オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)

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著者 : 諏訪哲二
  • 中央公論新社 (2005年3月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121501714

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)の感想・レビュー・書評

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  • 子どもは親(教師)の思い通りに行かないと思うのだが、それでも80年代90年代と子供たちは代わってしまったと感じることがある。
    「プロ教師の会」というのがあるらしい。論争を煽り、批判する集団なのか?
    2部構成になっており、第1部は子どもが悪い、といことの検証。第2部は教育論者の子ども観。
    ゆとり教育はうまくいかなかった。変わる子ども、変わらない教師。
    教育が贈与から商品交換となった。
    子供たちは、個性=自分独自=他人と異なる、という比較を嫌う。大人と対等な関係を望む。

  •  「時代が変わった」
     「今の子供は昔の子供と全く違う」
     そんな指摘は昨今のいじめ問題を巡る報道の中でも耳にタコができるほど聞かされます。
     が、昔と比べたとき、今の子供達は何が変わり、それがどういう形で現状の問題に影響しているのか、そう変化していった原因とメカニズムは何か。指摘の中身を具体的に知ろうとすると、たいていは復古主義的・懐古趣味的な道徳論だったり、どこかで聞いたような核家族化と個別化の話、そして自分の子供時代の思い出との比較という単なる印象論に終わることがほとんどです。

     そんな中、本書は戦後の社会の変化をつぶさに振り返りつつ、子供達の価値観が変容するメカニズムを説明します。
     本来的に教育というものは、無償の贈与だと本書では指摘されています。その教育の場に経済原理・市場原理が持ち込まれたことで、子供達は消費主体としての個を確立させ、「等価交換」をしようとします。
     例えば、テスト中にカンニングが見つかった子が「自分はカンニングをしていない」と堂々と主張することがあります。昔であれば、しらばっくれる態度の中に、自分の罪悪を自覚する部分があり、ばつの悪さのようなものを抱えていたが、真剣に自分は悪くないと言い張るそうです。これって、交通事故を起こした時に「とりあえず謝るな。謝ると責任を認めたことになり、後で賠償責任が発生する。事実が明らかになるまでは余計な事は一切言うな(もしくは否認しろ)」という態度によく似ています。
     また、授業中しゃべっていたことを注意されたときに逆ギレする子供の言い分を聞くと、自分が授業中に私語をしていたことで発生した害悪と、満座の前で注意されて恥をかかされた罰とが釣り合わない、という「罪刑の不均衡」に対する不満が表明されていた、という例もあるようです。自分のしたこと以上の不利益を被ることを「損(害)」と考える感性って、すごいと思いませんか?

     こういうメンタリティーの子供が増えてくると、教育はなかなか機能しにくくなります。というのは、教育を受けるということは、自分自身に変革をもたらす事に他ならず、「(消費主体の)個」として対等に教師と向き合う形では、その変革自体がなかなか起きないからです。
     実は、塾講師をしていたときにこういうことを感じたことがありまして、こういう子はわからなかった問題を「説明してくれ」と聞いては来るのですが、説明を聞くだけで、手を動かそうとしません。「板書を自分でノートに写しながらロジックを自分の手で追わないと身につかないよ」といっても頑なに手を動かそうとしません(二三度言ってもわからない時は、無理にでも従わせましたが)。こういう子のメンタリティって「聞いたらすらっとわかるように説明してくれ。私が理解できなかった場合はあなたの説明が下手なんだ」というものです。確かにこちらの説明がまずかったこともあるでしょうが、関数とグラフの文章題で3工程くらいかかる問題を一回説明を聞くだけで理解し、できるようになろうとするのは、さすがに虫が良すぎるというものです。本書の中で、生徒に学ぼうとする姿勢(変わろうとする姿勢)がないと教育というのはなかなか機能しないという指摘がありましたが、本当にその通りだと思いました。
     この辺のメカニズムについては、本書を読んだ内田樹さんが『下流志向』の中で詳しく論じていますので、本書と合わせて読まれることをオススメします。

     本書の指摘で面白かったのは、教育の目的についてでした。単なる学力の習得だけではなく、子供を「近代化させる」ことも掲げてあったのになるほどと思いました。ここでいう近代化とは、幼児的な全能感(この私)を相対化し、他者を尊重しつつその中に存在する自分(=個)の意識を獲得させる(=社会性の獲得)ことを言います。
     私は、いじめが固定的・閉鎖的な環境下で起こる事象であると考えていたので、学級については解体すべきだと考えていましたが、本書を読んで学級の必要性を再認識しました。

     もう一つ面白かったのが、著者の「夜回り先生」こと水谷修さんへのコメントです。夜回り先生のやっていることは教育では無く、聖者の救済であるという指摘は、私の夜回り先生に対する違和感を身もフタも無いくらいにクリアーにしてくれました。そうか、確かにあの人のやってることは「救済」だわ(笑)。

