光る源氏の物語〈上〉 (中公文庫)

  • 57人登録
  • 4.20評価
    • (13)
    • (7)
    • (3)
    • (1)
    • (1)
  • 11レビュー
  • 中央公論社 (1994年8月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122021235

光る源氏の物語〈上〉 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • お友達の紹介で読んだ本です。
    丸谷才一さんの「輝く日の宮」が面白かった、という話をしたら、「これも絶対面白い!」というお話で。
    源氏物語の解説書のようなお話だったので、
    「ずいぶん以前に谷崎潤一郎訳で読んだんだけど、ほぼ忘却しているので、源氏自体を読まないと、判らないのでは?」
    と、尋ねたら、
    「いや、これを読んだら、源氏を読んだ気になれます!」
    というお勧めの言葉で。ならば、と購入。

    いや、推薦の通り。
    物凄く面白く読めて、しかも源氏物語の立派なダイジェストになっています。
    この本は、素晴らしい。まだ上巻読んだだけですが、脱帽です。

    1989年の本だそうです。中央公論社さん、素晴らしい。
    小説家で英文学者、日本語国文学にも詳しく、大人な洒脱なエッセイストでもある、丸谷才一さん(1925-2012)。
    アカデミックな日本語学者さん、大学教授、研究家、そしてコラムやエッセイも手掛けた、大野晋(すすむ)さん(1919-2008)。
    このお二人による、対談形式の本です。
    内容は、「源氏物語」。西暦1008年頃には書かれていたとされる、紫式部さんの長編小説。
    この時代に、これだけのキチンとした超・長編小説が描かれて、それも(恐らくは)特定の個人がそれを書いて、
    それが20世紀、21世紀になっても、ダイジェスト、マンガ、映画、現代語訳、外国語訳という幅広い形で一般に親しまれている。
    そういう意味では、ほんと、大げさではなく、ピラミッドと同じくらい謎めいた、奇跡のような小説です。
    シェークスピアだって16世紀なんです。源氏は、書かれ始めたのは下手すれば10世紀ですからね!
    研究家はともかく、一般の本好き、物語好きの守備範囲で言うと、気が遠くなるようなブンガクです。

    「源氏物語」というと、まあ、研究家の人以外は、原文に取っ組んで、「オモシロイな~」と思うことはあり得ません。
    だって、わかんないもん。言葉が違いすぎて…。滝沢馬琴や近松、膝栗毛や西鶴だってキビシイんだから。
    その上、後述するような作品としての特性もあって、「徒然草」とか「方丈記」の方が(一部であれば)読み易い。源氏はちょっと無理でしょう。
    与謝野晶子さん、谷崎潤一郎さん、田辺聖子さん、橋本治さん、マンガ「あさきゆめみし」など…数えきれない翻訳翻案脚色作品がいっぱいあります。
    僕も、もう霞彼方の昔話になりますが、谷崎潤一郎さんで、読んだことがあります。

    先入観的に、ざっくり言うと、
    ●平安時代の王朝貴族の社会を舞台にした、架空の物語。
    ●主人公は光源氏。天皇さんの子どもで、皇位継承者にならずに、臣籍に降下した人。
    ●この人が、超・イケメンで、文化芸術政治色事、踊りに和歌に人情機微、スーパーマンな男性。
    ●この人が、とにかく大勢の女性と恋愛しまくる。
    ●ロリコン的に美少女を子供時代から自分好みに育てて、自分の愛人にする、「紫の上」。
    ●いい女かな、と思ってHしたら、鼻の赤い醜女だったという「末摘花」。
    ●などなど、キャラクターの際立った女性たちが華やかに周囲を彩る。
    ●当時の貴族社会の風俗として、やたらと和歌をやりとりする。和歌のいっぱいある、小説。
    ●最終的には次世代の話まで伸びていく大河小説。
    ●なんとなく日本的仏教思想なのか、はかなかったり、「もののあはれ」だったりするような、そんな後味。
    と、言うような感じなんです。恐らく「源氏物語」って。

