美しさと哀しみと (中公文庫)

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著者 : 川端康成
  • 中央公論新社 (1973年8月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122000209

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美しさと哀しみと (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 川端康成が1961年から1963年にかけて雑誌"婦人公論"に発表した長編小説。何度か映画化もされています。鎌倉と京都を舞台に、中年小説家、大木年雄と、かつて彼が愛した少女だった日本画家、上野音子、そして、その日本画家の内弟子、坂見けい子と年雄の息子、太一郎が繰り広げる愛憎劇。やはり、川端康成の作品は日本語が美しい。作者が不安定な時期に書かれたとは思えないです。情景が目の前に浮かび上がってきます。登場人物も妖しく動き回ります。小説中の小説"十六七の少女"って読んでみたいな。

  • ❖会話を含めた作家の洞察力湛える緊張感のある文体に魅了された。息を呑むような感覚的な閃きはよくみがかれた鋭い刃のそれを連想させる。久しぶりに文体の鋭敏にふれ、文学者の凄味を思い知られた。といっても本作が作家の最良部の長篇『山の音』『雪國』と並ぶ傑作とは思わなかったけれど。感覚的に(あるいは観念的であるにしろ)これだけ人物関係の陰翳を魅力的に描きだせる作家は稀有。登場人物たちの淫する情動の関係から人間の業のようなの官能性(おののき)を巧みに引きだし、作家はモラルではなく美意識で律してみせる。力技を堪能した。

  • 同名のフランス映画の存在をきっかけに本書を手にとった。

    昭和30年代後半、日本にまだ東海道新幹線が開通していなかった時代。
    京都と北鎌倉を舞台に描かれる文芸作品である。

    年の瀬で人気の無いひっそりとした嵐山、夏の鴨川の床の夕涼み、
    初夏、雨の鎌倉。 都ホテル。 
    優雅でどこかゆったりとした時が流れている。

    背景と舞台はしっとりと雅なのだが、
    物語そのものは、炎のような情念がほとばしるごとく、力強く展開する。

    作家の大木は、かつて若い娘だった上野と破滅的な恋愛の末に別離。
    数十年の後、大木は、京都で日本画家として生きる上野と再会。

    しかし上野を慕う弟子のけい子は、大木の運命に深く関わってゆく。
    けい子は恐いほどの美貌をもつ勝気な女、ファムファタル。

    そして終盤、思いがけない急展開のうちに物語は幕を閉じる。

    しっとりした古都の風情と旅情と、
    不条理で鋭角的な女の情念が、鮮やかに対比を成す。

    そして、エロい。
    奥ゆかしいエロチシズムが散りばめられて、それもまたよし。

    中公文庫版では、古風な挿絵が挿入されていてこれもまた趣がある。
    加山又造の挿画である。

    あまりにもドラマチックな物語なので、読後、映画化作品を観たい、
    と思った。篠田正浩監督作品があるようで、配役がこれまた興味深い。 

  • 川端文学の女は曲者が多い。男もだらしないけどなぜか可愛く思えてしまう。愛憎劇だけど、すぐれた文芸、絵画論でもある。

  • 俺が江ノ島でしていたことと似たようなことを江ノ島のまさに同じような場所でして、最後は何処かの大学の教授と同じような死に方(死なせ方)をする。意外に川端康成の晩年の作品で、おそらく最も完成度の高い最高傑作であろう。日本的な要素(美術と古典が中心の文学、京都…)や流麗な会話表現など、それまでの作品のなかで培われてきたものの自然な集大成。作家自身のアナロジーでもあるだろうか。

    30代の男(大木)と16歳の少女(音子)の恋愛というのはありうるのかわからないが、もしそれが実現したら、という縦軸(※横軸でもいい)と、音子に対する愛で大木に復讐をするけい子という横軸。大木や彼の妻や音子はかつての出来事の当事者であり、苦しみ囚われているのだが、ぽっと出てきた「妖精のような」[p]けい子と、大木の息子の太一郎は間接的にしか関わりがない。太一郎がこのように登場しなければ、太一郎とけい子の最後の京都の周遊を描かなくてもよかったかもしれない。ずっと大木を中心に(それと音子を多少)描いて、最後の悲劇に立ち会わせるだけでも十分ではないか。最初にけい子を太一郎が近くの駅ではなく遠くまで送って行ったと、だけ描いただけで二人の成り行きはその後の大木とけい子の描写からだけでも十分わかるだろう。