     教育というものには、言語化しにくいモヤモヤした部分のメカニズムがあります。本書と内田樹『下流志向』は、それを理解し、考える上では非常に有益な本です。本書は扱っている概念自体が多少ややこしかったり前提知識(といっても入試現代文レベルの近代などの基礎知識があれば十分)を必要とする部分があって、やや読みにくい箇所もありますが、非常に示唆に富んだ一冊で、思考を誘発されるのでオススメです。

  • オレ様化とポストゆとり世代の持つ反社会性や鬱傾向は切っても切れない関係、というのが持論。解決策にはあまり言及されていないらしいが、とりあえず一読したい。

  • 2017/06/27

  • フロイト好き?
    10年ちょっと前の著作だが、SNSが普及した今の状況をどう見ているだろうか。
    現場の意見なので、ああそうなのかとも思うが、教師を唯一神の補完するものとしてとらえているのは納得しかねる。

  • 久々再読。農業社会、産業社会、消費社会という社会の移り変わりで子どもや教育のニーズ、世の中の価値観が変化して来たことは納得。子どもが消費者化してしまうような社会の在り方を実感する。じゃあ、子どもを信用せず、厳しくドライな教育を小学校でも行うべきという筆者の主張については、小学生と日々接した実感からとは思えないし、自分にも実感もない。問題が多々起こる高校現場での実感と解決法を小学生段階から行うというよりも、そういう高校生になる要因は何なのか、小学校・中学校時代にどのような経験を積むべきかを考えたい。

  • まとめとして「グローバル化」が原因としているが,最終的な論の帰結としては些か弱いと感じた。
    子供を一人の個として扱うのは大事な事であり,人権を尊重しなければならないのは当たり前の話として,個の前の社会化に至る去勢はよくわかる話。その“個”が個のまま育つてきている事に警鐘を鳴らす。
    でもやっぱり国民国家教育が原因では無いかと思う,それは日本という国の教育に対する考え方,というところにおいて,だが。
    自分の子の子育てしか見ていない親と違い,教師は自分を通り過ぎる子供達を幾世代にもわたって見続けてきておりその変容について最も身近に感じている,というのにはふむふむなるほど尤もだと頷く。
    なんであれ子供達は大変だ。
    そして読み進めて行くうちにある事が確信へと変わったのが……最近ネトウヨと呼ばれるものたちがネットで騒がれているが,まさにコレ(オレ様化)した者達ではないか,と。

  • 納得するところがそれなりにあった気がする。

  • 「プロ教師の会」代表が「子どものオレ様化」を軸に、教育を論じているのが本書。

    「オレ様化」とは? ただ生徒がエラソーになったというだけのことではない。かつて「生徒」というものは、人格的にも知識的にも半人前で、教師から一方的に「贈与」を受け取る存在だった。しかし社会の近代化にともなって、子どもは変わった。大人と対等の存在、教師と対等の1人の「個」として現れてきた。教師-生徒関係が、「贈与」から「商品交換・等価交換」になってきたのが、教師の権力の失墜→学級崩壊→不登校・いじめ・援助交際・ひきこもり、へとつながっていくのだ……と本書は説く。

     いつの時代も子どもは変わらないとか、子ども1人1人に合った教育をしなければならないとか、子どもが自ら学ぶ姿勢を大事にとか……そういう考え方を著者は教壇に立ち続けた経験から「甘い」と切って捨てる。子どもたちにまず必要なのは「個性化」ではなく「社会化」であると。

    「子ども」と「学校」の関係だけでなく、「子ども」と「社会」との関係を織り込んで展開される論理は、教師としての実感に支えられているぶんだけ、他の教育論者に比べうわすべりしていない。第1章の論理に従って、第2章で宮台信司、和田秀樹、上野千鶴子、尾木直樹などの教育論が批判されるが、一理あるなぁと思う。
     しかし、本著に従えば、「子ども」の変化に対応するには、「学校」を変えるだけでは足りない。「社会」が子どもに注ぐ視線も変えなくてはいけない。それをどうするかまではさすがに荷が重いようで、明確に言及はされていない。それは読者1人1人の課題となるだろう。
     また、本著で展開されているのは、しょせんは「精神論」であり、学校のカリキュラムをどうするか、入試をどうするかという現実的な施策を超えたところに成立していることを忘れてはならない。難しいのは、「そっから先」なんである。

     先生や親が子どもと友だちのような関係を結びたがったり、小学生のうちから「個性を伸ばす」教育を施したり、学校に「市場原理」を持ち込もうとしたり……つーのは、この本をあてにすると、かなりヤヴァイことのように思える。「ゆとり教育」か「詰め込み&反復」か、「生きる力」か「学力」か。そういう二項対立の図式からすこし視点をずらして考えるために、悪くない本だと思う。

  • 2007年くらいに買って読んだんじゃないかなぁ…と思います。
    小林よりのり氏推せん!!
    ワシ様もオレ様が嫌いだ!!
    と帯にイラスト付で描いてあります。

    この本は、今パラパラ見ると、アクがない感じにすら、受けてしまう…。
    その理由は簡単。
    大筋が社会通念的にOK採用されているように感じるから。というより、次の段階へ行ったって感じ?

    ただ、買って読んだころは、そうではない世の中の空気が流れていたと思う部分アリ。

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