    で、この「源氏物語」について、丸谷才一さんと大野晋さんが、1章ごとに語り合います。
    本の作りとして戦略的なのは、
    「源氏物語、ちゃんと通して読んでないんだよなあ」
    「読んだけど、もう大昔のことで忘れちゃったなあ」
    という読者でも大丈夫、という感じに作られています。
    ものすごーく、ざっくりだけど、
    「この章は、大まかこういう筋なんですけど」という風にフォローしてくれるんです。
    だから、お二人の話に最低限、読者がついていける。
    その上で、お二人が(あるいは丸谷さんが?編集サイドが?)選んだ、章ごとの部分部分を、原文抜粋が入ります。
    でもまあ、原文はかなり難解なので、抜粋の直後に、丸谷才一さん訳の現代語訳が入ります。
    これが、さすが丸谷さん、判りやすくて、品格がある。
    その上、和歌まで、原文の匂いを失わないように工夫して訳/解説してある。
    そういう趣向の本です。
    (実は、僕は浅学な上に、せっかちな読者なので。抜粋の「源氏原文」は、読み飛ばしています。丸谷訳だけ、読んでます…。)

    (和歌を訳解説するのに、五行自由詩みたいな形態を取られてるのですが、これ、素晴らしいと思います)

    僕の印象としては、

    「判りにくいところは判りやすく」

    「かったるいところ、詰まらないところは、カッ飛ばして」

    「下世話な話から時代背景まで、注釈的なお話を、対話形式で楽しく」

    「源氏物語の成立、という、場合によっては源氏物語の内容以上に不可解で興味深い視点を常に提供しつつ」

    「ことば、小説、物語、日本語、古代日本の精神や風俗について、知的な興奮を誘いつつ」

    「永遠不滅に源氏物語の魅力である、男女関係の機微やH話、人生の四季や歳月について、その魅力を浮き彫りにしてくれる」

    「そして、十分に源氏物語を読んだ気になれる、満足感」

    という。
    実に一粒で何度も美味しい読書体験です。パチパチ。
    「源氏物語」をアカデミックに研究している方たちからして、暴論や推論が多くあるのかも知れませんが、
    読書を愉しみたい我が身からすれば、まずは本として面白く興味深くないと始まりません。僕は、大好きです。

    「源氏物語」という魅力深い謎を解いていく、シャーロック・ホームズのなぞ解きを傍聴する、ワトソン君の愉しみです。

    ナルホド感満載の、日本語論、歴史考の一方で。
    「僕たち男性だから、こう思っちゃうけど、女性読者は意外と違うみたいですねー」
    「丸谷さんは小説家だからそういうけれど」
    みたいな、くだけた軽さ。

    そして、どうやら、H行為のことを「実事」という素敵な言葉で語られるんですが(笑)、

    「ここ、源氏とこの女って、実事あり、と考えていいですよね?」
    「ええ、いいです」

    「ここ、実事ありですかね?」
    「僕は無いと見てるんですよ」
    「え~!僕は、ありだと思って訳しましたよー!」
    「でもほら、ここで"別れの朝の、なになにが"ってあるじゃないですか。この解釈で言うと…実事なしじゃないかなって思うんですよねー」
    「でも、朝までいたんでしょー!」

    みたいな、ほとんど、オトコ飲み会の場での、どーしよーもない愉しいおしゃべりのような(笑)。
    そんな「1000年前のフィクションの人物が、ヤったかヤってないか」という気が遠くなるような、どーでも良い愉快な議論の数々…。
    これを、老人と言って良いおふたりが、楽しそうに一生懸命語る様を思うと、羨ましいような、カワイイような…。

    無論、丸谷さんも大野さんも、碩学博学。
    本書の全部を味わい尽くせているとは思いません。
    それでも十分、姿勢正して引き込まれながら、時には、にやにや。思わず、くすくす。

    (※「実事」って、何て発音するのでしょうか?「ジツジ」? 「ジツゴト」? どなたか、ご存知でしたら教えてくださいませ)

    そして、下巻に向けて。
    下巻は「若菜」の章からなんですが、

    「若菜からが源氏のオイシイところ!ここからが、源氏物語が不滅な理由です!」

    というおふたりの絶妙な引っ張り。
    確かに、昔読んだ時も、終盤に向けて、むしろ光源氏さんの死後も含めて、
    因果が巡り、ままならぬ歳月が過ぎ、しみじみとした物語の感動があったような…。

    下巻が、たのしみで、たまりません!




    以下、自分の備忘録として。



    ###############

    ■■■「源氏物語」は判りにくい!だから面白い!

