檀林皇后私譜 (下) (中公文庫)

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著者 : 杉本苑子
  • 中央公論新社 (1984年11月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122011694

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檀林皇后私譜 (下) (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  •  橘逸勢(たちばなのはやなり)という男がいる。平安初期の能書家で三筆(さんぴつ・嵯峨天皇と空海、橘逸勢の三大書家)の一人の数えられる人物である。そして『檀林皇后私譜(上)』の記事で少し述べたが、橘嘉智子(たちばなのかちこ)の従兄弟でもある。上巻の記事では名前を紹介する程度に留めていたものの、作品中では、彼は実に非常に重要な役割を担い続けている。というのも、橘嘉智子が神野王子、のちの嵯峨天皇と婚姻関係を結ぼうとする物語の冒頭から、逸勢は従姉妹の嘉智子を密かに恋うる男として登場するからである。

     しかし逸勢は、持ち前の強情さや子供っぽいまでの負けん気の強さから、この従姉妹に対する恋心を死ぬまで明かすことは出来なかった。勿論、どんなに男の側が好意や愛情を押し隠そうと努力していても、あるいは隠しおおせていると思い込んでいても、そういった男の気持ちは女の側には手に取るように判るもので、嘉智子も、彼女を取り巻く女性たちも、逸勢の嘉智子に対する愛情は敏感に感じ取っていたのである。

     けれども嘉智子は、逸勢よりも求婚という形で愛情を示す神野王子を選び、橘家に連なる人々も、嘉智子が神野王子と結婚することを望んだ。なぜならば橘家は、嘉智子や逸勢の二代前に謀叛人の烙印を押されてしまった祖父・橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)を出した家であり、その汚名をそそがねばならなかったからである。同じ橘家の人間同士が結婚したところで、中級官吏以上の家にはなれない。祖父の受けた恥辱もぬぐえない。ならば、桓武帝の子息である神野王子との婚姻の方がはるかに有利で、天皇家に連なることが可能となる…。
    当の嘉智子自身はほとんど意識しなかったけれども、橘家の一族は各々の胸に明確に期する、ある思いがあった。官界における一族浮上、である。

     結婚以来、子に恵まれなかった嘉智子であったが、ようやくにして男児を授かることが出来た。正良(まさら)親王である。一つ下には正子内親王も生まれ、女児にいたっては正子の下に秀子・俊子・芳子・繁子と、生涯で合計五人の内親王をもうける幸福に恵まれた。そして、正良親王・正子内親王がまだ幼い時期に、嘉智子にとって人生を左右する出来事が起こったのであった。

     一つは夫・嵯峨天皇(神野王子)の正室・高津王妃の死。もう一つは薬子の変。
    姦婦とまで揶揄された藤原薬子とその兄・藤原仲成が、嵯峨天皇の兄・平城上皇の復権を目論んで乱を起こしたのである。しかしこれは嵯峨天皇から派遣された坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)将軍によって、即座に制圧される結果となり、薬子は毒を仰いで自殺、仲成は処刑された。弟に敗れた平城上皇は政治に口出しすることは不可能となり、弟の妻たちに明け渡そうとしなかった皇后位も独占することは出来なくなったのだ。そして、薬子の変に先立って、高津王妃が自殺する事件があった。少し前に高津王妃に付いていた乳母が毒による不審な死を遂げていたのだが、彼女を服毒させたのが、主人である高津王妃ではないかとの噂が立った為である。根も葉もないことではあったが、その噂の奥にある悪意に耐えられず、じわじわと苦しめられた王妃はある日突然、縊死(いし)を選んだのであった。

     嵯峨天皇の正室の薨去…。嘉智子にとっては思わぬところでの競争相手の退場。だが、嘉智子にとっては偶然と思われていた高津王妃に関する噂と死は、藤原北家出身の藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)らによって、巧妙に仕組まれたものであるらしかった。嘉智子の姉が藤原家に嫁いでいることを足がかりに、北家の人間たちは政界に進出する機会を狙い、嘉智子にとって有利に事が運ぶように、そして嘉智子に恩を着せるようにと隠密裏に動いていたのである。

     嘉智子はとうとう、女性としての最高位、皇后の位に立てられること... 続きを読む

  • 2016/03/29完讀

    平城上皇起兵,為拉攏坂上田村麻呂,藥子拋出高津王妃(姪女)登后為、高岳親王和業子內親王結婚並登基之餌。未料城府甚深的坂上田村麻呂竟然直接拿該條件向嵯峨天皇陣營交涉取得允諾,平城上皇方便一敗塗地,藥子也引鴆自盡。仲成被殺,長男阿保親王被踢到九州,高岳親王也出家,是為真如法親王。

