真昼のプリニウス (中公文庫)

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著者 : 池澤夏樹
  • 中央公論社 (1993年10月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122020368

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真昼のプリニウス (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 火山学者である頼子は、広告の仕事をしている門田と出会い、彼にある嫌悪感を抱く。門田はあまりにも軽率に言葉を濫用している。彼の仕事は頼子に言わせれば「贋の物語、贋の神話を作って、それを新製品にもったいぶってくっつけること」であり、彼自信が言葉や妄想で真実や本当の気持ちを覆ってしまい、ずいぶんと不誠実な人間だと頼子には思えた。しかし、彼に対するこの嫌悪感はすぐに頼子自信に返ってくる。彼女もまた科学という権威ある神話の中で安穏と生活をしている。火山が噴火するメカニズムは解けても、真に迫りくる脅威としての火山は知らない。頼子もまた閉じられた神話の中で生きていたことに気づく。そして、世界の真実に迫るために科学の外部へと一歩を踏み出すところで小説は終わる。

    たまには世に溢れかえった情報から逃避して、からっぽの状態で世界に向き合うことのススメ。

  • 科学的な思考で鍛えられた女性教授が、弟を介して門田という男と出会い、彼の「非実用的な」事業を聞く。彼の事業は後に易と関わりを持ち、彼女はいつしか、科学的・合理的な思考を越えたものに誘われ、単身で浅間山を目指す。

    門田の事業だけでなく、メキシコにいる壮伍という男との手紙のやり取り、天明三年の浅間山噴火を生き延びた女性の手記と彼女との
    「架空の対話」など、興味深いエピソードをうまく配して、主人公の感性の変化を描く。

    池澤夏樹氏の小説は、文体も物語もさっぱりしていて、読後感も非常に心地が良い。海外で暮らされていたことが一因としてあるのかもしれないですね。

  • 本を読むときに、作家がどのレベルで人間を見ているかということを感じるのはとても重要で、そのレベルがわたしと一致しているかわたしの求めるものでない限り、読書というのは多かれ少なかれ空虚なものになりがちだとおもう。池澤夏樹の人間に対する向き合い方はすごく好き。好感が持てる。それに加えて、この本では自然の描き方もとても素敵だった。自然に向き合ってきた人の書き方だと、体感ゆえの書き方だと、だからこんなに迫ってくるものがあるのだとおもう。理系の煌めきをぎゅっと文学に凝縮するものの、物語としての魅力を失わせないストーリーテラーとしての才能。好きすぎる。真昼のプリニウスだと、読み終わったあとに思わず呟いてしまう。上手すぎる。

  • 女性火山学者が主人公のお話。
    学問でも生き方でも、この頃、私たちは情報や理屈などに頼りすぎている。
    言葉や考えはそれほど頼りになるものではないよ。
    と池澤さんが考えておられるのを文中から感じました。
    作家だからよりそう感じるのかもしれません。

    あっちに世界があって、こっちに人がいて…ではなく、人があってこそ世界があるのではないか。だから人の数だけ、異なる世界があってもよいし、もっと感覚的に自分が真実だと思う世界を探そうとする心がけが必要なんじゃないか。そんなことを考えました。

  • 世界を理解するためにはどのような態度をとるべきかのヒントになる。自らに都合のよい部分を切り取ってつくりあげた物語や神話に(宗教もそうかも)、居心地の良さを求めるか、あるは己の好奇心を原動力とする自然科学的探究の行動を実践するのか。後者を選ぶときにはプリニウスや野ウサギの運命のような過酷さを受け入れる覚悟が必要だということ。その覚悟をきめ、行動することを選ぶ火山地質研究者・頼子の逞しさ。

    頼子の意識が、ハツの手記、壮伍の手紙、戸井田教授、神崎、門田との交流を通して研ぎ澄まされていくのが、この小説の醍醐味だろう。浅間山が舞台となる印象的な終幕。読後の余韻が深い。

  • 言葉にしたらすべて嘘になってしまう。くっきりと輪郭を持ってしまうと除外されていくものがある。嘘にしたくない。なにも除外したくない。全部知りたい

  • 女性火山研究者の世界の見方、生き方と迷い。

    理系的な池澤夏樹の世界観。

  • 人は、なぜ手紙を書くのか。

  • 読みやすい中に熱いなにかが潜み隠れてる気がする。当たり前だが・・読了後にゆるく静かに熱く語りたくなる一冊オールドクロウ飲みながら・・

  • やや青臭さを感じ、そこに好感を覚えた。

  • 池澤夏樹を、たぶん、20年ぶりくらいに読んだ。こういう小説って稀少ですよね。ただ、話の都合上わざとである可能性もあるんですが(というのは、池澤夏樹は物理学科……中退だけど)、所謂、理系の学者における自然観というか、自然と自らの関係性へのビジョンにおいては、自然が客観的にそこにあってなどというナイーブな見方は20世紀初頭に崩壊したと思っているのが普通だろうなと思うので、違和感があります。もちろん、地質学みたいに、こちら(人間)が何をしようがそんなことはネグリジブルであると言って良いような例もあるんでしょうけれど、それは、絶対的に客観性をもってそこにあるのではなく、観測のための行為があたえるインパクトが、オーダーとして格段に小さいというだけ。その違いは、そういう分野の研究者だって理解しているのが普通だと思うのです。
    それはともかく、ヒロインと、ヒロインの考えること、それを取り巻く環境、その進展する様は、誤解を恐れずに言えば極めてエロティックな印象を受けます。単に火山の女神ペレにまつわる南の島らしい伝承への印象(というか偏見)の問題かも知れませんが。

