醒めた炎 2: 木戸孝允 (中公文庫 む 10-5)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (626ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122017450

感想・レビュー・書評

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  • 再読中。1巻も分厚かったけれど2巻はそれを上回る厚みの600頁越。いわゆるザ・幕末な事件はほぼこの巻になり、八・一八の政変、池田屋騒動、蛤御門の変、追いつめられた長州、そして薩長同盟での巻き返しからの大政奉還まで。

    それにしても長州藩はやっぱり面白い。高杉や久坂らの、はねっかえりの若者がいろいろしでかすだけならまだしも(それも大概だけど)結構えらい年長者の周布政之助や来島又兵衛あたりがもうマンガみたいなキャラなので(創作なしでこれだもんなあ)常識人の小五郎が板挟みになりあっちでもこっちでも尻拭いに駆けまわってる感じがしてつい笑ってしまう。長州藩はお殿様も世子も家臣想いで優しかったので、しまいにはお殿様にまでフォローさせまくってるし。

    長州のお殿様は、薩摩や土佐のお殿様のように自己顕示欲が強くないので、「そうせい候」とか暗愚な殿様だったみたいに言われることもあるけれど、実際には賢君であったことが本書を読むとよくわかる。よくいわれるように一般的に革命は低い身分(現状に不満のある者)から起こるのが相場で、土佐藩なんかはまさにそれ、そして坂本竜馬なんかは藩の利害を無視して個人として活動したわけですが、長州藩は桂さんにしても高杉さんにしても藩内での身分は悪くなく、活動中も藩が地位を与えてバックアップ、逃げてるときは匿ってくれるし、藩ぐるみで革命に取り組んだことは注目に値する。

    小五郎自身も実はそこそこ過激な思想の持ち主なのだけど、いかんせん周りがもっと過激なせいで霞みがち。慎重ゆえ臆病ととられるむきもあるのかもしれないが、全然そんなことはない。それにしても蛤御門のあと身を隠すのに出石で荒物屋の若旦那におさまってしまうあたりはさすがに笑った。臨機応変すぎてどこで何をやっても器用に生きていけるタイプっぽい。幾松ラブなところも、逆に幾松さんの献身も泣けるのに、でも当時の男性は浮気のひとつやふたつはあってあたりまえなところだけは、さすがに残念だけど。

    あと今巻の定説覆し案件は、子母澤寛が三部作で書いた池田屋で吉田稔麿が沖田総司に斬られた件、60年代に『新選組血風録』70年代には『燃えよ剣』をテレビドラマ化した監督の結束信二が子母澤に確認したところ「あれはわたしの作り話しだから……」と答えられたそう。

    ※目次
    将軍上洛/三本木/政変/潜伏/蛤御門/出石/藩制改革/薩長連合/四境戦争/将軍慶喜/大政奉還

  • 【醒めた炎 木戸孝允 (二) 】
    村松剛著、中央公論社、1990年

    とかくわかりにくい江戸末期からの明治維新。

    本巻では、文久から慶応という、世の流れが「公武合体」から討幕運動を明らかにした「尊王攘夷」へと転換し、いっきにわかりにくくなるところだ。

    ウィキペディアを見ながら、元号と主な出来事を整理すると以下の通りとなる。

    ーー
    嘉永年間は、黒船来航による攘夷運動が盛んになるのと地震が各地を襲い人心が不安になる。

    安政年間は、攘夷派への幕府(井伊直弼)の弾圧と巻き返しのテロ(桜田門外の変)が起きる。地震や台風など天変地異が引き続き起きているのも見過ごせない。

    文久年間は、幕府の力が衰えてきたことへの危機感から公武合体により天皇の力を利用しようとする。その象徴として孝明天皇の妹である皇女和宮を14代将軍徳川家茂に嫁がせ、将軍が上洛する。長州は明確に倒幕のための攘夷運動を模索し、外国船へ発砲するも、八月十八日の政変で会津薩摩連合により京都を追われる。

    元治年間は、長州藩が朝敵となり窮地に追い込まれ長州征伐の対象となるが、近代化装備による軍制を整えていたため勝負にならず、かえって幕府の威厳が地に落ちた。

    慶応年間は、大政奉還により徳川慶喜を筆頭とした列藩諸侯による衆議統治スタイルを模索するも、薩長同盟は戊辰戦争を導くことで革命を実現する。
    ーー

    こう見ると、長州藩は常にファイティングポーズを取りながら、徳川幕府と向き合ってきたことになる。

    そしてその中心は常に木戸孝允だった。

    ーー
    嘉永 かえい(1848〜1855)孝明天皇、徳川家慶(12代)−徳川家定(13代)
    ペリー来航、日米和親条約締結、伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震、豊予海峡地震

    安政 あんせい(1855〜1860)孝明天皇、徳川家定(13代)−徳川家茂(14代)
    飛騨地震、安政江戸地震、ハリス来航、安政八戸地震、安政台風、飛騨地震、日米修好通商条約、安政の大獄、コレラ流行、横浜開港、桜田門外の変

