政治学 (中公クラシックス)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (351ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121601131

感想・レビュー・書評

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  • アリストテレスは国家を家族や村落と同じような人間の共同体の一つとしてとらえ、それが人間の自然にもとづくものであって、自然に対立するものではないことを主張し、さらに国家を構成するものはアトム的個人ではなくて、むしろ家族という共同体であり、これが発展して村落をなし、国家にいたることを論じている。有名な人間を「ポリティカル・アニマル」とする規定は、人間が結局においてポリス(国家)を形成する動物であるというのであり、「ロゴスをもつ動物」としての人間規定も、これに一致することを示すとともに、蟻や蜂などの群棲動物と人間とが区別されるゆえんをも明らかにしている。p5

    共同体に入り込めない者、あるいは自足していて他に求めることのない者もしあるとしたら、それは国家社会のいかなる部分ともならないわけであって、したがって野獣か神かであるということになる。p19

    法的秩序を保ち正義を行うことは、国家の仕事なのである。なぜなら、法的秩序は国家共同体の秩序づけであり、法的秩序を保つこと(正義を行うこと)は、正邪を判別することにほからないないからである。p19

    市民国家は同質でないものから成り立っているのであって、それはちょうど動物は、まず直接的には魂(生命と意識)と身体から成り、その魂は計理するものと欲望するものから成り、家族は夫婦、家産は主従から成るように、市民国家も同様にこれらすべてのものを構成分子として含む。p40

    「富」と「自由」こそ、有産者、無産者の両者が、それぞれ国政参与を主張する論拠となるものなのである。p62

    真の市民国家(ポリス)と呼ばれるのに値し、単に名目上のものにとどまらない国家は、徳(よさ、優秀さ)に配慮しなければならないということになる。p66

    国家共同体は、よい、りっぱな行為(よい、りっぱな生活をすること)のためにあるのであって、ただいっしょに生活するためにあるのではないとしなければならない。p69

    奴隷に関して「笛と笛吹きの例」p84

    最善の国制に関していえば、徳に従った生活をめざして、治められることも治めることもともになしうる能力があり、かつ自分でその両方とも選びとる者こそが市民なのである。p91

    多量のもののほうが損なわれにくいーそれは多量の水が少量の水より汚染されにくいのとちょうど同じで、大衆も少数者より悪に染まりにくい。p108

    「絶対王制(パンバシレイアー)」p114

    プラトン『国家』にみられる「魂の三部分」ー「理性」(ヌース)、「気概」(テューモス)、「欲望」(エピテューミア)p120

    最小最善の国制は、最小最善なる人々によって治められるものでなければならない。
    明らかに、人がしかるべき徳をそなえたりっぱな人間になるのと同じ仕方で、また同じ手段を用いて、貴族制(最優秀者支配星)ないし王制の統治形態をとる国家は構築されるべきであろう。p125

    【諸国家体制の類型】
    正しい国家体制として王制、貴族制、共和制
    他方それらが邪道にそれたものとして王制からは独裁制、貴族制からは寡頭制、共和制からは民主制 p131

    民主制というのは自由市民が主権を握っている場合のことであり、寡頭制というのは金持ちが主権を握っている場合のことであるというべきであろう。p138

    【国家はあらゆる部分から成るーアニマルアナロジー】
    第一にどの動物でも必ずもっていなければならない部分をはっきり区別して取り出していいだろう。たとえばいくつかの感覚器官、口や胃のように食物を受け入れて消化するところ、さらにまたそれぞれの動物が動くときに使う部分などである。
    ところがさてそれらの部分の数はただそれだけだとしても、それらにはまたいくつかの差異があるとすればーわたしがいう意味は、たとえば口にもいくつもの種類があり、胃や感覚器官にもまた運動器官にもいろいろあるとするならばーそれらの差異の組み合わせによって必然的に動物の種類の数も多数ということになるだろう。
    国家もただ一つの部分からではなく、もっと多くの部分から構成されている。
    ①農民②手工職人③アゴラ(市場)に出入りする人たち④日雇労務者⑤国防に従事する人たち⑥ p140-141

    もしひとが魂も動物の部分であり、身体より以上にそうであるとするのならば、国家の場合でもそれに当たる部分のほうが、やむをえない必要のために向けられる部分より以上に国家の(本質的な)部分であるとしなければならない。すなわちそれは戦争をする部分、法廷の正義にあずかる部分、さらにこれらに加えて国政を審議する部分がそうである。p142

    帰属制(最優秀者支配制)と呼ぶのが正しいのはただ一つ、徳という点で無条件に最もすぐれている人々から構成されている国家体制だけであって、何か特定の条件の下でだけすぐれているにすぎない人々から成る国家体制ではないからである。p155

