グローバル化時代の大学論2 - イギリスの大学・ニッポンの大学 - カレッジ、チュートリアル、エリート教育 (中公新書ラクレ 430 グローバル化時代の大学論 2)
- 中央公論新社 (2012年10月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121504302
感想・レビュー・書評
-
関心あって良く知らないイギリスの大学について知りたく読了。オックスフォード大のチュートリアルや試験の話は大変興味深い。これが教員と学生の互いの本気を引き出す歴史に裏付けされたシステムなのだろう。
また、潮木氏の解説が本書にadd valueしている。
〜学問は旅である。行く先のわからない旅である。一ヶ所に閉じこもっていては、新しいヒント・アイディアは生まれてこない。アルキメデスが風呂からあふれ出る水をみて、思わず発した「これだったのか!」(エウレーカ体験)、世界のからくりを知った子供が発する「アハー体験」、自然科学者が注目する「セレンディピティ」。これらはいずれも「突発的な認識」こそが、新発見の鍵であることを物語っている。〜詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
有用
-
オックスフォードの教育のあり方がレポートされている。基本は、多くの課題図書を読んでエッセイをつくり、それをもとに教員と学生2,3人で議論する「チュートリアル」。オーソドックスだが手間のかかるそうした営みをきちんと行うことが、エリート(「教育された市民」)には必要である、という。ただ教員が講義する内容を理解し記憶するだけの日本の大学教育では、本当に考える人間は育たないということであろう。様々な雑誌・機関誌に書かれたものを一つにまとめているので重複が目立つし、掘り下げた探究はあまり見られない。日本でエリート教育を行うなら、どうすれば良いかという具体的な提案が、最後に述べられている。
-
イギリスの大学がどういうものなのか、というのが書かれている。日本の大学はこのようになるべき、とかいう話ではなく、そもそも、文化が違うとしかいいようのない大きな違いで興味深く読むことが出来た。
-
終章の「学修時間の確保を提言の中心に置かざるを得ないところに、日本の大学教育問題の根深さが表れている。」という所に、思わずひざをたたいた。
-
東大・オックスフォードで教鞭を取ってきた著者は、
イギリスと日本の高等教育の違いについて、
入学後の教育と学習に大きな違いがあるといいます。
それは、学問共同体としての多様性。
そしてその一番の売りが、ワールドクラスの教員が提供する、
議論する力を育てるためのチュートリアルだというのです。
オックスフォードの教授たちは、
チュートリアルの意義に関連して、大学教育の使命を次のように語るそうです。
「高等教育とは、批判的な思考をリベラルな教育を通じて発達させることである」
言葉の上では日本でも耳にするフレーズですが、
講義を聴くことを中心とした教育(日本)と、
読んで書いて議論する学習(英国)との違いがはっきりしていますね。
それは徹底して考えることを教育の中心に置いているか否かの違いでもあります。
その結果、大学教育を通じた「伸びしろ」に違いが出てくるのです。
この大学では、会話の中で、何を学んでいるのか、専門は何かを聞くときに、
「何を勉強しているのか=〝What do you study"」
とはいわずに、
「何を読んでいるのか=〝What are you reading"」
と聞き、答える側も〝I am reading history" などと答えるそうです。
学ぶことの中心には読むことがあり、読むべきものがだいがい決まっている。
しかも、半端な量ではないのだそうです。
そういう時間の積み重ねが
英国の教育の中核を占めているのである。
「高等教育での特徴は、いずれは時代遅れとなざらるを得ない知識を
つねにアップデートする方法を学ぶ能力を身につけるということである」
という言葉は私の心にも響きました。
それから、
「学問は旅である。
一か所に閉じこもっていては、新しいヒント・アイディアは生まれてこない」
という言葉もいいなと思った。
一度でいいので、海外の質の高い講義を超まじめに受けてみたいなーとも思ったりした。