人間不平等起原論 (中公文庫)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122000698

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  • どうもこのルソーという男は、情熱が先走って周りが見えなくなってしまうそういうひとのように思える。ひと一倍の感受性が備わっていた証拠であるのかもしれない。それゆえ、論文という一番その緻密さを気にしなければならない文体において、決定的に緻密さに欠けてしまっている。だから、自然状態に帰れだとか、懐古主義的だとか、理想主義者だとかあらぬ誤解をされる。
    なぜこうもひとというのが違うのか。他の動物たちとどうしてこんなにも違っているのか。そして、どうして同じひとであるのに、富める人間がいる一方で、その日の食べ物に困る人間がいるのか。こういう現実を目の当たりにしているから、その現実が不思議でしょうがないから、彼は考えるのだ。極めて現実的な問題提起である。理想主義者であるはずがない。現実が現実であるがゆえに不思議で考えていき、その結果、それが形而上的であったに過ぎない。それを理想主義だと笑う者こそ、たいした現実認識を持っていない。
    彼は考える。ひとが違くなってしまったのはいったいどこからだ、と。ものの始まりを考えれば、きっとその要因が明らかになるはずだ、彼はそう考えたに違いない。しかし、この「はじめ」を考えること以上に難しいものはない。当時の旅行記や博物誌から、様々な比較を行って、どうも人間が「自分のもの」というのを獲得してしまった辺りから少しずつ違っていったようだと考える。これは人間の本来の姿ではない、社会的に作られたものだから無理が生じるのだという。ますますひとは自分の蓄えを増やし、それを使うのを惜しむ。そのために傷つけ、騙し合う。
    こんなふうになっている以上、もはや人間はその自然に戻ることはできないが、まだ理性がある。理性に照らした法律でもって、ただすことができるのではないか。そうやって彼は締めくくる。
    彼がその現実認識から考えてみたいと強く願ったことに別に疑問は抱かないし、彼のような先駆者がいるから、こういう話がたたき台に上がることができる。
    だが、なぜ彼は考えなかったのだろうか。「自分のもの」の前に「自他」というこの区別が生まれてしまったことに。自分のものを所有したのがそもそもの始まりではない。自分というのが他のひととは違うのであるということに気づいてしまったところが、人間の不平等のはじまりだ。区別というのが生じたところがもはや人間が人間であってしまう由縁なのだ。
    彼はことばの始まりについて偶然にことばが生まれたと言って、それ以前については触れられていない。もっと厳密に自然状態をつきつめるとしたら、それは人間がことばを持つ以前に存在したか、そして、なぜ人間がことばをもったのか、それをもっと考えなければならなかったはずだ。偶然にも人間がことばをもって、偶然にも社会というものの中で生きている。この偶然こそ、自然でなくて何になる。
    自然法に照らして考えるということを彼は言ったが、その自然法が自然であるのは、何なのだ。こういう不平等が平気ではびこるこの社会もまた、自然なのだ。まるで人間の社会が不自然という発想はわからなくもないが、それでも、こうして存在している以上、これが自然としか言えないはずだ。
    彼の自然ということばは、人間の手が加わっていないという意味での自然なのだろうが、厳密には、本来、という意味であるに違いない。人間のほんとうの状態から考えれば、理性的に考えれば、この社会は、この不平等は、変だ。
    彼は「ほんとう」というものを歴史をさかのぼることで探そうとした。しかし、いくら遡っても、歴史には「ほんとう」しかない。ことばというものが、そもそも「ほんとう」しか示していないのだから。
    彼はどこまでこの驚くべき事実に気づいていたのだろうか。しかし、今となってはもう遅すぎる。

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