宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))

  • 80人登録
  • 4.32評価
    • (12)
    • (9)
    • (4)
    • (0)
    • (0)
  • 10レビュー
著者 : 高坂正尭
  • 中央公論新社 (2006年11月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121600936

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
伊賀 泰代
エーリッヒ・フロ...
H.ニコルソン
マックス ウェー...
マックス ヴェー...
ヘンリー・A. ...
有効な右矢印 無効な右矢印

宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))の感想・レビュー・書評

  • 「真実の教養とは、それまでの生活で得たものに自信を持つが故に、新しい状況などには驚かず、『新知識』に劣等感を持たず、堂々と自己の生き方を貫く能力に他ならないのである」(264頁)

    返却期限が迫っていなければ、もう一周読みたかった。そうすればもっと理解できただろうなぁ、と思う。

  • 吉田茂にとって、米ソの協調が破れ、対立関係が発生したことは、その両者の間に介在する日本の価値が増大したことを意味した。それは敗戦国日本にとって乗ずべき機会であった。(p.54)

    現実に可能か不可能かを一応離れて理想を探求し、発言するという知識人の倫理と激突することになった。
    それは悲劇であった。しかし、この二つの倫理のあるべき関係は、つねに衝突しながらたかめ合って行くものなのだ。(p.56)

    吉田は完全非武装論と憲法改正論の両方からの攻撃に耐え、論理的には曖昧な立場を断固として貫くことによって、経済中心主義というユニークな生き方を根付かせたのである。(中略)国民の多くは、日々の生活を維持する努力から、彼らの戦後を作って行った。そして、大きく変化した国際政治は、戦前の夢をいかにもこっけいに見せたから、彼らは日本の未来を経済復興に、そして貿易に求めたのである。(p.71-72)

    国民は政治家を評価するに当って、いちいちその政策を専門的に分析したりなどはしない。多くの場合、制作はあまりにも専門的で、そしてあまりにも難しい。だから国民は彼の感覚に頼る。それはきわめて基本的な美徳を政治家が持っているかどうか、ということから判断するのである。そしてその政治家がまじめであるのかどうかは、その評価においてきわめて重要な項目なのである。(p.140)

    (池田勇人は)時刻の防衛をかなりの程度まで他国に依存するという体制でよいのか、という問題には答えられないままであった。そして、この防衛の問題は、国内体制の問題、すなわち日本には危機に対処するだけの権力構造が存在するかという問題と、不可分の関係にあった。対外的な危機に対処する能力はそのまま国内の問題を解決し、危機を切り抜ける力だからである。(p.147)

    公共部門における優先順位の決定は価値判断と切り離すことはできない。たとえば、教育をいかにするか、研究体制をいかにするかということは、日本の将来を決する重要な問題であるが、その問題は価値の問題と不可分に結びついている。(p.213)

    おびただしい量の涙が流され、得体の知れぬ不安と怒りがかき立てられるのに、それとはまったく不釣合に、結果らしい結果は得られない。それは日本の新聞の基本的な特徴である。そして、人々が漠然と感じている新聞への不安の根源はここにあるのだ。(p.227)

    彼は国際政治において、経済のつながりの持つ意味をきわめて重視した。彼は、一国の外交は軍事力によって自国の利益を守ったり、自己の意思を他国に押しつけたりすることではなく、経済の相互利益の網の目を作り上げ、それを操作することによって、時刻の利益を守ることにあるという認識を持っていた。彼は「外交と金融とはその性質を同じうする。いずれもクレディット(信用)を基礎とする」という言葉が好きだった。(中略)経済を重要視する外交は、経済以外の分野に対する認識をともなって初めて成立するのである。(p.253,259)

    今後ナショナリズムに精神的な価値を与えないことこそ、われわれのもっとも必要とすることなのである。いったんナショナリズムを崇高化すれば、それは絶対のものとなり、それ自身が目的となり、したがって妥協不可能なものとなってしまう。それにもかかわらず、ナショナリズムがその根底に非合理的なものを持っていることは否定しえないのである。(p.261)

    人間とは簡単に変るものではない。実は社会だってそんなに変るものではないのだ。「先日、イリア・エェレンブルグというロシアの文学者が、第一次世界大戦中に書いたという詩を読んだ所が、それには、戦争中のことを後世のものは、人々が砲声と弾丸の雨に怯えて位生活をしていたと思うだろうが、戦争中にもやはり花が咲き、人々はそれを見... 続きを読む

  • 吉田茂論のみかと思いきや、
    吉田以後についても取り上げていた。

    また、一緒に収録されている「妥協的諸提案」も興味深い。
    前からメディア報道に対して抱いていた違和感を
    上手く代弁してもらった気がする。
    ネットの出現で世論の形成がどう変わっているのやら。

    この手の本を読み始める前は、
    吉田茂については講和と安保の人というイメージしか無かった。
    本書により、彼がいかに類稀な外交能力を持っていたことが分かり、
    その能力を戦後直下の状況でどう発揮したかが分かる。
    特にGHQとの駆け引き、折衝にそれを見ることができるだろう。

    そしてその能力と性格故に、復興を始めた時期の日本の政治には
    いかに適さなかったのかが分かる。

  • バランスのとれた吉田茂評。今読んでも鋭い洞察(特に、妥協的諸提案)がちりばめられた一冊。大きなシンボルに頼るのではない、実務的な政治を理想とした筆者の考えに共感。

