空海の風景〈下〉 (中公文庫)

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著者 : 司馬遼太郎
  • 中央公論社 (1994年3月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (417ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122020771

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司馬 遼太郎
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空海の風景〈下〉 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 空海と最澄とのやり取りは緊張感を伴うものだ。読者としては空海に肩入れしており、最澄の密教に対する教えの乞い方は、偶然同じ船団で渡唐した時の差別的扱い等も伏線になり、反感を覚えざるを得ない。最澄なりの考えがあればこそ天台宗が平成の現代でも受け継がれているのだろうが。平安期、日本よりはるかに進んだ世界(長安とそこに居住する外国人のいる文化)を見て帰国した空海の、日本を見る目とそれに伴う孤独もイメージされる、人間・空海への理解が深まる良書で、真言密教にも興味が湧いた。我が住む街も真言宗の寺院が多いな~

  • 下巻は、なんだか夢中になって、あっという間に読んでしまった。
    唐から帰国し、密教の確立に奮闘する空海。生真面目っこ最澄との確執。
    空海の超人的な面と、アクの強い人間味溢れた面と、どちらも納得する司馬遼太郎の解釈(妄想?)でした。

    信仰の対象としての「お大師さん」も、それはそれでなんだかあったかくて親しみやすい人物像だったのだけれど、これからは、人間だったんだなぁという奇妙な安心感を持って受け止められそうな気がします。

    大安寺、高尾寺、乙訓寺、東大寺真言院、東寺そして高野山…初めてのお寺もお馴染みのお寺もあるけど、今度、空海がいた時代の風景を意識してお参りしてみようと思います。

  • 1977年刊行。司馬遼太郎が描く空海の人物評伝の下巻。唐からの帰国から日本での真言密教の開始・発展。そして空海の死に至るまで。◆空海が世に出てきたこともあり、下巻の方が面白い。薬子の変の模様、嵯峨天皇との関係、密教を欲する最澄との関係と確執、高野山開祖の点等々。また、真言密教の影響を受けた東大寺の有り様も同様か。◆空海評伝からは外れるが、やはり著者の博覧強記と叙述の広大さ、それを基礎づける取材と調査の濃密さにしてやられる。

  • 小説、ではあるのかもだけど、司馬遼太郎が空海の小説を書くための手帳であり、絵コンテであり、下書きだったり、時々本稿だったりする。適当な言葉を探せば、その過程をライブで見るような、ロードムービーとも言えるんじゃないだろうか。集中して一気読みする類ではなかったので、他の小説読む合間にちょこちょこ読んでたら、読み終わるまで半年以上かかってしまった。しかし、読み終わっても、密教なるものの定義がやっぱり未だにわからない。。あれ?そもそも仏教なのこれ?って疑問は残ったまま。高野山の風景はもちろん仏教のそれなんですけど。んー、わからんが、密教自体に興味はないので、まぁ、よしです。

  • 解説書のような読み難さに耐えつつ、何とか上下巻読了。

    空海が凄い天才であった事はわかりました。ただ、人として好きになれたかは・・微妙ですね。(あくまでこの小説を読んでの、ある意味、キャラとしては。ということですが。)
    個人的には、最澄に“不憫萌え”です。

