檀林皇后私譜 上 (中公文庫 A 97-6)

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  • 中央公論新社
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  • / ISBN・EAN: 9784122011687

感想・レビュー・書評

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  • 勉強した内容が出てきてうれしい
    つか、勉強していないと全く此の本の良さが分からないね
    残念なのは「淡路廃帝」が早良親王だと書いている事
    淳仁天皇ですよね
    あと、高志内親王が作中では823年まで長生きしているのは物語の効果を高めるためならばOK(実際は809年だったかな)

  • 2016/03/29完讀


    這本書正好跟王朝序曲描寫同一個時代,不同的視角饒富興味。主角橘嘉智子(被老尼說有皇后命),從小和從兄橘逸勢等一起長大,橘家因為祖父謀弒事件而被冷凍。嘉智子嫁給桓武天皇二子神野王子(有霹靂無敵多愛人),當時他已經有高津王妃及長男。神野王子頗有城府,父親桓武天皇晚年在怨靈作祟(井上皇后曾與他的一段情,後來因此被百川構陷說主奏光仁天皇,就和他戶親王後來一起冤死,桓武才得以即位,即位之後又為了想讓子安殿即位,就趁藤原種繼暗殺事件清洗了早良親王一派)之下健康不佳,命安殿日後立神野為王太弟。

    至於藤原四家的戰爭,這本書裡有比較細節的描寫。北家的內麿和冬嗣意圖排除他家,南家在伊予親王叛變(內麿所製造的冤獄)後一蹶不振(三守除外,但三守是妻弟),式家日後在仲成藥子兄妹被排除之後也失勢。

    安殿親王即平城((へいぜい))帝,即位後沒多久就因腳氣病加上伊予親王吉子母子的怨靈事件,雖然一時意欲第努力改革,但也是一個相當任性的人,不顧仲成兄妹勸阻決定讓位。在這本書裡,藥子是個聰明冷靜的女人,反而爆走的是心智年齡高中生的平城帝,愛鬧彆扭變來變去,不過這兩個人真的是真愛。藥子女兒嫁入給安殿時本人反而被安殿看上,藥子女兒後來就自盡了,這邊有短暫提到她感到很難過,似乎光這段就可以寫一本很好的小說!如果有真的想一讀,在對愛女的負疚感,和雖九死其猶未悔、地獄也願去的真愛。

    讓位之後神野王子即位是為嵯峨天皇。阪上田村麻呂是高津王妃伯父(這邊有提到清水寺在遷都前是山城國愛宕郡鄉下,阪上去獵鹿要給孕中的妻子補身體,結果遇到這邊結廬的僧侶說這是聖地,因此發願建廟,田村麻呂在奧州也獲得不少財富有此財力。而桓武天皇因為寵信他並倚仗他徵蝦夷,所以特准將清水寺一代土地賜給他,准許其為私廟。據說在當時對蓋廟非常嚴格,搬到平安京之後,桓武只准許東西寺兩間官廟(桓武本來某一部分也是要逃離南都佛教的掌控而遷都的),其他廟都應歸這兩間廟,並拆除私廟。高筋王妃在親戚春子的口舌之下,意識到嘉智子是對手,而且其更是北家的親戚,只是嘉智子沒有小孩,高津好歹是皇女。但是發生高津手下的乳母被毒死事件,冬嗣在其中搧風點火,不禁讓其懷疑是否確有內情。

    橘逸勢因為嘉智子嫁給神野王子失戀,曾在桓武朝參加遣唐使,後來竟在那裏頹廢放浪,空海帶不回他就放棄他了,後來他自己回來還帶回一個女兒。

    平城上皇退位之後沒想到並馬上恢復健康,就吵著要回奈良平成京住,一康復之後,畢竟才三十六歲又開始想有作為蠢蠢欲動。仲成受不了他的任性,還是不搭理他,反正專心保護平城的皇子、目前的皇太子(退位當時和嵯峨天皇的約定)高岳親王,把希望放在親王身上。嵯峨天皇側命冬嗣當藏人頭,再加上廢掉按察使適度,平城天皇震怒決定決裂,便命令遷都回奈良。

    附帶一提,由於平城天皇在位中追封了帶子為皇后,退位之後沒有追封她為皇太后,所以據說嵯峨天皇就不能立后(被卡住?),要卡到自己兒子高岳親王即位在說,這是他對弟弟至少的腹いせ。