  • 女性火山学者が主人公の小説。
    噴火を描写する表現が美しい。

  • シェヘラザード

    言葉と心の内相との間の埋められない隔たりについて繰り返し確かめるあたり詩人の小説と思った
    スティル・ライフの質量を重くしてさらに深く押し進めたようなはなし

  • 物語についての物語。

  • 「自然」に関する、池澤夏樹らしい作品。
    「自然」と、人の語る「神話」が対になって登場し、言葉を超えたものの存在を訴えかける。
    小説は、まさに言葉によって作られた物語だ。それが神話を否定するのは、自己矛盾だ。
    だけど、さらさらとした筆致は空気に触れると溶けて、言葉の印象を残さない。場面は淡々と切り替わり、何が始まり何が終わるのかを理解する前に手から零れ落ちる。
    そして結局、訴えかけられた内容だけが心に残る。作者の試みは成功した、少なくとも私に対しては。

  • 主人公頼子は30代の火山学者。
    学生からの問いには論理的に解を導き、観測データに対しては謙虚。名前の通り研究室でも頼りになる存在です。

    揺らぎなどなさそうな頼子の周りに登場する人物たちが、彼女の学者としてのあり方に影響をおよぼしていきます。

    千夜一夜物語的企画の話を持ちかける広告代理店の門田。
    浅間山観測所のベテラン所員風間。
    メキシコの遺跡の写真を撮っている別れた恋人壮伍。
    浅間山の爆発の罹災記録を残した江戸時代の女性ハツ。
    製薬会社の社長ながら、評判の占い師神崎。

    風間、壮伍、ハツは今あるいは過去を扱う人で、門田と神崎は未来を扱う人ともいえます。

    火山学者頼子は、何を頼りにどこへ向うのか考える、
    この物語には、サスペンスものとはまたちがった静かな予測のスリルがあります。

  • 長い手紙。長いだけで直接的なメッセージがない、そんな手紙が読まれるシーンはなんだか村上春樹の「ねじまき鳥」が思い出されました。(いきなり関係ない作者出してすみません)

    この作品では前述した手紙をはじめ江戸時代の女性の物語や「シェヘラザード」用のエピソードなど物語の中で物語が突然、そして何度も語られます。なんだこれ、ごっちゃごちゃの短編集みたいだな、と思いながら読んでいたのですが、主人公が意識を変化させていく中でそれらの物語の効果が理解できて、わぁすごいと感動しました。

    なるほど池澤さんのテーマは一貫していたんですね。言葉からなる物語や神話からでしか物事を見ようとしないことへの反発とその「言葉」を超えた先にある物事の本質の追求。これです。それがわかったらすべてが納得でした。

    作品の構成の意図もわかったし、テーマは意義深いものだし、自分の考え方と近いものを綺麗な文章で表現してくれたし、読中も読後もずっとすっきりしっぱなしの作品でした。

    そして題名。真昼のプリニウス。この作品にこれ以上の相応しい名前はないですね。

  • 先日、心躍る素敵な本屋さんを見つけ、山登りに関わるコーナーに置かれていたので、手に取る。
    ここで終わりなの?!というところで終わるこの物語。
    読み手に委ねられたのね、頼子さんの未来は。

  • 池澤さんと言えば、南の国や島の、
    熱気や匂いまで伝わって来そうな鮮烈な描写が印象的ですが、
    読み始めてすぐ、この作品は全く温度が違うと感じました。

    地質火山の研究をする女性。
    医師である弟。
    その友人で広告代理店に勤める男性。
    という、極めて知的で現代的な登場人物で、
    お話の内容もそれほど熱気を帯びていません。

    遠くメキシコで遺跡の写真を撮る恋人(?)が、
    やや情熱的ではありましたが。

    終始このような感じなのかな、と、
    少し不安になりながら読みましたが、
    途中からだんだんとわかってきました。
    表面は静かで大きな出来事もなく、少し退屈なほどですが、
    その奥にあるものは、まさにマグマであり、
    この作品そのものが火山のようでした。

    ひとつひとつのエピソードは、
    どれもうまく繋がるわけでもなく、
    特別に盛り上がるわけでもなく、
    結末らしい結末もないのですが、
    底にあるのは、地表が隠している熱いマグマであったり、
    太古の人々の魂であったり、精霊であったり、
    ああ、伝えたいことは他の作品と変わらないのだ、
    表面の温度が違うだけだ、と、感じました。

    ひとつのお話、物語として、起承転結を期待して読むと、
    なんだこれは、ということになりそうですが。。
    池澤夏樹さんを好きな人、が読む本なのかもしれません。

