日本の戦時下ジョーク集 太平洋戦争篇 (中公新書ラクレ 250)
- 中央公論新社 (2007年7月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121502506
感想・レビュー・書評
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吉本興業の行く末…笑ってる場合じゃないよ、なんてことで芸人が興行できなくなる、古川ロッパが漢字に改名される、といった芸能向きのことがやや細かく書いてあり、桃太郎の海鷲なんてアニメもあるのね。ジョークと庶民の生活やら芸能と絡めた書き方の強度が弱かったが、変わった角度から書かれたものに変わりなく、ほーとなることがちらほら。
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興味深い、人間は笑いなしには生きられないのだと痛感した
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新書文庫
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先日読了した「日本の戦時下ジョーク集 満州事変・日中戦争篇」の続編です。
玉松ワカナ・玉松一郎、古今亭志ん生、横山エンタツ・花菱アチャコなど、あまり演芸に興味のない方でも一度は耳にしたことのある芸人のジョークが盛りだくさんで楽しみました。
「―満州事変・日中戦争篇」のレビューでも書きましたが、戦時下でも人は笑いを求め、かつまた楽しむことが出来るのですね。
戦時中を「暗黒時代だった」と単色に塗り込めるのは誤りだと改めて感じた次第です。
窮乏にあえぐ終戦間際でさえ、国民は笑いを求めました。
昭和20年3月9日から10日にかけての東京大空襲では、死者8万8000人、罹災者100万8000人、全焼家屋26万7000戸の甚大な被害が出ました。
しかし、その東京では、焼失を免れた神楽坂演芸場名人会が直後から営業再開。
警戒警報が出ると寄席は休みになりましたが、開演中に警報が発令されても客は慣れっこで「いいから演れ、演れ」とあおったそうです。
たくましいというほかありません。
4月に米軍が沖縄に上陸し、当地では地獄のような時間が流れていた同じ時期、東京浅草では帝国館と電気館という2つの劇場が営業再開したそうです。
小さい島国ですが、戦禍の光景は一様ではないようです。
「暗黒一色」ではない戦時中の多様な国民の姿を垣間見ることができます。
「自虐史観でも自慢史観でもない、等身大の大衆文化に、もっと焦点を当てていくべきではないかと思う」という著者の問題意識に私も満腔の思いを込めて共感します。
「まえがき」が大変示唆に富む内容でした。
著者は本書を執筆するために取材したそうですが、一部の人から「不謹慎だ」と露骨に嫌な顔をされたそうです。
一方で、戦時中を知る世代の何人かの人からは「ぜひ書いてほしい」と励まされたとか。
「『不謹慎』という言葉を使う人が全員、実際には戦時中を知らないはずの戦後生まれの人たちだったということは、興味深いことである」
非常事態→笑い→不謹慎、と恐らく機械的に判断してしまうのですね。
でも、そういう人に限って実態を知らないし、知ろうともしない。
そういうことだと思います。
これは今のメディアの「自主規制」に通じる警句としても読めるのではないでしょうか。
そういえば、全然、文脈は異なりますが、本書を読んでいる時期にSNSで、反戦論者に対して「GHQに洗脳された人たち」と断じる投稿を目にしました。
GHQによる洗脳はつとに知られている話ですが、しかし、何も反戦論者だけが「洗脳」されているわけではありません。
いわゆる対米追従の保守派の中に「GHQによる洗脳」を口にする人が多いわけですが、私はいつも強い違和感を覚えます。
というのも対米追従こそ、GHQによる洗脳の最高度の達成だと思うからです。
私自身は、今でこそ米国は同盟国ですが、いつか捲土重来を期すという誓いを胸に秘めています。
もちろん、あくまで気持ちの上でという意味で、物理的に米国に対してどうこうしようということではありませんし、どうこうしようもありません。
でも、「いつか見てろよ」という人以外は皆等しく洗脳されていると見るべきではないでしょうか。
対米追従の保守派が「GHQによる洗脳」を口にすることは、まさに天に唾する行為だということを自覚した方が良いように思います。
えーと、何の話でしたか。
そうそう日本の戦時下ジョーク集でした。
それでは最後に、昭和18年のジョークのひとつを、自戒も込めてご紹介します。
●「馬鹿は誰?」
叔父「坊や、馬鹿な人に限って何事もいいきるんだ。利口な人は、決して物をはっきりいいきらぬものだよ」
子供「叔父さん、それは本当かい」
叔父「本当だとも」
(『富士』大日本雄弁会講談社、昭和18年12月号) -
『満州事変・日中戦争篇』でも思ったのですが、毛髪ネタが結構ありますね。やっぱり昔から人々の悩みのタネなんだなぁ(笑)。
それにしても……いつもいつも思う事ですが、実際に自分の命が危険に晒されている場合とそうでない場合の落差ってのは凄い。
『兵隊万葉集』の中に収められている血みどろの短歌が詠まれていた同じ頃、内地はまだまだ明るい生活が営まれていた。
自国が戦争をしていても、頭の上に爆弾が降って来ないうちは結局対岸の火事。
例え身内が命を落としても、“自分自身”の身に起きない限り、誰もその恐ろしさは分からないものなんですよね。
私はよくアメリカの犯罪ドラマを観ますが、帰還兵が起こした事件を取り扱った作品も多くあります。それらを観ても、同じ戦争をしている国の国民でも、生命の危険に晒された人とそうでない人とのギャップを感じます。
その事が凄く恐ろしい。 -
ジョークとしての洗練度に欠けていたとしても、それも歴史として可能なだけ大量に収録するなどして、分量がもう少しあればさらに嬉しい。
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隣組の歌と戦後のドリフのメロディは同じ。
隣組の歌詞は、
とんとん とんからりと 隣組
格子を開ければ 顔なじみ
交わして頂戴 回覧板
知らせられたり 知らせたり
とんとん とんからると 隣組
あれこれ面倒 味噌醤油
ご飯の炊き方 垣根越し
教えられたり 教えたり -
正直笑えません。
でも、どんな状況下でも言葉遊びを忘れないんだなあ。 -
太平洋戦争時、日本国民は様々なジョークで逞しく生きていた。
当時流行っていたジョークを戦況に照らして
時系列で書いたこの本は、戦争というものを一風変わった視点で書いているようだが、
これもまた戦争の一部であり、民間人の生活からの情報(ジョーク)により、
戦争というものをより身近に、より現実的に考えることができた。
どんな時代であれ、人々は笑いを求める。
つらい時にこそ笑いを求める。
言論統制などで、戦況が変わるとジョークの内容も変わっていく。
それでも、それらのジョークは多くの人々の癒しや、
救いになったのではないだろうか。
とても読みやすく、再読したいと思う一冊である。