嵯峨野明月記 (中公文庫)

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著者 : 辻邦生
  • 中央公論社 (1990年8月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122017375

嵯峨野明月記 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 今年の夏の長編読書は辻邦生の嵯峨野明月記.しばらく前に買ってあったのだが,まったく,改行のない文章の密度に,なかなか読み始める機会が来なかった.
    さて,実際に読み始めてみると,小説世界にすっかり入り込み,電車の中で,あるいは夜の時間に,本を開くのが楽しみでならなかった.

    一の声が本阿弥光悦,二の声が俵屋宗達,三の声が角倉素庵.この三つの声が,交互に語り合うことで話が進む.信長の時代から,秀吉を経て,江戸初期に至る時代を背景に,自分の芸術,学問の獲得に格闘する三つの声.はじめは全く違うテーマを奏でているのだが,それに少しずつ響き合う様子が生まれてきて,三人の力で嵯峨本とよばれる豪華な装丁の活字本を作るクライマックスに至る.この構成を考えた作者はきっと,バッハを意識していたと思う.

    緻密で理知的な文章,難しい漢字(私には読めない,意味がわからない漢字がたくさんあった.何度,漢和辞典を引いたことか!)と,本書を読むにはいろいろ高いハードルがあるが,最近の小説に物足りなさを感じている人や,辻邦生の初期の「夏の砦」「回廊にて」を好きだった人には,大きな読書の楽しみを約束する本である.

  • 2015/08/04完讀

    本阿弥光悦、俵屋宗達、角倉素庵、嵯峨本。
    三人以第一人稱文體登場訴說三個人的人生、時代、想法、掙扎、執著。

    我慶幸又再遇到一個,錯過或許會後悔一輩子的作家。辻邦生的第一人稱文體相當出色(父親是薩摩琵琶的名家,所以他也偏好這種語り文体),在安土往還記裡已經令我感到相當驚豔,才讀完沒多久就想重讀;這本書稍微難讀,但更加可以感受他的功力,深度與廣度更是遠勝前書。原本以為主要是描寫三人合力作出一個作品,從各自分離到交集的過程,但其實作者是更加地針對藝術、文化、人生,甚至是生命的本質這件事進行挖掘,這部作品的哲學性更是讓作品更加昇華,實在令人佩服地五體投地。這真的是一本相當相當不簡單的傑作。其後座力之深,讓我不知如何評論。應該說,尚無足夠的功力評論,我只能仰望這部傑作,希望自己沒有忽略掉太多這部傑作的美好。

  • 嵯峨本を刊行した角倉素庵、俵屋宗達、本阿弥光悦を通した美の追及話。文章が綺麗。でもちょっと冗長過ぎるな。

  • 信長・光秀・秀吉・家康への権力の移行期に本阿弥光悦、俵屋宗達、角倉素庵という美を追求した3人の文化人の心の内面が語られる。そのゆえに現代に生きる芸術家のような親近性を感じるのが不思議。3人は別々の語りをしながら、彼らの書・絵・そして装丁の才能が美しい本の実現に結びついていくお洒落な作品である。京の人々の権力に対する恐れが噂を通してリアリティに富む。光悦が月の明るさに誘われて池の畔で出会った土岐民部の妻、そして光悦自身の妻が魅力的。彼女たちの描写に日本語の美しさを堪能する。

  • カバーから:17世紀、豊臣氏の壊滅から徳川幕府が政権をかためる慶長・元和の時代。永遠の美を求めて「嵯峨本」作成にかけた光悦・宋達・素庵の献身と情熱と執念。芸術の永遠性を描く、壮大な歴史長編

  • 10年くらい前に一度トライして読了できず、そのまま忘れていたのに
    10年後また偶然にも手に取っていた不思議な本。

    すっごい面白いんだけどすっごい時間かかる。
    本を開くとすぐに言葉のひとつひとつに引き込まれるのに
    盛り込まれてる歴史的事件・ひとりひとりの気持ちが重くてなのか
    4ページぐらいずつしか集中力が続かなかった。

