心がないという方にも、十分な読みごた
    えのある内容となっています。

    「オレ様化」とは、80年代中葉以後の学校現場で出現してきた「新
    しい生徒たち」を形容する言葉です。この「新しい生徒たち」に特
    徴的なのは、すでに完成した人格を有しているかのようにふるまい、
    学ぼうとも、自分を変えようともしないことだそうです。だからと
    言って「強い自己」が確立されているわけでもなく、むしろ対人関
    係や社会的適応性の面で問題を抱えやすく、自己の殻の中に閉じこ
    もりがちな「弱い自己」であることが特徴だとも言います。教師に
    は全く不可解な存在。それが「新しい生徒たち=オレ様」でした。

    このようなオレ様が生まれてきた背景には、消費社会の進展がある
    と著者は説明します。消費社会の中で、学校に入る前から消費の主
    体として扱われるようになった子ども達は、教育される客体として
    扱われることを拒むようになります。コンビニやファーストフード
    店で一人前のお客様として扱われるのと同様に、学校でもお客様と
    して扱われないと我慢ができないのです。そういう中で、教師と生
    徒という上下関係は成立し得なくなり、教育も機能しなくなります。

    管理教育批判の中で、学校を民主化せよ、市場化せよ、という要請
    が高まったことが、この傾向に拍車をかけました。教育が市場経済
    や商取引の論理=等価交換の原則で語られるようになったのです。

    極め付けは、1984年の中曽根内閣の時に臨時教育審議会が打ち出し
    た「個性重視」の方針でした。これに基づき、80年代後半には、学
    習要領の全面的な改訂が行われ、「社会性」よりも「個性」の方を
    重視する教育が行われるようになるのです。これは、幼児期の全能
    感を抱えたままの子ども達を大量に出現させることになります。そ
    の結果、「学級崩壊」という現象が生まれ始めるのです(学級崩壊
    という言葉がメディアに登場するのは1998年のことです)。

    このように、消費社会化の進展の中で、もはや学校は機能しなくな
    っています。かと言って、教師の無能や学校システムの無効性を騒
    ぎ立てても、ましてや子どものせいにしても、何も解決しません。
    誰が学校を、子どもをこのようにしたかと言えば、結局のところ、
    消費社会に安住する我々一人一人なのです。ですから、これからは、
    親として、或いは、オレ様化した部下や後輩を抱える上司や先輩と
    して、この問題と向き合っていくしかありません。それは、簡単に
    解の出ない、とても困難な作業です。

    賛否両論ある一冊のようですが、親としても、上司や先輩としても
    一読しておく価値はありますので、是非、読んでみてください。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

    =====================================================

    いい教育とは「のびのびして厳しい教育」である。「のびのび」か
    「厳しい」のどちらか一方になってしまってはいけない... 続きを読む

  • 300252905  S370.4-ラク-171

  • かなり昔に読んだ本であるが、前々から読み直したいと思っていたので読んでみた。
    んーむずかしい…。その辺にある教育論とは掘り下げの程度が全然違うと感じる。ところどころ著者が使っている用語の意味がわからない部分がある。
    しかし内容としては、説得力がありかなりおもしろい内容やと思う。筆者は、学校が社会において果たすべきことは「のびのび」ではなく「厳しく」だと言う。「個性化」の前に「社会化」を目指すべきであるとも。
    第二部の学者の教育論に対するコメントは、ちょっと見方が穿っているかなと思う部分があった。
    二三一ページにある「管理はしないよりはしたほうがいい」という記述に安心した。その通りで、教育において管理することの悪影響を考えながらも、やはり管理してしまうし、そうすべきであると思う。
    諏訪哲二さんの本は、考えを深める上で参考にしたいものです。

  • 常に教育批判は、学校体制や教師に偏っていた。
    子どもが批判されることはなかった。

    しかし、本当に子どもは普遍的なもので神聖なものなのか?

    1980年代より子どもが変わった、ということについての本。

    消費社会、私を見ることができなくなった自立した子どもたち。
    その背景について述べている一冊。

    ちょっと本が苦手な私にとっては読みにくかった。

  • ――――――――――――――――――――――――――――――○
    「神」の代理人はキリスト教でも神父や牧師という個別的な人の形をとっている。日本の場合はキリスト教を欠いているために学校の教師にその役割が期待され、教師が知的専門家であるよりは知的専門家プラス「魂」の導き手のような性格を持つようになっていった。218
    ――――――――――――――――――――――――――――――○
    学校が「近代」を教えようとして「生活主体」や「労働主体」としての自立の意味を説くまえに、すでに子どもたちは立派な「消費主体」としての自己を確立している。すでに経済的な主体であるのに、学校へ入って教育の「客体」にされることは、子どもたちにまったく不本意なことであろう。222
    ――――――――――――――――――――――――――――――○

