意志と表象としての世界〈3〉 (中公クラシックス)

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制作 : Arthur Schopenhauer  西尾 幹二 
  • 中央公論新社 (2004年10月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121600714

意志と表象としての世界〈3〉 (中公クラシックス)の感想・レビュー・書評

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  • 度外れた歓喜や激しすぎる苦痛というこの二つを避けることができるためには、われわれは休みなく事物の全体的な連関を完全に明瞭に見渡して、それらの事物が帯びていて欲しいと望むような色彩であればこれを実際に自分の方から事物に押しつけるようなことをしないよう、辛抱強く警戒しつづけるだけの自制心を有していなくてはなるまい。p22

    根拠の原理にとりすがって前へ進み、個々の事物にしばられているこのような認識―これを超越し、イデアを認識し、「個体化の原理」を突き破って見ている人、現象の諸形式などは物自体にとって関係がないということを自覚している人だけが、永遠の正義を理解し、把握する人であるだろう。さらにまたこのような人だけが、この同じ認識の力を借りて、徳というものの真の本質を理解することができるただ一人のものであり、徳の本質については当面の考察とつないでやがてわれわれに解明されることと思う。
    つまり今述べた認識に達している人は、意志こそはあらゆる現象の即自態 das An-sich なのであるから、他の人々にふりかかる苦しみもわが身のこうむる苦しみも、悪も禍も、現れ出る現象はたとえまったく異なった個体として成立し、たとえ遠い時間と空間によって距てられてさえいるのだとしても、それでもつねに、ただあの唯一同一の本質にのみ関わりがあるのだということを明瞭に知るにいたるであろう。彼はまた、苦しみを課する人と苦しみを耐えねばならない人との差異はしょせん現象にすぎず、物自体―この二人のいずれのうちにも生きている同じ意志―にはそういう差異は関わりがないことを見破っている。こうした場合、二人のうちに生きている同一の意志は、意志への奉仕にしばりつけられている認識に欺かれて、意志は自分というものを見誤り、その現象の中の一つにおいては幸福を高めることを求めるかと思うと、もう一つ別の現象においては大きな苦悩をこうむらせたりして、こうして激しい衝動に駆られ、意志はわれとわが生身の肉を噛み砕きつつ、しょせんつねに自分自身を傷つけているにすぎないのだということを知らない。こんな風にして、意志はおのれの内部に包蔵する自己自身との抗争を、個体化という媒介を通じて表面にあらわす。p106-107

    世界の本質全体を抽象的に、一般的に、明瞭に概念のかたちで再現し、かくて世界の本質全体が反映している模像として、理性の永続的で不断に用意された概念のうちにこの世界の本質を託すること、これこそが哲学であり、哲学とはこれ以外のなにものでもない。p176

    この世界の掲げ得る最大にして、最重要、かつ最有意義なる現象とは、世界を征服する者ではなしに、世界を超克する者である。世界を超克する者とはすなわち、真の認識を開き、その結果、いっさいを満たしいっさいの中に駆動し努力する生きんとする意志を捨離し、滅却し、そこではじめて真の自由を得て、自らにおいてのみ自由を出現せしめ、このようにして今や平均人とは正反対の行動をするような人々、そのような人々の目立たぬ寂静たる生活振舞い以外のなにものでもじつはない。p181

    彼の眼差しがいちいちの個別的な苦しみから普遍的な苦しみへと高められていって、彼が自分の苦悩を全体の単なる範例にすぎないとみなし、倫理的な点で彼が天才となって、一つの事例は百千の事例に当てはまるものであるという風に考え、こうしてこの生の全体が本質的な苦悩であると把えられ、生の全体が彼を諦念へと導くにいたったとき、そのようなときにはじめて、彼はほんとうに尊敬に値する人物として立つことができるようになるのである。p203

    《第一版への序文》
    本書の中で提示した思想を深く会得するためには、この本を二回読むよりほかに手だてがないことは、おのずと明らかである。しかも一回目は大いに忍耐を要するが―本書では終りが始めを前提とするのとほぼ同じくらいに始めも終りを前提としている、つまり後の各部分が前の各部分を前提とするのとほぼ同じくらいに前の各部分もやはり後の各部分を前提としている―このことを読者の方が自発的に信じてかかって下さらねければ、こうした忍耐は得られないのではないかとわたしは思う。p249

