二・二六事件 増補改版: 昭和維新の思想と行動 (中公新書 76)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121900760

作品紹介・あらすじ

昭和十一年二月二十六日、降りしきる雪を蹴って決行された青年将校たちのクーデターの結果は全員処刑により終った。本書は、多くの資料によって事件の経過を再現し、彼らが意図した「昭和維新」「尊王攘夷」の意味を探り、軍隊のもつ統帥権意識を解釈の軸として、昭和初期からの農村の疲弊に喘ぐ社会との反応、軍部の政治への結合と進出の過程を追う。なお、改版に当り「命令・服従」という日本軍隊の特性について増補・加筆する。

感想・レビュー・書評

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  • 二・二六事件に関する書籍では最もロングセラーだろう。事件の全貌とその思想的背景をまとめた良著。

    新型コロナウイルスに関するニュースばかりの2月26日、久々に久々に二・二六事件に関連した本を読もうと随分昔に読んだ1冊を再読。

    あらためて読んで本書の内容の的確さを強く感じる。おそらく事件を扱った書籍の中で一番のロングセラーだろう。

    同期があるから行動が許されるというわけではないが、青年将校の思想は極めて純粋である。特に農村の疲弊と徴兵、富国強兵のしわ寄せの来る兵士の実情を知る隊附将校。天保銭に代表される軍閥と対照的。

    本書で象徴的なのは事件を一言でまとめた言葉。
    「結果的にいえば二・二六事件は、真崎甚三郎の野心と重なり合った青年将校の維新運動といってよいだろう。」

    純粋な動機が老練な幹部将校たちに利用され、祀りあげたはずの天皇が自分の意見をもち、自らに行動を掣肘しようとする悲劇。

    二・二六事件の全容を知るに最適の一冊でしょう。

    個人的には安藤輝三大尉の人物について関心が湧いた。

  • 五・一五事件の本を興味深く読んでこちらの事件についてもちゃんと読んでみようと思ったので手に取ってみた。1994年に出たものでかなり古いのだけど新書で今まで売り続けられているのはそれなりの内容なのかと思ったので。同じように時の首相をはじめ政府要人を暗殺するという立派なテロにも関わらず、殆どが微罪ですぐに主謀者達が釈放された五・一五事件と異なりこの事件では民間人も含めた首謀者達は事件の後すぐに銃殺刑に処されているのは何が異なるのかに興味があった。首相を暗殺できたのが不思議なくらいのドタバタだったように見える五・一五事件に比して同じくらい衝動的に決起したように見えるにも関わらずかなりの成果を上げているのは軍隊としての練度が上がっていたからなのか。作者が意図していたのかは分からないけども首謀者の青年将校達にかなり同情的な筆致が少し気になった。世相の悪さは天皇を輔弼する重臣達の悪政によるものでこれを力で排除して正しい世の中を作ろうという大雑把に言うとそういう動機なわけだが、あてにしていた天皇自身の激しい怒りをかったこととそれを目にした軍上層部が態度を硬化させたことが処分の重さを招いている、という説明であったように思う。個人的には動機はともかく結果としては立派なテロであり叛乱でもあるのだからあまり同情の余地は無いのでは、とも思うのだけど。興味深い作品でした。

  • この当時のマスコミも現在この事件を語る際、なぜ、態々蹶起した将校の前に「青年」とつけるのであろう??

    そこにこの事件に対してある種「美しさ」(もしくは美化したい思いの反映)と「青臭さ」の両方を感じとったからではないないだろうか??

    この「美しさ」と「青臭さ(醜)」はコインの両面であり、立場によてって見方が変わる。陛下への将校への思いと、事件当初から「反乱軍」と断定する昭和天皇のように。
    この将校たちの一方的な思いこそが、現在もこの事件を語るうえで「青年」とつく理由なのかもしれない。
    著者の真崎への批判は筋は通るが、これを納得させる材料には乏しく感じた。
    しかし、この真崎への対応を含めて老獪な相手の大きさが、全く見えていなかった将校たちはやはり「青年」でしかなかったのであろう。