  •  司馬節炸裂の一書。知的な歴史世界に誘ってくれる歴史随筆の体をとりながら、主人公・空海と格好のライバルとなる最澄という人物像を豊かに描いた小説でもある。当時の時代背景を、日本にとどまらず中国、インドまで広げてとりあげながら、それを材料にして、まるで塑像をつくるように、空海と最澄という対照的な人物の特徴を少しずつ顕わにしていく手法は見事と言う他ない。
     以下、本書を読んで、私が抱いた「最澄」像、「空海」像。最澄は、渡来系の家に生まれ、仏僧になるべくなったというコースを青年期に過ごしていく。嫌みのない秀才であり、合理性と率直さを合わせ持った好人物であった。しかし、秀才の視点は合理的であるがゆえに、時代の変異に目が向きにくい。最澄にとって一番大切だったことは奈良仏教の学問的宗教を本当の意味での宗教として再生することであった。時代が密教を求めていることに気付かないわけではなかったが、自分の論理にこだわった。
     空海は、「土着系」であり、当時のいわゆる国選コース(朝廷の選んだ仏僧)に入ることなく、私度僧として、ときには修験者のような生活を送ってきた。そのときの経験が空海を密教に引きつける。最澄同様、論をつくることに優れてはいるが、空海の場合その根本に直観がある。理詰めの哲学者であると同時に、神秘性を秘めた宗教家であった。それが時代の要求に合った。入唐までは、最澄が空海を圧倒していながら、帰国後、力関係が大きく逆転してしまうのは、そのためだ。
     二人の後半生を見れば、空海は大成功を収めた。最澄を贔屓にしていた桓武天皇が死んで、空海の文才を高く買った嵯峨天皇に交代したという事情も運命の反転に影響を与えている。しかし、もう少し歴史を下った時点から眺め直してみれば、最澄が興した天台宗は、比叡山をいわば仏教の総合大学のように運営することによって、次々と名僧を輩出したが、空海の真言宗は開祖が偉大すぎたからか、教学の点では天台宗に及ばなかったのではないか。それも、この二人の偉大な宗教家が交錯した歴史の一場がもたらした結果である。

  • 空海と最澄の関係も描かれていきます。
    知らなかったことばかりです。
    真言宗と空海のことが、だいぶわかってきました。
    それにしても、司馬遼太郎の資料の読み込み力、調べる力は相変わらずすごいです。

  • 死を感じ、五穀を断つ。自分にはできないだろう。密教を仏教の一つと思っていた38年間が恥ずかしい。

  •  密教とは何ぞや、現世を否定する釈迦の仏教に対して「現世という実在もその諸現象も宇宙の真理のあらわれである」いうことを密教の創始者は考えた。そして宇宙の真理と交信するために魔術、呪文、マジナイのたぐいを利用した(P104~参照)現世のご利益にあずかる趣旨の神社(土俗)風なものとわたしは思える。この密教が当時の政権に大いに受け入れられる。

     南北朝時代の真言立川流って何、詳しく知りたいかたはググってね(笑 そして何よりもあの有名な、空海が弥勒菩薩とともに下生するといわれた56億7千万年という数字が銀河の一回転(ニネヴェ定数)とかかわりがあるらしい、なにかと謎の多い空海であった。

  • 司馬遼太郎、空海の風景(上・下巻)を読む:
    今日、これだけ、旅が、何処へでも簡単に、出掛けられ、しかも、ネットで、欲しい情報に、簡単にアクセス出来る時代からすれば、8世紀の時代に、航海術ですら、満足に発展していない頃に、命懸けで、当時の世界的文化的な大都市に、海外留学しにゆくが如きことは、おおいに、大変であったことは、容易に、想像されよう。
    目的地へ、きちんと、到着した最澄と異なり、福建省の土地に漂着、辿り着いてしまった空海が、皮肉にも、彼の地で、語学の才と当時の文化的知的な教養である書道(五筆和尚という称号)・文章道・漢詩・文才に恵まれ、奇跡的に、これを活かすことになること、誠に、皮肉な廻り道であるものの、長い人生から、見た時には、おおいに、興味深いものがある。
    その生い立ち、渡航目的、そして、何より、語学と書道の才に長けた空海の思想的な成り立ちと時代背景、そして、最澄や当時の様々な僧達との交流と政治的な背景を、1200年以上に遡って、考証しながら、構想・想像するという作業は、並大抵なエネルギーではない。
    しかも、それを一日本の仏教の歴史だけに止めずに、広く、中央・東アジア・インドなどとの思想的な交流とも、絡めて、当時の密教の伝来を考察する作業は、単に、空海という一人の宗教僧の思考方式だけでなくて、広く、当時の世界文化史的な視点からも、興味深いモノがある。
    改めて、そうした視点から、今日の中央アジアの歴史や中近東での出来事を再考察するときに、仏教の伝来とその東の果ての国である日本という国の思想的な在り方に、深く、考えさせられる。