    一の声・本阿弥光悦が人の世の興廃にたとえる加賀の海の波のうねりは
    ちょうどボストン博物館展で見た尾形光琳作『松島図屏風』を思い浮かべながら読んだ。(時代違うけど)

    また積読したい。

  • 同じ時代を生きた3人が、それぞれに感じる苦悩や喜びを、互いに重なりあるいは離れた場所、時間で語る形式ですが、私には「沁みる」という表現しかできません。芸術や技能、事業といったそれぞれの分野において、高いレベルにあるとは言えない自分が登場人物の内面まで理解できるのかといえば、分かりえないのかもしれませんが。
    辻邦生の作品は、大げさな技巧などは使わないのに、繰り返して読みたくなる魅力があると思います。

  • 煤けた戦の臭い、殺伐とした有為転変。そのなかでかわらぬもの。
    ひたぶる流れ、蛇行する流れ、穏やかな流れ。水脈を同じとする三者三様の流れの面を見ているようで、読んでいるのが心地よかった。

  • 俵屋宗達、角倉、本阿弥光悦の3人の語りが織り成す群像劇。戦国から江戸政権の成立までの激動の時代を生きた3人がそれぞれの立場でそれぞれを語り、時には重なり合い、同じことを別の視点から語る。同じ出来事を別々の視点で語る藪の中とは違い、人生の一部においてそれぞれが共に過ごした時があり、その人生の一部として語られる。
    辻邦夫は何度再読しても味わいが深い。

  • 本当におもしろい。と感じる本は最初の数ページでそれがわかることが多い。
    ぐっと惹きつけられるとか、とにもかくにも美しくて魅せられるとか、表現はいろいろあるだろうが、私は『肌が違う』と思うことが多い。いわばそれは言葉が構成する「色」が異色を放つのだ。その色が『これは特別な一冊なのだ』という一種の啓示めいたものを私に与えてくれる。
    なんだか書いていてあまりにも勝手な妄想だと我ながら思うが、まぁ要するにしっくりくるということなのだ。
    こんな風な劇的な始まり方に巡りあうたびに、『これだからたまらない。』と思ってしまう。


    この本もそうだった。
    読み始めはたいして期待なんてしていなかった。
    勧められたこともあったが、そのときは正直、あまり興味が持てなかった。概要を読んでもあまり惹かれなかったのだ。
    今回はなんとなしに手に取ったのだが、読んでみて驚いた。
    はじまりは回顧だった。
    それは冷ややかで、わびしいそれぞれの終焉を表しているのだが、その数ページの色は内容と相反するながらも、まるで花開くかのように可憐に言葉を咲き乱れさせていた。
    私はすぐに魅せられてしまった。
    おそらく今年読んだ小説の中で一番になる一冊だろうと思う。
    しかし、何にせよ「今年」があと半年以上あるので、とりあえず上半期ではナンバーワンの一冊だろうと今では思う。




    物語は「嵯峨本」に関係する3人の声によって進められる。
    内容としてはその3者の戦国から江戸の始まりにかけて生き様。言ってしまえば歴史小説なのだが、この小説は純文学に近い肌もしている。
    以下、特に私に響いた引用をそれぞれの声から出してみる。



    一の声
    「飛んでも駆けても嘆いても笑っても、所詮手箱のなかの自分の所業を余分に加えたに過ぎず、手箱のなかに――この空しさのなかに――一定の宿命のなかに――入れられていることには変わりはないのだ。そうなのだ、人間の所業はすべて、この一定の宿命という手箱のなかに入れられているのだ。それは透明な、眼に見えぬ玻璃の手箱なので、気がつかないというだけなのだ。人間の所業は、野心も功業も恋も悩みも裏切りも別離も盛衰も、すべて、この手箱のなかにあり、そのなかで永遠の廻転を繰りかえしているにすぎないのだ。」