    なお、この事件の評価としては著者が「大文章」と書く同時代における河合栄次郎の批判が極めて同意できる。

  •  明治以来、日本において唯一おきた軍部によるクーデターである「二・二六事件」については多くの本が出ているが、本書は淡々と事実を追いかけており、その全容がよくわかる本であると思った。
     最近の政界に旋風をまきおこしている政治勢力に「維新の会」があるように、明治維新以来「維新」という言葉は、いまでも一定の「プラス」のイメージを持っていると思うが、現状否定の思想において、左翼の「革命」に対し右翼の「維新」という言葉が定着したのは、この事件が発端となったと言えるのではないか。
     それにしても、本書を読んで「昭和維新」を標榜した「二・二六事件」の「クーデター計画」は実にずさんであると思った。
     「蜂起する」ことにのみ傾注し、「蜂起後」の政権奪取後のまともな計画がほとんどなく、新政権の政策についての考察もなかったのではないか。
     これは、彼らの思想がもともとそうだったのか、それとも時代の制約なのだろうか。
     本書の経過を見ると、「昭和天皇の激怒」によって、蜂起した軍隊は「反乱軍」となっていったのだが、たとえ軍部上層部がクーデター部隊を支持したとしても、このようなずさんな計画では、その後の日本国家の「国家改造」が成就されたとはとても思えない。
     「二・二六事件」は、昭和11年(1936年)だが、1929年(昭和4年)の世界恐慌とその後の昭和30年・31年の「昭和恐慌」から引き続く社会不安が背景となったことは間違いがない。
     経済的不振が社会的不安定を招き、それが政治的不安定を惹起することはいつの時代でもあることだろう。
     近代政治は、政界上層部のみを「全とっかえ」すれば解決できるほど簡単なものではない以上、クーデターを主導した青年将校たちの未熟さはすぐに指摘できるが、それにしても本件が後の昭和史に与えた影響は巨大である。
     昭和天皇をはじめとした昭和前期の多くの指導者についての本を読むと、、軍部の発言や行動に対しみな身がすくんでいるような印象を受けるが、このクーデターが背景となったことは間違いがない。そう考えると「二・二六事件」の青年将校の罪は実に大きいとしか言い様がないと思った。
     本書は、本事件を感情のドラマに傾注することなく、たんたんと冷静に事実を追いかけており、余計な評価を付け加えていないだけに、本事件の全体像をよく紹介している良書であると思う。
     ただ、海軍や、陸軍内部の様々な勢力が複雑に登場しているだけに、軍内部の諸関係はちょっとわかりにくいとも思えた。

  • 予備知識がない状態で、入門書として読みました。
    二・二六に至るまでの経緯、関連する事件、陸軍内の派閥、統帥権の問題、昭和維新の目的等々、当時の文献を引用しながらまとめられています。
    自分にはやや難解でしたが、事件時の陸軍内の動きがよく分かりました。

  •  研究書においてもよく引用される、二・二六事件に関する代表的著作。本書は、多くの資料によって事件の経過を再現するとともに、青年将校たちをつき動かしたもの、軍部内の対立と抗争について言及する。
     二・二六事件は、昭和十一年二月二六日午前五時頃、「昭和維新・尊皇討奸」を唱える陸軍青年将校によって引き起こされた。斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監は殺害され、鈴木貫太郎侍従長は重傷を負い、岡田啓介首相、牧野伸顕前内大臣は危うく難を逃れた。蹶起部隊は首相官邸、陸軍省、参謀本部、警視庁等を占拠した。
     本書によると、青年将校たちが蹶起に至ったのは、農民、労働者の窮状を憂い、重臣らの殺害を含む政府転覆によってこれらの国民を救うためだったという。この蹶起の動機から、二・二六事件は、蹶起将校たちに対してしばしば同情的に語られることがある。
     しかし、本書を読んでも、青年将校たちの蹶起は決して許されるものではないと思った。というのも、二・二六事件は、その目的をどうこういう以前に、一部少数の武器を有するものが、暴力の行使によって政権を左右し、自己の意思実現を図ったクーデター未遂事件であることにやはり変わりがないからだ。自己が正しいと信じる目的のためなら、どのような手段をとってもいいというのか。これは暴力革命の未遂だ。
     事件当時、昭和天皇が終始一貫して厳しい態度を取られたことはよく知られている。

