醒めた炎 3: 木戸孝允 (中公文庫 む 10-6)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (516ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122017528

感想・レビュー・書評

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  • 再読中。3巻に入ってもまだまだ幕末過度期、高杉さんは4月に病死、11月には竜馬暗殺。その裏で岩倉具視が中心になり錦旗の偽造、倒幕の密勅(もちろん偽勅)など着々とすすむ裏工作。いくら主人公が長州側とはいえ、元来会津贔屓の私は偽勅や偽造のくだりは歯ぎしりするほど悔しい。くそう。しかし木戸さんは基本的に前線の指揮官ではないので、鳥羽伏見~会津戦争、五稜郭など、どれにも参加せず中央で制度の整備のほうが主な仕事。

    結局、旧幕府のみならず新政府側も開国に踏み切るしかないのはわかっているのに、それを理解しているのは中枢にいる人間だけで末端までは行き届かない。西洋化を進める新政府に対し、まだまだ攘夷を叫ぶ輩は続出、堺事件や神戸事件、パークス襲撃事件に、キリスト教問題まで勃発。そして著者が「木戸の生涯において、最大の業績だった」という版籍奉還から廃藩置県への流れの中で、武士階級からの反発が起こり士族の叛乱が各地で勃発し始める。

    版籍奉還を説く木戸に向かって毛利の殿さまが「では、そちとはもう主従ではなくなるのか」というエピソードはちょっと泣ける。前にも書いたけれど長州のお殿様は自分の家臣を信じてやりたいようにやらせてくれる良いお殿様だったから、版籍奉還という自分の地位が失われる事案に対しても反対せずむしろ木戸に「反発する者も多いだろうから」と心配してタイミングを間違えないようアドバイスしてくれたり協力的、そのお殿様がしみじみ、でもそれが実現したらもう木戸との主従関係はなくなるのか、とおっしゃる。こんなお殿様になら尽くしちゃうよねえ。

    多忙のストレスで体調不良になった木戸を診察したオランダ人医師ボオドインの診断結果が「過労にもとづく緊張性頭痛」というのは現代的でびっくりするが、それで木戸が療養している隙に、木戸と不仲の大久保派が木戸派の追い落とし裏工作。以前読んだ大隈重信の自伝にもこのへんは詳しかったが、お殿様と信頼関係があり開明派の木戸と違って、島津のお殿様が旧弊なため大久保は忖度して保守派にならざるをえない。

    当時木戸派は、同じ長州藩の大村益次郎、留学経験もある伊藤博文、井上馨、佐賀の大隈重信、土佐の後藤象二郎、板垣退助など(ちなみに土佐のお殿様は木戸がお気に入りで一緒に飲んだりしている)そして薩摩藩士ながら西洋かぶれとして保守派に憎まれていた五代友厚は木戸派。公卿でいうと岩倉は大久保べったりだが、三条実美は七卿落ちの頃から長州に世話になっているので木戸派。大久保は木戸に対抗して、長州人だが木戸と不仲な前原一誠を利用しようとするが、結局彼の木戸派追い落としは失敗、前原はのちに叛乱首謀者となってしまう。

    その矢先、軍制改革に取り組んでいた大村益次郎が反対派の不平士族に暗殺され(明治2年)長州でも諸隊が騒ぎ、木戸は自ら鎮圧へ。そしてついに廃藩置県が実施される。

    ※目次
    王政復古/狂爛/神戸事件/御誓文/東京/「会津猪、米沢狸」/版籍奉還/兵制一条/諸隊叛乱/民部省/廃藩置県

  • 【醒めた炎 木戸孝允(三)】村松剛著、中央公論社、1990年

    木戸孝允を通じて明治維新を振り返る、歴史の修学旅行も3巻目になった。
    本巻では慶應3年から明治4年までの5年間、幕末維新の最もきわどいところが描かれている。

    日本を統一した君主として徳川家が開いた「幕府」政権の元で、諸侯がそれぞれの領土を「藩」として治める体制が日本の封建国家としての「幕藩体制」だった。これを西欧の近代国家のように一人の王がすべてを治める「中央集権国家」を目指したのが明治維新であり、明治4年(1871年)の廃藩置県により実現する。

    慶應3年(1867年)の夏以降、15代将軍徳川慶喜は、力のなくなった徳川政権を朝廷に返上して、その上で改めて封建体制の新政権を作るという起死回生策を練り上げていた。坂本龍馬も同じ考えで、有名な船中八策は、徳川慶喜の首班を前提としている。