    これは、この本を読んで、霧が晴れた気がしました。
    「潤一郎訳 源氏物語」を読んだ時に、思ったんです。

    「あれ?この人、いつ出てきたんだっけ?」
    「あれ?この事件はこれで終わり?」
    「え?結局、この女性とは何があったの?どうなったの?」
    「えーっと、政治的事件が何かあったの?良く判らんぞ?」

    そういうことの、オン・パレードだったんです。
    なんだけど、一方で、全体の四分の一か、五分の一くらい、

    「おおおっ!そうなっちゃうの!」
    「ああ、なんだかしみじみ儚いなあ」
    「嫉妬心、誤解、すれ違い、浮き沈み、面白いなあ」
    「心理、風景、歳月、親子、男女。こういう日本語って、美しいなあ」

    と、大変に面白かった。
    なんだけど、なんとなくモヤモヤが残ります。
    「俺は無学だから、この小説の旨みを十分の一くらいしか味わえていないのでは」という悔しさというか。
    平たく言うと、ワカラナイ。ナットクできない箇所が、ボロボロあったんですね。

    で、丸谷さんと大野さんが解説してくれるのは、

    ●源氏物語は、同時代の文章と比較しても、謎めいていて、はっきり言ってくれない箇所が多数ある。

    ●それは、古文だから、という枠を超えて、確実に筆者・紫式部が狙いとして、戦略的に、あいまいにしている。

    ●紫式部の造語みたいな言葉も、ある。

    ●それは、「Hしたのか?してないのか?」という男女のデリケートな部分を、表現としてぼやかしたい狙いもある。

    ●また、政治的なことに関していうと(ある意味、つまり平安時代の支配者階級のお話なので)、同時代人として、憚りあるところもあるのか、わざとぼやかしている。

    ●そういうぼやかし方が、「まあ、それは言わぬが華ですから、うふふふ」的な、不確かな身内のゴシップを愉しむような、そういう偉大な風俗小説。

    ●その謎めいた部分、余白の部分が、永遠に解けないもどかしい推理小説のような、巨大なエンターテイメントになっている。その、微妙な判らなさを愉しみましょう!

    ●その上、異論もあるんだろうけど、54章(だったかな?)は、恐らく現在の順番と違った順番で執筆されている。

    ●その上、異論もあるんだろうけど、紫式部は書いたけど、何故だが現存しない章がありそうだ。

    というような事なんです。



    ■■■「源氏物語」は手に汗握るスキャンダル小説!

    「古文」であり、「名作」であり、「受験に出て」、「教科書に載ってる」、という時点で、
    僕なんかは「要するに退屈で詰まらないのではないだろうか」と偏見をもってしまうんですが。
    ところがどっこい。

    ざっくり言えば、天皇家のお話。これだけで一大スキャンダル。

    ●天皇の息子が、父親である天皇の妻、つまりは義母とHする。しかもたぶん、ほぼ、レイプ。

    ●そしてしかも、そのHで義母は妊娠。父親が自分の子だと思い込んで大喜び。

    ●そしてしかも、生まれた子が天皇に即位しちゃう。

    ●その義母に面影の似ている、義母の親戚の女の子を、10歳前後?くらいなのに、拉致して舐めるように育成して、やがて、Hする。

    ●やがて、その少年天皇が、「お前のおとっつぁんは、実は光源氏だぜ」と知ってしまって、大ショック。

    もう、これだけでも、モノスゴイことな訳です。
    100%、今、こんな小説を書いたら、右翼からタコ殴りになって虐殺されること、間違いなしです。

    それ以外でも、
    「あの女とHしたいけど、この女になんて言おうか」
    「あの女との間の子供を、どうやって妻に育ててもらおうか」
    「政敵の娘に惚れちゃったけどどうしよう」
    「なんか俺の息子が、俺の愛人に色目使ってないか?」
    などなど、ドキドキする内容が目白押し。



    ■■■スキャンダル&セックス小説なのに、ハイレベルな評論文化論でもある。

    まるで読者に媚びまくったような、下世話な小説かと思いきや。
    「源氏物語」は、その時代に、男性すら及ばないくらい、漢籍、和歌、歴史、詩歌に秀でた知識を持つ紫式部さんによる、評論集でもあるんです。