    しかし人生は短いが、真理は遠くまで影響し、永く生きる。さればわれわれは真理を語ろう。
    1818年8月、ドレスデンにて誌す。p259

    【第二版への序文】
    哲学はもう久しい期間一般に、一方では公けの目的のために、他方では私的な目的のために、手段として使われざるを得なかったのではあるが、わたしはそんなことには妨げられずに、もう三十年以上も前からわたしの思想の歩みを追っかけてきた。それはほかでもない、わたしはそうせざるを得なかったからであり、一種の本能的な衝動に駆られて、そうする外には仕方がなかったからである。しかしこの本能的な衝動の支柱となっていたのは、誰か一人が真実のことを考え、隠れたことを照らし出しておけば、それはいつか必ず思索力をもった他の精神によって把握せられ、その人の心を惹きつけ、喜ばせ、慰めることになるであろうという確信である。p256

    いつの世にも、ほんものの著作にはまったく独特な影響力、静かな、ゆっくりひろがる、強力な影響力が残っているものである。あたかも奇蹟によるかのように、ついにそれが喧騒の中から立ち昇っていくさまを世人は目にすることだろう。それはさながら軽気球が、地球空間の濃厚な大気圏を超えて透明な層に昇っていくさまにも似て、ひとたびその層に到達するとそこに静止して、もはやなにびともそれを引き下ろすということは、できない。
    1844年2月、フランクフルト・アム・マインにて誌す。
    p282

  • あとがきに痺れました。

  • ショーペンハウアーについては、岩波文庫で高校生の頃、『自殺について』や『読書について』などを読んで興味を持ち、主著であるこの『石と表象としての世界』も是非読んでみたかったのだが、当時どうしても手に入らず、図書館にも無かった。
    ずっとあとになってから入手可能となったが、なんと、あの西尾幹二の翻訳なのである。大嫌いな西尾幹二なんぞに印税が行くのはむかつくので、購入をためらった。
    やっと今ごろになって、この本を読む気になったのだが、どうやら、遅すぎたようだ。
    現在の私にはあまり面白くなかった。
    主観と客観の対立に対して「表象」を持ってきたり、事物を「意志」のあらわれと見るショーペンハウアーの着想には、別に惹かれるものはなく、本書に散見される論理的甘さや、前提のゆるさ(時代ゆえの部分がほとんどなのだが)のため、どうも積極的に本書を評価する気になれない。最後の「第4巻」で生を苦痛とする、いわゆる「厭世観」が披瀝されるけれども、ここにも今更あまり共感できなかった。
    強いて言えば、古代インド哲学を参照している部分は新しいかな、と思うが、私にとってはあまり新鮮ではない。
    妙に自信があって決めつけるように断定しまくるあたり、心性傾向はニーチェに類していると思った。
    かなり斬新な方向から、現代の誰か鋭い哲学者がショーペンハウアーを解釈し直してくれたら、新たな興味がわくかもしれないが、今の私にとってはつまらない本だった。高校生の頃、これを読めていたら、私はもっとショーペンハウアーにはまっていたかもしれない。

  • 和図書 134.6/Sc6/3
    資料ID 2012200227

  • 愛、生と死、正義、自己肯定、虚無。ショーペンハウアーの説明はなんとも清々しく感じる。

    読んでいて、「そうだ、そういうことなのだ」と自分の内奥に通ずる思いを感じるのだ。

    我が意を得たり。あやふやで悩んでいたことへの理解を与えてくれたことに感謝しよう。



    愛とは無償の献身であること。

    友情とは自己愛と同情の混合であること。

    泣くことは他者への同情を介した、自分への同情であること。

    永続する幸福など無いということ。

    性欲は生を肯定し、死もまた生の一部であるがゆえに生を否定するものではないということ。

    真に正義である人は、自分を肯定し、他人を支配せず、自分の受けた分だけ他人にも施そうとする。
    なんと自立していて格好いいのだろう。

    自分自身を肯定するがゆえに、それが成し得ない状況において、自殺という方法以外に自身の肯定を貫く方法がない。
    自殺についての納得いく説明。だからといって本当に自殺していいわけではないのだが。

    「意志を還元なまでになくしてしまった後に残るところのものは、まだ意思に満たされているすべての人々にとっては、いうまでもなく無である。しかし、これを逆にして考えてみれば、しでに意思を否定し、意思を転換し終えている人々にとっては、これほどまでに現実的に見えるこのわれわれの世界が、そのあらゆる太陽や銀河をふくめてー無なのである。( 244P)」
    たしかに、「無」とはそういうものかもしれない。

  • 「生かされてあることに感謝しなければならない」とかいう説教に切り刻まれそうになっていた私に、
    「いやなことをいやって言って何が悪い」と大声で叫んでくれた本。

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