    **
    同一個時代不同作者竟有如此差異的解讀,尤其是冬嗣和他老爹。在這裡目中無人,有點厚臉皮令人討厭。可見,古代史歷史小說的發揮空間更大,較近代的人物定評比較定型,就很難做到這一點。

    第一次讀這個作者的書,但前面有點裹腳布的漫長感,例如老尼那段目前為止好像有點蛇足(註:讀完下卷認為還是有意義的。)。再來裡面雖然是現代語對話,但是未免又太現代過頭,おれ和ぜ、ちゃん出現就算了,天皇也說おれ的話就感覺很詭異,另外又會講幸福等等,或者把幸福跟結婚連結,這個就真的實在相當違和。故事本身我覺得還不錯,或許就人性,就鬥爭,目前為止寫得稍勝永井的那本王朝序曲(語調太淡然,然後冬嗣太聖人,而且其實看不出藤原家之間這些慘烈的戰爭),但我覺得這些易讀的台詞,同時也是她的瑕疵之處,正是這些台詞剝奪了時代感,略嫌可惜。

    但我覺得很驚艷地是對藥子的正面描寫,或許這個部分可以更加著力,會是更好的作品;但是目前看來兩個天皇要正面衝突了,藥子應該很快就會消失在舞台上了,可惜可惜。主角嘉智子本人反而目前為止並未感受到太大的魅力。

  • 後の嵯峨天皇となる神野皇子に嫁いだ橘嘉智子の一生。

    平安末期から平安時代そして承和の変までをこの頃一気に4冊読んだけれどまさしく歴史は繰り返すという言葉通り、何人もの人間が廃太子として忙殺された。藤原家のみならず、橘家も帝の家系に絡みつく絡みつく。

    それにしても、桓武からこっち、子ども作りすぎ…

  • <上下巻読了>
     平安時代初期、橘氏の出身で皇后位に就いた、橘嘉智子の生涯を扱った歴史小説。
     飢餓と疫病が蔓延する平安京、藤原氏内部の勢力争い、幼馴染みの橘逸勢や神野皇子(嵯峨天皇)との愛憎、死生観の変遷などが多面的に描かれる。
     しかしながら、本編は長いものの、描写が適切かとなると、覚束ないというのが正直なところ。
     著者の作品には、古代の人物が現代人の感覚でもって現象を解釈する例が他にもあるが、今作においてもそれは顕著に見られる。
     婿取り婚が主流で一夫多妻(あるいは多夫多妻)が珍しくない時代に、貴族の女性が『嫁入り』や『不倫』という概念に深く囚われるものなのか。
     当時の婚姻は、貴族にとって『婚活』=『就活』であり、熾烈な『ビジネス』でもあったわけだから、現代で取り沙汰されるようなまことの愛だの誠実さだのよりも、もっとシビアでドライで、(ある意味では現代よりも)真摯に真剣で、実家・一族を背負って生き抜くために全身全霊を懸けた処世術ではなかったろうか。
     また、誰も彼もが辿れば何らかの姻戚関係にある宮中や廟堂にあって、現代の親戚感覚と同様の身内意識がどこまで持てるのか。
     (皇子の妻になったからといって、帝に対して『舅』、同腹異腹含めて数多いる兄皇子に対して『義兄』といった認識が起こりうるのかという疑問が湧く。)
     さらに、後半につれて、嘉智子自身よりも彼女の周辺の政界の動きが軸となってくるが、その政争の描写も底が浅い。
     主流派となる藤原北家の暗躍とやらがどうにもチャチで、その陰湿さは女臭いのだ。
     言うなれば、女(の書き手)が想像できる範囲内での、権謀術数の紛いものの域を出ていない。
     政界の闘争ではなく、ご近所のママ友ワールド内のイビリ程度のレベルとさえ言える。
     北家の隆盛の基礎を築いた、藤原冬嗣の人物像が矮小なのも残念。
     彼は“器局温強、識量弘雅、才兼文武、寛容接物”と後世に語り遺されている。
     (才能と度量があり、温和で穏やか、文武の才を兼ね備え、柔軟な考え方でもって、寛容な態度で接して人々の歓心を得たの意。自らに与えられた封戸を分けて、貧者への施しも行ったという。)
     資料の信憑性を疑うことも時として必要だが、頭から否定してかかるにしては根拠が乏しい。
     というのも、彼に限らず、他の人物調査も甘い点が気になるからだ。
     著者は藤原内麻呂・冬嗣父子に代表される北家と平城天皇を、安易に対立図式でしか割り切っていないが、史実では、内麻呂の長男で冬嗣の同母兄の藤原真夏は、平城帝の側近の筆頭格として密着している。
     作中では名前だけ登場させて北家側のスパイとして描き、薬子の乱の時点で平城上皇を裏切らせているが、実際は、乱の後にも敗れた上皇に尽くし、その最晩年まで近臣として親しみ、上皇と朝廷との間を取り持つ役割を担った。
     その辺りを調べていない筈はないのに、北家を徹底して悪者としてわかりやすく描きたいがために(?)省略したことで、相関関係が薄っぺらくなっているし、資料解釈能力にも信用が置けなくなってしまう。
     蝦夷征伐で名高い坂上田村麻呂が北家の謀略によって毒殺されたとか、嵯峨帝の妃の一人である高津内親王の自殺も同様だとか、とんでもレベルすれすれのネタを捏造し過ぎているのも胡散臭い。
     個人的には、女流作家が男の世界を描けないとは決して思わない。
     藤原冬嗣を主人公とした永井路子の「王朝序曲」など、男性の政治を見事に描ききっている例はあるのだから、後は作家の研鑽次第だろう。
     藤原四家から抜きん出て、あれほどに栄えた北家の男たちの腕前が、これほどに安っぽく低次元だとは考え難い。
     その政策を紐解けば彼らは歴とした政治家であり(政治屋にあらず)、政敵の悪評を迂遠に流すくらいしか能のないチンケなお貴族様ではない筈だ。
     ファンタジーではなく歴史小説を名乗るならば尚更、もっときちんと政治家としての彼らの仕事ぶりを活写してほしかった。
     それがあってこそ、血みどろな政治闘争の上に立后した嘉智子の存在の重みも増してくると思われるのだが。