    読んでみると、
    「これ、本筋となんか関係あるの???」
    というような、
    詩歌論、文化論、歴史論、家族論、恋愛論、日本語論、人生論が、はしばしで顔を出します。
    これがまた、普通にエンターテイメント小説を読んでる気でいると、ちょっと困惑するんです。

    丸谷さん、大野さんが解説してくれるのは、洋の東西、古今を問わず、
    「評論が堂々と割り込んでくるような小説」というのがある、と。
    成程、考えてみれば司馬遼太郎さんの小説だって、そういうところがあります。
    極端に言えば、「ゴルゴ13」だって、時代や政治の解説が入ったりする。
    そういう趣向な上に、

    「でもさ、しばしば紫式部、衒学的。わたしこんな知識も学問もあるんですのよ~、という感じの、ドラマの流れとしては、評論過剰だったり、あまりにも本筋から脱線しすぎるところもあるよね」

    と。
    そうなんですよ。その辺が知らずに読むとツライところだったんですよ!
    解説ありがとう!



    ■■■人生を俯瞰し、深く、そして、超ドロドロ…

    そして、「源氏物語」が深いのは。
    「ブラック・ジャック」が、実は「ブラック・ジャックが治せなかった挿話が面白い」。
    「ゴルゴ13」が、「ゴルゴが失敗する話が面白い」。
    というのと、同じ趣向で。

    「源氏がモノに出来なかった女たち」
    「源氏がいちどはHしたけど、そのあと色々と上手く行かなかった女たち」
    こういう話がまた、面白い。

    ことほど左様に、スーパーマン源氏さんだって、もどかしく悩み、失敗して、失言して、後悔して、失脚して、苦しみぬく訳です。
    つまり、「超恵まれた、女にモテまくりの男が、受難する話」と言えなくもないくらい。
    そして、「女にモテまくりのお話」なんだけど。忘れちゃいけない、作者は女性です。
    「義母とHする」「ほとんどレイプする」「ロリコンに走る」等々があっても、今どきのアダルトビデオとは異なります。
    そんな理不尽が許されなきゃならない、ざっくり言えば女性受難の時代に、それでも多くの女性が、それぞれのコリコリした個性を漲らせて、人生を感じさせてくれます。

    難解な古文、更に裏読み歓迎な言い回しに溢れていますが、結局は、ココロのドロドロの大河ドラマ。
    淋しさ、空しさ、嫉妬、権力欲、見栄、外聞、噂話、陰口、見下す気持ち、敗北感、奢り、焦らし、若さ、自尊心、諦め…。
    そんな剥き出しな気持ちが、しっとりした語り口と華やかな王朝風俗の向こう側に、見え隠れする小説的演出の襞。
    その上、「源氏」を書いた紫式部の人生を考え、想像し、「紫式部日記」と並行して読むと。炙り出される、紫式部さんの、妬み、嫉み、僻み、傲岸、いじめ心。
    清少納言さんとの関係、政治的に没落した清少納言さん、そして「枕草子」への容赦ない鞭の打ち方(笑)。コワイ、コワイ。
    (紫式部さんは、藤原道長一派。清少納言さんは対立する一派だったそうです)

    そんなこんなを。「源氏」本文に描かれたドロドロと、作者を取り巻くドロドロを。
    一枚一枚、襞をめくって。
    丸谷さんと大野さんが、平易な言葉で語って感じさせてくれます。
    正直、目も眩むような贅沢感です。




    ■■■先入観で、崇拝しない。「源氏物語」を解明するシャーロック・ホームズの愉しみ。

    痛快なのは、丸谷さん大野さんが、「源氏最高!たまんないっす!」と盛り上がりながらも。

    「この辺りは、詰まんないんですよね」
    「この章は、大したことない。退屈なだけ」
    「この事件で、このキャラの描き方、人間を描けてないよね」
    「この下りは、もったいぶってて分かりにくいだけですよね」
    「こういうところ、教科書載せれば良いのに、ツマンナイところ載せるんだよねえ」
    「一部研究家とか、源氏なら全部盲目的に賞賛するから、だめっすよねえ」
    「この和歌、イケてないよねえ」

    ズバズバ、すごいすごい(笑)。
    その多くが、僕も昔、谷崎訳で読んでぼんやりと感じた部分で。
    「そうなんだよ!」と思わず電車の中で喝采したくなったりしました。

