ちっちゃな科学 - 好奇心がおおきくなる読書&教育論 (中公新書ラクレ 551)
- 中央公論新社 (2016年4月6日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (195ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121505514
感想・レビュー・書評
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かこさんの「子どもはまわりの自然、小自然があればいいのです。」という言葉にハッとさせられた。息子は都会にいても小さな虫を見つけて嬉しそうに観察している。もう少し自然のあるところで子育てしたいと思っていたけど、わたしの言い訳だったと気付かされた。
これからは子どもの昆虫観察にももっと気長に付き合えそう。そうゆう時間が子どもの感性を大事にすることになるのかな。
図書館で何となく借りたけど、かこさんの子どもたちへの愛情が伝わってくる素敵な本だった。
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対談集も福岡伸一も苦手なんだけど、読んで良かった!
スラスラ読めたし、なんだ福岡氏面白いじゃん!
理系・文系というくくり方についてのお2人の意見は、ウチの子やその同級生にも聞かせてあげたいものだ。
幼少の頃から超オタクという人が希望の道に進み易い受験制度になるといいのにな~と思った。
でもって、超オタクにもしっかりと教養全般を身に付ける機会や時間を取らないといけない。
たまたま今朝の「天声人語」にもあったが、身近なところにも小自然があり、興味さえあれば何でも科学する対象に成り得るということ、親が気づき、子にもそういう視点を持たせてやることが大事(っていうか、子に元々そういう視点はあるかもしれないので否定しないことが大事)。
若い人にも読んで欲しい。
学校の先生にも読んで欲しい。 -
子ども達の目線で考える世界。
人はもともと知的な存在。知識を獲得し理論を形成しようとする。そのエンジンの1つに好奇心。子どもの好奇心を刺激する遊び,絵本,環境とは。
総合的な学習の時間についてのかこ氏の考えが収められている。食を基軸に分化させずに知を総合する方法。
寄り道が大事。まさにそう思う。無駄のない最短距離の知識構築は応用が利かない知だと思う。遊びをつくることで創造性も高まる。大人の生き方を子どもは見ている。子どもが自分は自分で育てるものだと思えるような大人がいる環境,これが大切だなぁ。 -
図書館の新着棚にあって借りてみた。
一部書き下ろしだが、ほとんどは既発表の文章の再構成。
福岡ハカセの本も、かこさとしの本もいくつか読んでいて(あー読んだことあるなあ)という話もあったけど、「読書&教育論」という切り口がおもしろかった。
時間の話と、世界はマップヘイターというところが、とくに。
▼かこ 時間というのがひとつのエネルギーみたいなものだから、生物がこれからどうなるかということを解明するために、この先の問題は「時間を解明できる能力」を人間が十分にもたないと、思考がそこで止まってしまうのではないかと思っています。
福岡 時間の問題というのは、これまで生物学がきちんと扱えなかった問題です。生物というのは絶え間なく動いていて、同じような繰り返しに見えるかもしれないけれども、実は一回として同じことが起こらず、常に流れているものですよね。それをとらえようとすると、必ず時間を止めて、その断面を見ないと見えないんですよね。そうして私たちは顕微鏡とか分子生物学とかを使って対象を見てきたわけで、いろんなことがわかったつもりになっています。
しかし、そのとき時間は止まっているし、細胞はいわば「死んでいる」状態です。そこで記述された因果関係はそのまま生物を説くものではなくて、微分的な一断面にすぎないのです。本当は絶え間なく流れているものを、流れているままに記述する方法はなかなかありません。それがどこへいくのか見極める方法もなかなかない。
いまかこさんがおっしゃったことは、今後の生物学に課せられた大きな問題提起なんですよ。(pp.62-63)
6章 マップラバーの読書とマップヘイターの読書
(扉)
福岡ハカセによれば、世の中には、2種類の人間がいます。
地図を作るように世界を認識していく「マップラバー」。
地図などなくても世界のことは知り得ると考える「マップヘイター」。
目的地にたどり着くために、必ず地図を広げる人はマップラバー。
一方のマップヘイターは、知らない土地に立ったとしても日ざしから方位を認識したりして、周囲との関係性をもとに自分の進むべき方向を判断できる人です。
その傾向は、本の好みにも表れるそうです。 (p.160)
▼世界はマップヘイター
生命とは何か。生物学者として私はそれを考えてきました。ある生命の全体を見ると、いかにも設計的にできているように見えます。しかし、細胞のひとつひとつに着眼してみると、細胞は体の全体像なんてまったく知りません。地図を持ち、自分は体のこの辺にいる、と役割を自覚している細胞などないのです。細胞は、前後左右上下の様子だけを知りながら、それでいて全体のひとつとしてそこにいる。たとえるなら、ジグソーパズルのピースのようなものです。ひとつひとつのピースは全体のことなど気にしません。単純に、隣り合わせになっているピースとの相互作用だけが成り立てば、全体が成り立ちます。
細胞ひとつひとつは、究極のマップヘイターです。全体を気にしないマップヘイターとして細胞は行動しながら、全体としてはうまく調和がとれる。なるほど、生命とはこのようにできているのか、と気づいた私は、生物学者であるかたわら「動的平衡」をキーワードに本を書くようになりました。
私は、人生の大半をマップラバーとして過ごし、昆虫を追いかけ、地図を愛し、小説を読み、遺伝子を調べてきました。そしてその挙げ句に、世界はマップヘイターとしてあるのだということにようやく気がついた、というわけなのです。マップラバーは、ちょうど昆虫図鑑のように、世界をグリッドの上に並べて整理し、把握しようとします。しかしこの方法はずいぶん恣意的ですし、人工的です。世界をどこまで細かく切り取って分類しても、全体を知ることはできません。本当の世界は絶えず揺れ動き、一瞬たりとも同じ姿でいることはないからです。ですから、人間の手で作った地図では、ありのままの世界を表現することはできないのです。(pp.172-173)
そして福岡ハカセは、マップヘイターになって、読む本の好みも変わってきたという。
たとえば、須賀敦子の『地図のない道』(新潮文庫)をあげる。
▼このように私はマップヘイターのようになりたいと思っていますが、確認しておかなければならないのは人間の世界認識の仕方の基本はマップラバーだということです。そうでなければ学ぶことができないし、知識も統合できません。(p.174)
(2016/7/16了) -
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。
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妻が仕事のために読んでいた本を拝借。
なかなかよろしい。
かこさとしさんの本は、読んだことがあったか分からないが、こんな人がいたことを覚えておこう。 -
雑誌、テレビ等からの再録/採録。
身の回りの小さな科学、それに触れる機会があることが重要なのでは、とのことで、いまの自分の子どもとの関わり方(一緒に散歩する、空を見てあーだこーだ言い合う)も、そこそこOKなのかな、と少し背中を押されたような心地になった。
それから、食にまつわる授業計画、朝日新聞(だったかな?)で取り上げられていた私立学校での授業の話を思い出した。「寄り道」する余裕がない、というのも、いまの教育であったり社会であったりの問題なのかな、とは思わなくもない。
あと、自分の子ども時代も含めて、かこさんの本も福岡さんの本もほぼ読んだことがないので、これを機に手に取ってみようと思った。 -
加古さんと福岡先生の子どもと科学のメッセージ。