  • かつての「ワル」は、対等をめざして大人に挑戦してきた。しかし、「新しい子どもたち」は、端から自分と大人は対等だと思っている。彼ら・彼女らは、他者との比較を意に介さない。自分の内面に絶対的な基準を持つ「オレ様」になったのだ。「プロ教師の会」代表の著者は、教職生活40年の過程で、子どもたちの変化と格闘してきた。この体験をもとに、巷に流布する教育論の正否を交通整理しつつ、「オレ様化」の原因を探り、子どもたちの「個性化」と「社会化」の在り方を問う。(出版社 / 著者からの内容紹介)

  • 学ぼうとしなくなり、自分を変えようとしなくなった「オレ様化」した子どもの増加について論じた本。
    オレ様化の原因の一つに、「間違った個性の尊重により、子どもが大人と対等と信じて、等価交換を望んでいるため」とあった。
    確かにね。

  • 自分が教師と対等であることを前提に、等価交換を求める子どもが目立ってきている。それは学校に入る以前に、市民社会的な個を成立させるためである。
    後半では、宮台真司、上野千鶴子、和田英樹、尾木直樹などを批判する。

    かなり一方的な批判が後半で展開されていて、残念な感じがした。
    批判をするときに、徹底的に一方的にという方が売れるだろうとは思うが、相手の考えについてよく知らないこともあるが、ちゃんと理解した上で批判しているのか分からない部分もあった。
    結構、凝り固まっている人なのかと思い、幻滅した。上野千鶴子と宮台真司のみを扱って、社会学の批判をするところも残念な感じ。
    また、フロイトにこだわりすぎな感じがした。

  • [ 内容 ]
    大人と対等と信じ、他人を気にかけなくなった子ども。
    「プロ教師の会」代表の著者は教職40年で、この変化と格闘してきた。
    本書はオレ様化の原因を探り、個性化と社会化のあり方を問う。

    [ 目次 ]
    第1部 「新しい子ども」の誕生(教師と子どもは「他者」である 戦後社会の変遷と子どもたち 幼児期の全能感と「特別な私」 なぜ「校内暴力」は起きたのか 変わる子ども、変わらない教師 大人と「一対一」の関係を望む子どもは「一」ですらない 子どもに「近代」を埋め込もう)
    第2部 教育論者の子ども観を検証する(宮台真司―「社会の学校化」か「学校の社会化」か 和田秀樹―学力低下論の落とし穴 上野千鶴子―偏差値身分制と児童虐待 尾木直樹―学校告発はなぜ不毛なのか 村上龍―『13歳のハローワーク』とゆとり教育 水谷修―夜回り先生は「教師」ではない)
    終章 なぜ子どもは変貌し、いかに大人は対処すべきか

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 固い表現に戸惑いました。が、今の親子を表現されていました。恐らく筆者の偏る視点とは違うように、感じます。

  • いわゆる最近の若者論だか、長年教師をやってきた著者ならではの説得力と切迫感で書き上げている。良書です。

  • とても分かりやすかった。前に以前読んだ諏訪さんの作品(この本の後に出版された作品)と同じく、学校教育に資本主義が入り込んで、子供が変わってしまった、という主張だった。この主張は以前から変わっていないのだな、と感じた。しかし、今まで社会は子供を神格化し、地域(社会)、もしくは家庭に責任をなすりつけ、子供の中に原因がある、と考える学者の方がほぼいなかったお話や、内田樹さんと同じく、宗教の重要性に言及しているのが面白かった。最後の教育論者に対する批評は納得できない部分もあったが、考え方の違いが見ることができて面白かった。おすすめっす\(^o^)/

  • 内田樹経由で読む。
    自分も氏の言う「消費社会期」の世代である。
    しかし、幸か不幸か、超田舎であったためか、当時の教育は、とても氏の言う「市民社会的教育」ではなく、むしろ、「農業社会期的教育」であったように思う(中学までは)。
    高校は確かに、消費社会期的だったなと、思う。

    氏の論ずる「近代」の位置づけが、文中で若干揺らぐ部分があり、全面的に賛同できる内容ではないが、主旨はとてもよくわかり、大いに頷ける。

    共同体意識の欠如による個の自立(という勘違い)。これがオレ様。
    言っておくが、このオレ様は「ジャイアン」のオレ様とはまったく異なる。ジャイアンはむしろ、前近代的な姿だ。今の子ども社会にも、ジャイアンが居れば、ここまで無秩序には鳴らなかったのかもしれない。

    「社会化が個性化の前に来る」
    これを実現するために、自分にできることはあるだろうか、と考えてみることにした。

全44件中 1 - 25件を表示

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)に関連する談話室の質問

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)を本棚に「積読」で登録しているひと

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)のKindle版

ツイートする