    15歳の時に、讃岐の国を出奔して、778年に桓武天皇時代に、平城京へ登った。
    釈迦没後56億7千万年後に出現する弥勒菩薩を待つのではなく、弥勒が常住し、説法をし続けていると謂われる兜率天(とそつてん)にこちらから出掛けて救われようとする機能性を作り上げた。
    18歳で、仏教・道教・儒教の盛衰を踏まえた優越論を戯曲風に論じた、三教指帰(さんごうしいき)を著し、儒教は、世俗の作法に過ぎないと断じる。
    官吏になる途である大学の学生(がくしょう)を捨てて、官僧としてではなく、私度僧として、仮名乞児(かめいこつじ)として、入唐するまでの空白の7年間を旅に出て、「私は仏陀の勅命を奉じて兜率天への旅に登っている者である」と称し、山野を修行して歩く。
    7歳年上の初めからエリート官僧たる最澄とは、そもそも、出発点が、異なるのか?
    アジア大陸には、生命とは何かという普遍性からのみ考える以上、そこには、時間とか、誰とかという固有名詞もなく、只、抽象的な思考のみで、宇宙を捉え、生命をその原理の回転の中で考え、人間の有する人種やあらゆる属性を外しに外して、ついには、その一個の普遍的な生命という抽象的一点に化せしめることにより、物事を考え始める。従って、漢民族が引き寄せられる歴史とか社会的な思考には、印度的な思考法は、かけらほども、入ることはなく、密教の伝授という観点から、広義のみでの漢語・サンスクリッド・梵字、イラン語にも、当時は、学ばなければならなかったのであろう。
    二つの系統の密教というモノがあるという。純密と雑密(没体系的なかけらのような形の密教、巫女、外法の徒、山伏など)、現世を否定する釈迦の仏教と、現世という実在もその諸現象も宇宙の真理の現れであるとする密教の創始者は、宇宙の真理との交信の手段として、魔術に関心を持った。魔術・呪文・まじない・陰陽五行説・陰陽道・陰陽師など、後の純密以外の所謂、雑密である。最澄のそれは、不覚にも、それを拾ってしまったことなのであろうか?
    虚空蔵求聞持法、という万巻の経典をたちまちの内に暗誦出来るという秘術、真言とはやはり、人間の言語ではなくて、原理化された存在である法身たる如来達が喋る言語で、虚空蔵... 続きを読む

  • 下巻では、恵可から教法を継いで帰国した後の空海の姿が描かれています。

    クライマックスは、『理趣経』の借経を申し出た最澄に対して、空海が送った手紙を紹介している箇所でしょうか。書を通じて密教を学ぼうとする態度を変えない最澄に、空海は次のように言います。「モシ、汝ノ理趣ヲ(汝自身が)求メントセバ即チ汝ガ辺ニ即チ有リ。(汝は)我ガ辺ニ求ムルヲ須ヒザレ」。お前は、自分自身の理趣を他の誰に求めるというのか、求めようがあるまい。また私も、誰にそれを与えることができるというのか、与えようがあるまい。その上で、「夫レ、秘蔵ノ荒廃ハ、唯汝ト我トナリ」。密教の荒廃を担っているのはお前と私だけではないか、と叱咤します。最後に、「努力自愛セヨ」で結んでいます。両者の交渉に関しては最澄の方に同情が集まってしまいがちではありますが、本書の叙述からはむしろ空海の密教にかけるひたむきな思いが伝わってくるように思います。

    著者は空海に、わが国には珍しい「思想家」を見いだしています。吉田松陰や西郷隆盛など、鋭い目で現実の奥にあるものを見抜いた人物は、日本史上にも少なくありません。しかし彼らはいずれも、「日本」というものを大きく超えて飛翔するような、普遍的な精神の持ち主とは言い難いところがあります。彼らの思索には「日本」という刻印がはっきりと記されているからです。「空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在でなく、人類的な存在だったといえるのではないか」と著者は言います。空海は日本という国家を仔犬でも見るような目で見ていたのではないかという小説家の感慨は、あまりにもスケールが大きいために茫漠とした印象を与える人物を、見事に一つのイメージとして描き取っているように思います。

