- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122018747
感想・レビュー・書評
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バル!セル!オナ!噺の出典はコレですよ。
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著者のスペイン旅行記のかたちをとった、神秘的数論が展開されている本です。
カフェでパスカルの研究書を開いていた著者に、カタルーニャの魂の数字である3について示唆した飲んだくれ男のジョアン・モレラ、その友人で「東方書店」の主人であるラモン・グエル、そして『カタルーニャ数秘術』の著者であるパウ・Eといった登場人物たちが、魔力を孕んだ秘数3と、その力を完全な秩序のうちにとりこもうとする4が織り成すドラマをつぎつぎに述べていきます。そして著者は、彼らのことばについて思いをめぐらせつつ、ヨーロッパ文化の根幹をつらぬいている神秘的な思想へと沈潜していくことになります。
アカデミズムの枠組みを大きく逸脱する思想を展開している著者ですが、本書はそのなかでもきわだって自由気儘な思索が展開されているように感じられました。 -
小説のような、紀行記のような評論。当時はなかなか奇抜な感じでおもしろかった。
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なんとなく好きな旅行記。
バルセロナに行く前も、ベッドで読んでた。 -
この本は一種の旅行記として書き出されている。
かつて世界の要として繁栄と紛争に明け暮れたバルセロナを歩くことで、ヨーロッパの歴史・キリスト教の歴史に絡まって行く。
それと並行して、本題であろう宇宙の真理を紐解こうとしている。
そのキーポイントが秘数3と秘数4。そして無限とゼロ。
バルセロナがあるカタルーニャ地域の三角地帯が頑固に夢見てきた精神的なものがあるらしい。
その一つがキリスト教のカタリ派の中心地であったことと。
そしてチーノ地区と言う、中国人のいない中華街が残した見果てぬ夢である。
それは東洋と地中海。
大西洋のアメリカ大陸から大量に持ち込まれた金や銀でにぎわっている最中も、東方への夢を捨てきれずにいた人々。
そしてファシストと戦い続けた人々。
しかもソ連の共産党に利用されて惨めに自滅していく中で、精神的な強さと夢が残った。
この本で言う秘数とは、この世の現象を観測することで得られない「隠れた変数」の事であるらしい。
この世を三次元として見たときには現れない秘数。それが、3であり4である。
ロシア正教やギリシャ正教のような東方ヨーロッパにおけるキリスト教が三位一体論をパラドキシカルな思想としてとらえたのに対して、ラテン西方教会系では合理性の強い一性と他性の二元論理でとらえる。
つまり東方の秘数3と西方の秘数4(2+2)。
秘数4はコンピューターの0と1論理にもつながって、近代科学の発展をうながしてきた。
この西方(秘数4)の思想を代表するのは、ピタゴラス・カント・ショーペンハウアー・ロバートフラッド・ゲーテそしてボーア・ハイゼンベルク・パウリ・である。
東方(秘数3)の思想を代表するのは、プラトン・ケプラー・デカルト・ニュートン・それにアインシュタイン。
結局、西方の思想が全ヨーロッパ・全世界を圧巻して20世紀に至ったのだけれど、そこで革命的発見を向かえた量子学によって再び世界が揺れ動く。
西方の4の秘数を支えた+と-の極性、つまり二極性の対立としてとらえた思想に対して、量子論理が現れ異議を唱え出す。
これを、双方の「否定」と言う機能のとらえ方の違いで見るならば、量子論派は単なる対立でなく、相補性を持ち合わせた相対として考える。
運動量と位置の両方を同時に確定できないと言うように、お互いがお互いを内包しながら否定しあっている「縁」の関係でとらえようとする。
結局、西方(秘数4)の弁証法的思想が20世紀になって行き着いたところは、東方キリスト教(秘数3)のパラドックス(三位一体論理)の姿に近付くことになる。
キリスト教の構造で示すならば、「三位一体論」が「東方による秘数3のパラドックス論理」と「ラテン教会による秘数4の弁証法的論理」に別れ、秘数4が物質世界を縄張りとして栄えたけれども、20世紀になって秘数3的要素を認め直す必要に迫られる。
この世は物質的三次元のみでなく、時空間と言う動きの中で、物質の外あるいは内に更なる世界を透かし見る時代が訪れたのであろうか。
キリスト教は一神教でありながら、その十字架での死と復活によって微妙な揺らぎを残したと言うことなのかもしれない。
つまりすべての人間が神の僕や奴隷ではなく、その一部だと言うことを21世紀になってからあぶり出せるようにイエスは織り込こんだのかも知れない。と思う。 -
刺激に満ちた旅行記だった。著者はスペイン・バルセロナの地を
旅しながら、そこに根ざす秘数3の世界を読み解こうとする。
ボクはここへ行ったことはないけれど、おそらく本書を読まずに
訪ねたなら、何も見られずに過ごしてしまっただろう。
きっと、それこそが読書の醍醐味であって、時に誰にも同様に
あるはずの世界を変容させてしまう力を持つ…いや、
それは、読書に限らない…本書の冒頭には、
こんな一節が引かれていた…
ー人間の精神は三つの鍵によって開かれる。それは数と文字と
楽譜である。知識と思想と夢のすべてが、ここにある。
(ヴィクトル・ユゴー)
本書は、あるアーティストに紹介されて知ったのだが、
こうした意識を持って活動を続けられていることを、
素敵だなぁ…って思った。たとえば、音楽家が音に
意識的であることは当然のことかもしれない…
でも、音に内在する世界、音の先に広がる世界に眼を向ける
ミュージシャンは、多くはないだろう。
音楽を聴くことも、旅することに喩えられるなら、
聴き手のボクたちは、音の先の世界を知りたくなるはず…
たとえば、音楽に関して、本書ではこう語られている…
ー音楽をとおして、人間は人間のための時間と空間をつくりだす。
音楽が鳴っているあいだ、ひとつの特別な時間と空間が
出現する。それは、人間の精妙なたましいが、実在の
世界のなかに出現させた、音による不可視のテリトリーなのだ。
数も文字も楽譜も、ボクらを時空を超えて運んでくれる…
一様に見える世界にさえ、こんなに多様な世界があることを
教えてくれる一冊…数式などもあり、読みやすいものでは
なかったけれど、知識って楽しい!って…思えたのでした。 -
紀行文というには、気取りすぎなような、数秘術やら青やら、世紀末に引っ張られ過ぎている感ありましたが、それでもバルセロナの魅力が伝わってきます。空と海のはざまをゆく酔いどれ船。あの野暮ったい町が大好きです。