    一方、公家の岩倉具視と薩摩藩の西郷隆盛を中心に、天皇を中心とした中央集権国家を志向したグループは、天皇から徳川慶喜討伐の命令が書かれた「密勅」を受ける。この密勅をまさに錦の御旗として、薩長両藩は鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争、函館戦争へと至り、一気に近代中央集権国家設立に向かう。

    しかし、この密勅は岩倉具視が部下に書かせた偽物であることが現代では知られている。まさに公文書偽造だが、それによって歴史が動いたことは事実なのだ。

    明治政府が始まってからも、キングメーカーは旧500円札の主、岩倉具視であった。大久保利通と組んで木戸孝允を追い落とそうとしたり、封建領主であった各藩の殿様を向こうに回して廃藩置県をやってのける。

    様々な人の思惑、思想、好き嫌い、が遺憾なく発揮されたこの5年間。

    中央集権国家を作り上げた岩倉具視は、大隈重信が構想した小規模の訪欧使節団構想を取り上げて、自らを団長として木戸孝允、大久保利通、伊藤博文など明治政府の中核人材100名で約2年に渡る欧州・米国への訪問団とする。

    新しい国家像を模索する旅である一方、この間に留守政府では西郷隆盛を中心に征韓論が勃興。西郷が下野し西南戦争へと進む直接的なきっかけとなる。

    次巻最終巻で、明治という時代の性格が露骨に現れていくはずで、それが今の日本にも直接・間接に大きな影響を与えている。

    今年は明治維新から150年だが、その歴史は一通の偽物の密勅で大きく動いたのだ。

    #優読書

  • (2015.09.30読了)(1990.11.02購入)
    副題「木戸孝允」
    木戸孝允(桂小五郎)の評伝、第3巻です。
    大政奉還のあと、王政復古により新政権が発足し、幕府討伐へと突き進みます。
    京都では、新しい政治をやりにくいので、天皇を江戸に移してしまい、江戸を東の京、東京として、政治の中心を東京に移してしまいます。
    江戸、東北、北海道と抵抗勢力を排除した後は、政治を一元化するために、版籍奉還、徴兵制、実施し、武士階級の役割終了となります。
    殿様もお役御免とし、廃藩置県を行い、県のトップを政府派遣の役人に替えます。
    政府の政策の多くに木戸孝允がかかわっていることがわかります。
    とはいえ、明治維新についての本を読みなおす必要があるとは思いますが。

    【目次】
    王政復古
    狂瀾
    神戸事件
    御誓文
    東京
    「会津猪、米沢狸」
    版籍奉還
    兵制一条
    諸隊叛乱
    民部省
    廃藩置県

    ●勤王討幕(125頁)
    勤王討幕の思想は、そもそも攘夷論によってつちかわれてきた。ペリイの恫喝外交が攘夷のナショナリズムを激発させ、ナショナリズムは幕府にかわる伝統的権威を求める求心運動としての尊王思想を、全国に燃えひろがせることになる。
    ●アメリカ・南北戦争(134頁)
    南北戦争による戦死者は、双方あわせて六十一万七千。
    ●大坂遷都(141頁)
    無能力な公卿たちから幼帝をひきはなさなければ、王政復古は成功しないと大久保は思っていた。彼は大坂遷都論を木戸がまだ岡山にいた十七日に有栖川宮に上申し、二十三日にはこれを書面にして岩倉の手許に提出していたのである。
    ●刑法(151頁)
    外国人との交渉に関する細則を一刻もはやく制定せよと、木戸は熱心に主張した。彼はアーネスト・サトウと会ったあと、新しい刑法の制定を求める建白書を太政官代に提出しているのである。
    諸侯の行列に外国人が出会ったさいには、彼らにどのくらい離れていることを要求するべきか。また外国人が一般の民家に乱暴を働いたとき、取締りはどのように行ったらよいか。
    諸外国の代表団と相談して刑法を定め、天下にこれを公布しておいて、先方が法に違反した場合には「天平をもって」討つ。
    ●御誓文(192頁)
    一、旧来の弊習を破り天地の公道に基くべし
    第四条の「旧来の弊習を破り」の項は、木戸の発案だった。当初は「宇内の通義に従うべし」としていたのを、彼は最終稿で「天地の公道に基づくべし」と変えた。
    ●踏絵(219頁)
    幕府が諸外国の圧力によって踏絵の制度を廃止したとき、吉田松陰が憤激して「神州は必ず夷狄の有となるべく」と書いた
    ●江戸の人口(250頁)
    江戸の人口は幕末でざっと百五十万だったと、勝麟太郎が後年その『氷川清話』でいっている。そのうち約五十四万が―僧侶、神官、吉原遊郭の住民などをべつとして―慶応三年現在の町人の数だった。
    ●東京(252頁)
    遷都の計画の大筋は木戸が江戸にいた六月末の四日間のあいだに、三條、木戸、大久保と大村益次郎、大木喬任の五人の密談によってとり決められた。木戸はこの間、江戸城中に宿泊していた。
    ●西洋派遣(328頁)
    封建制の支持者は、むろん長州にもいる。そのなかの有力者である山縣狂介と御堀耕助(太田市之進)とを、やはり保守的な薩摩の西郷信吾(従道)とともに、木戸はヨオロッパに送り出していた。
    ●無口(346頁)
    「もげじん」と、前原一誠は萩で呼ばれていた。
    およそ無口で、ひとが何をはなしかけてもたいていは「はい」とこたえることしかしない。「もげじん」とは、無口のひとの意味である。
    ●木戸と大久保(350頁)
    木戸と大久保とを評して大隈は、「木戸は創業の人なり、大久保は守成の人なり」といっている。
    「木戸は自動的の人なり。大久保は他動的の人なり。もし主義をもって判別すれば、木戸は進歩主義をとるものにして、大久保は保守主義を奉ずるものなり。」
    ●経験(441頁)
    彼(澁澤)は突然東京の太政官から呼び出しを受け、租税司正に任命するといわれた。
    租税司正は、今でいえば主税局長にあたる。経験のない仕事だから辞退したいと澁澤が大隈に会っていうと、経験のあるものなど日本にひとりもいないと大隈はこたえた。
    ―維新政府はわれわれの知識と勉励と忍耐とによって、これからつくり出すのだ。
    ●蒸気機関車(443頁)
    蒸気機関車をはじめて日本にもちこんだのは、長崎の武器商人グラヴァーだった。
    彼は慶応元年に上海から機関車を輸入し、大浦の外人居留地の海岸に約二キロメートルの線路を敷いてこれを走らせている。またそのまえにペリイが幕府への贈物として模型の機関車、炭水者、客車等の一式を持参し、武士たちを驚かせたはなしは有名だろう。

