切支丹の里 (中公文庫)

  • 62人登録
  • 3.81評価
    • (6)
    • (6)
    • (8)
    • (1)
    • (0)
  • 8レビュー
著者 : 遠藤周作
  • 中央公論新社 (1974年4月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122000919

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
島崎 藤村
ヴィクトール・E...
三島 由紀夫
有効な右矢印 無効な右矢印

切支丹の里 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 長崎を旅した紀行文やそれをもとにした作品が収録されており、「無鹿」や「夫婦の一日」のように緩急があり読み応えのある遠藤氏らしい素晴らしい一冊です。
    切支丹研究書や文学などは多くあれど僕がやはり遠藤氏の作品こそ、と思う所以は、いつもながら彼の「幸福」の描き方があまりにも美しい為です。
    「キリスト教」ときくとイエスの受難や最後の審判など目を覆いたくなるような情景を真っ先に思い浮かべる方は決して少なくありません。無宗教主義の方こそもしかするとそんな風なシーンばかりを想像されるかもしれません。
    遠藤氏はその中で非常に「幸福期」を手を抜かずに描いてくれるのです。
    「イエスの生涯」ではイエスが親類の結婚式に招待された時の幸福と祝福が光の中で溶け合っているような美しい描写を、「無鹿」では大友宗麟が夢と希望にあふれ、まばゆい草原のなかで賛美歌が響いているような眩しい情景を見せてくれました。
    この本でも日之枝城が西洋人をうならせるほど美しかった頃の事を、また口ノ津に西洋人が行き来し教会が海に空に響くように鐘を鳴らしている美しい風景を見せてくれています。
    フィクションとは知っていますし、そんな光景が歴史の中にあるかどうかはわかりませんが、彼は小説家なのです。
    そのようなう優しく眩しい情景を見せてくれるのが他でもない僕が大好きな遠藤氏の筆力なのです。
    また、幸いな事にこの本が次に読むべき、手に取るべき本を2,3冊導いてくれました。これこそ書物を愛する身としての醍醐味でしょう。

  • 長崎へ行きたい

  •  今夏「キリシタン巡礼の旅」と銘打って長崎旅行をしたときに携行した。これが一番役に立った。遠藤周作の作品、『沈黙』や『女の一生』などの背景情報として読むことができるが、私がやったように旅行ガイドとしても適している。
     最後の三章は、遠藤周作の基督教観——弱者の救い——がよく表れている。

  • 3年前に長崎・五島列島で見た、海のそばの教会が忘れがたい。正確に言えば、その教会に至るまでの道のりが、なのだが。

    その教会は、バス停から20分くらい歩いた浜辺の先にあった。そこに到着するまでの長いアスファルトの道には、ギラギラと容赦なく照りつける夏の日差しを遮るところが一つもなく、そしてほとんど車が通らず、聞こえてくる音は右手の海で操業している漁船の音だけで、のどかといえばのどかだったが、どこか深く立ち入るのを拒絶されているような峻厳な雰囲気もあった。軽々しく口にしたら咎められそうだが、“原罪”という言葉が頭に思い浮かぶような風景だった。日差しに焼かれながら歩くその道のりが、宗教的試練をイメージさせられた。

    長い道の終わり、浜辺のすぐそばに建っていた教会には、江戸時代に人々がこっそり拝んでいたらしい地蔵のようなマリアや、明治以降、人々が晴れ着を着て船を降りて教会に向かう写真が展示されていた。それらを見て、人に知られないように禁止された神を信仰するということはどういうことなのか、考えずにはいられなかった。以来、遠藤周作の『沈黙』をところどころ再読し、隠れキリシタンについての文献をネットで拾い読みしたりしていた私は、この本を見つけた時、迷わずすぐに買った。当然、いや必然だった。

    『沈黙』に描かれていた“同伴者イエス”、棄教を決意しながらも胸を切り裂かれる思いで踏絵に臨む主人公の宣教師に「踏むがよい」と語りかけるイエス。なぜそうしたイエスが生まれたのか、そしてなぜ隠れキリシタンたちが拝んでいたものに聖母マリアが多かったのかが、著者の綿密な調査によって語られる。それを読むと、こうして『沈黙』は誕生したのか! と感嘆してしまう。そして、“隠れキリシタン”とは、“転び者(棄教者)”の子孫であるという記述に、ハッとした。言われてみれば、確かにそうだ。

    著者が殉教者ではなく、精神的および肉体的恐怖に抗えずに棄教してしまった“裏切り者”“負け犬”であるところの転び者や隠れキリシタンに注目し、「彼らを生き返らせ、歩かせ、再びその声を聞くことが文学であるのではないか」という一文に、跪いてひれ伏したくなった。同時に、著者が殉教者ではなく、転び者に自分を重ね合わせるところにも。

    作中、著者が訪れた隠れキリシタンに因んだ土地が、普通の紀行文のように書かれているところもあれば、小説風に書かれているところもある。著者が隠れキリシタンに引き寄せられるのは、自分が母を裏切ったという罪悪感や後ろめたさが背景にあると綴られている『母なるもの』、『沈黙』を読んだ後のような、胸をじわじわと侵食する痛みを、また感じたのだった。

    『沈黙』の宣教師を裏切るキチジローは、ユダでもあり、ペテロでもあったのか……と今頃知った。小心で卑怯な裏切り者のキチジロー、しかし恐らく、私も当時殉教か棄教かを迫られていたら、恐怖のために間違いなく転び者になっていただろうなぁ……。

    この作品の初版は1974年。あれからもう40年経ったけど、作品に登場するような隠れキリシタンの信者はいるのだろうか……と、想像せずにはいられない。

  • 遠藤周作のテーマ(’転んだキリシタンの思い)の源流が書かれている。歴史に残らない弱者の記録。

  • (1997.01.14読了)(1987.05.16購入)

    ☆遠藤周作さんの本(既読)
    「白い人・黄色い人」遠藤周作著、新潮文庫、1960.03.15
    「海と毒薬」遠藤周作著、角川文庫、1960.07.30
    「沈黙」遠藤周作著、新潮社、1966.03.30
    「死海のほとり」遠藤周作著、新潮社、1973.06.25
    「イエスの生涯」遠藤周作著、新潮社、1973.10.15
    「キリストの誕生」遠藤周作著、 新潮社、1978.09.25
    「スキャンダル」遠藤周作著、新潮社、1986.03.05
    「深い河」遠藤周作著、講談社文庫、1996.06.15

  • 長崎の歴史文化博物館でも、現在は切支丹弾圧時に用いられた「本物の踏み絵」を見ることができます。摩滅してしまった踏み絵の足指の痕から、その昔の遠藤周作は何を感じたでしょう。『沈黙』や『イエスの生涯』が生まれるよりも前、遠藤周作は何度も長崎を訪ね、「まるで故郷に戻ってきたような気持ちになる」と書いています私自身にはギリギリで思い出される、幼少期の鮮明な故郷の様子。実際の知人の名前も見ることができて、それで余計にわが思い出も立ち上がってくるように思える。聞こえてくる会話も、ほとんど完璧な長崎の言葉。そのような、私にとっては少し特別な、他に変えられない本。せつなく懐かしい1冊。遠藤周作氏は、ここに書かれているような「切支丹の長崎(県)」を繰り返し経験して後、『沈黙』『女の一生』などを書いたのです。

全8件中 1 - 8件を表示

切支丹の里 (中公文庫)に関連する談話室の質問

切支丹の里 (中公文庫)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

切支丹の里 (中公文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

ツイートする