    二の声
    「心に刻印された一定の形が、おれの形なのだ。それ以外は何ら描く意味はないのだ。」


    三の声
    「たしかに一日をどのように充実して過ごしても、その時間の経過した痕跡を何かの形でとどめることがなかったら、結局はその一日は砂の上にこぼれた水のように、永遠に消えさって、戻ってはこない。
    (中略)
    私たちの日々も、同じように何か形あるものに変えて、そのなかに閉じ込めなくては、ただ消失するほかない。だが、ひとたびこうして一日、一日を、営々と閉じ込めはじめれば、人はいつか十年二十年の歳月さえも、目にみえる形で、閉じ込めることができるようになるのだ。」




    3つの声にわかれ、それぞれが平等に主人公として扱われて物語は進められるので、正直なところ読み始めは読み手に多少の混同を与えると思う。少なくとも私はそうであった。
    しかしながらそれが浮き彫りにする、3者それぞれの全く違う人としての生き様はどれも鮮やかだ。
    それは用意されただけに時にあまりにも近いところで交錯するが、小説としては許される範囲ではないかと私は思う。
    そうして、その鮮やかな3者の物語が、引用した内容のように芸術や生の輪郭を各々の方法で浮き彫りにしてゆく。
    ここでの描き方も歴史小説であるが故か非常にとらえやすい。易しいのだ。いや、優しいかな?
    「嵯峨本」を巡る存在としての摘出に関してはそこまで歴史に明るくないのでちゃんとした意見はもてないが、純粋なこの本の読み手としてはふさわしいと思えたし、その苦悩も彼らだけにとどまらない幅をしっかりと持っているのではないかと思った。
    おそらく3者のいずれかの片鱗に誰でも合致を感じるとところがあると思う。もしくは気づかされるのではないだろうかと思う。




    私は今まで冒険ものと歴史ものというのは生き様について暗に描くことはできるが、純文学に近い人生や芸術、知識といったものに対する葛藤を描くなんて言うことは主として無いと思っていた。
    しかしながら、先に述べたようにこの物語ではそれがうまく成立している。それも言葉鮮やかに、そして歴史小説としてのダイナミズムを損なうことなく、小説としてのおもしろさをしっかりと持って。だからけして読み手を飽きさせない。
    確かに歴史小説というものに対するイメージは私が勝手に一線を引いていただけなのかも知れないが、この一冊は確実に私の時代小説に対するイメージを変えた。
    いや、それだけではなくてこの小説が描いている主題は私にとても大きく響いた。
    あーだこーだとほめまくりなのはイイが、ここまで賛嘆しておいて「果たして何がよかったか、」を私はうまく自分の言葉にできないでいる。
    うまく表現できないのだ。本当に筆舌しがたい。でも、すごいのだ。
    物語としてのおもしろさも、表現も、言葉の選びも、バランスがいい、いや完璧。
    いや完璧という表現はこの物語には似合わない。それにつきるというような言葉でなくもっと広がりがある言葉がふさわしいはずだ。
    なんだろうか、まったく言葉が少ない。
    ともかく柔らかく、しかし強くこちらを惹きつけてやまない小説であった。
    久しぶりにおおいに楽しめた。



    どの声も私に響くものを確かに与えてくれたが、私が一番好きだったのは「二の声」宗達だった。
    その彼の言葉をここにもう一つ引用して締めようかと思う。


    「自分のなかに溢れてくる思いを、何でもいい、それにふさわしい形や彩色によって――
    心のなかにすでに刻印されている形や色彩によって、受け止めてやることだ。」



    受け止めた、確かに、でも私はあんたみたいに金銀泥を駆使できない。
    言葉にすらも。
    やれやれだな。

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嵯峨野明月記 (中公文庫)の作品紹介

は、開版者角倉素庵の創意により、琳派の能書家本阿弥光悦と名高い絵師俵屋宗達の工夫が凝らされた、わが国の書巻史上燦然と輝く豪華本である。17世紀、豊臣氏の壊滅から徳川幕府が政権をかためる慶長・元和の時代。変転きわまりない戦国の世の対極として、永遠の美を求めて作成にかけた光悦・宗達・素庵の献身と情熱と執念。芸術の永遠性を描く、壮大な歴史長篇。

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