  • 空海にあいに高野山にいってみたくなった

  • 空海と最澄が決別するクライマックスは面白かった。全編を読んで、空海という人物が人気の理由、密教と他の仏教との違いがハッキリ感じられた。

  • 司馬遼太郎は、遂に空海を捉えきれず終わりました。最澄は確実に捉えているけど…

  • 密を巡っての空海対最澄が興味深い。
    この件に関してだけでも二人の性格や思想の違いがはっきりとわかり、その苦労が偲ばれる。
    また、死後の万灯会や兜率天のこと、弥勒菩薩と自身による弟子への圧力など、空海は類稀な才の持ち主だったがゆえに自身の人生を綿密に計算し作り上げたという印象が濃くなった。

    才あるゆえに日本では孤独であり、出自があまり豊かでないゆえに苦労に苦労を重ねた人だということを知ることができて面白かった。

  • 開拓者の自身、気概と傲慢。空海という天才の軌跡。

  • あとがきまで面白かった。

  • 大学生のとき読むのを断念し、あれから何年が経ち、もう一度トライ。
    よかった、スラスラ読めました。
    全集でなかったからか、知識が増えたからか。
    でも今までの司馬作品の中では一番難関だったのは確か。

    途中の長安描写には心躍るものがあった。
    結局、密教とはを一言で語るのは難しいのだろう。
    司馬氏ほどをもってしても。

  • 周辺を描くことで空海自身を浮かび上がらせる。斬新な方法を選択した司馬さんのエネルギーに驚かされる。天才なのに聖人ではなく人間くさい空海。ひとつ間違えば山師かも、、、

  • 無知な私には難易度の高い小説だった。
    けど、とても興味深く、勉強しながら読み進めた。
    空海が人間らしくて少しだけ身近な存在に感じられた。そして、最澄のことがとても気になる。もっと勉強しよう。。

    先日、高野山に行ったので、近々比叡山に行こうと思う。
    とにかく司馬先生はすごい!

  • 上巻のほうがワクワク感があって面白かったな
    最後の方は全然小説ではなくなってました。
    随筆?評論?みたいな

    しんくうこんこう、てんさいひえん
    (真言宗・空海・金剛峯寺・高野山)(天台宗・最澄・比叡山・延暦寺)
    この語呂合せ(自作です!)しか知らなかった空海と最澄が、経典を貸し借りしたり、手紙を送りあったり、絶縁したりしていたなんて。
    それだけでもう面白かった。
    薬子の妖しさやら平城天皇の神経症っぷりやら嵯峨天皇の空海びいきやら橘逸勢の捻くれっぷりやらも面白い。

    生命と欲望を肯定する密教が、空海の死後生殖崇拝的、形而下的になってしまったというのが興味深かった。

    もし最澄を主人公にしたら空海はどれだけ悪者にされるんだろう
    その道の人の間では空海の最澄への仕打ちには悪名高いものがあるらしい 笑
    空海が人生を懸けた密教をひと夏で全て譲ってもらえると思ってしまう最澄もどうなんだと私は思ったんだけども…

  • 空海の風景、下巻。
    空海さん774年-835年の評伝というか平安初期の歴史書というか、小説というか。
    という不思議な本です。
    下巻は、遣唐使として中国に入ったところから。
    当時世界最大規模の文化のカオスであった大都市、シルクロードの拠点・長安。
    その長安での数年間、空海は書でも漢文でも最高峰ともてはやされ(「日本人にしては」ではなく、です)。
    密教の中国最高権威の僧から全ての奥義を伝えられ。これも、日本支部として、じゃないんですね。
    何千人という中国人の修行僧の中でも最高だ、と認められたんです。
    2年くらいでですよ。いきなり横から入って何千人とごぼう抜きしてNO.1になったんです。すごいですねえ。
    唐の皇帝に面会してその才を褒め称えられ。
    長安の文化人全てに惜しまれながら日本に帰国します。

