レス・ザン・ゼロ (中公文庫)

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制作 : Bret Easton Ellis  中江 昌彦 
  • 中央公論社 (1992年4月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122018914

レス・ザン・ゼロ (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 1. 合流

    みんな合流するのが恐いのよ。それが帰ってきて最初に聞いた言葉だ。ブレアはロス空港でぼくを拾うと、高速のランプを登りながらそうつぶやく。「みんな高速の合流が恐いのよね」。なんでもないその言葉がぼくの心にひっかかって離れない。

    その言葉はたしかにぼくの心にも引っかかったようだ。こんな風にはじまる「LESS THAN ZERO」(1985年)は、上流階級の若者たちの「ゼロよりも少ない青春」を描いて80年代のアメリカ文学界にセンセーションを呼び起こした。


    2. 無為の日々

     東部の大学に通っている主人公クレイは、クリスマス休暇でロサンゼルスに帰ってくる。なま暖かい風。車の中にかすかに残るマリファナの匂い。そこには高校時代と変わらないLAの生活があった。

    「クレイ。顔色悪いな」

     彼を迎える第一声はこうだ。しかし東部から帰ってきたばかりのクレイにとって、久しぶりのLAの生活はどこか見慣れない、ガラス越しの風景のようだった。

     作者は、上流階級の若者たちの風俗を余すところなく描きだす。ドラッグ、セックス、日焼けサロン、ポルノ、プール付きの家、毎晩のパーティ・・・。しかし、そのファッショナブルなストーリーに感情移入の余地はほとんどと言っていいほどない。時折挿入される回想シーンを除いてほぼ全編が現在形で書かれたこの本は、主人公をとりまく会話や風景や行為をただ淡々と綴っていくのみ。それらを見つめるクレイの感情さえも、時折ほんのちょっとした会話の余白にゆらぎのようにさしはさまれる程度でしかない。
     そうでなくても、描かれるのはぼくたちとはまるで縁のない上流階級の日常で、登場人物たちもちっとも魅力的ではない。映画プロデューサーのブレアの父親はホームパーティに平気でボーイフレンドを呼ぶし、クレイの両親は別居してほとんど口をきかない。親たちはみんな息子や娘を置いて外国へ行ってしまっているし、子供たちの方は親が今どこにいるのかをゴシップ誌の記事で知るありさまだ。家族の会話はまるで噛みあわず、誰も相手の言葉に耳を傾けようとせず、友人たちは互いに目を合わせようとしない。たまにじっと見つめる視線があると、それはクスリでイっちゃってる焦点の合わない目だったりする。

    「みんな合流するのが恐いのよ」

     たぶん翻訳でこの本を読んだ人の大半が途中で放り出してしまったのではないだろうか。たいして魅力的でもない若者たちの延々とつづく無為な日々の記録を、忍耐を持って読みつづけられる人はそういないと思われる。カリフォルニアの青い空。おしゃれな若者たち。散りばめられた鮮やかな色彩の中に描かれる光景はそれだけ空虚だ。

     行き止まりの道へ車を乗り入れる友人にクレイは尋ねる。

    「どこへ行くんだ?」。

     友人の答えはこうだ。

    「知らねえよ。ただ走ってるだけさ」
    「でもこの道は行き止まりだぜ」。クレイは言う。
    「関係ねえ」
    「じゃあおまえに関係あることって何だ?」。しばらくしてクレイは尋ねる。
    「ただ俺たちがこうしてこの道を走ってるってことだよ」


    3. 濃霧とナイフ

     どこか客観的に見つめているクレイ自身も、高校時代の恋人ブレアに対して煮えきらない態度をとるのみだ。「もうあいつとは終わったんだよ」と言いながら彼女と寝てみたり・・・。
     そんな無為の日々の中で、多くを語らない友人たちの会話からだんだんはっきりしてくるのは、どうやら親友のジュリアンがまずい状況に陥っているらしいことだった。ジュリアンからの留守番電話や置き手紙。彼が会いたがっているという話は聞こえてくるのに、すれ違いばかりでなかなか親友に会えないクレイ。しかし、ようやく会えたジュリアンはこう言うだけだ。「カネ貸してくれよ」。... 続きを読む

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