科挙―中国の試験地獄 (中公文庫 M 227)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122011007

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  • 高校生

    噂の科挙を知りたくて。

  • 2020年からの持越しで、今年初読了の一冊。奥付は昭和59年。最古の超難関国家公務員試験に興味を覚えた。サッカーに喩えれば、県大会から関東大会を勝ち進み、全国大会で上位に入らなければ任官されないという過酷さ。缶詰にされる試験会場での不審死は、その受験者の悪行に基づく因果応報として伝説となるのは、いかにも儒教の国・中国らしい。「猟官」という言葉を覚えたのも本書だった。今でも猟官に対する嫌悪感のようなものが残っている。

  • 科挙、すなわち中国で隋の時代の598年から清の時代の1905年まで約1300年にわたって行われた官僚採用試験について書かれた本。名著として有名。科挙の仕組みを細部にわたるが明確に記しているほか、科挙が社会のなかでいかに重要視されていたか、科挙が中国社会に果たした役割などが書かれている。また、試験の際に受験者に現れる幽霊などの話もある。こうした幽霊は、なぜか色欲に関わるものが多い。

    科挙のように広く一般から官僚を採用する試験を行うことは、現代日本の公務員試験をはじめとして各国で行われている。だがそれは近代に至ってから採用された制度で、隋の時代から採用されていたことは驚異的だ。日本は律令制で中国の精度を多く取り入れたが、科挙は定着しなかった。だがこうした科挙の特異性については本書はあまり記述が無い。つまり、科挙のような現代的制度が極めて早くから中国にだけ存在したこと、中国の行政制度を多く取り入れた日本・韓国・ベトナムなどで定着しなかったこと、そして現代的であった科挙が清の時代に現代的でないとして廃止されたことは扱われていない。

    科挙と言っても上記のように1300年の歴史があるため、各時代でその制度の内容も変わっている。本書は主に、19世紀後半の清朝末期の科挙を一応の基準として論じている(p.30)。いわば科挙制度の最後の姿を記している。これは科挙以前の学校試験である県試・府試・院試や、本試験に先立つ足切りとしての覆試など、清時代の科挙がもっとも複雑な姿をしていたからであろう。とはいえ、例えば唐の時代にフォーカスを当てたような記述も見られる(p.162-165)。

    中国の各王朝は科挙制度を整備したが、それは試験制度。試験に合格する人材を育成する教育機関については、驚くほど手薄だった。すなわち科挙は教育のコストを民間に任せて、優秀な人材だけ採用する虫のいいシステム(p.223)なのである。いきおい、そうした教育に投資できるだけの資源をもった層だけが科挙にチャレンジできることになる。一応、地方学校や太学(国立の中央大学で、「太」の字を用いる)もあった。というより本来は地方学校から太学、官界へというルートだったのだが、この道は狭かった。学校に入ってしまえば科挙の受験資格が得られるので、みんなが科挙を受けるようになり学校は有名無実化してしまったのだ(p.59-67)。教育機関は用意したが、結局は試験さえ合格してしまえばよいというこの流れは、法科大学院の顛末を思い起こさせる。こうした学校の教師は科挙に合格しながらも官僚としては落ちこぼれた人たちがなったので、教育の質も低かった。

    科挙の試験に対する世間の注目はあまりに高かった。受験生にかかるプレッシャーも大きいが、試験官にかかるものも相当に大きかった。不正や買収が無いように予防策や罰則など様々なものが用意されていたことが紹介されている。まず、試験会場は試験が始まると門が封鎖され、外界から完全に遮断された。試験官は採点がすべて終わるまで閉じ込められたまま解放されなかった。筆跡により受験者が特定され、試験官が手心を加えるという不正を防止するために、答案はすべて筆写された(p.98f, 214f)。もちろん、特定の合言葉を忍ばせておくなどいくらでも対抗策はあるが、すべての答案を筆写するなど膨大な手間とコストである。試験の公平性を保つ驚異的な仕組みがあった。とはいえ、こうしたプレッシャーはあまりに大きかったため、将来役に立つ人物を抜擢するという科挙本来の目的を達成するより、無難に試験を終えることを重視しがちとなり制度が硬直した(p.38f)。

    科挙と言えば主に儒教の文書、四書五経の暗記である。自然科学や技術は労働者の学ぶことだ(p.21)と考えられていた。この点が近代になって科挙が意味を失ってきた理由だ。制度的にも硬直し、西洋の自然科学や技術を取り入れることもなかった。科挙で採用できない才能を発掘しようとする制科という試験も考え出された。いまでいう一芸入試だ。しかし科挙に合格して官僚となった進士たちの反発を生み、結局廃止される憂き目にあった(p.194-199)。

    武芸の科挙にあたる武科挙という試験もあった(p.187f)。武科挙に合格した者は軍部官僚として育っていくことになる。しかし武科挙の規模は小さかったし、合格者とはいえ科挙に合格した進士たちの下に置かれた。こうして、武を押さえて文を尊重することが科挙の根本特徴をなしていた(p.228f)のだ。徹底して文を徴用することで武を抑えたことが、広大な中国でかくもクーデターや戦乱が少なかった原因の一つ(p.231-233)と考えられる。もちろん、科挙に合格できず世を恨んだ人間が、反体制派を巻き込んでクーデターや戦乱を起こすこともあった(太平天国の乱の洪秀全などが有名)。単なる武装勢力でなく、科挙を目指したような人間が中心となったことは結局は科挙の意義を示していることになろう。

  • 科挙の仕組み、歴史的な意義が網羅的に、また詳細なエピソードも含めて分かりやすく記載されている。小説には状元、探花などでてくるが、探花が合格者の中で若くて容姿端麗な者で、本当に牡丹の花を探して宴会にもってくる、というのは初めて知った。また、科挙に受からなかった者の中から、国家に叛乱を起こす団体のトップ(太平天国など)がでるというのも興味深かった。
    内容の深さにも満足。同じく中公新書の「宦官」と同じくらい良い本だと思った。

  • 科挙の制度がわかりやすく整理されていますが、それよりも科挙の裏話がおもしろかった。
    結論、科挙合格は頭より運である。

  • 科挙については恐らく学校でも
    仔細なことについては習わなかったので
    とても新鮮なものがありました。

    難しい試験とは一応のこと
    知っていましたがこれは確かに難しいです。
    しかも試験の時間がこれまた…
    字の記述にも気をつけないといけない点があったり
    審査員の気まぐれ、なんていうのもあるので
    いろんな面で受験者は大変だったでしょう。

    門戸は開かれていたものの
    実質は金持ちに限られた
    ものだったようなので今の中国を
    みているようなきがしました。

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著者プロフィール

1901-95年。長野県生まれ。京都帝国大学文学部史学科卒業。京都大学名誉教授。文学博士(京都大学)。文化功労者。専門は,東洋史学。主な著書に『東洋に於ける素朴主義の民族と文明主義の社会』(1940年)、『アジア史概説』全2巻(1947-48年)、『雍正帝』(1950年)、『九品官人法の研究』(1956年、日本学士院賞)、『科挙』(1963年)、『水滸伝』(1972年)、『論語の新研究』(1974年)、『中国史』全2巻(1983年)ほか多数。『宮崎市定全集』全24巻+別巻1(1991-94年)がある。

「2021年 『素朴と文明の歴史学 精選・東洋史論集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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