    結局、原文の「源氏物語」という古文小説で言うと。
    そのまま読んだって、面白くないんです。我々にとって。
    それを、「いや、これは面白いんですよ」という提起な訳です。

    つまり、「そう思えないかも知れないけど、Aさんは無罪。真犯人はBさんなんですよ」という、探偵さんの提起な訳です。
    こっちとしては、
    「ほんとに?証拠は?」
    ということになります。
    そこで、金田一耕助さんが。古畑任三郎さんが。刑事コロンボさんが。ポワロさんがマープルさんが、明智小五郎が、コナン君が、語り出すわけです。
    もつれた糸をほぐすように。「そうだったのか!」「なるほど!」「ふ~ん」「そりゃ知らなかった!」と、なる訳です。
    で、最終的に「なるほど、そりゃ、確かに真犯人はBさんだなあ」「なるほど、そりゃ、確かに、おもしれぇや!」と思えるかどうか。
    ということで言うと、この本、丸谷さん、大野さん。圧巻、完勝です。少なくとも僕にとっては。名探偵シャーロック・ホームズです。ワトソン君になった幸せな気分です。

    話題は平安の風俗であり、「貴種流離譚」のドラマ的普遍性であり。
    男の視点、女の視点から見た人生であり、古語の解釈の微妙な愉しさであり。詩歌の味わいであり。
    コトバで紡ぐ、小説という形式の奥の深さ、趣であり。日本的な(京都的な?)四季の香りな訳です。
    そして何より、キャラクター、性格付け、ヒトの心理の割り切れなさ、どうにもらならない人の業。
    源氏の女性遍歴も、結局は、亡き母の面影、「母を訪ねて三千里」だったりする訳です。

    もちろん、1000年前の小説です。それでも謎は残ります。丸谷・大野的解釈が、強引かも知れません。
    でも、そういう味わい方をできる愉しみ自体が素敵な訳ですねえ、と感じさせてくれます。
    「名作だから読む。名作だから素晴らしい。オモシロイとかっていうのとは別次元」
    「ワカラナイのであれば、読むほうが悪い。だって名作なんだから」
    みたいな、脅迫的な受動的な受け止め方では、愉しく無いんですね。
    そう、この本は、読書の愉しみについての実演論考だったりする訳です。

    #########以上###########

  • ・紫式部ってすごい人だったんだなあ。知識もあるし、それから、構成力?の高さ。「11世紀なのにこんなの書いててすごい」というロジックには素直に頷けないところもあるが、でもきっとすごいことなんだろうなあ。
    ・メインのa系(母の面影を求めて藤壺、紫の上他)、失敗談個別エピソード的なb系(空蝉、末摘花他)、両者統合後のc系(女三の宮のあたり)、次世代のd系(宇治十帖)に分けて考えるという説に納得。
    ・それから、槿の君や六条御息所の初登場、そして藤壺との初実事が含まれる「かかやく日の宮」という章が存在していたはずだが削除された、という説も知らなかった。しかも削除された理由が、「帝の妃を寝とったことがタブーだから」ではなく(それは削除されてない章にもばっちり書かれているしね)、「物忌みの日に出掛けていって情事に耽ったことがタブーだから」なのではないか、という説も、興味深かった。
    ・色々と「へえ」ポイントがあったけれども忘れてしまった。覚えているうちのひとつ→「情けをかける」という日本語には「表面を取り繕う」というニュアンスがある。だから正妻には「情けをかけ」ない。取り繕う必要がないから。正妻であり姫君の育ての母である紫の上と、姫君の生みの母である明石との間で「情けを交わし」ているのは、そもそもがギクシャクして当然の関係であることをも表している。

  • 上巻かなり読みやすく、ところどころで「あさきゆめみし」を開きながら(谷崎訳を開かないところがまた悲しい)面白く読めました。須磨の源氏が朱雀帝に生霊となってたたったが為、源氏は都に呼び戻された。言われるとすんなりなるほどと思えたのに、六条御息所は生霊と言って源氏をそう呼ぶのははばかる無意識が驚きでした。全面的に私はこの本を鵜呑みにしてしまった。

