背教者ユリアヌス (下) (中公文庫)

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著者 : 辻邦生
  • 中央公論新社 (1975年2月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (438ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122001831

背教者ユリアヌス (下) (中公文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 辻邦生 「 背教者ユリアヌス 」3/3 著者が伝えたかったのは 「人間は永遠に未完成であるが、完成に向かって走り続けるのが人間である」といった人間観。

    その象徴として
    *ユリアヌスの考え続ける姿
    *成就されないローマの秩序
    *報われない ディアの愛 を繰り返し描いている


    キリスト教の中で人間は 神に考えを委ね、正義が行われず、憎しみの中にいる、ローマ異教に回帰することにより 人間性を取り戻す

  • 全3巻というボリュームですが、読めちゃいます。例えば江戸を舞台とする歴史小説などの面白さとは違う類いの面白さです。
    ユリアヌスは地上の美しさをこんなにも愛でる人なのに、その崇高すぎる思想は地上から離れているような気がして、彼の宿命を皮肉に感じました。

  • 2014.7.19 読了

  • 高校時代の同級生がZ会のペンネームに本書の題名を使っていたのでやけに記憶に残っていたのだが、塩野七生のローマ人の物語の中で久しぶりに名前を目にした時に、その生涯に無性に興味が湧いてきた。

    第19代のローマ皇帝となるユリアヌスは、大帝コンスタンティヌス亡き後、猜疑心に煽られた次代皇帝で従兄弟でもあるコンスタンティウスにより、父や家族を殺害される。
    難を逃れた兄ガルスとともに永く幽閉されるもその間に学問に傾倒していき、皇族とは無縁の人生を歩んでいくはずだった。
    学問に没頭してく中で古き時代のローマの合理的な運営の仕方、パックス・ロマーナによる平和な時代に強く惹かれていく反面、勢力を強めていくキリスト教に対しては、その盲目的な信仰の在り方に非合理を感じていく。
    皇帝に取り立てられた兄ガルスの失脚と同時に、皇帝周辺のキリスト教信者たちから追い詰められるも、論理だった弁明と思わぬ助けにより窮地を脱したユリアヌスは、一転してガリア統治を任される副帝として派遣され、その思慮深さ、冷静な判断力に基づく軍事的才能を開花させガリア平定を成し遂げる。
    その後、またしても皇帝を焚き付けたキリスト教徒たちは、ユリアヌスを謀反人として貶めることに成功するが、雌雄を決しようと東のペルシャ戦線から帰還する途上、病に倒れた皇帝は死の間際に後継としてユリアヌスを指名する。

    ローマの理想を掲げて皇帝としての統治を推し進めようとするユリアヌスだが、そこにはどうしても相容れぬキリスト教の信条と古代ローマ文化の葛藤が横たわるのだが、最終的にはそれが彼を追い詰めていくことにもつながるのであった。

    哲人皇帝として名高いマルクス・アウレリウスに比しても決して劣らなかった知性と、軍事的才能に恵まれ、高潔な人柄でも知られ、強い責任感をも有していたユリアヌス。
    キリスト教が広まる以前のローマだったら、必ずや賢人皇帝の一人に数えられたであろうことは間違いない。
    生まれてくる時代を誤ったとしか言いようがなく、読後には強く寂寥の思いが残る。

    塩野氏の著書では十分に味わえなかったユリアヌスの深い人間的な側面、叙事的な構成で描かれたストーリー、情景をまざまざと思い浮かべさせる著者の筆力、とどれをとっても一級品の小説。
    四十年以上も昔の日本で、これだけ深いローマの物語が描かれているとはまさに驚き。
    今年読んだ中でも上位を争う素晴らしい小説であった。

  • カバーから:永遠のローマよ。日の神は今わが生を見棄てられた!ペルシア兵の槍に斃れたユリアヌスは、皇帝旗に包まれてメソポタミアの砂漠へと消えてゆく。

  • 不遇の境遇からローマ帝国皇帝にまで登りつめ、そしてペルシア遠征の地で32歳で命を落とした「背教者」ユリアヌス。その生涯を叙事詩的なスケールで描く大河小説。上中下合わせて1000ページと大部だけれど、全然苦にならない、どんどん読んでいける。
    作中でのユリアヌスは、秩序を何よりも重んじる人物として描かれる。理性に基づいた人間の営みが、社会に国家に秩序をもたらすという信念のもとローマ帝国を運営していこうとする。その信念は時に夢想的なほどに理想主義。そうした彼が理想としたのはギリシャ的な哲学の世界であり、マルクス・アウレリウス・アントニヌスのような哲人皇帝による政治。だからこそ、キリスト教徒はそうした古典的な秩序美しい秩序を乱す存在として、ユリアヌスには映った。秩序のうえの寛容さでもってキリスト教も受け入れようとするものの、彼の理想主義的な政策は時に世に受け入れられないが、それでも邁進する。
    これら信仰同士、政治同士、あるいは信仰と政治の相克を見事に描いているところが、ただスケールの大きな歴史小説とは一線を画している点。ただ単に主人公がどうしたどう考えたではなくて、それらの背景にあるより大きく根深い構造を掘り出してこそ、こうした小説には意義があると思う。

