美しい都市・醜い都市: 現代景観論 (中公新書ラクレ 228)

著者 :
  • 中央公論新社
3.40
  • (9)
  • (34)
  • (52)
  • (8)
  • (1)
本棚登録 : 346
感想 : 38
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121502285

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • レポートの題材として手にとった本書。

    個人的には日本橋の上を走る首都高速の景観がどのように考えられているかを知りたかった。
    そもそも美的感覚は極めて主観的なものである。
    その「美しさ」をまち・景観に当てはめる際には相当な注意を払う必要がある。
    他の書籍の表現を借りるのであれば、
    ”景観とはある一つの建造物をさしたものでもなければ、単に視覚的な印象に立脚するものでもなく、周辺の諸環境との調和を第一義的に考える必要がある”
    とのことである。

    その点を鑑みれば、
    欧米の都市は○○の点がよく、日本にはかけているので導入すべきだ的な物言いには疑問を感じる。
    単なる無い物ねだりである。
    いくらパリのシャンゼリゼ通りが美しいからといって、東京で同じ物を求めるのは不可能である。
    景観の個別性の強さを考えた上で、議論する必要がある、
    とまとまらないながらにも感じました。

  • 面白くなかった。

  •  建築学科の1年生に美しい景観の写真をとってこさせると、はりぼての結婚式場とか、カミソリ3階建戸建てをとってくる話が始まる。

     それ自体、びっくりするが、僕自身はきちんとした建築の教育もうけていないのに、建築学科1年生がとってきた写真は全部×だなと思う。それも自分でなぜかなと思う。

     その一方で、渋谷の雑踏とか、今はちょっと駅前がきれいになったが秋葉原の問屋街とか、香港とか上海の旧市街は好きだし、なんか圧倒されるアジアの息吹を感じる。それを景観上だめという伊藤滋先生の指摘もついていけない。

     五十嵐先生は、平壌までいって徹底的に統制のとれた都市計画、建築を説明して、これがいい景観かといわれると、先生同様納得できない。

     でも自分で大事にしたいという景観というポジティブリストはある。三陸の山並みや海岸の自然、鎮守の森、そういうのを緒雑な造成計画などでこわんさないでほしいこと。また、上村さんが指摘した保育園の隣の高層マンションなど。

     概して、自然については自分も断固とした判断ができるが、建築物の景観については、自分も悩むし、自己中心的になってはいけないなと思う。

     勉強になりました。

  • (111017)
    美しいか否かという基準はどんな理由をつけようか人間の主観でしかない。それ故に生じているであろう著者の発言の矛盾は客観的に受け止めてあげるしかない。
    それよりも、本書の有用性は、多くの事例や意見(偏りはあるが)を引用することにより、美しさとは何かという問いに対する答えを出すための手助けをしてくれるところにある。

  • 首都高の道路は本当に醜いのか?、上海に未来都市をイメージするように、日本橋にかかる首都高こそ東京のモダニズムを体現していたと100年後の人々は振り返るかもしれないという視点は新鮮だった。

  • 色彩、押井守、北朝鮮の話がおもしろかった。

    赤・白(日本的)の秋葉原と青(外国的)の渋谷。
    こういう切り口の景観論もあるのかー

    中華ゴシック論。

    過剰防備について。
    資本主義・自由経済では監視カメラやセキュリティによって、
    社会主義・共産主義では主体思想を顕現させる装置(モニュメントや計画的都市造営)によって、
    実現されるということ。


    等々…門漢外なのでおもしろい視点がいっぱいあった。

  • [ 内容 ]
    日本橋の首都高移設や景観法制定など、「美しい国」をつくる動きが始まったが、「美」とは何か?
    新世代の論客が、平壌取材からアニメの中の未来都市まで、縦横無尽に検証する。
    写真多数。

    [ 目次 ]
    第1部 二十一世紀の景観論(醜い景観狩り 景観を笑う 日本橋上の首都高速移設を疑う 渋谷のドブ川とソウルの清渓川 テーマパーク化する都市 東京の色彩と広告)
    第2部 計画とユートピア(アジア・メガロポリスの建設と破壊―香港・上海・深〓(せん) 押井守の未来都市 幕張はいかにつくられたか 管理空間が生みだす“都市伝説”―ディズニーランド・筑波・都庁舎 ユートピアとしての平壌 過防備都市・再論)

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 視点が良いと思う。確かに景観論争は、独裁国家の様相を帯びているし、善と悪に二分して悪を潰すことを正当化している。
    途中、中だるみするが、最後までしっかりと書かれていて好感を持った。五十嵐太郎さんは目の付けどころが良い。今まで見過ごされてきたようなことを意図的に論じるので読者の中でも新たな発見がある。実に刺激的な人だ。他の著作全て読んでみようかと思えるほどの出来。
    (『16章の・・・』は微妙だったが。)

  • 現代の情報化時代における都市の知覚と評価のあり方について述べた本。
    芦原義信に代表される、ヨーロッパ都市計画への憧憬を掲げたこれまでの都市の捉え方とは異なる立ち位置をとっている。
    これまで美しさをよしとしてきた社会に対し、管理されることでなりたつ「美しさ」に、またそもそも主観によって判断される「美しさ」の定義に疑問を投げかけている。

    一元的な解釈ではなく、多方向・多視点的に都市の景観を評価することで、今までとは違う価値感を創造できる可能性があると指摘するような主張には、個人的に共感。

    主張が強い一貫性を持っていて、やや言い過ぎ、ぐらいの表現であるがそのため専門外の一般の人でもわかりやすいと思う。

  • ミラン・クンデラの笑いに対する考察を通低音として置きつつ、「美しい景観を創る会」や日本橋における首都高移転議論などに見られる、問題設定を突き詰めることのないまま目立つものを悪者にして済ましてしまう思考の批判からはじめ、安全・清潔にして美しい理想の都市を実現しているとも言える平壌につなげていく。他にソウルの清渓川プロジェクト、「イノセンス」に見られる中華ゴシック、幕張の開発プロジェクトなど。本文及び各章末の注に参考文献の記載あり。

全38件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

1967年パリ生まれ。東北大学大学院工学研究科教授。博士(工学)。建築史・建築批評。1992年東京大学大学院修了。ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2008日本館コミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術監督。
主な著作に『過防備都市』(中公新書ラクレ、2004年)、『建築の東京』(みすず書房、2020年)、『様式とかたちから建築を考える』(菅野裕子との共著、平凡社、2022年)がある。

「2022年 『増補版 戦争と建築』 で使われていた紹介文から引用しています。」

五十嵐太郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ケヴィン リンチ
中沢 新一
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×