  • 源氏論はこの対談集に尽きると言っても過言じゃない

  • 1994(底本89)年刊。国語学者と作家、碩学2名の源氏物語鼎談。源氏論でも指折りの面白い書。何より丸谷氏が、小説のプロット作り、構造分析から源氏物語を解読する様は圧巻(①一見退屈な「雨世の品定め」をドラマティック・アイロニーで読み解く、つまり源氏が藤壺との密会を経ている中で聞かされる男女論は源氏の無言の凄みを感じさせる、②藤壺密会のタブーは父帝妻の寝取りのタブーでなく、物忌のタブー)。一方、大野氏の文法・古語の確かな知識による読解も素晴しい(情、艶、「よしとゆゑ」の差、秋好中宮はアンチ清少納言の象徴)。

  • 国語学者の大野晋と作家の丸谷才一の対談で進む「源氏物語」の解題。精妙な言葉の使い分けに反応して、ここまでわかっている2人が交わすやりとりは、羨ましくも呆然とするばかりでした。紫式部は極めて微かにしか男女の夜の事を記さないので、実事ありや?と互いに確認しあっているのが面白い。林望訳では、そこを書いていませんが、物語を知る上では、実は重要事項ですよね。下巻に続く。

  • 大好きな丸谷先生と、以前流行った「日本語練習帳」で有名な国語学者の大野晋さんが対談形式で源氏物語を語り尽くした本です。

    古い本ですが、ずっと気になっていたの。
    予想以上の良書でした!!!さすが丸谷&大野ペアです。

    たまに源氏物語の講演を聞きに行くことがあるのですが、学者さんて、決まった時間内に終わるよう起承転結を考えて話さない人が多いんです。
    持論を話し続けて、時間になったらどんなに中途半端でもそこで終わらせるので(涙)消化不良、ということもしばしば。
    それと比べ、この本はめっこり語りつくしてくれてるから楽しくて♪
    以前に読んだ「輝く日の宮」に並ぶベスト本で、源氏解説本としては私の中ではナンバーワンです。
    大御所のお二人だけあって博識で、話が広がる広がる。そのくせ全然堅苦しくなく、楽しくお勉強できました。

    博識ぶりはホントすごいです!
    本居宣長に代表される源氏の論説本は随分昔のものから近代まで読破されているようで、持論との違いとか丁寧に教えてくれます。
    また例えば、「やんごとない」という言葉は、「やむ・こと・なし」が語源。やむ、は雨がやむ、などの自然現象がおさまること。だから「やむことなし」というのは女官としてお仕えしていて「気が静まることがない」ということ。女官たちのお仕えする相手は身分の高い人のことなので、それで、「やむことなし」が「尊い」「第一流」という意味になる、などと、とにかく原文の一字一句を丁寧に解説しながら、全体の構成分析をされている。ほんとうに素晴らしいです!
    テクニックに関しては海外古典との比較が多く、プルーストの「失われた時を求めて」は源氏に似ているとか、他にもドフトエフスキーとか出てきて、ストーリーを知らない私は、そこはついていけなかった・・・

    勉強になったことがたくさんありすぎて、頭に入った矢先にこぼれ落ちそうです(涙)が、印象に残ったところだけ以下まとめておきます。


    ☆構成について
    紫式部は、33帖の藤裏葉までのa系を先に書き、次にb系を書いて差し込んだそう。(もともとは昭和25年に武田宗俊さんがそれを指摘した)
    具体的には

    a系
    1桐壺
    5若紫
    7紅葉賀~14澪標
    17絵合~21少女
    32梅枝
    33藤裏葉

    b系
    2帚木~4夕顔
    6末摘花
    15蓬生
    16関屋
    22玉鬘~31真木柱

    a系だけで読むと物語が時系列に並んでいてシンプルで読み易く、しかもきちんと意味が通じる。
    また、a系の中に幻の一帖「輝く日の宮」があったはずです。

    と、ここまでは、以前読んだ「輝く日の宮」でも主張されていましたが、本書はさらにつっこんでて。
    a系は要するに、光源氏は帝にはならないけれども、臣下にもならない、という予言が実現されるまでのめでたしめでたしのお話。
    だけどそれだけだと光源氏が立派過ぎて面白くないので、実はこんな秘密もあるんですよ、と後から追加したのがb系。それによって物語に深みや奥行きが出た。
    だから本筋であるa系には、b系の女人は全く登場しない。
    b系の主人公は空蝉、夕顔、末摘花、玉鬘であり、これらはすべて光源氏の失敗談。(これは道長の実際の失敗談では?とのこと)
    若菜からはじまるそのあとはc系とくくられ、これはaとbの要素のすべてをあわせてものになっている。(登場人物はab両方の女人が登場)
    このような、時間軸に従った表向きの出来事「紀」(a系)と、個人のエピソード的出来事を記載した「伝」(b系)が絡み合うことによって、歴史の展開の実際の状況を表現する構成は、中国の歴史書「史記」「漢書」などの手法と同じだそう。