    万延 まんえん(1860〜1861)孝明天皇、徳川家茂(14代)
    ※辛酉革命のため1年で改元

    文久 ぶんきゅう(1861〜1864)孝明天皇、徳川家茂(14代)
    ロシア軍艦による対馬占領事件、坂下門外の変、皇女和宮と徳川家茂(14代)の婚礼、島津久光上京、徳川慶喜将軍後見職就任(文久の改革)、生麦事件、徳川家茂(14代)上洛、長州藩が下関で外国艦隊砲撃、薩英戦争、八月十八日の政変(七卿落ち)

    元治 げんじ(1864〜1865)孝明天皇、徳川家茂(14代)
    池田屋事件、禁門の変、四国連合艦隊下関砲撃事件
    ※甲子改令のため1年で改元

    慶応 けいおう(1865〜1868)孝明天皇、徳川家茂(14代)−徳川慶喜(15代)
    ええじゃないか、大政奉還の上奏、王政復古の大号令、戊辰戦争、北越戦争
    ーー

    地震があったり、経済が悪くなったり、世相が不安定だったりした時に、
    新しい時代を作ろうとした人たちがいる。
    こういう考えをもった先人は、世界でも稀だったという。

    では、次の元号に来年変わることが確実な今、
    僕たちは何ができるのだろうか。

    未来を創るためには、
    過去を学ぶ必要がある。

    #優読書

  • (2015.08.01読了)(1990.09.27購入)
    副題「木戸孝允」
    桂小五郎・木戸孝允の評伝、全四巻の二巻目です。
    桂小五郎のことを書きながらも、小五郎がかかわった事件については、長州や他藩の動きにも触れていますので、幕末史としても読めます。
    第二巻は、対馬藩の話から始まります。桂小五郎は、対馬藩との縁が深かったようで、佐幕派から追われる身になったときの潜伏先として、対馬藩の関係先が選ばれています。
    全体の動きとしては、薩摩の島津久光や長州の久坂玄瑞の働きかけによって、将軍の上洛が実現し、攘夷の決行が決まり、長州のみ、攘夷を決行したけれど、長州は西欧からも攻められ、京都からも追われて、巻き返しを狙ったけれど、蛤御門の変、長州征討と追い込まれることになる。幕府に降参しようとしたけれど、高杉晋作によるクーデターにより、尊皇派が実権をとりもどす。晋作のクーデターは、司馬遼太郎著「世に棲む日日」に詳しく書いてあるが、この本では小五郎が関わっていないので、触れられていない。
    その後、薩摩と提携し、武器の購入などで、力をつけ、幕府軍を破り、大政奉還へと進んでゆく。

    【目次】
    将軍上洛
    三本木
    政変
    潜伏
    蛤御門
    出石
    藩制改革
    薩長連合
    四境戦争
    将軍慶喜
    大政奉還

