生徒たちには言えないこと - 教師の矜持とは何か? (中公新書ラクレ)

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著者 : 諏訪哲二
  • 中央公論新社 (2012年6月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121504197

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生徒たちには言えないこと - 教師の矜持とは何か? (中公新書ラクレ)の感想・レビュー・書評

  • 元公立高校教師である著者が、学校教育についてかなり赤裸々に語っている。
    日教組のことやら、組合派閥のことやら。
    そんなこと書いて大丈夫!?と思わず心配したくなる内容も。

    大きくいうと、「学校は建前を教えるところである。教師は決して真実を教えてはならない。大人になるにつれて、子どもなりに世の中の真実をつかんでいくものだ」という内容。

    また、80年代以降、いじめや軽犯罪をした子どもに話を聞くと「そんなつもりではなかった」などの答えが多くなる。決して、「やったこと」に対して述べず責任を取ろうとしない・・・という内容も書かれていた。けっこう納得。「やったこと」より「思ったこと」に親も重きを置きがちなのでは。

    読了になかなか時間かかった。。

  • 諏訪哲二は「オレ様化する子どもたち」のイメージだけが先行しがちである。しかし本書を読めば、一番「オレ様」なのはこの諏訪哲二自身であることがわかる。

    現代の教師は質が低下しているとよく言われるが、本著に書かれている諏訪哲二の自分語りが本当ならば、80年代の教師でさえも「リアルにこのザマ」である。

    筆者はとにかく「してやったり感」と「自分はとにかく被害者」意識が強い。とくに最後の数ページは完全なる濡れ衣でひどい目に遭った、と自らのたまっているのはもはや見るに堪えない。
    こんな本から教師像を大真面目に学ぼうという人がいないことを強く願う。

  • このひとの本読んでると、ほんまにわくわくする。
    たとえば、人間は平等である、というのが建前だとすると、人間は不平等にならざるをえない、というのがこのひとのいう真実。で、教育のたぶん、初期段階のことを言っているんやろうけど、そこにおいては真実ではなく建前を伝える必要がある。
    わかる気もするけど、そういう論理になる理由をもっと見せてほしかったな。「真実を教えると、子どもはそれ以上学ぶ気を失う」というふうな記述があって、かろうじてそういう理由なのかな、と思ったけど。
    うん、やっぱりもうちょっと深めてほしかった。

  •  「学校」という場所が近代においてどういう場所であり、そこで「教師」はどのような存在としてあるべきなのか、ということを三十年以上の教師生活から分析したもの。正しいことを教えるのではなく、近代人として成長するための建前を教える場所である、学校は強制の場である、といった論が展開されている。
     帯には、「教師業が、かくも困難でアクロバティックだとは!現場発!『プロ教師』渾身の教育論」とあり、教師という仕事が色んな意味で(教師を演じる人間、教師という仕事に対して生徒や保護者、校長、政治、社会のそれぞれが求める像など)矛盾に満ちていることを述べている。ただ、著者は1941年生まれでこの本を書いた時には既に70歳近くだし、2001年には退職している。「現場発」と言ってももう10年以上前の話で、実際著者の言いたいことを支える部分は、「60年代は」「70年代は」「90年代になると」といった、昔話に終始している。しかもだいたいは当時を振り返っての、周囲に対する不満を吐露しているだけのような感さえある。K女子高と名前を伏せて、内情を暴露しているが、著者の経歴が川越女子高と書いてあるのだから、伏せている意味もないし。「いま公教育の教師はあまりにも正当に評価されていないように思います。本書は社会の根底を担っている無名の教師たちへのエールの書」(p.222)となっているが、「今までおれよく頑張って来たよね」という本でしかない気がする。(13/11/16)

  • 「建前」が大切なのだということ、「社会的な個人」と「内面的な自己」を分けて考えるべきだということ。転職して10年ほど、教えるということに携わっている。いずれも、その中で体感していることと一致している。

    それでも、いくつかの点は、どうかなぁと思うところもある。その背景にあるのは、社会の方がもっと急速に進んでいて、教える側のある種の権威を回復するためには、結局のところ、教える側の一人ひとりの力量に依存するところが多いのではないかという点、もうひとつは、この本の文脈で言えば、「それ、ありかよ」っていうような先生をどう対処していくのかが弱いという点にあるように思う。

    それは、警察官の不祥事に例えるとわかりやすい。単に権力を握っているというだけではなく、「警察官はエライんだ」というシンプルな権威がなければ、警察官という職種は成立しない。とはいえ、毎回のように不祥事が続くと、「エラソーに言ったって…」という風になってしまうのが普通の感覚だと思う。教えるという職種も同じなのではないだろうか。どこから始めるのが正解とはいえないけれど…

    とはいえ、日頃もやもやしていたことを理論的にすっきりさせていただいた感じがする。

  • 文章中に()が多くて、少し読みづらかった。
    ・子どもにはまず建前を教える必要がある
    ・教師も生徒も同じ人間だという真実は子どもからまなぶ姿勢を失わせる可能性がある

  • 教師としての矜持。もってなくちゃやってられない。よがらず持ち続けたい。

  • 自分の教育観の脆弱さを思い知らされた本。耳触りの良い「建前」と、直面している「真実」を区分けして考える視点を、この本から得た。

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生徒たちには言えないこと - 教師の矜持とは何か? (中公新書ラクレ)の作品紹介

「真実」を子どもに伝えるのは危険だ。教師は「真理」を生徒の感性や知識や現実に合わせて組み替え、「建前」を教える必要がある。だが、このような教師業の"アクロバティック"さを、教師自身も世間もわかっていない-「プロ教師」の著者が教師業の知られざる本質を解き明かす。

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