  •  平安京を開いた桓武天皇の御世、皇太子として冊立された安殿(あて)太子(後の平城天皇)の下に、神野(かみの)王子と呼ばれた部屋住みの弟がいた。後に嵯峨天皇として即位することになる、この神野王子にその美貌と才気を見初められ求婚されるところから、橘嘉智子(たちばなのかちこ・後の檀林皇后)の波瀾の宮廷生活が始まる。

     高校時代に日本史を選択した方なら、橘氏は馴染みのある氏族名であろう。藤原不比等の後妻として、藤原氏一族の繁栄を陰で支えた県犬養三千代(あがたいぬかいみちよ)が七〇八年に橘姓を賜ったことで、橘一族はその歴史を創始し、平城京(ならのみやこ)華やかなりし時代に、宮中における存在感を存分に発揮する。

     しかし、橘嘉智子が十八歳を迎え、神野王子からの求婚に心を揺らしていた時期には、既に橘一族に往年の栄華は認められなかった。それというのも、嘉智子の祖父にあたる橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)が起こした変によって、彼ら一族は政治の中枢から追い落とされてしまったからである。嘉智子の祖父・奈良麻呂は、孝謙天皇の寵愛をかさにきて政治を専断する藤原仲麻呂を排除しようとして失敗し、逆に謀反人の汚名を着せられ、廃人とされたのであった。

     奈良麻呂は一族の恥として所領の森深くに隔離され、ひっそりと余生を送っていたのだが、嘉智子は少女時代、ひょんなことから従兄弟の橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に、この祖父から変の真相を聞かされることになる。嘉智子は幼心に祖父と自分たちの一族が辿って来た苦難の歴史を意識するようになるのであった。そして、逸勢と一緒に森を出た時、嘉智子は夕占(ゆうけ)を行う尼から、一つの気になる託宣を受けるのである。すなわち、行く末は后妃となり、国母とあがめられるであろうと。一族の中から謀反人を出した橘氏の娘であるにもかかわらず、皇后となるとは一体どういうことなのだろう、嘉智子はその時から自らの運命を思いやらないわけにはいかなくなるのであった。

     神野王子には既に、子を二人為している高津(たかつ)王妃という正室がいる。反面、嘉智子はなかなか子に恵まれず、少なからぬ不安を抱かざるを得なかった。また、それ以外にも彼女を取り巻く環境は安泰とは言えず、帝位の争奪で敗れた井上(いがみ)皇后や他戸(おさべ)太子、早良(さわら)親王らの怨霊騒ぎに始まり、藤原仲成・薬子兄妹の台頭、疫病流行による都の荒廃など、様々な形で気を張り詰めていなければならぬ状況が次々に襲いかかって来る。

     桓武帝が崩御したことで安殿太子が登極し、平城(へいぜい)天皇となるが、彼のいわば愛人であった藤原薬子との仲は、市井の人々からも反感を買うスキャンダルであった。本来、薬子の娘が安殿太子のもとに嫁入るはずであったにもかかわらず、付き添って参内していた母の薬子が、安殿太子との恋に落ちてしまったからである。母に安殿太子を奪われた娘は、それを愧じて入水自殺を遂げ、薬子は娘を死に追いやってまで男を手に入れた姦婦として白眼視されるに至る。

