シュガ-タイム (中公文庫 お 51-1)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122020863

作品紹介・あらすじ

三週間ほど前から、わたしは奇妙な日記をつけ始めた-。春の訪れとともにはじまり、秋の淡い陽射しのなかで終わった、わたしたちのシュガータイム。青春最後の日々を流れる透明な時間を描く、芥川賞作家の初めての長篇小説。

感想・レビュー・書評

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  • 小川洋子 著

    小川洋子さんはとても好きな作家さんで、
    少し前に久々に読んだ『まぶた』も、やはり良作で面白かったけど、短編小説だったのが物足りなく、
    また長編小説を読みたいと思い手にした本作(まだ読んでなかったのか…?と思った。)
    題名の『シュガータイム』のように、
    サラサラと溶けてゆくように、あっという間に読んでしまった。青春の淡い記憶のような小説で、今度は物足りなさは感じなかった、小説としては完成されていたから。
    ただ、小川洋子さんにとってもまだ淡いような感覚のこの物語りは青春時代を振り返って、
    これからの人生がまだ続いてゆくことを示唆しているような小説だった。

    林真理子さんの解説が際どくも面白く本作の内容を言い当ててる気がする。
    ただ、解説の最後の方で…
    「わたしたちのシュガータイムにも、終わりがあるっていうことね」「砂糖菓子みたいにもろいから…中略…そういう種類のものじゃないかなぁ」という締めくくりはあきらかに余計である。ときっぱり切り捨てている、
    (私も実は感じてた違和感はその辺りか…?)と思って読んでいると、
    この最初の長編小説を書いてた頃、小川洋子は自分の”ヘン”にまだ腹をくくってなかったにちがいない。と続く、
    これは意地悪な感想ではなくて、この時のまだ若い小川洋子の中にある”ヘン”が開花することへの期待と小川洋子への愛情の裏返しの言葉のように感じられました。
    脱線したけれど、本作はまたしても、冒頭から心を掻き立てられる。
    不思議で奇妙な世界に引き摺り込まれる感覚が、妙に感じるのに、淡々とさりげなく語りつつ、描写は細かくいつも魅力的だ。

    奇妙な事態や症状に巻き込まれて不安になるのに、今はとりあえず、特に問題なさそうだからと甘んじている訳ではないが、とにかく今はこの状況のまま突き進み溶けこんで状況を見極めようとしている。
    しかし、本当はこのままでいいはずはないと自分で受け止め分かっているから、その時が訪れるのを見逃さないようにしたいと思ってることも事実で、
    その感覚が読んでいる方にも少し安心感を与えてくれる。
    異常な食欲も変で不安ではあるが、美味しいと感じてどんどん食べる感覚やスーパーに陳列する食べ物を手に取って料理したり食べたりすることに、こちらも、その美味しさが伝わってきて(@ ̄ρ ̄@)悪い気はしないどころか心地よい気分にさえなる(^^;;笑
    人の体や奇妙で過剰なものについても、それよりもその者が持つ一点の美しさに魅了されて、その他のことはとりたてて騒ぐようなことじゃない気持ちにすり替わる。
    奇妙な事柄も、この世にあるのは当たり前の事で、ある意味、其れは人の人生に於ける中のひとつの症例に過ぎないように、よくあることじゃないとも思えてしまう。
    よくあることじゃない!そんなことで済まされない!と思うこと自体、誰彼なしにあるのではないだろうか?そんな気分になった。
    哀しみもさめざめと泣く心の内を哀しみの色で鮮明に表現しているところが、小川洋子さんの描く世界の好きなところだと思う。

    まばたきの美しい小さな弟のことを読んでいると、かなり前に読んだ
    『猫を抱いて象と泳ぐ』の本を思い出した。
    あの小説は、上手く言葉に出来ないけれど、とても哀しみの色が濃過ぎて胸に痛くて涙が溢れて読後も暫く泣いた。
    本作は悲しくて見過ごせないような哀しみの色合いのものと飄々とした明るい部分と溶け合った青春時代の甘酸っぱい気持ちを感じることが出来た。
    暗い気持ちを引き摺らずに、清々しい気分で乗り越えられた作品だったと思います。