    ☆紛失した「輝く日の宮」の帖について
    ここには藤壷との最初の一夜のこと、朝顔や六条の出会いの場面が書かれていたと思われます。
    紛失、というか削除させられた理由の見解がとてもとても興味深かった!!

    まず、藤壷との最初の実事はいつだったのか?という問題。
    実際問題、帝の寵愛を一身に受けていたのでいつ帝が訪れるかわからない。
    なので、帝が藤壷の元に絶対訪れない「物忌み」の日を狙った、というのがお二人の主張。
    (源氏たち臣下も、物忌みの日は宮中に居さえすれば外に出られない状況が作れる。)

    ちなみに、雨夜の品定めは藤壷との事があった翌日の話ではないか、と。
    それを意識して雨夜を読み直すと、今までとは印象が違って見えるって。
    源氏がほとんど発言しないのは、昨日のことを思い出して上の空だったとか(笑)確かにおもしろい。。

    でも、源氏物語が話題になり広まるにつれ、物忌みを利用してそういうことがあったというのはタブーに触れすぎている、というのです。
    帝の妃を犯す禁忌よりも、古代人にとって、物忌みの禁忌をおかしたことが恐ろしく、それでその帖を抜いてしまった、という説には説得力がありました。。


    ☆和歌の効用について
    古今集、後撰集、拾遺抄、古今六帖の4つは宮廷の周辺で生活していたら全部諳んじていなければいけない、という前提に基づき話が進む。
    浮舟は東国で育ったという設定なので、(上記の)引用のある歌のやりとりは、薫も匂宮も一度もしてないそう。
    そうやって、相手(浮舟)を見下していることを表現していたんだそうです。テクニックがすごいね。


    ☆巻の名前の配列について
    源氏物語の巻の名前の配列は「勅撰和歌集」の和歌の並べ方と似ている。
    特にその感じが濃厚なのは例えば「葵」「賢木」「花散里」「須磨」「明石」
    葵と賢木で植物の名前を二つ並べ、次が花散里で花が植物につながり、「里」の字で次の須磨、明石という地名に続いている。
    気づかなかったけど、気づくと美しさにうっとりします☆


    ☆清少納言について
    紫式部が清少納言を嫌っていたのは有名な話ですが、それが作品の中でも表れているというのです。
    例えば秋好中宮。
    これは「春は曙」に対抗したものなんですって。秋好中宮はアンチ清少納言のシンボルだったそうです。
    その他にも、清少納言の「すさまじきもの」で評されたものを批判するなど、注意して読むとそういうのが朝顔の巻あたりで4つも見つかるそうです(笑)
    式部って才能あるけどやはり根暗で陰険でプライド高いな。


    下巻も楽しみ、なんだけど、頭を使い過ぎたからちょっと休憩してからにします。。

  • 2013.3.31

  • (要チラ見!)/文庫

  • 「桐壺」
    「帚木」「空蝉」「夕顔」
    「若紫」
    「末摘花」「紅葉賀」「花宴」
    「葵」
    「賢木」
    「花散里」「須磨」「明石」
    「澪標」「絵合」「松風」「薄雲」「朝顔」「少女」
    「蓬生」「関屋」「玉鬘」「初音」「胡蝶」「蛍」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」「藤袴」「真木柱」
    「梅枝」「藤裏葉」

全11件中 1 - 10件を表示

大野晋の作品

光る源氏の物語〈上〉 (中公文庫)に関連する談話室の質問

光る源氏の物語〈上〉 (中公文庫)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

光る源氏の物語〈上〉 (中公文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

光る源氏の物語〈上〉 (中公文庫)を本棚に「積読」で登録しているひと

光る源氏の物語〈上〉 (中公文庫)はこんな本です

光る源氏の物語〈上〉 (中公文庫)の単行本

ツイートする