  • 新書で1500円もするなんて・・・!
    とレジでびっくりしましたが、読み進めていくうちにその価値がある一冊だと感じました。

    本書の主題である「吉田茂」は、日本の現代史を語る上でさけては通れません。なぜなら彼が残した遺産は、今なお日本外交に影響を及ぼしているからです。それが一体何であるかは、是非よんで確認してみてください。

  • 現在の日本を取り巻く国際政治が、突然わき起こったことではなく、過去からの積み重ねであることを、具体的事例で読むことができる。

  •  戦後の日本を牽引した吉田茂に対する高坂正堯先生の論文ですが,扱っているテーマは高坂先生が「あとがき」で書いていらっしゃるように主に2つです。一つは終戦直後の日本を牽引した「吉田茂」に対する論評と戦後の日本の政治の評価,もう一つは「世論と政治の関係」です。
     吉田茂に対しては,「吉田茂は偉大な政治家であった。」とし,戦後直後の日本を取り巻く環境から,吉田茂の取った政策を現実主義的な観点から高く評価されています。他の高坂先生の作品でもそうですが,塩野七生さんとの共通点も多く見られます。特に,現実に根ざした認識や外交に対する姿勢などは,塩野さんとほとんど共通しているといってもいいのではないでしょうか。

     もう一つのテーマである「世論と政治の関係」では,「現在の日本においては,政治と世論の間の有機的な連関が欠けている」ことが一貫して主張とされています。3つ目の論文の「妥協的諸提案」で世論とマスコミのあり方が取り上げられていますが,当時と現在とでは,扱う問題の内容や,マスコミのあり方が変わっているとはいえ,共通しているところも多くあり,40年近く経っても,日本ではこのテーマに関する状況は大きく変わっていないのではないかと考えられるのではないでしょうか。

     日本が直面する課題に対する政治の現状を考えるとき,終戦直後の困難な時期を乗り切った政治家である吉田茂に対する論評と日本の世論と政治の関係を扱ったこの作品が示唆する内容は,まだまだその現代的価値やその意義を失っていないと考えます。

  • 戦後における政治家としての矜持。
    主張が単純・明快であり、初志貫徹であること。
    自分が政治家に求めるものを兼ね備えている・・とそんな単純なものではないかもしれないが、今の政党、官僚に「個としての責任・矜持」を感じられないことの裏返しかもしれない。
    2012年9月のNHKドラマ(渡辺謙さん主演)も待ち遠しい。

  • 戦争で負けて外交に勝った。
    吉田は国際政治について確固たる哲学を持ち、その哲学が指し示す地位を日本に与えようとした。
    吉田は日本とドイツの国家関係を作るためには借款が一番よいと理解していた。国家関係を維持していくには借款がよい。
    日本を復興させるものは教育以外にはない。自分たちは戦争によって国家を荒廃させ、何も子孫に与えるものを持っていなかったが、せめて立派な教育だけはしてやりたいという気持ちを持っていた。
    吉田の葉巻と白足袋姿の贅沢さは、国民の当時の生活とかけ離れていたが、しかし国民はひそかにこ気味よく思っていた。配線によって打ちひしがれていた日本の栄光となごりを見出した。彼が強い信念を持ち、変動する時代の中で筋を通してきた自分つであることを感じ取り、そうした人物を必要としていると判断した。

  •  京都大学法学部教授として、国際政治について鋭い分析を展開した高坂正堯が、戦後政治の中の吉田茂を論じた古典的論説。
     発刊から40年以上たったいまなお、吉田茂論を展開する上で不可避な著作である。

     まず、最初に注目すべきことは、1960年代という年代にあって、保守政治を正面から分析し、一定の評価を与えているということである。
     現在においてもそうだが、保守政治を批判することは、非常にたやすい。現在・過去の政権の失敗をあげつらえば、それで一応まとまりのある論にはなる。

     まして、アメリカに追随して安保を結び再軍備を容認した張本人として、逆コースの親玉として、政権の座に長期に居座った首相として吉田茂について批判的な意見は多い。しかし、高坂は外交官としての吉田のアイデンティティーから、吉田のとった現実主義的な判断を評価する。
     しかし、ここで気をつけねばならないのが、高坂が繰り返し述べている、吉田がいわゆる吉田ドクトリンを作り上げたことを評価しても、吉田ドクトリン自体を恒久的なものとして認識するのは留保すべきということである。

     糊口を凌ぐための手段として建てられた経済重視の吉田ドクトリンを、高く評価してしまうことは吉田が棚上げした問題にいつまでも目をつぶってしまうことにつながる。吉田ドクトリンがじわじわと定着しつつあった1960年代において既にこのような問題点を鋭く指摘している高坂の論調には脱帽する。

     本書は、「宰相吉田茂論」「吉田茂以後」「妥協的諸提案」「偉大さの条件」の4論文から成っているが、真ん中の2つは吉田茂というよりも議会制民主主義と自民党政治について言及している。
     自民党政権が選挙では勝利しながら、国民の高い支持を得られないという状況の中に、大衆が参加しない政権運営、地域利権を主導する自民候補に投票する自民党システムと日本の民主政治の問題点を見いだしている。
     そして、「妥協的諸提案」の中では、国民と政治を結ぶ機関としてのマスメディアのダブルスタンダードな態度についても言及している。

     現在から見れば、広く受け入れられる主張ばかりだろうが、これを40年以上前の段階で、次の時代を見据えて分析している著者の見識は尊敬できる。

全10件中 1 - 10件を表示

宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))を本棚に「積読」で登録しているひと

宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))の単行本

ツイートする