  • 皇帝への登極、内なるガラリヤ人との争いと、ペルシアへの外征。
    多元主義・寛容・知識主義が単純化さらた真理(と思われるもの)に敗れていく様をローマの哲人皇帝の終局の姿を写し絵にしながら描ききった傑作。
    極論や止揚を求めない単純主義に勝てないと分かりながらも、相克する矛盾を抱えつつ生きる知識人の辻邦夫御大の理想像がここにあります。

  • 前皇帝の崩御によりユリアヌスは皇帝の地位についた。
    ユリアヌスは哲学的思想によりローマ帝国の腐敗した政治の改革を目指した。最期はペルシア遠征中、志半ばで倒れた。

    人の在るべき姿を描いた作品。まさに思わず息を呑んでしまうほどの名句がたくさん出てくる。
    上巻は何だかパッとしない雰囲気だったが、尻上がりに面白くなってきた。我慢して読破した甲斐があった。哲学という分野も中々捨て難いと思った。


    人間は永遠に未完成のものかも知れぬ。永遠に完成に向かって走りつづけるものかも知れぬ。だが、それは走っているのだ。そのことが肝心なのだ


    寛容とは、その無制限な横暴を見て見ぬふりをすることではない。もしこの寛容の背後に、寛容をもたらした精神の火が燃えていないのなら、それは無責任の傍観に等しい。寛容が寛容であるためには、それを支える確たる精神が目覚めているのでなければならぬ

  • 2013/10/31完讀

    尤利安平定高盧後,在ルテティア(現在的巴黎)宮殿指揮政事。皇后死後,因為饞言,皇帝又命令尤利安把高盧軍隊精銳全數送到東方對抗波斯,拒絕就當作是叛亂。高盧軍隊群情激憤,要求將尤利安拱為新皇帝。尤利安心中懷抱著理想,認為正義就是自由,但正義不應該用不正的手段去保護(基督教當時有很多教派在論戰,打著真理的口號互相屠殺),真理不會用鮮血弄髒自己的雙手。正義應該就是自由,也只會存在於自由之中。「自由があるからこそ、人間の秩序に意味があるのだ。」於是尤利安接受推舉,他認為,復興神殿,及羅馬古來的傳統與秩序是自己的使命:「私はローマ帝国古来の精神の秩序をもたらすために生まれたのだ」。哲學,是發現、洞察與追求不可撼動的存在的理法,羅馬的秩序就是沿著這些理法來治理國家,順應實際上的需求:「真の仕事と呼ぶものは、そうした理法の中に入って、それに則って事を処理するなのだ。だから、この理法のなかで仕事する人間こそ真の人間と呼ぶにふさわしい。そこでは身分の上下があろうはずはない。みんな兄弟姉妹なのだ。」

    尤利安認為,像基督徒一樣,拋棄理性,把一切拋出去交給神有多輕鬆愉快,但是人不該連自己思考的力量都放棄,把一切都丟給神,人應該自己負責,挑起世間的重任。基督教認為正義是由神實現的,人不可能實現這個東西。「なるほど、人間は取るに足りぬ存在だ。人間の意志など飴ン棒のようにねじまげられるかもしれなね。だが、それにもかかわらず、人間は〈よきもの〉を求めて努力するのだ。…人間が永遠に未完成のものかもしれぬ。永遠に完成に向かって走り続けるものかも知れぬ。だが、それは走っているのだ。そこことが肝心なのだ。」「ひょうっとしたらローマは光ではなく、光であろうとする意志である。こうした北風に吹かれて行軍していること自体、そうした光であることへ向かっての疾走かもしれぬ。おそらくそうした意志を放棄しない以上、ローマは光となるかもしれない」

    經過多次與コンスタンティヌス皇帝交涉均觸礁後,尤利安決定先發制人,出兵前往君士坦丁堡。一開始戰況非常有利,但漸漸後方遭受皇帝布妥的陰謀接二連三地襲擊及斷糧。尤利安覺得無論結局如何,都是諸神的旨意,他也欣然接受,他開始繼續撰寫弁明書的檄文,訴諸天下正義。皇帝在361年春天徵發大軍攻擊尤利安。但異樣的緩慢速度後來謎底揭曉,皇帝コンスタンティヌス於11月駕崩。儘管移動宮廷中仍有以宦者エウビウス為首的反對勢力與基督教徒存在,但風向漸漸轉變為支持尤利安繼位。12月尤利安進入君士坦丁堡。

