津軽三味線ひとり旅 (中公文庫)

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著者 : 高橋竹山
  • 中央公論新社 (1991年8月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122018297

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津軽三味線ひとり旅 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 最近になって初めて高橋竹山の津軽三味線のCDを聴いた。
    なんとも暗く鬱な気持ちになる音だなあと思いつつ聴いた。
    その高橋竹山の自伝を偶然古書店で見つけ、他に読みたい本もなかったのでとりあえず200円で購入して読んでみた。

    戦前の東北地方の下層に位置する人々の生活がたいへんリアリティをもって描かれていた。
    それも当然だ。
    高橋竹山本人が、盲人として三味線方手に門つけをしていたのだ。
    三味線だけでなく口説をしたり飴売りをしたり、生活のために彼は東方地方から北海道までひたすらに巡業をしつづけた。
    やがて竹山は三味線の名手として全国に名を馳せるようになるのだが、彼の津軽三味線はこうしたどさまわりの中で身に付けたものだ。

    と、自伝らしく高橋竹山の戦前から戦争直後にかけての生きざまが描かれていた。
    それも大変興味深かったのだが、今の私にとってとりわけ心に響いたのは、最後の方の後進へのメッセージのような部分だった。
    基本に忠実であること、できなければ練習すること、新しいのに進むより一つのものをできるまで時間をかけてやること、音に敏感になること、工夫をすること、道具じゃないってこと。
    地唄だけれど三味線をはじめたばかりの私にとても刺激となった。
    今はまだまだ基礎練習中で、「さくらさくら」の簡単バージョンですらろくに弾けない有様。
    つい逃げたくなっちゃうけど、基本に忠実にこつこつ丁寧にやらなきゃダメなんだなと、当たり前のことに気づかせてくれた。
    三味線を弾く上でのバイブルに決定。

  • 「おらの眼(まなぐ)見えねぐなったのは、なんでも生まれてまだ2つになんねえどき、はしかにかかった・・・眼眠ってしまって、めったにおがしいな、と眼あげてみたらすでにはあ、星かかってるんだ」。
    生き生きとした津軽ことばで語られる戦前東北~北海道の門つけ芸人の話が面白くないわけがない。眼はあまり見えなくても悪さばかりしていた子ども時代から、生きる方便として三味線を習い、酒もつくれば飴もつくる、さらには偽薬をつくって売った「ホイト」生活と、まあめちゃくちゃながら、芸人/ホイトがくれば金を出し、いい芸は喜んで聞いたという時代は、まるで外国の遠い昔の話のようだが、それでも想像させてくれるのが、この語り口のすばらしさだろう。
    三味線のよしあしは私にはまったくわからないけれど、「山には山の気持がある」という話がなんだかとても好き。

  • 高橋竹山を知ったのは、高校生のころだったろうか、それとも大学生のころだったろうか。NHKの特集で偶然に出会い、そして驚いた。三味線なんて、古びた、よく理解できない楽器だと思っていたボクにとって衝撃の出会いだった。社会人となったいまも、DVDを時々見る。
    Youtubeにもたくさんあるので、興味のある人は見てみてほしい。
    http://www.youtube.com/watch?v=TXErH5SXqlg

    この本は、もちろん高橋竹山の一生を振り返ったエッセイであり、その波乱万丈の人生に心打たれる部分もあるのだが、違う側面からみて印象的なのは、古来からある日本の「芸能」について、垣間見られる点だと思う。生きていくのにボサマのホイト(乞食)芸の道に入った。米をもらうために門付けをして全国を放浪した。だが、芸の道でいきる人たちのコミュニティーもまたあった。百姓とはあきらかに違う世界があったことを実感させてくれる。満州事変が勃発し、戦争への道を進む中、満州まで渡って慰安をしたという。また、アメリカとの戦争に向かうときでさえ全国巡業があったという。体制が作った境界の外で生きていた人たちが、ついこの間までいるということだ。網野善彦の「無縁・公界・楽」を思い起こさせる。遊行の人たちに思いをはせた。

  • 12年前の1998年2月5日に87歳で亡くなった津軽三味線の名手。

    三味線とは不思議な楽器で、私にとって、そのほとんどは和太鼓と同じくただ五月蠅いだけの騒音に等しい、楽器などと名乗ってほしくない代物ですが、時としてきわめて稀に、そうではない心地よい響きを奏でる場合もあるということを、実際に聞いて知っています。

    たとえば古くは、こまどり姉妹とか三橋美智也などという名前を出すと、いったいお前は何歳なのだと言われそうですが、むかしの音源やビデオがたまたま近くにあって聞いてみると、彼らの出す音と、それから、かしまし娘などの演芸の世界における色ものと呼ばれる芸能の人たちや小唄端唄などの伴奏の三味線の音は、それほどやかましいものではなく、まあ、これらは津軽三味線という連打するスタイルとは異なるものですが、それでも個々の音の響き方は耳ざわりではありません。

    では、私のいう三味線の不快な音の原因は津軽三味線の連打にあるのかというと、三橋美智也と高橋竹山の弾く音にはそれを感じられないというのは、いったいどういうことなのでしょうか?

    流行りの吉田兄弟などは、何度聞いてもまさに雑音以外の何物にも感じられないのはどうしたことでしょうか?

    今のところ、詳しい分析の手段を私は持っておらず、残念ながら悔しいことに手に負えないのですが、ひとつ言えることは、三橋美智也も高橋竹山も音が艶っぽいというか色っぽいというか、単なる音ではないのです。それは、もしかして年輪を重ねることでしか獲得できないものなのか、それとも、演奏者の人格とか人生観にかかわることなのか、今のところ裁定を決めかねるところです。

    70年代と最晩年の彼の演奏を、ジャンジャンのものだったかどこだったか、ドキュメンタリーだったのかLPレコードだったのか、今となってはもう定かではありませんが、幼いころ聞いて、ほんわかする、やさしい、心あたたまる音だなあという、そういう感じだけは今でもはっきりと記憶の底に刻み込んでいます。

    本書は、編者・佐藤貞樹が高橋竹山から聞き書きしたノートやテープを最大限活かして、まるで本人が話しているような津軽弁の語り口がいきいきと前半生を伝えるものとなっています。

    失明した少年時代、三味線の師匠に弟子入りして村から村へ物乞いをするようにして歩いた日々、苦難と風雪に立ち向かって、まさしく孤立無援の闘いの果て、ついに魂をゆさぶる三味線弾きとなった流浪の吟遊詩人の真のすがたが描き出されている感動の本です。



    この感想へのコメント
    1.mackinchan (2010/02/04)
     読んでないけど、映画の原作なんでしょうね。
     竹山のコンサートに行ったことがありますが、方言が分からなくて苦労しました。ところが、周りの老人たちがちゃんと分かって笑っていたので、これまた驚いたことがあります。

    2.薔薇★魑魅魍魎 (2010/02/05)
    そう、これを元に新藤兼人が脚本・監督し、実際のジャンジャンのライブから始まり本編では林隆三が演じ、お母さん役が乙羽信子で妻が倍賞美津子でした。
    座頭市と重ね合わせ見ていました。両者とも目が見えないために差別され虐げられる。そこから脱却するために死と隣り合わせの辛酸をなめ、遂に自立するのは手段が刀と三味線の違いだけで、意識や境地の共有があるはずです。
    同じく私も、本格的な津軽弁はチンプンカンプンです。

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