  • 火山学で用いられる「プリニー式噴火」という言葉の語源ともなった、かのガイウス・プリニウス・セクンドゥスはほとんど関係ありません。妙齢の女性研究者(研究対象は浅間山!)が、結婚したいなって感じになって、結婚するっていう話です。

  • 62ページで挫折。

    この人は、どうも、「場面」をつなぐように作る、という
    基本的なことが分かっていないんじゃないかな、という気がする。

    シナリオでは、「場面」で作っていく、というのはもっとも基本的な
    考え方で、映像に携わる人間は、当然、全員理解している。
    映画であれ、ドラマであれ、アニメであれ、そうだし、
    映像的な、漫画でもそう。
    しかし、同じ「ストーリーを基本にしたフィクション」という分野でも、
    演劇と、小説だけは、この「場面」で作るという方法を
    理解していなくても、作ることができる。
    演劇は、そもそも、めまぐるしい場面転換には不向きなジャンルなので、
    1カット1シーンで、作れてしまう。
    小説には「映像」が出てこないので、「場面」的な思考が
    出来ていなくても、一応、作れてしまう。
    しかし、この「場面」的な思考ができていないと、
    話にまとまりがなく、ぐだぐだな印象になる。
    エッセイとか論文に近くなっていってしまうのだ。

    といっても、エンターテイメント小説にありがちだが、
    「場面」思考が行き過ぎると、文章にコクのない、
    ペラペラな印象になってしまうので、
    適度に「小説特有部分」というのは、残した方が面白いのだが。
    (あとは、高橋源一郎のように、最初から「物語性」を放棄
    している場合は、関係ないのだが)

    それにしても、この池澤夏樹という人、
    世界文学全集のセレクトなどしていて、「本読み」としては
    たしかな蓄積があるようだが
    (現に、本作も、文学として、おさえる所は、おさえられていて、
    誠実な作りであると言っていい。文学賞を取っているような
    作品でも、本作ほど「文学らしい」部分をおさえていない作品など、
    いくらでもあるであろう)
    しかし、なにか、基本的なことが分かっていない。
    「場面」としての思考がまったくできていないこともそうだが、
    「ダイアローグ」が会話に見えず、地の文にしか見えないとか。

    恋人からの手紙、というのが来るのだが、ここで、
    長々と、メキシコ奥地での体験の報告、というのがされている。
    その「体験」を描くのが「ストーリー」だろうが、
    と思うのだが、これをただの「報告」にしてしまっている。
    こういうことがありました。こう思いました。終わり。
    では、読者の入る余地がない。
    読書というのは「仮想体験」の装置なのだから、
    もしメキシコのことが書きたいのであれば、
    メキシコに行った恋人を主人公にして書くべきであろう。

    また、主人公の女性が「何とかと思った」と思考するのだが、
    そうではなく、話の流れの中で、読者が「何かを思う」つまり
    「何かを思わせる」のが、フィクションである。
    作者の「答え」を、いきなり書いちゃあ、駄目なのである。

    どうもこの人、「文学」はよく読んでいるようだが、
    そういう基本的なことが分かっていないようなので、
    読んでいて、非常に違和感がある。
    そして、とにかく、話の切れが悪い。
    主人公の女性も、一貫して受け身なのだが、
    もう少し、自発的に動く、推進力のある奴を、
    主人公にした方がいいのではないかと思う。
    (恋人とか、電話サービスを作ろうとしている男とか)

    ということで、違和感があるので中断。
    今後も池澤セレクトの「世界文学」は読むつもりだが、
    「眼高手低」ということなのかなあ、とちょっと思う。

  • 情報の提供サービスを夢想しつつも、自身は物語も神話にも信じられなくなっている男。心にかかったフィルターが強過ぎて自分の直感さえも本物か贋か分からなくなっている。

    一方は科学者の女性。自分は正しく世界を観測し分析していると思っているが…。
    うさぎの例え話のように、その先に危険が待っていたとしても何があるか知りたいという本能に従い火口へと赴く。

    ストーリーと言えるほどのものはないけど、人物や事象の一つ一つが象徴として機能しているあたりが池澤夏樹さんの凄いところです。とても心に響く一冊だった。

  • 図書館にて

    天明3年の浅間山大噴火に関しての記述がよい。

  • こんな小説があってもいいんだと思わされた。新鮮。ほとんど文体のない、いや文体を感じさせない小説。

  •  あー。これはすごい面白い。
     物語が読み手の手から離れて、(確かな力量のある著者の手によって)幻想的なイメージで展開し、楽しませてくれる。
     下手な人が書けば「だからどうなの?」となりそうな展開。

     計算ずくで書いているのだろうと思うけど、これが天然で素だったらすごいなぁ。すごかった。

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真昼のプリニウス (中公文庫)の作品紹介

私はここまで来た。この山に、この身に、この心に、何が起こるかを見に来た-。浅間山頂の景観のなかに、待望のその時は近づきつつある。古代ローマの博物学者プリニウスのように、噴火で生命を失うことがあるとしても、世界の存在そのものを見極めるために火口に佇む女性火山学者。誠実に世界と向きあう人間の意識の変容を追って、新しい小説の可能性を示す名作。

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