  • 小川洋子の文章は品が良いのに、どこかちょっとこちらを不安にさせるし、少しだけ恐い(それらはプロットの問題だけじゃない気もする)。この初期作品も、その印象はぜんぜん揺るがなかった。

  • 春に近づくこの季節にこの本を読めてなんだか良かったなあ、と思った。

    主人公のかおるやその弟、恋人の吉田さん、それぞれが人とは違うこと(異常な食欲や病気等)を持っているけど特段それに悩まされることもなく淡々と日々を過ごしていく。
    大きな感情の波も無くごく当たり前にも思えるような、そんな優しい情景ばかりが描かれているけど紛れもなく彼女たちが過ごした時間は甘くほろ苦い青春だったんだろうなと思う。

    私は中学から高校へと進み、皆が若さを言い訳に出来る甘酸っぱい時間が終わりに近づくことを悟り始めた途端に口を揃えてやれ青春だ一致団結だと言い始めることに同調圧力じみた気持ち悪さを感じていて、青春という言葉を口に出すことを気恥しいことのように感じていた。
    けどこの本を読んだあと、紛れもなく私は今過ぎ行く青春という時間の中にいるんだろうなあと素直に呟ける気がする。
    かおる達が一度目に野球場に行った時、二度目に野球場に行った時で抱く感情が違うように日常を過ごす中で今にしか感じられないものは沢山ある。
    だから別に学校に行けなくったって、夏休みを太陽の下で謳歌出来なくったって、今の過ぎ行く時間を愛おしく思えているということ、それだけで胸を張って青春を過ごしていると、現在進行形でそれなりに私も甘酸っぱい時間を過ごしていると思えた。

    小川洋子さんの書く文章はどれも儚げで優しくてどれも噛み締めたくなるようなものばかり。

  • 季節の描写がものすごく美しくて、はかなげで淋しい感じがした。
    多感な年頃って、いったいいつのことを言うのだろう。
    人間って淋しい生き物なんだなぁって思う。
    真由子の友情が健気で、優しい。

    決して力強い文章ではないのに、何だか勇気づけられる。

  •  かおるは異常な食欲に苛まれていた。普通の女子大生が食べる量を遥かに上回る食べ物を無意識に食べてしまうのだ。原因も分からず、突然、湧いた食欲を抱えたままの、かおるだったが、親友や恋人、複雑な関係ではあるが仲は良い弟に囲まれて穏やかな生活を送っていた。しかし、恋人が交通事故に遭ったことをきっかけに、彼女の生活に暗雲が立ち込める。

     この本を読み終えた時に、かおるの食欲の正体は何だろうと考えました。
     初めに思いついたのは、「恋人への不満」。食べるという行為は、よく性欲のメタファーとして用いられるので、夜にベットに一緒に入っても語り合って眠るだけの恋人に対して不満を持っているのではと思ったのです。

  • 小川洋子さん初読。
    突然食欲が異常になったかおるの青春の記録。
    あまりにも過剰な食欲なはずなのに、読者はそれを受け入れられるし、後半はかおるも、筆者も、読者も、その異常な食欲を当たり前に感じ、食欲が中心の物語ではなくなる。
    あくまでかおるの生活の食欲だけがちょっとおかしくなってしまった、程度の書かれ方なのがおもしろい。普通に考えたらかなりおかしいけど、生きる上で食べるというのは大切な行為であり、かおるが無意識のうちに感じていた心の余白を食が埋めていてくれたんだろうなと思う。だからこそ、その余白を自覚してかおるの食欲は戻るのだろう。
    たくさん食べ物がててきて、読んでいると片手になにかつまみたくなった。

    かおるの親友真由子は、かなり行動力があって友だち思いで素敵。「おそうめんでもゆでようか」と、そうめんをおそうめんと呼ぶあたりは好きで読み返してしまった。
    読者によって、友だち、恋人、家族、、印象に残る人が違うんじゃないかな。

