統治論 (中公クラシックス)

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著者 : ロック
制作 : John Locke  宮川 透 
  • 中央公論新社 (2007年9月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121600981

統治論 (中公クラシックス)の感想・レビュー・書評

  • 私は政治権力をつぎのようなものだと考える。すなわち、所有権を調整し保全するために死刑、およびそれ以下のあらゆる刑罰をふくむ法律をつくり、このような法律を執行し、外敵から国家を防衛するにあたって共同社会の力を使用する権利のことであり、しかもおしなべてこのようなことを公共の福祉のためにのみ行なう権利である、と考えるのである。(p.7)

    自然の諸物は共有物として与えられているが、人間は〔彼自身の主人であり、自分自身の身体とその行動または労働の所有者であることによって〕自分自身のうちに所有の大きな基礎をもっていた。そしてまた、発明や技術が衣食住の便を改良したときに、彼の生存を支え、快適にするために彼が用いたものの大部分を構成したものは、完全に彼自身のものであり、他人との共有物ではなかったということである。(p.49-50)

    両親から受けた恩恵の返戻として、子供の感謝の念が要求する両親に対する尊敬や援助などはすべて、子供にとっては欠くことのできない義務であり、両親にとっては固有の特権である。これが両親の利益のためのものであることは、前述の権利が子供の利益のためのものであるのと同じである。(p.72)

    どれほどの人数であろうと、人々が結合して一社会を構成し、その結果、すべての人が自然の法の執行権を放棄してそれを公共の手に委ねるときにはいつでも、そこに、またそこにのみ、政治社会、あるいは市民社会があるのである。(p.91)

    すべての人は、生まれながらにして二重の権利をもっている。その第一は、自分の身体に対する権利であり、ほかの人は、だれもこれに対する権力はもたず、身体の自由な処分権は彼自身のうちにある。第二は、他人に先んじて、その兄弟とともに父の財産を相続する権利である。(p.198)

    次のことだけは私は確信している。すなわち、支配者であれ国民であれ、力づくで君主や国民の権利を侵し、正統な統治の制度と体制を転覆させる土台を置く者は、たとえだれであっても、人間が犯しうる、おそらく最大の罪に値すると私は考えるのである。なぜなら、この者は、当地を粉砕することによって一国のうえにもたらされる流血、略奪、荒廃などの禍のすべてに対して責任を負うべきだからである。そしてそのようなことを行なう者は、まさしく人類共通の敵であり、害毒であると見なされるべきであり、それ相応の扱いを受けるべきなのである。(p.238)

    結論を述べよう。各個人が社会に入ったときに社会に委ねた権力は、社会が存続するかぎりは個人の手には決して二度ともどらず、つねに共同社会のうちにとどまる。なぜなら、もしそうでなければ、共同社会も国家もありえず、それでは最初の合意に反するからである。またそれと同じく、社会が立法権を人々の何らかの集会に委ね、それが彼らとその後継者の手中に引き続き置かれるように定め、かつまた、そのような後継者を任命するための指導権と権威をその集会に与えた場合は、その統治が存続するかぎりは、立法権は決して国民にもどりえない。なぜなら、国民は立法部の手に永久に存続する権力を与えてしまった以上、自分たちの政治的権力を立法部に委ねてしまったのであり、それを取りもどすことはできないからである。(p.251)

  • り、同時に自分自身の保全が脅かされない限り、できるだけ他の人々をも保全すべきである。人間は生来、すべて自由であり、平等であり、独立しているのだから、誰も同意しない限り、自然状態を脱し、他人の政治的な権力に服従させられることはありえない。『人が生来の自由を放棄し、市民社会の拘束を受けるようになる唯一の方法は他人と合意して一つの共同社会に加入し、結合することであるが、その目的はそれぞれの所有物を安全に享受し、社会外の人に対してより大きな安全性を保つことを通じて、相互に快適で安全で平和な生活を送ること(P100)』である。この目的のための主要な手段はその社会で確立された法である。そのため、すべての国家が立てるべき第一の基本的な実定法は、立法権を確立することである。この立法権は、たんに国家の最高の権力であるばかりでなく、協働社会によってひとたび委ねられた人々の手中にあっては、神聖かつ普遍のものである。
    ただし、たしかに立法権は国家における最高権力であるのだが、それは、どんなに大きくても、社会の公共の福祉に限定される。それは『ただ保全以外のどんな目的ももたない権力(P140)』である。
     最後に抵抗権について。もしも、人々の同意によって統治を託されている為政者や国王が人々の生命や自由や財物などへの所有権を不当に奪おうとしたならば、それはそもそも社会形成の動機に反することであり、よって自然法に反することであるゆえに、『人々は為政者や国王に対して抵抗してよい(P14)』のである。このとき、各個人が社会に入った時に社会に委ねた権力は、支配者の手から人々の手に戻るのである。そして、国民は思考の存在として行動する権利を持ち、立法権を自分たちの手の中に持ち続けるか、あるいは新しい統治の形態を樹立するか、あるいはまた、旧い統治のまま立法権を新しい人々の手に委ねるか、自分たちがよいと思うところに従って決定する権利を持つのである。 

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