    我田引水もあるが、画家と小説家、その他川端康成のあらゆる要素が程よく自然に集まっていることからも、最高傑作であろう。

  • 『抒情と官能のロマネスクである』って本の後ろに書いてあったから、川端康成が官能小説!?って思って初めて文豪の作品を読むことができた(^^)v

    まあ 『官能』ではなく『恋愛小説』だなと感じましたが、「あとはご自由にご想像ください」的な感じが、さすがは文豪!とか思ってしまった(^^;)

    それとこんな時代から脱毛ってあったんだと、女ってやることたくさんあってホントに面倒だなおって思った

  • うーん… 
    多少なり理解できる点があればよかったんだけども
    見事に誰一人として共感できなかったので ちょっと疲れたかも
    キンとした冷たさが好きなので ドロっとしたこの作品はすこし苦手でした

  • 高校時代の愛読書を読み返してみた。世界観が素敵だけれど、こんな本を愛読する高校生は、あまり関わりたくない感じ。

  • 他人が人の自縛を解けるはずがない。
    他人のために復讐をしても、慰めにならない。
    毒麦を蒔いた者が一番いけない。

  • 三島由紀夫は川端文学を評して、「抒情のロマネスク」であると記している。

    そこでは美徳も悪徳もついには悲しみに紛れ入ってしまう文学であると、三島由紀夫は言っている。

    そうした川端文学の中の「美しさと哀しみと」に関して、山折哲雄はこの小説を書いているとき川端は、「源氏物語」を念頭に置いていたのではないかという。

    「美しさと哀しみと」のあらすじは、以下のとおりである。

    作家の大木年雄は妻子ある身で、十六歳の少女・上野音子と交わり、やがて身ごもった音子は流産する。

    音子は母親に大木との仲を引き裂かれ、京都でその後画家となっている。

    時が流れ、大木はある年の暮れに、音子と再会し除夜の鐘を聞く。

    その折に大木を京都駅で迎えたのが、音子の内弟子・坂見けい子であった。

    けい子と音子は、レスボス島の関係であった。

    音子を慕っているけい子は、音子がまだ大木を思い続けていることを知って、強い衝撃を受け、嫉妬のほむらを燃え立たせる。

    けい子は大木に復讐する為に、大木の息子の太一郎を誘い出す。

    音子はそれを制止しようとするが、けい子は今度は大木とホテルに泊まる。

    大木はけい子が音子の名前を呼ぶのを聞いて、思い止まる。

    終幕はけい子が太一郎を琵琶湖のホテルに誘い出し、モーターボートに二人で乗る。

    事故が起こって、太一郎は死に、けい子だけが助けられる。

    山折哲雄は六条御息所の「もののけ」が葵の上にとり憑いたように、音子の嫉妬心がけい子にとり憑き、その「もののけ」が大木を脅かして、ついに息子の太一郎の命を奪ってしまう。

    「源氏物語」の「もののあわれ」は、「もののけ」の闇の領域と背中合わせであると、山折は記す。

    それはまた、万葉集の「相聞歌」と「挽歌」の関係の中にも探り出せるという。

    切実な愛の歌は、最も親しい者の死の場面において極まるであろうから。

    死者との惜別こそが、取り返しのつかぬ恋情を紡ぎ出すからだと山折は言う。

    「相聞歌」と「挽歌」の関係は、「もののあわれ」と「もののけ」の相関にそのまま当てはまるわけである。

    その愛の明暗は、愛の無常である。

    相聞の調べが挽歌を包み込んで、「もののあわれ」が「もののけ」の気配を飲み込むとき、愛の歌は無常の旋律を奏でる他はないであると、山折は書いている。

    「美しさと哀しみと」もまた、「相聞の美しさと挽歌の哀しみと」を詠じて、無常愛の旋律を奏でているのである。

    川端は「源氏物語」の現代訳に挑戦しようという考えを、持ち続けていたと言われる。

    その川端が、「源氏物語」の世界を自らの小説の中に用いることは至極自然であり、日本古来のつまり「万葉集」と「源氏物語」の中に奏でられている「美しさと哀しみと」こそが、この小説の主人公であったかもしれないのである。

  • 川端康成氏の本です。
    二冊目に読んだ本です。

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