     そして、とうとう薬子と自分に対する厳しい世評に耐えられなくなった平城天皇は、三十代半ばにして退位と奈良への隠棲を決意する。神野王子は皇太弟として立てられていたが、これにより兄から皇位を継承し嵯峨天皇として即位することになる。兄が長く在位していれば、なかなか廻って来ないと思われていた天皇の玉座が、意外にも早く手中に転がり込んできたわけである。しかし、自分の夫は天皇位を得たが、まだ嘉智子自身は皇后ではない。正室の高津王妃ですら、皇后位を与えられない事情がある。それは、上皇となった平城天皇が、若くして亡くなった正室・帯子(たらしこ)へ皇后位を贈ったままであったからだ。平城上皇が弟の正室に皇后位を明け渡そうとしないのは、弟への嫌がらせと思われた。帯子に改めて皇太后位を追贈し、皇后位を空位状態にしないかぎり、新皇后を立てることは出来ないからである。

     嵯峨天皇の正室でさえ皇后になれない中で、嘉智子の立場はどうなっていくのか。幼い頃、国母になると予言されたことは実現しないままとなるのか。
    (まぁ、「檀林皇后」とあるのだから「皇后」になっているには違いないのだが)

     この『檀林皇后私譜』に登場する人物の多くは橘姓、藤原姓である。登場人物はやたらと多いように感じられるが、その誰もが親子・兄弟姉妹・親戚同士といった狭い間柄で構成されているのだ。また、天皇家の人々も異母兄妹(姉弟)同士で婚姻関係を結んでいたりする。血による人間関係が複雑に交錯する中で、同じ血脈上にありながらも栄耀栄華を謳歌する者と不遇をかこつ者の差が生まれ、そこに恨みや妬み、そねみといった対立感情が生じ、血族同士の争いに発展していくのだ。雅とは程遠い権力闘争に巻き込まれながら、橘嘉智子が初期平安朝の宮廷を自分なりに必死に泳いでいこうとする姿が新鮮である。

     特に藤原一族同士の苛烈な暗闘が、この作品では丁寧に描かれている。藤原氏は不比等の四人の息子達によって、北家・式家・南家・京家の藤原四家に分かれ、高官・顕官を輩出しながら、各家が発展していくのだが、嘉智子たちの時代には、その発展にかなりの差が出始めていた。平安京建設に関与する藤原種継(ふじわらのたねつぐ)を出した式家が一時隆盛をみたものの、それを妬んだ北家の人間によって種継は暗殺され、式家は一気に顕職の埒外に置かれてしまう。そして代わりに嵯峨天皇と関係を深めた北家が、めきめきと政界での実力をつけて来たりするのだ。薬子の変を起こすことになる藤原仲成・薬子の兄妹は、暗殺された種継の遺児であり、嵯峨天皇の兄・平城上皇の側に付いた。嵯峨天皇と平城上皇の兄弟の確執の裏面には、藤原北家と式家という親戚関係にある家の確執も透けて見えるようになっているのである。

     天皇家の人間関係、藤原北家・式家の対立構造、橘氏の不遇の歴史、権力闘争に破れ、冤罪を被ったまま死に追いやられた人々、そして疫病に倒れ、飢饉にあえぐ民衆。様々な角度から平安京というものが眺められ、女流作家ならではの細かい観察眼によって語られているので、歴史が苦手だとしても無理なく読める。巻末に天皇家や藤原家、橘家の家系図も掲載されているが、それを一々確認しなくとも、ストーリーを追っているうちに、ややこしい人物相関図も頭に入ってくるので、日本史を専攻する高校生にとっても、勉強の一助となるのではなかろうか。

     上巻では嘉智子の業績にまだまだ際立ったものがないのだが、下巻に至って彼女がどのような女性となり、どのような事を行っていくのか、楽しみに思える作品である。

  • あたかの大好きな時代の歴史小説。嵯峨天皇の皇后だった方のお話です。

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著者プロフィール

杉本苑子

大正十四(一九二五)年、東京に生まれる。昭和二十四年、文化学院文科を卒業。昭和二十七年より吉川英治に師事する。昭和三十八年、『孤愁の岸』で第四十八回直木賞を受賞。昭和五十三年『滝沢馬琴』で第十二回吉川英治文学賞、昭和六十一年『穢土荘厳』で第二十五回女流文学賞を受賞。平成十四年、菊池寛賞を受賞、文化勲章を受勲。そのほかの著書に『埋み火』『散華』『悲華水滸伝』などがある。平成二十九(二〇一七)年没。

「2021年 『竹ノ御所鞠子』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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