海洋国家日本の構想 (中公クラシックス J 35)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121601018

感想・レビュー・書評

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  • 高坂正堯 「海洋国家日本の構想」「現実主義者の平和論」など論文集。日本が目指すべき国家像、憲法9条・日米安保・中国・核兵器・世論などの捉え方を提示。

    国際政治学の本で 日本の明るい未来を感じたことに驚いた。

    「日本は 東洋と隣り合っているが 東洋でなく〜飛び離れた西ではあるが西洋でない〜われわれのフロンティアは広大な海にある」は名言


    現実主義者の平和論
    *現実主義者=軍備や権力を否定しない
    *中立論への批判〜同盟か中立かでなく、同盟による勢力均衡を前提として、極東の緊張緩和を図ることを考えるべき
    *日本が武装放棄し中立化しても極東の緊張緩和は得られない

    憲法9条
    *9条の絶対平和=国際社会において日本か追求すべき基本的価値→著者は9条を価値の次元で受けとめている
    *憲法は他の法律と異なり政治的性格を持つ
    *日本の外交は日本の価値を実現するために安全保障を獲得する

    極東の緊張緩和策
    *ロカルノ方式(相互不可侵)
    *兵力引離し(紛争地域の兵力を引離し 緩衝地域を設ける)
    *朝鮮半島は極東の勢力均衡の中心点〜朝鮮統一があるべき姿

    海洋国家日本のためのの提言
    *輸出入のバランスをとって経済を指導する
    *商社を中心とする貿易を援助する
    *海運業を繁栄させる
    *低開発国と海洋の開発を進める

  • 話が何段も飛ばして飛躍する当時の中立論への批判、戦後極西として力をつけた日本が中国の台頭とともに極東であることを再度意識しなければならなくなること、大陸の隣にありながらその一部ではないとゆう点で学べる英国のこと、自民党が外交と世論をその後援会と圧力団体の連合とゆう形から結びつけることができず、野党は具体的な批判を持たないため外交政策が議論されない日本、現代にあっても示唆に富んだ書物と思う。

  •  1960年代前半に書かれた高坂先生の著書で,当時の国際情勢である日本の軍事力に関する話や各国の核武装に関する内容が中心となっています。ただ,現在の国際情勢にも通じる内容が多く,核武装といった具体的な言葉を今の言葉に置き換えるだけでも,十分にその内容は活用できる作品だという印象を持って読んでいました。
     アメリカとの関係,隣国中国との関係,そして日本が海という資源を活かして国際的にどのような位置付けを取って行くことが重要であるのか。この作品が示唆する内容は,昨今の日本を取り巻く国際関係にも活用できる場面が多くあるように思います。日本はやはり「海洋国家」として歩んで行くという認識は,今でも重要であると考えます。

  •  初版は1965年。当時まだ30歳になるかならないかの新進気鋭の助教授・高坂正堯(1934-1996)の単行本としては初めての著作である。

     本書に収録されているのは、1963年から1964年にかけて『中央公論』や『自由』に発表された独立はしているのものの、一貫した問題意識をもった7編の論考である。収録論文はは以下の通り(出典はきちんと調べたわけではないので正確ではないが…)。

     「現実主義者の平和論」
     「外交政策の不在と外交論議の不毛」
     「二十世紀の平和の条件」
     「二十世紀の権力政治」
     「中国問題とはなにか」
     「核の挑戦と日本」
     「海洋国家日本の構想」

     この中公クラシックスというシリーズから刊行されていることからもわかるように、高坂の論は既に「古典」と化し、揺るぎない評価を受けていることはここで改めて言う必要もないかもしれない。
     また、本書の冒頭には、高坂の弟子であり現在京都大学法学部において高坂の後を襲って国際政治学の講座を担当している中西寛教授の筆による立派な解説がついているので、浅学非才の徒が今さら何を付け加えるのも憚られる気がする。
     それでもあえてレビューをつけてみたいという欲求にかられるほど示唆に富んだ著作であることが本書の最大の魅力だろう。

     読み進めながらぼんやりと感じたことだが、高坂は「理論」よりも「直感」の人ではなかろうか?本書に収められている論考は権力政治としての米ソ冷戦構造の中で、非軍事国家である日本という「島国」がいかに舵をとるべきかという目的意識の下に描かれている。

     高坂は冒頭の2篇で、進歩的論壇や社会党の外交論が理想と現実の乖離しているのみならず、その間隙を埋める努力を怠っていると論じている。つまり「非武装中立」や「世界平和」を実現するための当面の具体的方策が存在しないというのである。
     目的を実現するための手段の有無によって、目的そのものも規定されるべきであるとする高坂の指摘は尤もなことである。
     しかし、特に中国問題や核問題を論じる後半の論考において、現状の権力政治をとりまくジレンマから、具体的な構想を高坂自身も示すことができていないのである。
     それもそのはずである。高坂が冒頭に説く実現に向けての具体的な手段を検討するためには、現状の外交状況を精密に分析する必要があるのは自明であるが、高坂はそのような作業を省略しているからである。
     もちろんこのような手法にならざるを得なかったのは、現在進行形でダイナミックに変化する1960年代前半の国際社会とそれに対応する能力を欠く池田内閣や安直な中立論や対米自立を説く世論へ警鐘を鳴らす必要があったからである。しかし、そうではあっても、抽象的な観念論ではなく、具体論の中から今後の方針を探って行く努力をすべきではなかったのだろうか?

     最後に、本書のタイトルともなっている「海洋国家日本の構想」についてごく簡単に述べたい。そもそも高坂の説く「島国」文化論についてはかなり疑問があるが、それは側面的な問題でありここではさておく。正面の問題は日本の安全保障である。
     高坂は、「島国」日本にとってアメリカ第七艦隊を実質的な楯として、事実上核兵器によらない通常兵器による海上防衛を担当している存在とみなしている。高坂自身の論からは、この役割を日本政府が一部でも担うということは一切論じられていない。米ソの均衡状態での核兵器の使用は無いという前提の下、通常兵器をも漸次的に縮小し海上自衛隊は沿岸のゲリラ対策と海洋調査を想定すべきという意見に至っては、とても「現実主義者」とは思えない。
     高坂が何度も述べているように核保有を行わない日本が(というより一般的な国家が)通常兵器においてソ連の侵攻を食い止められる能力を持ち得ないということは、明白であろう。しかしだからといって、通常兵器の存在意義が無くなるわけではない。第二次世界大戦後において確かに軍事力は完全に政治の中に組み入れられ、経済力に比べその意義は相対的に低下したが、そうではあっても軍事力の意義が無くなるわけではない。これは非常に大きな違いである。
     まして、その軍事力を強力な同盟国とはいえ他国に全く依存するという姿勢が、いかに楽観的で非海洋国家的であるかは高坂ともあろう人間がわからぬはずはない。

     本書のもつ意義は1960年代という革新的な時代に、現状の急進的な変革が不可能であるということを説き、漸進的な外交環境の変化を望む高坂の議論は非常に貴重なものであった。しかしながら、その高坂ですら議論のリアリティを追求する姿勢に限界があったということも、既に過去のものとなった「古典」から読み取れるのである。

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