  • 何故か本屋に平積みされてたので、最近の作品の文庫化?と思って購入したけど、芥川賞受賞くらいの時期の作品との事。

    確かに最近の現代のファンタジー的な作品と比べて、もう少し現実的で表現も少し奇妙な感じのある『薬指の標本』とかのイメージと近い感じの始まりでとても入り込みやすかった。異常な食欲から、ホテルのオールドミスのウェイトレスとアイスクリーム・ロイヤルの流れなど最高にイカれてるのに、それが美しい文章で表現されるととても自然で素敵な事のように感じてくる。

    物語の中盤以降はそういった表面的な異常さよりも、青春物語っぽい流れになり少し思っていたのと異なる展開に。吉田さんのいう「含まれている」とはどういう感覚なのであろうか?そもそも冒頭の「異常な食欲」はどうなったのか?欠乏感とそれを満たすための食欲は吉田さんに対して得られるとこのない満足感を表すメタファーなのかな。

    航平との二人きりの晩餐会で全てに区切りを付けたのだろうか?その後の小川洋子さんの作品から見ると、解説にあるように「自分のヘンに腹をくくっていなかった」感は確かにある。しかしながら確かに文章は素敵で小川洋子さんの作品を読んだ満足感がありました。

  • 秘められた喜怒哀楽とともに食があり、誰かを求めることは自らの中にその誰かを閉じ込めたいという飽くなき欲なのだと感じた。腹のなかに欲望とともに閉じ込め、消えていった数多の食べ物を忘れないように。その食べ物が記憶のなかでゆっくりとばらばらになって最後には跡形もなく消えていったとしても。
    様々な感情に寄り添っては、必要とあらば求められるがままに閉じ込められ、忘れられ、そういったささやかなものの儚さをわたしは感じた。

  • かおるが“あるときふと気が付いたら、わたしは十分におかしかった。”と振り返ることから始まる。
    わたしにも経験がある。
    何でこんなことになってるんだろう。ふと我に返ると何だかおかしいことをしている。それは他人様に迷惑をかけたり、自分を追い詰めたりするものでもないし、特にそれが苦痛とか快感とかそんな気持ちになるわけでもない。
    だから気づくのが、ふとした瞬間になってしまう。
    あれ?何でだっけ?原因がわからない。いや、あれかな、これかなと思い当たる節は何個かある。でも決定的ではないし、そのうち悶々とした気持ちが薄れてしまって、またふと我に返るときまで同じことを繰り返している。

    かおるの胃袋はまるでブラックホールのようだ。食べても食べても食べ物への執着が収まらない。特に体や心が不調というわけでもないし、過食症でもない。かおるは淡々と異様な食欲を受け入れる。原因はいくつか思い当たるけれど、それがそうなのか本当のところわからない。
    親友の真由子には相談したけれど、彼氏の吉田さんには打ち明けなかった。
    「いいの。別に、必要性をかんじないから」
    この言葉に彼女自身が気づかない心の砦のようなものを感じた。特別意味のあることではないから、必要性がないからと、かおるは言うのだけれど、これから彼女の身に起こる何か不安めいたものを、先に体が感知したんじゃないかなと思った。
    かおるは吉田さんとの別れを経験して、今の状況を抜け出たいと思うようになる。そして今自分に必要なのは、心を込めて作った料理だと悟る。彼女は弟の航平を手作りの夕食会に招いた。それは微笑みと満足に彩られた平和な食事だった。
    航平との優しい時間を過ごしたことで、かおるの心は哀しみを受け入れることが出来、それはブラックホール化した食欲の終焉を意味していた。

    終わりが始まり。
    そんな言葉を思い出した余韻の残る物語だった。

  • 脆く今にもこぼれてしまいそうな美しさと醜さを、ヴェールに包んで差し出してくるような儚さを感じる物語だった。食に魅了されていく主人公の様子や、弟のまつげの描写がとても綺麗であった。病という言葉の中には収まりきらない彼女たちの姿を、これから先もふと思い出す事があるだろうと思う。

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著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

小川洋子の作品

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