    為避免直接兌現諾言,嵯峨天皇和冬嗣決定先立一個緩衝皇太弟--大伴親王(後來他登基之後大伴氏就改名為伴氏),以便繼續拖時間。沒多久,坂上突然在盛年驟逝,毒殺謠言滿天飛(冬嗣??)。接著乳母毒殺事件不知為何又有其實是高津王妃下手的謠言,高津王妃最後盡自縊。於是主角嘉智子就因此順利成為皇后。嵯峨天皇夫妻終於安定下來,可以不用再偽裝自己,便將朝政都交給臣子,自己專心風花雪月(三筆:嵯峨天皇,空海,逸勢),在神泉苑和這兩個惡友把酒言歡。京都周邊都被貴族寺廟佔據,空海便要求高野山一帶地,可以盡情擴張。

    然而後來嵯峨天皇決定要讓位之後,已有皇太弟大伴親王,嘉智子一心想讓自己寵愛的兒子正良親王即位,只好又和冬嗣(這人根本就跟天翔記裡的算盤暗殺部隊一樣好用)商量。冬嗣先反對讓位,說現在國庫無法承擔兩上皇一天皇的支出。再者,皇太弟有兇悍的妻子高志王妃(和嵯峨天皇同父同母)鞭策那膽小的丈夫一定要達成自己兒子繼位的目標。於是,阿保親王登場,高志王妃去探平城上皇的病之後突然淹死在菱池裡(平城病重也隨之撒手人寰)。接下來讓位劇登場,嘉智子的表現令我震驚。皇太弟大伴親王感到生命危險,對於(被迫出來演戲)辭讓立太子的正良親王還是立他,而嘉智子說登基時還是要有皇后,馬上把自己親生的正子(兩人差25歲)硬塞給大伴親王立后,順便把藤原順子和正良親王聯姻,嵯峨天皇寵愛的潔姬則嫁給藤原良房,北家和嘉智子的關係更加堅如磐石。大伴親王登基為淳和天皇。嘉智子此舉,讓一直寵愛正子的逸勢決定公開和她開戰。

    淳和天皇的兒子、高智王妃所生之恒世親王,成為正良親王的障礙,嘉智子只好再找冬嗣商量。此時他雖然已經因病奄奄一息,但是還是安排鴻門宴,恒世親王就被毒酒毒死(路過吵著要喝酒的嘉智子三女俊子內親王也一起被毒殺了)。後來,淳和天皇現皇后正子內親王生下了恒貞親王(小野篁負責教育他,嘉智子一派把他拔掉,希望他屬己方),當然想希望兒子之後繼承王位,便強硬把其立為太子。然而仁明帝正良親王和順子間也生下道康親王,嘉智子非常偏愛道康,於是免不了和女兒公然開戰。這期間發生遣唐使事件, 小野篁因為拒絕換船並無執行任務上皇震怒被流放的事件。

    淳和帝病危,叫仁明天皇來病塌前要求他發誓不會廢皇太子恒貞親王。沒想到嘉智子(雖然事前逸勢已經警告過她)一方已經發動戰鬥,阿保親王(之前因為高志王妃溺水事件後仕途春風得意,四個兒子也分別賜姓在原,其中就有業平)又先來檢舉恆貞親王意圖謀反,是為承和之變。一黨皆被肅清,北家(良房是不輸給父親的狠角色)對手幾乎都趁此機會被拔掉,伴氏從此一蹶不振。逸勢也被廢姓,死在流放途中,小野篁去途中探望他,他把嘉智子的那條帶子交給小野,要他傳話說自己也成為森林中那個老人了(爺爺橘奈良麿)((後來阿保親王也猝逝,眾人傳說是他的怨靈)。後來道康順利成為皇太子(日後為文德帝,娶了良房和潔姬的女兒藤原明子生下惟仁親王,才剛滿九個月馬上在藤原家的壓力下臂力為太子,即日後清和帝。從此以後攝關家的時代正式來臨了)。嘉智子晚年感到相當空虛,雖然替橘奈良麿洗刷冤屈並追封太政大臣,在人生的戰場上也可說是戰勝者,但她依然覺得不知為何而戰。她發願建檀林寺,唐僧義空告訴她四大元空,唯有把握活著的每一刻;生命對每個人都是平等的九相觀。嘉智子也因此徹悟,並且希望風葬。以前所在乎的丈夫也已經日隔漸久,曾經如此關心的兒子仁明帝也不再那麼煩擾。仁明帝先他而去,嘉智子隨後也在六十五歲撒手人寰。

    附帶一提,... 続きを読む

  • レビュー、一応「上」に書いた。
    三田さん、永井先生、杉本さん一気に読んでみたけれど、
    永井先生のが読みやすくてわたくし的にはしっくりしました。
    実はこの「檀林皇后私譜上・下巻 」は3度目。

  • (上)では純情な少女に見えた嘉智子が、知らぬ間に陰謀事件の中枢に。 守るべき子ができたとき、人は変わるのだろうか。。

  • ここらへんの少し前の時代(藤原氏関係)を知ってるとよりいっそう楽しめるかもとおもいます

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