- Amazon.co.jp ・本 (466ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121600400
感想・レビュー・書評
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「思考と表現」と題された第二巻は、思考と言い表現と言い、それが人間にとってどんな意味を持つのか、あるいはそこにどんな陥穽が潜んでいるのか、といった問題をめぐるモンテーニュの省察がちりばめられている。一見とりとめもない文章が多いのだが、モンテーニュ好みにとっては味わい深い文章揃いだ。彼にとっては、思考や表現はあくまで自己を吟味し、自己を完成するためのプロセスに過ぎない。逆に言えば、それに何の役にも立たない思考や表現は意味がないばかりか有害でさえある。「わたしは、自分の姿を取り出すために、自分を何度も仕立てあげ、作り上げなければならなかったので、もとの型のほうがそれで固まり、なんとかかたちをととのえることになったのだ。」「わたしの本がわたしを作った以上に、わたしはわたしの本を作りはしなかった。」「学問は、・・・よく生まれついた魂にとっては非常に有用な付属物となるが、もう一方の魂にとっては、邪悪な、害を与えるものとなる。」
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中公クラシックス
モンテーニュ 「 エセー II 」
編集訳者 荒木昭太郎
モンテーニュの個人主義やヒューマニズムは ギリシアローマの思想と西洋哲学の中間点に位置しているように感じた。
この巻のキーワードは判断力。「他人の意見は用いず、自分の論拠しか信用していない」と言いきってしまうモンテーニュの凄さ
解説付きの訳のおかげで 飽きずに読みきれた。「確実なことが何もないことだけが確実なことであり、人間以上に悲惨で 思い上がったものはない」がモンテーニュの書斎の梁に刻まれていたという解説は モンテーニュの思想イメージを かなり見えやすくしてくれた
名言「人生というものは、不均等な、不規則な、数多いかたちをとる運動なのだ」
「死というものは キケロにとっては おそろしいものであり、カトーにとっては願わしいものであり、ソクラテスにとっては どうでもよいものだ」
「わたしが本のなかに求めることは、まともな時間の使い方をして、いくつかの楽しみを自分に与えようとすることだけ〜わたしに立派に死に立派に生きることを教えてくれる学識だけを求めている」
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やっと2冊目です
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モンテーニュさんは記憶力がないと仰る。これだけの長い本をしかも様々な引用を織り込みながら書かれたのだから記憶力がないハズはないと思うのだがそう書かれている。あくまでも自分は大したことがないと言いながら、愚かな者や低俗な者を容赦なく批判している。
人間というのはそういうものなのだろう。多分わかってそう書いてあるのだと思う。
「だれにとっても自分の糞はよく臭う」
などと養老さんが講演で言われたことをさらに過激な表現で書かれている。
ん〜ん…もうなんというかあまりにもあらゆることが詰め込まれていて整理がつかない。とても滋味に溢れていると思うのだがここには書けない。おそらくモンテーニュさんは、「書くよりも身につけろよっ!」と言われるだろう。ともかく混乱。でも、絶対いい本である。
そういえば「科学」という言葉が出てこない。「哲学」と「宗教」しか出てこない。そういえば16世紀の本だった…「科学」が始まる前から人間は生きていたんだった。
Mahalo -
細かく親切丁寧に記事の数々に惚れ惚れします。
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[ 内容 ]
[ 目次 ]
想いをみつめて(暇な状態について;嘘をつく人たちについて;はやい話し方とおそい話し方について ほか)
学識の位置づけ(小カトーについて;キケロについての考察;用事は明日だ ほか)
活動する知(教師ぶることについて;子どもたちの教育について;意見をかわす技術について)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
座右の二冊目