    ●塙次郎(63頁)
    伊藤俊輔が国学者、塙次郎を斬殺したのは、この事件(横井小楠が襲われた事件)の四日後だった。
    ●攘夷実行(72頁)
    (中山)忠光は久坂の旅宿を訪れ、攘夷の実行に関して朝廷が一向に積極的にならないのは公武合体論をはばかってのことだから、このさい岩倉具視、千種有文の両奸の首を斬り、それを手土産に関白の邸に行こうといった。
    久坂は中山に説得されて両人を斬る気になり、後輩の品川彌二郎に岩倉村の偵察に行かせた。
    しかしこの計画には、武市半平太と宮部鼎蔵とが反対した。謹慎中とはいえ前権少将と前権中将とを公然と斬ることは朝廷への挑戦となり、いかにもまずい。
    ●久坂の愛人(80頁)
    将軍の上洛とともに政争の舞台は京都に移動し、花柳界が志士たちに密会所を提供するのである。たとえば久坂玄瑞の愛人は、島原のお辰だった。
    祇園の秀勇からお辰に鞍がえしたのは、文久三年にはいってからと推定される。翌年に戦死をとげる久坂はお辰との間に、男児を遺している。
    ●池田屋(231頁)
    松陰のもう一人の弟子、吉田稔麿は、負傷しながらも奥座敷から裏の小路に飛び降り、見張りにあたっていた桑名藩士二人を斬って長州藩邸のそばまで走った。そのあと子母澤寛によれば再び池田屋にとって返し、沖田總司と斬り合いになったという。
    子母澤氏は、
    「あれは私の作り話だから……」
    とこたえたとの由である。
    ●乞食の小五郎(301頁)
    三条の橋の下に乞食に変装して小五郎がひそみ、幾松が夕涼みをよそおって辨当を届けたはなしは有名だろう。しかし大黒屋の今井太郎右衛門のこの今井純の証言では、小五郎のいた場処は三条の橋の下ではなかった。
    小五郎が乞食に変装した事実もなかったと、今井純はいっている。
    ●予備金(360頁)
    予備金については、長州藩は二種類の貯えをもっていた。一つは萩と江戸とにおいていた宝蔵金であって、江戸の分は麻布の藩邸の地下に格納されていたところから穴蔵金と呼ばれた。
    ほかの藩から進物などが来るとそれを売り払って金にかえ、穴蔵にいれる。藩邸内に不用の品が出ると、これも金にかえる。
    爪に火をともすけちな作業を二百数十年間つづけて来た結果、穴蔵金は文久のはじめに古金六万両、天保以後の新金一万七、八千両に達していた。
    萩と江戸との宝蔵金のほかに、長州藩には撫育金という名の特別会計による巨額の積立金がある。
    ●村田臧六(367頁)
    長州藩では軽卒と民兵との正規軍化が藩是として決定され、軍の近代化は村田臧六に事実上一任されていた。
    ●薩長同盟(387頁)
    薩摩に本当に長州と提携する意志があるのなら、まず行為によって誠意を示してほしいと小五郎はいった。
    小五郎のいう行為とはイギリスからの銃器、船舶の購入に、薩摩が名義を貸して仲介を演じることである。そうすれば長州の反薩摩感情もある程度鎮静するから、一石二鳥の案だった。
    ●イギリス(406頁)
    インド、ビルマを併呑し(イギリスのインド領有は、最終的には1877年)、シンガポール(1819年)、マライ(1868年)を奪い、シナ大陸では阿片戦争とアロー号事件の戦争との二度にわたる侵略戦争を行ったイギリス帝国が、日本に関してのみ攻撃の意図をもっていなかったことは、この島国の幸運、というべきだろう。
    ●貿易(417頁)
    清国も日本も、何が起こったのかを十分には理解していなかった。西洋諸国の貿易への情熱はヨオロッパの土地の貧しさに由来していると、日本に外交官として長く勤務したサー・ジョージ・サンソムが、その著書『西欧世界と日本』の冒頭近くで述べている。
    ●製鉄所(465頁)
    フランスの援助によって横須賀と横浜とに製鉄所がつくられることになり、技術将校フランソワ・ウェルニイが慶応元年七月に総裁に任じられた(赴任は翌年五月)。横須賀がえらばれたのは、地形がトゥーロンの軍港に似ていたことによる。
    ●フランス(468頁)
    インドシナ半島での軍事的成功が、ナポレオン三世のアジア政策に弾みをつけていた。サイゴンは1861年(文久元年)に完全にフランスの手に帰し、翌年の条約によってコーチ・シナがフランス領に編入される。
    フランスはサイゴンを、上海に拮抗する貿易基地にしようと企てた。メコン川平定にはなお数年を要したので、日本に大兵力を運んでくるほどの余力はない。
    ●総力戦(483頁)
    戦争をはじめるのに全住民に戦争目的を書いた文書をくばった大名は、歴史を通じて毛利藩だけである。
    長州藩だけが、ほかの藩とは違った型の戦争を準備していた。極言すれば二十世紀型の「総力戦」を、無意識裡に先取りしていたといえるかも知れない。

    ☆村松剛さんの本(既読)
    「ユダヤ人」村松剛著、中公新書、1963.12.18
    「古代の光を求めて」村松剛著、角川新書、1964.02.15
    「ジャンヌ・ダルク」村松剛著、中公新書、1967.08.25
    「醒めた炎(一)」村松剛著、中公文庫、1990.08.10
    ☆関連図書(既読)
    「花燃ゆ(一)」大島里美・宮村優子作・五十嵐佳子著、NHK出版、2014.11.25
    「花燃ゆ(二)」大島里美・宮村優子・金子ありさ作・五十嵐佳子著、NHK出版、2015.03.30
    「久坂玄瑞の妻」田郷虎雄著、河出文庫、2014.11.20
    「世に棲む日日(1)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
    「世に棲む日日(2)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
    「世に棲む日日(3)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.04.10
    「世に棲む日日(4)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.04.10
    「高杉晋作と奇兵隊」田中彰著、岩波新書、1985.10.21
    (2015年8月6日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    新選組の白刃の下をくぐって桂小五郎(木戸孝允)は政治工作に奔走し、蛤御門の戦いでは天皇遷座の秘密部隊の指揮をとった。出石に脱れてからの彼は荒物屋の主人となり、美貌の「京猫」幾松を思いつづける。フランス公使ロッシュの手紙をはじめ数々の未公開史料を用いて本書は従来の定説に修正を加え、池田屋の変から大政奉還にいたる歴史の巨大な劇を、詳細かつ躍動的にえがき出す。昭和62年度菊池寛賞受賞の大作。

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著者プロフィール

評論家。筑波大学名誉教授。1929年生。東京大学大学院文学研究科仏語仏文学専攻〔59年〕博士課程修了。94年没。大学院在学中から文芸評論家として活躍。58年には遠藤周作らと『批評』を創刊する。ナチズムに対する関心から、61年アイヒマン裁判傍聴のためイスラエルへ赴く。62年にはアルジェリア独立戦争に従軍取材。立教大学教授などを務めたのち、74年筑波大学教授。著書に『アルジェリア戦争従軍記』『死の日本文学史』『評伝アンドレ・マルロオ』『帝王後醍醐 「中世」の光と影』『三島由紀夫の世界』など。

「2018年 『新版 ナチズムとユダヤ人 アイヒマンの人間像』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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