    ☆関連図書(既読)
    「花燃ゆ(一)」大島里美・宮村優子作・五十嵐佳子著、NHK出版、2014.11.25
    「花燃ゆ(二)」大島里美・宮村優子・金子ありさ作・五十嵐佳子著、NHK出版、2015.03.30
    「花燃ゆ(三)」大島里美・宮村優子・金子ありさ作・五十嵐佳子著、NHK出版、2015.07.30
    「久坂玄瑞の妻」田郷虎雄著、河出文庫、2014.11.20
    「世に棲む日日(1)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
    「世に棲む日日(2)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
    「世に棲む日日(3)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.04.10
    「世に棲む日日(4)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.04.10
    「高杉晋作」奈良本辰也著、中公新書、1965.03.
    「高杉晋作と奇兵隊」田中彰著、岩波新書、1985.10.21
    「醒めた炎(一)」村松剛著、中公文庫、1990.08.10
    「醒めた炎(二)」村松剛著、中公文庫、1990.09.10
    「大系日本の歴史(12) 開国と維新」石井寛治著、小学館ライブラリー、1993.06.20
    (2015年11月13日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    狂瀾が、日本を覆う。徳川慶喜推戴を夢みていた坂本龍馬は幕吏の兇刃に殪れ、慶喜自身はロッシュにすすめられて官軍を静岡で迎撃しようと企て、賀陽宮は維新政府転覆のクー・デタを画策する。木戸孝允は開明派をひきいて版籍奉還、廃藩置県へと政府を踏切らせるが、大久保利通はその木戸の追落しを、明治2年に図るのである。豊富な未公開史料を駆使してえがく、国民国家日本の誕生の劇。昭和62年度菊池寛賞受賞の大作。出典一覧・人名索引を、新たに最終巻に収録。

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著者プロフィール

評論家。筑波大学名誉教授。1929年生。東京大学大学院文学研究科仏語仏文学専攻〔59年〕博士課程修了。94年没。大学院在学中から文芸評論家として活躍。58年には遠藤周作らと『批評』を創刊する。ナチズムに対する関心から、61年アイヒマン裁判傍聴のためイスラエルへ赴く。62年にはアルジェリア独立戦争に従軍取材。立教大学教授などを務めたのち、74年筑波大学教授。著書に『アルジェリア戦争従軍記』『死の日本文学史』『評伝アンドレ・マルロオ』『帝王後醍醐 「中世」の光と影』『三島由紀夫の世界』など。

「2018年 『新版 ナチズムとユダヤ人 アイヒマンの人間像』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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