    「午前九時頃、川島陸相参内、何等意見を加ふることなく単に情況(青年将校蹶起趣意書を附け加へ朗読申上げたり)を申述べ、斯る事件を出来し誠に恐懼に堪へざる旨奏上す。之に対し陛下は、速に事件を鎮定すべく御沙汰あらせらる」(「本庄日記」)
    「陸軍大臣はそういうことまで言わなくてもよかろう。それより叛乱軍を速かに鎮圧する方法を講じるのが先決要件ではないか」(高宮太平『天皇』)
    「陛下には陸軍当路の行動部隊に対する鎮圧の手段実施の進捗せざるに焦慮あらせられ、武官長に対し、朕自ら近衛師団を率ゐこれが鎮定に当らん」(「本庄日記」)
    「陛下には非常なる御不満にて、自殺するならば勝手に為すべく、此の如きものに勅使など以ての外なりと仰せられ、又師団長が積極的に出づる能はずとするは自らの責任を解せざるものなりと、未だ嘗て拝せざる御気色にて厳責あらせられ、直ちに鎮定すべく厳達せよと厳命を蒙る」(「本庄日記」)
    「自分としては、もっとも信頼せる股肱たる重臣及び大将を殺害し、自分を真綿にて首を締むるがごとく苦悩せしむるものにしてはなはだ遺憾に堪えず。而して其行為たるや憲法に違ひ、明治天皇の御勅諭〔軍人勅諭〕にも悖り、国体を汚し其明徴を傷つくるものにして深く之を憂慮す。此際十分に粛軍の実を挙げ、再び失態なき様にせざるべからず」(「本庄日記」)

     本書からは、天皇のほか、石原莞爾作戦課長を中心に、杉山元参謀次長率いる参謀本部が、事件の当初から断乎討伐鎮圧の方針だったことがわかる。これは、この事件が天皇の命令なしに兵、武器を使用した、統帥の筋を甚だしく乱しものだったからだ。
     しかし、事件直後の陸軍内部では、軍事参議官の荒木貞夫、真崎甚三郎、さらに警備鎮圧の責任者であるはずの香椎浩平東京警備司令官が叛乱軍に同調する有様だった。また、川島義之陸相、堀丈夫第一師団長は同情的だった。陸軍ではこれらの見解の相違から、後に異常なまでの混乱が生じることとなった。
     また、事件当時の真崎、荒木の行動は非常識極まりない。真崎は荒木と組み、青年将校を利用して(事件一か月前、真崎は磯部に資金の援助をしている)、戒厳令下の軍事政権の首班を狙っていたという。そして、二十六日八時半に、勲一等旭日大綬章を胸に佩して陸相官邸にあらわれ、自信満々、不遜な態度で、叛乱軍の統領のごとくあたりを睥睨して官邸の玄関に立った。両名は、天皇の意向に沿わない、叛乱軍の真情を認めた「陸軍大臣告示」の作成においても、主導的な役割を果たした(この大臣告示のために、後に「奉勅命令」を叛乱軍が信用しないこととなった)。しかし、雲行きが怪しくなってくるにつれ、態度を変えていった。このため、当初はお互いに同志だと思っていた蹶起将校からまでもしまいには痛烈に罵られる始末で、もはや救いようのない感がある。

    「歩哨の停止命令をきかず自動車が官邸に入ってきた。近づいてみると真崎将軍だ。『閣下、統帥権干犯の賊類を討つために蹶起しました、情況をご存知でありますか』という。『とうとうやったか、お前たちの心はヨオックわかっとる、ヨオッークわかっとる』と答える。『どうか善処していただきたい』と告げる。大将はうなずきながら邸内に消える」(磯部「行動記」)
    「左翼団体の警戒に全力を注ぐを要す。これがため維新部隊〔叛乱軍のこと〕をその警備に充つるごとくを取扱うを可とす」
    「これ〔荒木の発言〕こそ、頭から陛下をカブって大上段で打ち下ろすような態度だ。これが二月事件〔二・二六事件〕における維新派〔叛乱軍〕の敗退の重大な原因となったのだ」(磯部「行動記」)
    「真崎とは七月十日に対決した、真崎は余に国士になれと云ひて暗に金銭関係等のバクロを封ぜんとする様子であつた。……真崎の言は馬鹿らしくきこえた、余は真崎に云つた、大臣告示も戒厳軍隊に入りたる事もすべてウヤムヤにしたのは誰だ、閣下はその間の事情を知つている筈だから……真相を明らかにして下さい。これによつて同志は救はれるのです。閣下は逃げを張つてはいけない、青年将校は閣下を唯一のたよりにしてるのだ」(磯部「獄中手記」)
    「七月十日 十時頃ヨリ取調ベヲ受ク。磯部ト対決セラル。彼ハ気ノ毒ナル程衰弱煩悶、殆ド発狂ノ域ニ進ミツツアリ。其ノ苦ヲ免レンガ為、アリモセザルコトヲ何人ヨリ水ヲ差サレタルカデタラメニ陳述シ無理難題ニ予ヲ引キ入レタル感アリ。憐レニモ予テ聞キ居リシ通リ下劣ナリ。……予ハ一言彼及彼ノ家族ガ国士トシテ終ルベキコトヲ注意セリ」(「真崎甚三郎日記」)