    この長安の日々ってすごいですねえ。
    今で言うと・・・なんて言えばいいんですかね。
    例えて言えば、島根県の若者がサックスを吹いてジャズを志して、ニューヨークに渡り。
    あっという間にニューオリンズやパリや世界中からNYに集まってるジャズ界でトップと認められ。
    スタンダード曲の解釈から新曲創作、前衛的演奏まで幅広くトップに君臨し。
    英語のみならずスペイン語とフランス語くらい使いこなし。
    音楽界にとどまらず、文化全般の名士になり。
    毎日のようにニューヨークのあちこちで、クラシック音楽家、詩人、映画監督、評論家、作家、写真家、ロックスター、といった人々とサロンに集い。
    最先端の刺激的な芸術論を戦わせ。即興で演奏して喝采を浴びて。
    アルバムを発売し、ニューズウィークで特集され。全米ネットのニュース番組でキャスターにインタビューされ。
    黒人白人アジア人フランス人に北欧人、多種多様な人々や文化と日々出会い。
    女優、モデル、バレエダンサー、オペラ歌手・・・美女に常常囲まれて・・・。
    という数年間を送った、島根県出身の男が。
    皆に惜しまれながら、島根に帰るんですね・・・。島根県にジャズを、音楽を、文化を、伝えて根付かせる為に・・・。

    とまあ、そういうかんじですね。島根の人がいたらごめんなさい。素敵な土地ですよね。出雲大社も改修工事終わったそうですし。うん。

    で、まあ、こういう例え話で押していくとするとですよ。
    空海さんとしては、後ろ髪引かれながらも、島根に帰るわけですよ。
    そしたら、まず第一に。
    「なんかさ、空海って人、ニューヨークで結構がんばってたらしいよ」
    「なんかさ、ウィントン・マルサリスっていう第一人者が、空海が最高だ、って褒めたらしいよ」
    「それぁすごいね。ところでそのナントカ・マルサリスって誰?サザンのメンバー?」
    とかって言ってるわけですよ。いやあ、つらいですよね。

    その上、1年くらい前に、同じくアメリカから島根に帰った、最澄っていう人が先にいたんですね。

    空海さんは、島根県のエリート階級の出身ではあったし、優秀ではあったけど、若い頃からジャズに惹かれてしまって。
    その結果、音大にも行かずにふらふらと独学の日々だったんですね。だから、島根でも無名の存在で、私費留学でニューヨークに行きました。
    ところが、最澄さんっていうのは、島根高校時代から、クラシック音楽、ピアノ演奏で神童と言われて、県知事賞とか取ってまして。
    その最澄さんは、ボストンに住んでるクラシックピアニスト、ナントカビッチさんの研究をしたい、と志を持ちました。
    で、それが県の教育委員会に認められ、県知事以下島根県の文化人県政人総出の万歳三唱で見送られて、官費で留学したんですね。

    空海さんは、ジャズを求めるあまりに私費留学。
    このふたりが、たまたま同じ飛行機に乗ってたんですね。
    でも、最澄さんはビジネ... 続きを読む

  • 私にとって空海は遠い存在でした。その理由は1200年という時の流れだけではなく、学問、芸術、技術にかかわる怪物的な才能や、後年に作られた虚実入り乱れた宗教的伝説の数々などが、実感を伴う理解を何重ものバリアで妨げているように思えるからでした。作者はこの作品のタイトルについて、これは小説なのだけれど、空海はいろんな意味で遠い存在なので、その息づかいや人間らしい挙措に触れてみようと思っても成功する見込みが立たない。だから空海が見たであろう風景をできる限り丹念に描いてみることによって生身の空海を感ずる幸運を待ちたい。というような意味のことを書いています。まさにそのような作品だと思います。空海という日本が生んだ大天才のことを考えるきっかけを与えてくれる本です。

    人間科学部 T.M


    越谷OPAC : http://kopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1000640864

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空海の風景〈下〉 (中公文庫)の作品紹介

大陸文明と日本文明の結びつきを達成した空海は、哲学宗教文学教育、医療施薬から土木灌漑建築まで、八面六臀の活躍を続ける。その死の秘密をもふくめて描く完結篇。昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞。

空海の風景〈下〉 (中公文庫)の単行本

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