知の分類史: 常識としての博物学 (中公新書ラクレ 236)

著者 :
  • 中央公論新社
3.12
  • (3)
  • (3)
  • (15)
  • (4)
  • (1)
本棚登録 : 98
感想 : 19
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121502360

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • [ 内容 ]
    「知る」とは分類すること。
    分けられれば、それ即ち知ったことになる。
    古今東西の分類術を紹介し簡単かつ画期的な知的生活術を伝授!

    [ 目次 ]


    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • タイトルを見た瞬間に“胸キュン”の一冊。森羅万象を分類し記録・保存するという、人間の叡智とそれに費やされたであろう膨大な時間と体力の結晶=博物学を一冊の新書で簡単に紹介しているとは、著者の着眼点にただ脱帽。知的好奇心をくすぐりまくる刺激的な一冊。この本を読んでいて改めて感じさせられたのは、「編集者の客観性問題」ともいえるものだ。百科全書というと一つ一つの事物を列記し、それに“客観的な”説明を加えてあるものというのがおよそイメージされるところだが、知をすべて記述しようとする試み以前にも、洋の東西を問わず物語や日記のような私的(主観的)な記述の中にも、世にも珍しいとされる動植物や鉱物などが記述されており、それらの集積もまた当時の人々(当然読み手は限られていたが)にとって百科事典的な意味合いをもっていたことである。また逆に、“客観性”を保った百科全書であっても、その構成を見ると、編者の生きた当時の、世界の分類のあり方(世界観)の反映が見て取れ、編集権を持つ個人の私的判断結果の(それは時に挑戦的な)記録でもあるということだ。それらをもって客観性が担保されていない、完成度が低いと切り捨てられるのは、あまりにも「もったいない」。テクストというものの有難みがわかる好著だ。

著者プロフィール

1955年、神奈川県生まれ。出版社の編集者を経てライターに。実用書、科学関係の書を中心に活躍中。

「2008年 『家電・デジタル機器業界大研究』 で使われていた紹介文から引用しています。」

久我勝利の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×