     また、この両名と青年将校には、自己の意思と大御心とが一致しているという信仰から公的権限を軽んじる精神構造が共通してみられる。
     著者は、二・二六事件を、「真崎甚三郎の野心とかさなりあった青年将校の維新運動」だったと結論づけている。
     石原は真崎のことを嫌悪しており、真崎の差し出した握手を無視したという。石原は荒木のことも徹底的に嫌っていた。事件発生当日、荒木に会った石原は、「ばか!お前みたいなばかな大将がいるからこんなことになるんだ」と面と向かって罵倒した。これに対し、荒木は「なにを無礼な!上官に向かってばかとは軍規上、許せん!」と言ったが、石原は「反乱が起っていて、どこに軍規があるんだ」と猛然と言い返したという。

  •  著者は「真崎甚三郎の野心とかさなりあった青年将校の維新運動」と結論づけている。これ自体は通説とそう違いはないだろう。だからこそ著者は、「叛乱軍将校たちの、それ自体は正しかった思想を己れの野望達成に利用しようとした」個人(真崎?)がいたことを問題だとしているし、また無罪となった真崎は自決すべきだったとまで書いている。
     また著者が考えるもう一つの問題は、「この叛乱が直接国民に与えた脅威を利用して日本ファシズム体制を完成した一群の人びと」の存在だとしている。
     事件の背景としては、統制派対皇道派との表現をあまり使わず、代わって中央の統帥幕僚対戦闘集団たる隊附将校、と区分している。公的権限によらず自分たちこそが陛下の大御心に添っていると考える後者の叛乱将校たち。しかし自らの行動が実は大御心に反していると判明した時にはこれという決断ができなかったという。現代では想像もできない精神構造だが、戦前という時代で、軍の中で培養され、しかもまだ政治に関与しない若い世代だったからなのか。
     十月事件、三月事件、五・一五事件などの軍内の事件が未遂も含め頻発し、しかも主謀者が大した咎めも受けなかったからこそ叛乱へのハードルが低かったこともあるだろう。

  • 「二・二六事件」高橋正衛著、中公新書、1994.02.25
    254p ¥777 C1221 (2018.12.16読了)(2018.05.04購入)(2001.08.20/7刷)
    副題「「昭和維新」の思想と行動」

    【目次】
    まえがき
    序章 宇田川町の慰霊像
    Ⅰ 新聞記事にみる二・二六事件
    Ⅱ 二月二十六日朝まで
    Ⅲ 事件の収拾経過
    Ⅳ 二・二六事件にいたる諸事件
    Ⅴ 軍部内の対立と抗争
    Ⅵ 彼らをつき動かしたもの―昭和維新
    Ⅶ 特設軍法会議
    Ⅷ 処刑
    結び