    ところで貴族制の一番の大きな特徴と思われているのは、名誉ある役職が徳にもとづいて配分されているということである。なぜなら貴族制の特徴を示すものは徳であり、寡頭制の場合は富であり、民主制の場合それは自由であるから。p158

    最善の国家体制、すなわち中間的な国家体制 p166

    国家体制というのはある意味で国家の生き方のようなものである。p167

    国家を構成する階層の質と量の均衡関係と国家体制との対応。国家体制存続の条件 p173

    民主制は、とくに、デマゴーグ(民衆煽動家)の無軌道ぶりが原因となって体制の変革が起こる。というのは、このものたちは、財産をもった人たちを個々別々にとらえて、あることないことをいい立てて裁判に引きずりこんだり、そうした富裕な人々の階層にたいして大衆をけしかけたりして、これらの人たちを結束させるからであるー共通の恐怖は、不倶戴天の敵同士をも結ぶー。p224

    公職で私腹をこやすことを不可能にすれば(体制は安泰であるばかりでなく)そのときには、そしてただそのときにのみ、民主制と貴族制との共存(結合)が可能となるのである。p248

    国政に参与している度合の少ない階層ーすなわち、民主制においては富裕な人々、寡頭制においては貧乏な人々ーに、体制の中枢となる役職は別として、それ以外のことがらにかんしては、他と平等の待遇、ないしは他より優先の待遇を与えるということ、これが、民主制においても寡頭制においても国益に合致することなのである。p250

    身体にたいする侮辱と若者の童貞にたいする侮辱はつつしむがうえにも、つつしまなければいけない。p283

    国家は二つの部分から成り立っているのだから、すなわち貧しい人々の階層と富裕な人々の階層から成り立っているのだから、そのいずれもが、自分たちの安全はかれらの支配のおかげであり、また自分たちが他方のものから不正をうけないのもそのおかげであると考えるように仕向けなければならない。p284

    最善の国制について適切な探求を行おうとするものは、まずもっとも望ましい生活とは何かであるかを規定しておかなければならない。p294

    善には外部的な善と身体の善と精神の善の三つの種類があり、至福の人にはそれらのすべてがそなわっていなければならない。p295

    幸福に生きるということは、外部的な善を必要以上に所有しながら徳において欠けている人々よりも、品性と知性を高度に練磨して外部的な善の所有はほどほどにしている人々にこそ、よりいっそうそなわっているのである。p296

    人にはそれぞれ、その人のもつ徳と思慮に応じて、そしてまた徳と思慮に即した行いに応じて、まさにそれだけの幸福が与えられるのである。p297

    最善の生活とは、個別的には個人の場合にも、公共的には国家の場合にも、特に即した行いをなすに足るだけの手段が用意されている徳、そういう徳をともなった生活である。p298

    <注釈より>「外部的な善」とは富、名声などを、「身体の善」は健康、体力、美貌などを、「精神の善」は勇気、節度、正義、思慮などをさす。そしてアリストテレスでは「精神の善」が「徳」とよばれる。p299

    <注釈より>「観照の生活」とは、実社会での活動を離れて、森羅万象の学問的な観察と考察をもっぱらとする生活のことである。p305

    思考の場合にしても、行動から生じる実際的な結果を目的とする思考だけが行動的であるのでもない。むしろ、それ自身のなかに目的をもち、それ自身のためになされる観照や思考が、いっそうはるかに行動的なのである。p309

    <注釈より>「気概(激情)」と訳した原語「テュモス」は一語の日本語におきかえることの困難な言葉である。テュモスは心の「感情のはたらき」をあらわすが、とりわけ、勇気、気力、怒りなどのような強くて激しい感情をさし、その座は胸にあると考えられていた。p324

    【国家が必要とするもの】
    ①食糧
    ②技術
    ③武器
    ④内需と戦費を賄うために、かなりの額の金銭が融通できなければならない
    ⑤神事の世話、いわゆる祭祀
    ⑥公共の利益と市民相互の間の正邪についての判断を下す仕事 p327
    ⇒多数の農耕者、職人、兵士、富をもつ人々、神官、そして何が必要であり、何が利益であるかを判断する人々が必要となる p328

    <注釈より>ギリシア人の常識では、ある制度の古さ(伝統の長さ)はその制度の正当性の証拠となる。p336

  • 1701円購入2011-06-28

  • 大学の授業の為読破。見返す様に書きます。
    全体を通じて日本語訳が難解で読み辛かった印象。
    もう少し平易な日本語を使った改訂版が出てくれると自分のような勉強をサボって来た読者も助かるのだろうなあと思った。

    【国家(ポリス)という共同体】
    本書を通じての目的は国家、つまりポリスの本質の規定や定義付け、また統治方法についての考察だ。ポリスは市民から構成され、最高善を目的因とする事から徳に配慮する必要性がある。
    ここで言う市民は裁判と統治に参加できる人をさし、奴隷は含まないとする。