    尤利安開始進行各項改革,希望可以實現正義,達到簡素明快與效率。但沈痾已深,短時間內難以立竿見影。而他為了維持羅馬兼容並蓄的理想和精神,頒佈基督教的寬容令,但基督徒卻當作放任,完全不接受任何妥協,並且鄙夷權威,一味擁抱苦難、狂熱與不學無術,甚至常常破壞神廟。而羅馬的神官也散漫不積極。外患波斯開始叩關時,尤利安不得已,只好限縮基督徒的權利,但他還是想把基督徒嫌惡世界的觀念和眼光,拉回這個美好的世界來,讓他們學習在古希臘的甘美靜謐的睿智中活著,還是採取寬容的大方向,但這樣的步步退讓,引起軍隊的不滿。尤利安駐軍在アンティオキア(安條克)時,還是採取寬容原則,但基督徒屢次引起衝突,後來尤利安遷走聖人遺骸,他所修建的阿波羅神殿卻遭到縱火,基督徒都認為是神的旨意。後來查出似乎是一個主教所縱火,認為應鎮壓基督徒的鷹派及軍方抬頭,情況開始失控,脫離尤利安的掌握之外,又繼續被基督徒掣肘,但是他還是盡量採取理想主義的方法治理。尤利安進軍前往波斯帝國的首都,打算一舉解決外患問題,同時在軍營中撰寫與基督徒筆戰的文章。ディア在尤利安面前進行最後一次表演,這一段讀起來有點酸處。後來尤利安破釜沈舟打算去於別動隊會和,卻讓部隊在沙漠中迷路並且遭到波斯騎兵的攻擊,尤利安戰死,但他謳歌了生命:「おそらく人が死ぬというのは、ただ地上を憧れるというただそのことのために、意味を持つかもしれない。人の魂が天に昇るり、星星の間で光るというのも、魂がはるばる地上を憧れるためであるのだろう。いや、いつか、われわれは、風となり、花となって、この地上を訪れることがあるのかもしれない。なぜなら地上とは、それほどにも、神々に愛された場所であるからだ。…人々が魂となってこの肉体の牢獄を抜け出るのは、地上のすべてが喜びの素材でできていることを確かめるためだった。…そうだ、地上にあるとは、この濃縮された浄福を贈られることだ。人が魂となるとは、この浄福を真の贈り物として、永遠の歓喜の中に入ることだ、それほどのようなみじめな死にあっても、そうなのであろう…」

    **

    看到尤利安的理想主義和頓挫,也會不禁想著,要是自己會怎麼做。是保持著對底線的堅持,但同時也是對惡黨的縱容,或者是採取獨斷的手段快刀斬亂麻?只能說他沒有太多時間去實踐理想,可以長期地來判斷排他性、追求絕對與狂熱的基督徒是否會產生相對性的與這個世界的調和感覺,也會想著如果這個計畫繼續進行會怎麼樣?今天的世界是不是完全不一樣了,基督教就不會盤踞西洋世界近兩千年,讓整個西洋文化後來都繞著它進行?尤利安對古希臘的感覺,對理性和裡想的信仰,對世界存在的美好的愛好,給人一種清朗舒爽的感覺,但也有點帶著令人憧憬的虛幻;相對的基督教的排他性與難以溝通,現實的泥沼與厚重,更是讓人感到挫折。不過與其讓尤利安在理想的頓挫或者基督教、反動派的勢力下死亡,不如讓他如流星一瞬間般消失,更適合他吧。讀到最後對於他的人生會怎麼結束感到不安,也對於這很適合他的死法感到慶幸。

    解說的部分我覺得寫得有些言重。確實這本書在重現歐洲敘事史詩的創作感覺上是寫得很好,但我不同意作者對所謂當時日本近代小說界的看法。確實我同意,小說的強勢確實會壓縮到文學的其他類別例如戲曲等等這點。但歐洲文學傳統傳到日本,原本移植就會長出不同的花朵,實在沒有一味貶己尊他之必要。日語有日語自己的傳統和言語感覺,和抒情的風土與敏銳的感覺性,無須一定要和歐洲厚重、與抒情堅決區隔的敘事長詩相比;原本日本的感覺就不是像歐洲那麼絕決跟純粹,但是這種混雜柔和的感覺,也是日本的長處,無須一味否定。不過解說者雖然可能是在三十年前寫下的,但要是說現在小說的輕量與輕浮化這點,我倒是很同意,近來的小說能給人後座力的實在不多了。

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