    参考文献
    増補版追記 命令・絶対服従
    終わりに

    ☆関連図書(既読)
    「昭和史発掘(1)」松本清張著、文春文庫、1978.07.25
    (陸軍機密費問題/石田検事の怪死/朴烈大逆事件)
    「昭和史発掘(2)」松本清張著、文春文庫、1978.07.25
    (芥川龍之介の死/北原二等卒の直訴/三・一五共産党検挙)
    「昭和史発掘(3)」松本清張著、文春文庫、1978.08.25
    (「満洲某重大事件」/佐分利公使の怪死/潤一郎と春夫)
    「昭和史発掘(4)」松本清張著、文春文庫、1978.08.25
    (天理研究会事件/「桜会」の野望/五・一五事件)
    「昭和史発掘(5)」松本清張著、文春文庫、1978.09.25
    (スパイ〝M〟の謀略/小林多喜二の死)
    「昭和史発掘(6)」松本清張著、文春文庫、1978.09.25
    (京都大学の墓碑名/天皇機関説/陸軍士官学校事件)
    「昭和史発掘(7) 二・二六事件」松本清張著、文芸春秋、1968.10.01
    (相沢事件/軍閥の暗闘)
    「昭和史発掘(8) 二・二六事件」松本清張著、文芸春秋、1969.03.10
    (相沢公判/北、西田と青年将校運動)
    「昭和史発掘(9) 二・二六事件」松本清張著、文芸春秋、1970.02.20
    (安藤大尉と山口大尉/二月二十五日夜)
    「昭和史発掘(10) 二・二六事件」松本清張著、文芸春秋、1970.08.01
    (襲撃/「諸子ノ行動」)
    「昭和史発掘(11) 二・二六事件」松本清張著、文芸春秋、1971.02.01
    (占拠と戒厳令/奉勅命令/崩壊)
    「昭和史発掘(12) 二・二六事件」松本清張著、文芸春秋、1971.12.05
    (特設軍法会議/秘密審理)
    「昭和史発掘(13) 二・二六事件」松本清張著、文芸春秋、1972.10.01
    (判決/終章/昭和史発掘全13巻・人名索引)
    「北一輝論」松本清張著、講談社、1976.02.20
    「妻たちの二・二六事件」澤地久枝著、中公文庫、1975.02.10
    「暗い暦」澤地久枝著、エルム、1975.08.31
    「雪はよごれていた」澤地久枝著、日本放送出版協会、1988.02.20
    「蒲生邸事件」宮部みゆき著、カッパ・ノベルス、1999.01.30
    (「BOOK」データベースより)amazon
    昭和十一年二月二十六日、降りしきる雪を蹴って決行された青年将校たちのクーデターの結果は全員処刑により終った。本書は、多くの資料によって事件の経過を再現し、彼らが意図した「昭和維新」「尊王攘夷」の意味を探り、軍隊のもつ統帥権意識を解釈の軸として、昭和初期からの農村の疲弊に喘ぐ社会との反応、軍部の政治への結合と進出の過程を追う。なお、改版に当り「命令・服従」という日本軍隊の特性について増補・加筆する。

  • 読み終えて,ようやく,渡部昇一の言う,「右翼の社会主義者」という考え方が理解できた。

    一般的には,2・26事件は,軍部の暴走と理解されているけれど,よく読むと,困窮する農民を助け,腐敗した政党政治や財閥を打破するために,天皇の名の下に革命を起こそうとした意図が見える。これって,社会主義革命と本質は同じで,これが成功していたら,現在の,習近平を戴き,人民解放軍という,国家政府の指揮下にない,いわば私兵を持つ,中華人民共和国と,ほぼおなじ体制になっていたように思う。2・26事件が目指した昭和維新とは,天皇を戴く社会主義革命にほかならず,事件を起こした青年将校は,右翼の社会主義者,と見ることができる。

    世の中で一般的に言われていることを鵜呑みにせず,自分で調べると,全然違った世界が見える。それを実感した一冊でした。

  • 前半部に226事件の推移を、後半部にその背景をまとめている。事件の全容は(著者が語る通り)深く、頁数の少ない新書だけに各テーマがダイジェスト風だが、基本的な情報は網羅されているので、関心を持った人の手掛かり本としては良い。その中である意味特色なのは、最大のキーポイントであった天皇と宮中の動きがほぼ言及されていないところで、これは著者自身がかつて陸軍に籍をおいていた事と関係があるように思える。叛乱将校を断罪しつつ、派閥争いに明け暮れていた旧軍の腐敗ぶりも含めて、決して非難一辺倒に終始しないところなどは、その辺の機微もあったかもしれず、軍内部に漂っていた空気が垣間見られるような気もした。

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