    【人間はポリス的動物である。】
    結論としては国家を持つ事は人間の本性に基づく本質的なものであるとの事。
    人間は善を目指し生きる。ポリスは最高善を目的因とするものである。この点からポリスは人為的では無く、人間の本質に基づく共同体であり、人間はポリス的動物と言える。

    【最終の共同体】
    アリストテレスはポリスは人間が作りうる最終の共同体であり、それ以上のものはないと言う。
    段階としては
    家族
    →村落
    →ポリス と言う流れ。

    しかしこの定義だと現代のグローバル化した世界で共通善の構築などを考える際には適応できない。
    また、人間は善を追求する為に共同体を構築するのであり、ただ一緒に過ごす為に構築しているのではない。



    【市民の定義】
    裁判と統治に参加できる人々を指す。
    奴隷制については要確認ーーーーーーーー

    【国制】
    国制としては共和制がベスト。

    アリストテレスは国制には五つあると言及。
    王政 貴族制 共和制 僭主制 民主制 の五つ。

    この中で最初の三つは正しく、最後の二つが良くないと述べている。
    最初の三つは公共の利益を考慮する為、正しいとしている。支配者の利益を最大化する国制は正しくない。

    民主制が正しくない理由は貧困にある人達、つまり無産者によって支配されてしまうから。アリストテレスは一般大衆、つまり市民が中心であ最高権限を持つ必要性に言及している。

    これは中庸が最善だからだと彼は言う。


    【中庸の重要性、最善さ】
    国家体制は中庸を包含する必要がある。しかしこれはなかなか実現しない。

    【法治の必要性】
    どのような国家体制であっても厳格な法治が必要。
    統治者が私利を最大化してはならない。

    その為にも国政に就く者が備えておくべき物として三つあげている。
    忠誠心
    職務遂行能力
    体制に適した正義の徳(体制によって正義の徳は変わるから)

    【望ましい生活】
    幸福が善く行う事にあるとするならば、行動的な生活を送る事が最も望ましい生活である。
    何かを目的とした思考より、それ自体の為に為す観照や思考の方が行動的であり正しい、

  • 人編はその自然の本性において国家を必要とする(ポリス的)動物なのである。そしてそれゆえに、人間は相互の助けを何も必要としない場合でも、それでもやはり共同して社会生活をいとなむことを欲するのである。いやむしろ公共の利益(福利)ということがかれらを集結させるのである。よき生活ということこそ共同体全体にとっても個人個人にとっても最終目的であることに間違いはない。(p.53)

    われわれは結論として、国家共同体は、よい、りっぱな行為(よい、りっぱな生活をすること)のためにあるのであって、ただいっしょに生活するためにあるのではないとしなければならない。以上のことからして、このような目的をもった共同体に対して寄与するところの最も大なる人々こそが、国家へのかかわりをもつ分も大なるものがあるわけなのであって、それは自由市民としては平等であったり、生まれからすると上であったりしても、国事担当者としてのりっぱさ(徳)では差をつけられている人たちとか、あるいは富の点ではかれらに立ちまさってはいても、徳においては劣る人たちよりも大なのである。(p.69)

    僭主独裁制の狙い
    ・被治者が卑小なことしか考えないようにすること
    ・被治者たちが、お互いにたいして、終始、不信の念をもつようにすること
    ・被治者たちが国事を扱う能力をもたないようにすること(p.278)

    ・幸福とはよく行う(うまくいく)ことであると考えなければならないとするなら、公の国家全体にとっても、おのおのの個人にとっても、行動的生活が最善の生活だということになるだろう。しかし行動的生活は、ある人々が考えているように、必ず他人との関係においてなりたつものであるとは限らない。また思考の場合にしても、行動から生じる実際的な結果を目的とする思考だけが行動的であるのでもない。むしろ、それ自身のなかに目的をもち、それ自身のためになされる観照や思考が、いっそうはるかに行動的なのである。というのは、よく行うことがわれわれの目的であり、したがってたとえばわれわれは頭をはたらかせるのをおもな仕事とする大工の棟梁に対して、もっとも優越した意味において「はたらく」という言葉をあてはめるのである。(p.309)

  • 政治学の始点とも言うべき名著。
    現実に政治はどのように行われているかを分類を通して分析し、また理想のあるべき国家とは何かを問う、理論と実践が体系的にまとめられている。政治学を学ぶ者にとって重要なインプリケーションを与えてくれるだろう。
    訳も非常に読みやすい。ギリシャ哲学に触れてみたい方々にもおすすめである。

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著者プロフィール

なし

「1997年 『天について』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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